第十二話:決闘① ~お偉方の観戦と、戦化粧~

 日本魔導士学校は魔法演習やランキング戦を行うために、広大な演習場をいくつか有している。


 その中の一つである第一演習場。


 ひよりが居るのは一般の生徒が観戦するための観客席ではなく、来賓用に設えられた観戦室である。超高画質特大モニターで試合を観戦することが可能で、さらには演習場内で戦う魔導士たちのやりとりも高音質で聞くことができる。


 「仲村渠さん、どうしたの? こんな特等席で見れる機会なんて滅多に無いんだから、もう少し楽しまなきゃ」


 観戦室に居るもう一人――鏡花がおどけた色を見せながら、浮かない顔のひよりに言う。


 「い、いや~自分みたいなのがこんなところに居るのが、なんと言いますか分不相応な気がして気後れしてしまいまして……」


 「なーに言ってるの。あなたが昨日いい働きをしてくれたお蔭で、中等部を含めたほぼ全生徒が観客に来てるんじゃない。あのあとたった一時間で作った号外記事、すごくよく出来ていたわ」


 「あ、アハハ。ど、どーもでス……」


 愛想笑いのように頬を引きつらせるひよりは、生徒で賑わう観客席に再び目をやって、淀んだ表情を浮かべる。

 鏡花は小さく溜息を吐いて、苦笑しながらひよりの肩に手を置く。


 「楸尾ひさぎお先生……?」


 「正直この模擬戦……イセルくんに言わせれば決闘だけど。普通に考えれば目に見えて分が悪いわ。

 魔力を持たないイセルくんに、魔力量だけは随一でも魔法を使えたことのない芳麻さん。二人が束になったところで、あんな高慢ちきでも優秀な学生魔導士である有栖野くんに勝てるとは、普通なら思えない。それでもね」


 鏡花が身を屈め、小柄な体格のひよりに目線を合わせる。そこには繕いのない笑みが浮かんでいて。


 「私には予感があるの。この模擬戦で、私たちはとんでもないものを目撃するんじゃないかって。あんな破天荒な宣戦布告をした異世界の王子様が、そう簡単にやられるわけないって。

 そんなイセルくんなら、もしかしたら芳麻さんに――三年間、いえこの学校に入学する前も含めればもっと長い時間燻っていたあの娘に、なんらかの答えを見せることが出来るんじゃないかって。

 だから安藤さん。不安なのは分かるけど、今までずっと頑張ってる姿を隣で見てきたあなただからこそ、信じてあげてほしいの。あなたが最高の魔導士だという幼馴染を。そんな芳麻さんが、偶然とはいえ召喚したイセルくんを。

 芳麻さんや仲村渠さんを心の底から認めた、あの少年を」


 語りかけるように言う鏡花。その言葉を聞いてハッと目を見開いたあと、ひよりは口を引き結んで大きく頷いた。


 「いやあ、遅れてしまってすまないね楸尾学校長」


 数人分の足音が響いたあと、鼻にかかった声が鏡花に投げかけられる。あからさまに辟易した表情をひよりに見せたあと、鏡花は姿勢を正しながら、外向けの無機質な笑みを浮かべて来訪者に応じる。


 入り込んできたのは十数名ほどのスーツ姿の男女。年代は中年から、若くても三十代前半といったところ。その先頭に立つ男は、どこかせせら笑うような表情を見せている。


 「ようこそ有栖野信のぶひろさん。ただ申し訳ありません、急なご連絡だった上にそのような大人数でお越し下さるなんて聞いていなかったものですから、大したもてなしができないことはご了承いただければと思います」


 作ったと分かる声は普段よりもオクターブが上がっており。ピシャリと言い放つその姿に、有栖野と呼ばれた男に控える数名が鋭い視線を飛ばす。


 「ご多忙なようだね楸尾学校長。出迎えの者も居ないばかりか、協会に連絡を寄越すこともしないとは。私も時間があれば協会幹部会に働きかけることもできたのだが、息子から連絡がきたのが日付をまたぐが否かといった時間帯だったからね、すぐに連絡をとれる近しい者しか視察に引き連れることができなかったよ。

