第十二話:決闘② ~かくして開幕は告げられた~

 麗菜の二、三歩先を歩く形で、イセルは演習場内の模擬戦スペース――競技場へと足を踏み入れる。


 観戦席は生徒や教職員で埋め尽くされており、イセルたちの出現にどよめきが起こった。


 「あれが異世界から来たっていう……」


 「剣差しているけど、あれ魔導器か?」


 「でも魔力がないって話でしょ? そんな人が魔導器持ってたって……」


 「芳麻のやつ、あんな雰囲気のヤツだっけ……?」


 初めて生でイセルの姿を見る生徒たちを中心に、湧き上がる声。それらに気を散らすことなく、イセルは堂々とした足取りで競技場の中央まで歩みを進める。


 中央には、男が一人佇んでいた。


 「お、来たか。もう一人もさっさと来いよっつー話だよな。たかだか学生のイザコザになんでオレが出張らなきゃいけないんだか。あ~あ、はよ帰ってビール飲みたい……」


 イセルと麗菜が到着して早々に、かったるさを前面に出して嘯く男。着崩したスーツ、顎先に蓄えた髭や煤けた茶髪も相まった、浮ついた印象。


 「……なあレイナ。この男も教師か?」


 「え? えっとその……多分、そうじゃないでしょうか? 高等部に上がってまだ二週間ですから、私もまだ全ての教員を把握しているわけではないですが……」


 「はあ? 教師? 馬鹿言うなよ。なんだってオレがガキども相手しなきゃならねえんだ、めんどくせえ」


 イセルと麗菜の会話に割り入って言い放ったあと、男は煙草を懐から取り出して咥える。そして人差し指を立てて、指先から極小の魔法陣が展開する。それを口元に近づけると、咥えられた煙草に火が点いた。


 「オレは楸尾ひさぎおのヤツに頼まれて来た、臨時の審判だ。二度とお前さんらに関わることもないだろうから気にすんな」


 そう言って男は煙を吐き出し、取り留めもなく視線を泳がせる。


 「確かにそちらにとっては、たかだか学生同士のイザコザに過ぎないのだろう。だがこの一戦はレイナにとって己の誇りと、これまで歩き続けた道が無駄ではなかったと証明するための、一歩も引けぬ戦いだ。生半可な思いで立ち会うというのであれば、今すぐ立ち去れ」


 「イ、イセルさん……!?」


 麗菜の戸惑いを無視し、自身よりも目に見えて年上の男に向かって、イセルは不遜とも呼べる態度で睨む。そんなイセルを見て、男は僅かに目を見開く。


 「お前さんが、噂の異世界から来た王子様か。名前は……ああっと、協会からの連絡で書いてあった気もするが覚えてねえわ。名前は?」


 「自分の名乗りも果たさず、安い葉巻の煙を撒き散らすような輩に告げる名を、生憎俺は持ち合わせていない」


 「ハッ! こりゃなんも言い返せないわ。安煙草なのは勘弁してくれ、オレの月給じゃあんまりいいヤツ買えなくてよう」


 口元に笑みを携え、男は右手を開き緑黄色に輝く魔法陣を展開する。そして煙草を魔法陣目掛け、器用に吐き出せば。


 煙草は一瞬で燃え上がり、塵も残さず消え失せた。


 「悪かったな。俺は筧。かけい啓治けいじ。三代目の魔導士で、楸尾とは同い年の同期だ。今日は楸尾に頼まれてお前らの模擬戦の審判を務める。こんなもんでいいか、王子様?」


 片眉を吊り上げて、洒脱な雰囲気を纏う筧。


 「……イセル。イセル=ボーデルト=ミハイル=ファルザー。齢は十六。二十八代続くファルザー王家の血を引く者だ」


 「イセル、か。オーケイ覚えた。優男ヤサオな見た目の割に、中々骨がありそうじゃねえか」


 「そちらも、魔導士としてはそれなりに腕が立つようだな。キョウカ殿がわざわざ依頼するというのも頷ける」


 「お。そんなことまで分かっちゃう? いや全く、十六歳だってのに随分と完成されちゃってまあ、面白くない」


 「別にそちらを喜ばせてやる義理も義務も、こちらにはない」


 第一印象とは打って変わって、色男と呼ぶに相応しい茶目っ気を見せながら言う筧。イセルの方も棘のある言い方であるものの、軽く肩を竦ませる態度からは、不機嫌さが幾分か和らいでいるのが見て取れた。


 「んで、そっちのお嬢ちゃんが……」


 「は、はい。私は芳麻ほうま麗菜れいなと申します」


 気を崩した調子のまま、筧は麗菜に目をやる。緊張した面持ちで答える麗菜。


 「……そっか」


 僅かに口角を上げながら、簡素な言葉で答える筧。その表情に微かに、懐古の色が混ざるのをイセルは見た。


 「っと。向こうさんもようやく入場か。早く来いっつー……あー、ガヤの声がうっさい」


 イセルは問おうとしたが、それは阻まれた。イセルたちが入ってきた入場口の反対側から、有栖野が鷹揚な足取りで向かってくる。有栖野側の観客席からは大袈裟とも思えるほどに、生徒たちの声に熱が帯びる。


