第十四話 宣言 ~決意表明、そして主従は頂点を目指す~ 

 言葉にならない声を上げ続ける二人を、イセルは眩しそうに目を細めながら見続ける。


 「どうしてそう遠くから黄昏たそがれているのよ」


 隣から聞こえた声に、イセルが目を向ける。鏡花がいつの間にかイセルの隣に立っていた。


 「キョウカ殿……?」


 驚いた様子はないものの、気の抜けた声音でイセルは言う。

 それに構うことなく、鏡花は言葉を続ける。


 「そうやって一歩引いちゃうから、年齢よりもずっと大人ぶって見えちゃうのよ。青少年は青少年らしく、青春の汗と涙を分かち合いなさいな」


 気負った様子のない声で言う鏡花もまた、泣き笑いしながら抱きしめあう二人の少女を見て、柔らかな笑みを見せた。


 「青春、か。それを堪能するには、俺はもう遅いと思うんだが」


 「十六年生きただけのお子様が何言ってるのよ。それにあなた案外ロマンチストなんだから、青春だの努力だの感動だの、そういう甘酸っぱいお話、結構好きでしょ」


 「……夢想家ロマンチスト? 俺が?」


 疑問に彩られた声に、鏡花は浮かべる笑みをさらに輝かせる。鏡花の美貌に浮かぶチャーミングなそれは、間違いなくからかいの色を見せていた。


 「この世界で初めて斬ったのがお前の魔法でなくてよかった、だっけ? それじゃあなたはこの世界に来てまず、その剣で何を斬ったのかしら?」


 試合中のイセルの台詞をなぞる鏡花は、にんまりとほくそ笑み、視線をイセルから麗菜へと滑らせる。どこまでも見透かされていることに、イセルは妙な照れくささを覚えた。


 「異世界から来た剣士が、この世界で初めて斬ったもの。それがあんな可愛い女の子の髪の毛だなんて、その剣も幸せ者ね。

 ほんと、随分ロマンチックじゃないの。それこそ子ども向けの、白馬の王子様とお姫様が出てくるお伽噺や英雄譚みたいな……あ、もしかしてイセルくん、向こうでもそういう物語絶対好きだったでしょ?」


 「……!」


 ものの見事に図星を突かれ、言葉を詰まらせるイセルの頬は赤くなっていた。


 「アハハ、あなたのそんな反応が見られるなんて思わなかったわ。そうかそうか、『白銀の煌剣』さんも、そんな夢一杯ファンシーなお話が大好きなお年頃か。ほら、十分青春を謳歌する資格あるじゃないの。それをなに生意気言って大人ぶってるんだか」


 まるで弟をからかう姉のように、茶目っ気溢れる陽気な声をあげる鏡花。そして好き勝手に弄ばれている弟は、反撃するように口角を吊り上げ、鏡花の耳元に口を寄せる。


 「そういうキョウカ殿こそ、レイナに声をかけてやらなくてもいいのか? 思い人の忘れ形見なんだろ?」


 囁くように放たれたイセルの一言に、鏡花は絶句し、やがて頬を朱に染め上げる。


 「ど、どうして……!?」


 「昨日の図書室での表情を見れば、大体察することはできた。こんなお子様に簡単に悟られるようでは、キョウカ殿もまだまだだな。『分かりやす過ぎる』ぞ?」


 「……こ、こんなので一矢報いたなんて思わないことね」


 昨日理事長室で言われた言葉をあえて使ったイセル。そして鏡花は苦し紛れと分かる台詞を吐いてそっぽを向く。


 年齢よりも随分と若い――幼い反応を見せる鏡花を可笑しく思いながら、イセルは再び麗菜とひよりの姿に目をやる。そのイセルの表情を見た鏡花は、浮ついた雰囲気をすぐに消して、落ち着いた声音で言葉を紡ぐ。


 「あの子たちの涙も、喜びも、そして芳麻さんが初めて掴みとった勝利も。全部あなたのお蔭なのよ? これまで誰も示してあげることのかなわなかった答えを、燻り続けていた一人の魔導士に提示した。彼女が積み重ねてきた努力を開花させることが出来たのは、間違いなくあなたのお蔭なの」


 これまで誰も、麗菜の魔法の暴発に対する原因を突き止めることが出来なかった。そして尊血派の人間は教師ですら、麗菜に劣等生の烙印を押して蔑み続けてきた。


 そんな彼女の実力を開花させたのは――この世界の誰もが至れなかった基盤円の真の意味を知り、そして麗菜に合わせた魔法陣を教え、その手に勝利を掴ませたのは間違いなくイセルだ。