 異世界から来訪した者がこのような動きを見せているにも関わらず、それを報告しないとは。いやはや、魔導士学校の学校長ともあればそのようなことに頭を回す余裕もないほど、学校運営のために尽力なさっていると見受けられる。優秀な魔導士である君と言えどやはりその若さでは、我が国の魔導士育成機関の長としての責務は堪えるかな?」


 もったいぶった口調であげつらう有栖野に、控える数名の男女が野卑な冷笑を浮かべる。そんな視線に真っ向から対峙し、鏡花は笑みを絶やさず告げる。


 「労いの言葉、痛み入ります。こちらも場所の確保や、派閥に依らない公平かつ、ある程度実力のある魔導士を審判として手配しなくてはならなかったため、報告が後手に回っていたことは否めません。

 ですが魔力を持たない少年と、高等部一年生程度の生徒の模擬戦。態々協会幹部の方々に報告するまでもないかと思いまして」


 にこやかに言う鏡花とは裏腹に、有栖野はその笑みを引き攣らせて青筋を立てている。控える者たちは物言いたげな表情を浮かべるものの、忌々しげに鏡花を睨むのみで一言も発しない。


 「あとそれから、もう一つ謝罪を。昨日生徒同士のトラブルが原因で、ご子息が怪我を負われてしまいました。

 この国の魔導社会を牽引する魔導五大家が一つ有栖野家の、次期当主候補筆頭ともあろう生徒が、まさか魔力を持たない少年にみすみす気を許して攻撃を受けてしまうなどと考えが及びませんでした。優秀とはいえまだまだ子供、その実力を過信してしまったことはこちらの落ち度です」


 「……全くもってその通りだ。聞けばあの芳麻の娘が先に手を出し、そして件の異世界人が暴力を揮ったにも関わらず、息子や水崎からは君が二人を罰することも止めることもなかったと聞いたが?

 一教育機関に在籍する教師として、どちらが悪いかをはっきりさせたうえで罰を与えるなり、割って入って危害を未然に防ぐべきではないかな?

 魔導士としては優秀かもしれないが、教育者としては些か以上に素質が足りていないのでは?」


 「おっしゃる通りです。魔導士学校の授業風景を動画に撮影させて外部に放つなどというリテラシーの無さ、目上の者に対する態度や人の心を思いやる心が全く身に付いていない幼い精神こころ

 高等部一年にもなって未だこれらを矯正できていないとは、私も教育者としてまだまだです。今回の模擬戦を機に、有栖野くんを含めて生徒たちには道徳的な教育にも力を入れていきたいと考えております」


 物腰柔らかに紡がれていく毒に、有栖野は忌々しげに鼻を鳴らす。一代目という血の浅い魔導士が名門たる自分たちに慇懃無礼な態度を崩さないことが鼻につくのか、他の者たちも一層表情を苦くさせる。


 笑みを消し去り、有栖野が口を開いたときだった。


 「何事だね騒々しい。もうすぐ試合が始まると言うのに、君らは何を突っ立っておるのかね」


 荘厳なる老いた声が場を占拠する。部屋に居る全ての人間が声の源へ目を向け、一様に驚愕する。


 「空羅覇くらは会長……!?」


 余裕ぶった響きが立ち消え、有栖野の声が高く掠れる。


 顔に刻まれた皺、日に焼けたように色褪せた白髪からは、男が重ねてきた年月が窺える。老年と呼んで差支えないのだろうが、その佇まいは老人特有の、貧弱なそれとは正反対だった。


 髪はオールバックにセットされ艶めいており、若々しさに溢れている。顔立ちは精悍でありながらも無骨さや粗野といった言葉に堕ちず、気品すら感じられる。


 眼光も力強い鋭さを持ち、その顔に刻まれた皺もただ年月の流れによって風化されたものではなく。

 幾年も大切なものを守るために戦い続けた、高潔な戦士の勲章と呼ぶに相応しい。


 空羅覇くらは玄蔵げんぞう。日本最古の魔導士の家系たる空羅覇家の十七代目当主にして、日本魔導士協会現会長が佇んでいた。


 「鏡花君、連絡もやらずに突然押しかけてしまってすまないね。私もここで観戦させてもらっても構わないだろうか」


 「はい。もちろんです会長。むしろこちらからお伺いを立てるべきでした。出迎えを遣わせなかったことも含め、数々の不手際お許しください」


 やや硬い声であるものの、鏡花は流れるように恭しく頭を下げて了承する。天と地ほども差がある態度に、有栖野一行が苦虫を潰したように表情を歪める。


 「なに、暇を持て余した老いぼれの気まぐれさ。そう気を遣わなくても構わないよ。信寛君たちも気を楽にしてくれ。そういえばこの模擬戦、君の息子が出場するのだったか」


 「は、はっ! 会長の御前で我が愚息の戦い振りを披露することになろうとは、私を含め有栖野家にとって何よりの誉れ!