 有栖野の取り巻きを含め、尊血派として有栖野に取り入ろうとする生徒のものだった。それぞれが『○代目の○○、微力を尽くして応援します!』などと媚び諂う言葉を並べている。有栖野は気を良くした様子で、声援に応えるよう手を振りながら歩みを進めていた。


 競技場中央に到着した有栖野。そこに浮かぶ笑みは余裕に満ちていたが、イセルに向ける視線は雄弁に、その胸に巣食う憤怒を物語る。


 一度目線が隣の麗菜に向く。そして有栖野は下卑た笑みを口元に浮かべて、品定めをするように目を眇める。


 「よお、芳麻。大層なイメチェンだな。髪切ってコンタクトに変えて、今更高校デビューか? 

 外見だけ取り繕ってりゃそこそこの見た目になるんだな。魔導士辞めてそっちの道で食っていけるんじゃないか? オヤジ受け良さそうな清楚系だしなあ?」


 みだりがましい声と言葉。無遠慮に肢体をなぞる視線。向けられる麗菜は力を込めた表情で向き合い、無反応を貫いた。


 「性根を映したような腐った声を撒くな。不愉快だ」


 イセルが庇うように、僅かに身を乗り出して割って入る。視界に入ってきたイセルを苦々しく睨みつける有栖野。


 「よう自称オウジサマ。随分威勢のいいことしてくれんじゃねえの。魔力のない無能でありながら、この俺に――有栖野家次期当主候補筆頭に模擬戦吹っかけるとは大したものだな。女の前で良い恰好でもしたいのか? 一発喰らわせられたから調子乗ってんの?


 いい気になるなよ、血の価値を知らない身の程知らず共が。


 魔力持たない能無しと、魔法を使えない雑魚。本気出しゃ手前らなんざ一捻りだ。死なない程度まで痛めつけてやるよ……!」


 表情を歪めながら凄む言葉は、敵意と熱を増していく。しかし真正面から受けているイセルは、どこ吹く風と飄々とした口調で。


 「頭とは違ってよく回る舌だな。それに随分と、魔力を使えることに自信を持っているらしい。

 魔力を持たない能無し、魔法を使えない雑魚――成程、その二人に横面を張り倒されて無様に転がっていた男が言うとなれば、言葉の重みは違うな」


 有栖野の軽薄な貌に青筋が立つ。筧が、吹き出すのをこらえようと身を強張らせるのをイセルは見た。


 「手前、調子に……!」


 「両者揃ったし、ぼちぼち模擬戦を始めるぞー」


 なお息巻こうとした有栖野を、気の抜けた声音が阻む。


 「うるせぇ! 邪魔すんな引っ込んでろ! 誰だ手前は!」


 声の主――筧へと、有栖野は声を荒げる。


 「別に名前を知ってほしくも覚えてほしくもねえが、今回の模擬戦の審判の筧だ。言う事聞かねえなら、審判権限で失格負けにしてやることもできるぞ?」


 「はあ!? 誰に向かってそんな口聞いてんだおい! 所属を言え! 魔導士である以上、この俺を有栖野信弥だと知らなかったは通らねえ! どこのどいつか知らねえが、手前の首飛ばすのなんざ造作もねえぞ!?」


 「お。あの職場を辞めさせてくれるんなら、ありがたい話ではあるな。だがそろそろ口を慎め、会長の御前だ。お前さんだって、空羅覇玄蔵閣下の目の前で失格負けの無様は晒したくないだろう?」