 「なのに――どうしてそんな、寂しそうな表情かおをするの?」


 鏡花の問いかけに、黒い瞳が大きく開かれる。そしてイセルは口元に再び、寂しげな笑みを携える。


 「俺は向こうの世界で、あんな風に心を剥き出しにして笑い合ったり、涙を流し合える友を得られないまま、生を終えたからな。少しだけ、羨ましく思っただけさ」


 「……魔王を討ち、世界を救わんと歩き続けた。そんな英雄であるあなたと並び立てる人は、同じ英雄である妹さん以外では、有り得なかったのでしょうね」


 「英雄、か……」


 同情の込められた鏡花の言葉に、イセルは堪らず苦笑する。そして先日麗菜に言い聞かせた、自身が思う英雄の定義を鏡花へと告げていく。


 「俺はレーナを――たった一人残された大切な妹すら守りきることもできなかった、まがい物。魔王を討ち果たして、世界を救っただけの、ただの復讐者。真の英雄にはほど遠い。それでも……」


 あるいは懺悔に似た独白。視線を伏せるイセルが淡々と結びゆく言葉を、鏡花は口を挟むことなく聞いていく。


 「こんな俺でも、レイナは認めてくれた。俺が為したことに、意味はあったんだと言ってくれた。出会って一日も経たないあの娘の言葉は、すごく胸に響いた。救われた、なんて言うと大げさかもしれないけど。

 レイナの言葉が、何でだろうな、すごく嬉しかったんだ」


 俯き気味だった視線が、再び前を見据える。湛える寂寞はそのままに、その黒い瞳には、儚い光が揺らめいていた。


 「レイナに俺がしてあげられたことなんて、他愛もないことさ。ただ自分が知っている知識を使って、申し訳程度の手助けをしただけ。


 今日の勝利は間違いなくレイナのものだ。


 どれだけ結果が伴わなくとも、己の誇りが認められずとも、そしてどれだけ周囲から罵倒されても。逃げることなく実直に積み重ね続けてきた彼女だからこそ勝てた。

 真の英雄たる父が残した魔法、そして課題に取り組み、強い信念のもと、弛まぬ努力を以て向き合い続けたレイナだからこそ、あの魔法は発動できた。


 その勝利の喜びを、筆舌に尽くしがたい苦しみの中を支え続けてくれた親友と、分かち合っているんだ。そこに割り入っていくほど、俺は無粋じゃないさ」


 そう言ってイセルは肩を竦める。鏡花は何度か口を開きかけるが、継ぐべき言葉が見つからないのか目を僅かに伏せる。


 「あ、あの……!」


 言葉を交わしていたイセルと鏡花は、同時に声の聞こえた方向に向く。抱擁を交わしていた麗菜とひよりが、いつしか二人の下へと歩み寄っていた。


 ひよりは未だ荒い息を零しながら目元を拭っている。麗菜の目も若干充血していたが、そこに湛える光、そしてその表情に強い思いが込められていた。


 「楸尾ひさぎお先生。今回は突然の模擬戦であったにも関わらず、場所や審判の手配を整えてくださり、ありがとうございました」


 ブレの無い口調で言った麗菜は、鏡花に向けて頭を下げる。しばし呆気にとられた表情を浮かべた鏡花は、すぐに真剣な面持ちを見せる。


 「芳麻ほうまさん」


 落ち着いた調子で麗菜を呼ぶ。頭を上げた麗菜は、鏡花の美貌に宿った何かを悟ったように、引き締めた表情で言葉の続きを待つ。


 「今のあなたが使う交響魔法陣シンフォニック・キャスト。正直に言って芳麻聖の……《天彩コンダクター》の駆使したあの魔法、その真価の一割も引き出せていない、あまりにも粗末な魔法です」


 「楸尾先生……? なんで、そんな言い方……!」


 鏡花の厳しい言葉に、ひよりは目を見開いて抗議の声を上げかける。


 「ひより」


 そんな親友をやんわりと諌める麗菜。


 「麗菜、でも……!」


 「ありがとひより。でも今は待って」


 なおも言い募ろうとするひよりに、麗菜は微笑みを向ける。ようやく口を閉じたひよりから視線を鏡花へと戻し、麗菜は再び表情を引き締める。


 「分かっています。お父さ――父が使っていた交響魔法陣は、あんなものじゃない。ただ同じ魔法を重ねて増強させるような、そんな単純な結果に収まらない。そしてそんな増強ですら、父の方がもっと上手かった。今日の私の魔法は父に比べることすらできない下手なもので、そんな魔法にすら悪戦苦闘している私は、父には程遠い未熟な魔導士です。でも……!」


 厳しい視線を向ける鏡花に、麗菜は真っ向から対峙する。緊張に強張るその表情には、確かな意地と決意が宿っていた。


 「今日初めて、私は魔法を発動できました。そして父の魔法を、完全には程遠くても使うことができました。だからもう、私に迷いはありません!