 身内贔屓と言われましょうが、我が息子信弥は同学年の者と比べて優秀な成績を修めております! 必ずや会長のお眼鏡に適う雄姿をお見せすることになりましょう!」


 捲し立てるように言う有栖野は、大仰に頭を下げる。それに追従して、後ろに控える者たちも一様に頭を垂れた。


 どこか苦笑しながらその様を見ていた玄蔵は、ふと目を止めたかのように、これまで存在感を見せなかった少女に意識を向ける。


 「そこのお嬢さんは?」


 「あ……えっと……」


 向けられた笑顔は朗らかながら、日本の魔導社会の事実上トップである魔導士に声をかけられて、ひよりは身を竦める。助けを求めるように鏡花へと視線を向けると、鏡花は爽やかな笑みで頷く。


 それに背中を押されて、ひよりは玄蔵へと目を戻す。


 「自分……いえ、わたしは! 日本魔導士学校高等部一年、仲村渠なかんだかりひよりです! 新聞部に所属しています!」


 「仲村渠……仲村渠……もしや沖縄県の国立海洋魔法研究所の副所長、仲村渠穂波君のご息女かな? あるいはその縁者では?」


 「ええっと、すいませんが違います。わたしの父はメディア関係、母は化粧品製造会社の社長で、うちの家系で魔導士はわたしが初めてです」


 ひよりの言葉に、隠す気のない明らかな失笑が飛ぶ。だが有栖野たちの反応に目をくれず、玄蔵は好々爺らしく目尻に皺を寄せて鷹揚に頷く。


 「そうか。それは失礼した。最近では一代目とはいえ、鏡花君のように優秀な魔導士が見られている。精進なさい」


 「は、はい!」


 「よい返事だ。新聞部、と言ったかね。ならばこの場所は模擬戦を戦う生徒の生の肉声や息遣いも聞こえる、情報収集にはうってつけの場所だ。心して観戦するとよい」


 「はい!」


 ひよりの小柄な体格のせいもあってか、玄蔵の目はまるで孫娘を見るように穏やかな温もりが宿っていた。


 「空羅覇会長。たしかに血の浅い魔導士も現在ではそこそこの結果を見せる魔導士は多くなりました。ですがやはりこの国の魔導士社会を大勢を担うのは、御身にも流れる空羅覇家の血を始め、血を多く重ねた魔導士であり――」


 言い募る有栖野の口を、玄蔵は軽く手を掲げて止める。


 「この国の魔導士の趨勢を語り合い、君の考えを聞くのは、また今度にしよう。


 それでは鏡花君。観戦のための準備を始めてくれるかな?」


 口惜しそうに表情を歪める有栖野に対し、鏡花は表情を引き締めて。


 「畏まりました。では皆様方、手近な席へとご着席ください」


 円卓のように鎮座する特大の丸机。来訪者たちは次々に腰を下ろしていった。








 演習場控室。イセルは気負った様子もなく体を解している。装いは私服のままだが、その腰には真紅の鞘に納められた剣を携えている。


 室内に居るもう一人の生徒――麗菜は瞑目し、胸の前で両手を組んで深呼吸している。その表情にイセルのような余裕は無く、眉間には決して浅くない皺が寄せられている。


 「なんだレイナ、緊張しているのか? あんな有栖野ごとき相手に気を張っているようじゃ、この先この世界の頂点を取るなんて夢のまた夢だぞ? 

 もう少し余裕を持て! この『白銀の煌剣』を使い魔にしている時点で、敗北など万に一つもない!