 息巻く有栖野だったが、軽い調子で紡がれた筧の言葉に息を詰まらせる。


 「よし。状況を把握してくれたところで、模擬戦についての諸々を確認してくかー。臨時収入もらっている以上、それ相応の働きはしますかね」


 頭を乱暴に掻いた後、筧は少しばかり表情を引き締める。そして自身の口元に、緑黄色の魔法陣を展開させて。


 『これより! 高等部一年有栖野信弥と、同じく高等部一年芳麻麗菜! 両名による模擬戦を開始する!』


 魔法によって拡声された宣言に、周囲から大きな歓声が上がった。


 『模擬戦に先立ち、いくつかの注意点を確認していく! 双方異存があれば、即刻申し立てるように!』


 ちゃらついた、無気力な態度を一瞬で消し去って筧は高らかに告げる。あまりの変わり様に、麗菜と有栖野は面食らったように目を見開いた。


 ――なんだ、いい益荒男ぶりじゃないか。いつもそうしていればいいものを、何だってあんな斜に構えているんだこいつは。


 元の世界の騎士や戦士、その覇気と名乗り上げに勝るとも劣らない姿を見て、イセルはそんな感想を内心で呟いた。


 『勝利条件は、どちらか一方が戦闘不能に陥った場合! 降伏宣言を行ったとしても戦闘が可能であると判断されれば、模擬戦は継続することとする!』


 おそらく有栖野側が盛り込んだであろう条件が言い渡されると、有栖野は醜悪なまでに満面の笑みを浮かべ、有栖野に声援を送る生徒たちからも一層の音声がもたらされる。

 イセルが横目で主を盗み見る。その横顔は緊張に強張っていたものの、揺るがぬ覚悟が見て取れた。そんな少女の様子に満足して、イセルは筧の言葉を待つ。


 『芳麻麗菜は使い魔である、イセル=ボーデルト=ミハイル=ファルザーを連れて試合に臨むことを許可する! またこれに対し、有栖野信弥は魔導器の使用が許可されている!』


 待っていましたと言わんばかりに、有栖野は懐から一丁の銃を取り出して、熟れた手つきで構える。手品師に似た魅せる手付きに、観客席からさらなる歓声と、黄色い声が上がる。


 ――何だ、あれ?


 魔導器はおろか銃すら見たことのないイセルは、表情には出さないもののそんな気の抜けたことを思う。


 イセルからすれば得意満面の有栖野も、隣で緊張の色を濃くする麗菜も理解できなかった。


 『なお、致命的な攻撃が放たれると審判が判断した場合は模擬戦に介入し、状況を精査した上で勝敗を決するものとする! 双方、異存はないか!?』


 最後に言い結んだ筧に、有栖野は一度残念そうな表情を見せる。だがすぐに、嘲笑とも受け取れる笑みを浮かべ。


 「こっちはいいぜ? これを持ち出せる機会なんてそうそう無いからな。じっくり楽しませてもらうわ」


 対する麗菜。一度瞑目し、細く息を吐き出した後。


 「異存ありません。全力を尽くします」


 硬い表情に余裕は見えなかったが、同時に有栖野のような油断もまた、微塵もない。毅然とした麗菜の声に、イセルは満足げに頷いた。


 『よろしい! それでは双方、所定の位置へ! 開始の合図があるまで、魔法陣の展開は禁止とする!』


 そうして筧は、イセルたちと有栖野の両方の、25m後方への移動を促した。


 「『全力を尽くします』? ハハハ! 勝手に暴発させんのは自由だが、自爆で戦闘不能なんてのは勘弁しろよ、放火魔」


 そう捨て台詞を吐いて、有栖野は所定の位置へ向かうべく背を見せて歩き始めた。


 「イセルさん、行きましょう」


 声をかけられ、イセルは麗菜の表情を観察する。やや強張っているものの、控室で見せたような危うい脆さはない。

 決意を秘めたその眼差しに、イセルもまた勝気な笑みを浮かべた。


 「ああ。行こうレイナ。ここにいる連中全員に、見せてやろう!」


 聞く者全てを沸き立たせる、堂々とした声。それを一身に受けた麗菜もまた、力強く頷いてみせた。





 『双方、構え!』


 筧の号令に、双方が動きを見せる。

 有栖野は先ほどと同じように、魔導器を右手に収める。

 そしてイセルと麗菜の両者。麗菜は数歩下がって真剣な眼差しを向け、イセルは両手で剣を構える――のだが。


 「おい、手前何のつもりだ!? 何で鞘から抜かない!?」


 イセルは愛剣を鞘から抜かず、鞘に納められたままで剣を構えていた。そんなイセルに噛みつくように言い募る有栖野。そして観客席の生徒たちや、あまり表情には出ていないものの、筧も訝しげな視線を送る。


 「何のつもりかだと? そんなこと決まっている」


 周囲の疑問を余所に、イセルはさも当然だろうと言うように、純朴な響きで答える。


 「貴様のような雑魚、こうでもしなければうっかり殺してしまうだろうが」


 声音には最早、侮蔑や挑発の色はない。だがそれは生殺与奪が許されている側にしか許されない、強者のみが持てる配慮ゆえの響きだ。

 魔力を持たない、魔導士ですらない人間による言葉だからだろう。有栖野は奥歯すら噛み砕かんばかりに歯を剥き出しにし、観客席の取り巻き達からも罵倒の声があがる。


 『……双方、構え!』


 再び告げて、筧は右手を高く上げる。だがやや間があったのは、笑いを必死に堪えようとした結果であることはイセルにとって明らかだった。


 「……いいぜお前。ここまで苔にしてくれたんだ、死んだ方がマシってくらいに甚振ってやる。後悔すんなよ能無しがぁ!」


 有栖野は声を張り上げ、怒りに熱くなった表情を見せる。だがイセルはそれに答えることなく、透明な闘志を漲らせた、静かな表情を見せていた。


 『――試合、開始!』


 そうして筧が、右手を振り下ろす。


 イセルにとって、この世界で初めてとなる戦いの幕が切って落とされた。






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