 父が残してくれた魔法を、いつの日か必ず、自分のモノにしてみせます! そして父のような、誰よりも強くて優しい魔導士になります! もっと勉強して、一杯練習して、いずれは父を超える、この世界で一番の魔導士になります! それが私の夢です!」


 当代において日本最強との呼び声高い、超一流の魔導士を前にしているにも関わらず。

 物怖じすることなく告げる麗菜の姿は、どこまでも勇ましかった。


 粛然とした態度と表情だった鏡花は、再び彼女らしい柔らかな笑みを見せる。


 「今日の試合。あなたの魔法はお父様に比べて未熟なものでした。それでも今日のあなたの戦う姿に、芳麻聖を知る者は全て、彼の――天彩の影を重ね見ました」


 告げられた温かい言葉に、麗菜は大きく目を見開く。


 「あなたの目指すその背は、とてつもなく大きく、そして遠い。その背に迫る過程には、これまで以上の困難や苦しみが待っています。

 それでもあなたならいつか、私なんかも超えて芳麻聖に追いつくと――そしてさらにその先へと進めるんじゃないかと、思います。芳麻聖の強さと魔法、そして優しさが、あなたの中に受け継がれ、そして生きているんですから」


 そうして麗菜の肩に、鏡花が手を置く。さっぱりとした小気味よい笑みを浮かべ、力強く鏡花は告げる。


 「精進なさい、芳麻麗菜。あなたならきっと、お父様のような素晴らしい魔導士になれるわ」


 腰から脳天にかけて電流が走ったように、麗菜がその身を打ち震わせる。そして空色の瞳を潤ませ、


 「……はいっ!」


 喜びに表情を綻ばせ、麗菜は大きく返事をした。微笑ましげに見つめる鏡花に礼をして、今度はその隣のイセルへと向く。


 二人のやりとりに、やはりイセルは遠い目を向けていた。どこか傍観者のように眺めていたイセルは、麗菜に真剣な表情を向けられて小さく目を剥く。


 「イセルさん、私……!」


 言葉を選びあぐねているのか、それとも気負い過ぎて空回りしているのか。もどかしげに眉を寄せる麗菜に、イセルは先んじて否定を示そうと考えていた。


 麗菜が紡ごうとしている言葉の内容は、容易に想像できた。心優しい彼女のことだ、十中八九感謝の言葉か、それに似たものだろうと当たりは付けられる。


 感謝されるほどのものじゃないと。

 自分が示した方法は本当に小さなことで、この勝利は麗菜の物だと。

 己への蔑みよりも、大切に思う他者のために怒り、涙し、真剣に思いやることのできる優しい心を持った魔導士だったからこそ、手を貸したのだと。


 おおよそ考え付く限りの言葉に対する否定を、頭の中に待機させていたにも関わらず。


 「――っ、」


 熱の宿った切実な表情に、イセルは思わず息を呑んだ。


 潤んだ瞳は確かな光を宿して、イセルを真直ぐに見つめている。小ぶりな唇は軽く引き結ばれ、頬はほんのりと薄紅色に火照っている。


 切実な表情はどこまでも無垢で、さながら好意を寄せる異性に、初めて思いを打ち明けようとする童女のように。


 「魔法を発動させることのできなかった私は、あなたのお蔭でようやく、魔導士として歩み出すことができた。それだけじゃなくて、お父さんが残してくれた魔法に、指を届かせてくれた……」