 それに完全な形ではないとはいえ、使! この場所に集まった輩の度肝を抜いてやろう!」


 主の胸中を晴らそうとして、イセルは大袈裟なくらいに声を明るくして言う。そんなイセルに小さく苦笑を零したあと、麗菜は再び俯き気味に言葉を零す。


 「ほんと、自分でもびっくりです。あれだけ悩んでいたのに、イセルさんのお蔭で私は魔法を発動させることができた。それだけじゃない。お父さんが残してくれた魔法にも、ちょっとだけ手が届くようになった。

 イセルさんには感謝してもしきれないです。

 ただ……一日もしないうちに魔法を使えるようになると、今まで勉強して練習してきた今までって、なんだったんだろうなって思っちゃって。お父さんや先生方でも解決できなかった私の原因は、イセルさんにとっては本当にちっぽけなものだったんだなって思うと……。

 ごめんなさいこんなこと言っちゃって。せっかくイセルさんのお蔭で魔法が発動できるんだから、こんなこと思うのは良くないですよね……」


 力のない笑みを浮かべながらも俯き、イセルに視線を合わせることなく続けていく麗菜。


 「それから、やっぱり怖いです。私初めてなんです、こうやって模擬戦を行うことが。情けないですよね。でも……。

 実際その場に立って、私は本当に魔法を発動できるんだろうかとか、イセルさんにここまでしてもらっておいて、それでも敗けてしまったらどうしようとか、こんな私が本当にまともに戦えるのかなとか、色んなことが頭に浮かんできて。

 少しでも気を緩めると頭の中グチャグチャになっちゃいそうで、私……!」


 組んだ両手に力が込められ、麗菜の体は強張ったように震える。その姿を見て、イセルは苦笑しながら麗菜へと近付く。


 そして麗菜の両手に右手を添えて。


 「イセル、さん……?」


 掠れた声に、揺れる瞳。初めての実戦における緊張もあるのだろうが、それ以上にこれまでの日々で身に付けてしまった卑屈が、麗菜を襲っているのだとイセルは察した。


 押し潰されそうになっている少女に向けて、どうか届いてほしいと祈りにも似た気持ちでイセルは告げる。


 「確かにレイナがこれまで魔法を発動できずに暴発させてばかりの理由を、俺は一目で分かった。だけどそれは、向こうの世界で最強の魔導士である妹から魔法について学んでいたからだし、何より俺がこの世界の住人じゃないからだ。

 自分が住む世界で当たり前のように受け入れられている常識を疑って、目を向けるのは、とても難しいことだと思う。

 だから今まで気付けなかった君や周りの人間、そして真剣に向き合ってきた君の日々は、決して軽いものではない。その悩みや苦しみが、ちっぽけだったなんて口が裂けても言えない。それから」


 そうして自然な笑みを浮かべて、気さくな調子を崩さぬまま。


 「初めての実戦で緊張するのは分かるけど、何も命の遣り取りをしようってわけじゃないんだ。気楽にやろうとは言わないけど、もう少し肩の力を抜こう。出せる実力も出てこなくなる。家柄を鼻にかけて調子付いている馬鹿を、懲らしめるだけの簡単な作業だ。

 それに大丈夫。君は、君が思っているよりも強い心の持ち主だ。

 信じるんだ、足掻き続けた君の日々を。悔しさから逃げずに走り続けたその日々は、君が飛翔するための翼になるから」


 紡がれる言葉に、麗菜の瞳が潤んで揺れる。けれど怯えたように強張っていた麗菜の表情に、確かな熱が灯った。


 ――なんか思い出すな。昔はこうやってレーナのこと励ましていたっけ。


 英雄として駆け出し始めたころを思い出し、イセルの胸が切なく締め付けられる。


 「あの、イセルさん……?」


 「ん? ああすまん。少し昔のことを思い出してた。さて、あとは最後の仕上げだ」


 「仕上げ?」


 小首を傾げる麗菜に、どこか不敵な色が目立つ笑みを向けるイセル。


 「レイナのその髪、何か思い入れがあって伸ばしているのか?」


 「これ、ですか……?」


 手入れを絶やすことがなかったのだろう。目元を隠しそうになっている前髪に、肩を超えてまで伸びる黒髪は、黒絹で拵えたかのように艶めかしく照りを放っている。見苦しさを催すわけではないが、麗菜の印象をどことなく野暮ったいものにしている。