 待機させていたはずの言葉は霧散し、口を動かそうにもピクリとも動かない。麗菜の言葉に宿る温もりが、真摯な響きが、イセルの思考をせき止め続ける。


 「こんな私に召喚されても、文句一つ言うことなく、対等に接してくれた。最高の魔導士になれるって言ってくれた。

 それから……お父さんを、認めてくれた。英雄だって、言ってくれた。それが一番、嬉しくて……!」


 暴発しそうになる心を鎮めるかのように、麗菜は一度瞑目し、深く息を吐き出す。


 再びイセルに向けられる瞳には、静かに固められた意志が宿る。


 「あなたへの感謝の気持ちを、言葉で十分に伝えることができるのか自信ないです。それでも言わせてください。

 本当に……本当に、ありがとう」


 ふわりと微笑む麗菜を、イセルはやはり見ることしかできなかった。


 その笑みに宿る透明さを、どう表現すればいいのか分からなかった。


 それが向けられていることに、胸が痺れるような心地を覚えた。


 麗菜も緊張しているのだろう。イセルが僅かに頬を赤くし、黒い瞳が小さく揺らめくのにも気付いた様子はなく、再び真剣な表情に戻して告げる。


 「私は、お父さんみたいな強くて優しい魔導士を目指します。そしていつか、必ずお父さんを――世界最高の魔導士を超えて、この世界で一番の魔導士になってみせます。

 今はまだ、全然駄目で未熟な魔導士なのは分かってます。世界を一つ救ったあなたに、相応しい主でないのは分かってます。

 でも、これから頑張ります! だから、イセルさん! 私と一緒に、駆け上がってくれませんか……!?」


 その表情に、戸惑いや怯えといった言葉で片付けられるような、不安定な翳りが走る。


 全力で放たれた問いかけ。答えないわけには、いかなかった。


 「今の俺は君の使い魔だ。なら、主の意向に沿うように手を貸すのは当たり前のこと。

 そして俺は『白銀の煌剣』。魔王を打ち倒し、世界一つ救ってみせたんだ。そんな俺を使い魔に従える魔導士が、世界最強であるのは当然だ!」


 快活な響きになるように、腹の底から声を出す。イセルの声と勝気な笑みに、麗菜は表情から翳りを消して、息を呑む。


 「今は魔力を失ったこんな身でも、世界一つ救っただ。そんな俺を使い魔にしたんだから、君にはこの世界で一番の魔導士になってもらう!

 俺が直々に叩き上げる! 音を上げるのは許さないからな、覚悟しろよ!」


 「……はいっ!」


 イセルの声音に宿る熱量は、確かに伝えられた。この日一番に輝く笑みを見せた麗菜は、どこまでも晴れやかな声を上げて返事した。


 「うぉおおおおお! テンションあがってきたッス! ここから、麗菜とイセルさんの快進撃が始まるんスね! 専属広報記者として、これからの活躍をダイジェストに発信していくッスよ!」


 目元はまだ赤く腫れているものの、普段の陽気な口調と声でひよりが言う。


 「一応ひよりも、魔導士なんだからね? 記者活動に熱入れるのもいいけど、魔法の勉強も練習もしなきゃ……っていうか、あの記事やりすぎ! 見たときすごく恥ずかしかったんだよ!?」


 「えー? ウソは書いてないし、あれだけド派手にブチかましたからこそのあの集客ッスよ? 何も問題はないッス!」


 「そうだぞレイナ。ヒヨリは俺の命を忠実にこなしてくれた。向こうの世界なら王宮をあげてその功労に報いなければならない活躍だったぞ」


 「ははー。王子様からかようなお褒めの言葉を与り、身に余る光栄ッス。この誉れ、仲村渠家の末代まで語り継がれましょうぞー」


「うむ、苦しゅうない。おもてを上げい。これからもレイナの活躍を大々的に報道する大任をそなたに与える。これからの粉骨砕身を期待し――」


 「もう! 二人してふざけないでください! これ以上言うなら、ひよりはもう一緒に勉強してあげないし、イセルさんにはこれから振る舞うはずだった特製カレー抜きにしますよ!?」


 「な、ごめんッス麗菜! 冗談、冗談っすよ!」


 「そ、そうだ! ヒヨリの口車に乗せられていただけであって、使い魔が主を本気で貶すことがあるわけないだろう!」


 「あ!? ズリい!? 女の子に全部なすり付けるとか、あんた王子様以前に男として最低じゃないッスか!?」


 胸熱くする、主従の結成の瞬間はどこへやら。


 今や少年少女が、歳相応の幼さを以てかしましく騒ぎ立てる。一瞬だけ呆けた表情を見せた鏡花は、その喧噪の中にイセルと麗菜が自然に溶け込んでいるのを見て、思わず小さな笑い声を零すのだった。

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