 「いえ、特に意味はありません。そろそろ切りに行こうかなって思ってましたけど……」


 大した感慨もなさそうに指に毛先を巻きつけながら、麗菜は戸惑った声をあげる。そんな麗菜の様子に、イセルは不敵な笑みを増々深くする。


 「よし。ならいいだろう」


 麗菜の言葉を聞いて、イセルは流れるように鞘から剣を抜いた。

 真紅の鞘に隠された白銀は、清澄な輝きを放つ。美麗な剣ではあるが同時に、一切の無駄を排した素朴な意匠だ。


 「え。あの、イセルさん? い、一体何を……!?」


 明らかな警戒を見せる麗菜に、イセルは両手で剣を構え、切先を麗菜に向ける。


 「動くなよ」


 「ま、待ってください! 一体、何を考えて……!?」


 突然の出来事に強張る麗菜を余所に、イセルが僅かに動く。


 麗菜でなくとも、それは目に映りさえしなかっただろう。剣を握るイセルの両手が一瞬霞んだかと思えば、次の瞬間には、尋常ならざる圧力を伴った烈風が巻き起こる。


 だがその風すらも一瞬で、気付けばイセルは再び両手で構えた体勢に戻っている。


 混乱を表情に貼りつける麗菜を余所に、イセルは慣れた様子で剣を鞘に納めた。


 「うん、こんなものかな」


 そんな台詞がイセルの口から放たれたあと、間髪入れずに麗菜の髪が弾け散った。


 後ろ髪はうなじが見える程度にまで切り揃えられ、前髪もスカイブルーの煌めきを隠すことなく、されど額をあからさまに露出させない絶妙な長さに落とされている。


 「我ながらいい出来だ! レーナの髪もよくこうして切っていたからな、中々の腕前だろう俺も! 君は長髪よりも、今くらいの短髪の方がよっぽど似合って……ん?」


 出来映えに満足するイセルだったが、麗菜の様子を見て口を噤む。瞳は固く閉じられ、握られた拳がワナワナと震えている。


 「どうしたレイナ。どうせ切る予定だったんだから、今でも別に構わないだろう? しかもレイナにとっては人生初の大舞台だ、外見もそれなりに整えた方が――」


 「馬鹿ぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 渾身の絶叫に、イセルは思わず目を丸くする。そうして開かれた瞳は怒気に彩られており、つり上がった目尻のまま、麗菜がイセルへズンズンと歩み寄る。


 「いきなり何するんですか! 下手したら大怪我していたかもしれないのに!」


 「ま、待てレイナ。この俺がそんなヘマをするわけが……」


 「大層な自信ですけど、少なくとも何するかくらいは教えてくれたっていいじゃないですか! すっごく怖かったんですからね! それに無断で女の子の髪をあんな乱暴に扱うなんて、あなたそれでも王子様ですか!」


 「ぐ……だがその、ほら、あれだ。使い魔としては、共に戦う主も華々しく飾ってほしいというか、なんというか……」


 「問答無用です! いきなり女の子に剣を向けるなんて、信じられない!」


 先ほどまで弱気だったのが嘘のように、憤慨する麗菜。

 そして先ほどまでの力強い姿勢がまやかしだったように、少女の怒気に中てられて気圧されているイセル。


 「た、確かに不作法だった。君をより美しく見せる自信があったとはいえ、君の許可もなしに強行してしまったことは謝る。反省する。すまなかった」


 叱責される幼子よろしく、シュンと項垂れて頭を下げるイセル。そのせいで、麗菜の頬に朱が差す瞬間を見逃した。


 「……これに懲りたら、突っ走る前に私に一言ください。どこの使い魔が、主の指示を待たずにそこまで暴走できるんですか」


 拗ねたようにそっぽを向く麗菜。頭を上げたイセルはそれを見て、クスクスと小さく笑い始める。


 「……イセルさん? 何が可笑しいんですか?」


 小さくむくれた表情で、不機嫌そうに麗菜が言う。


 「いやすまない。気にしないでくれ。それから――」


 そうして穏やかな笑みを浮かべて、麗菜を見据える。


 「震えは、止まったな」


 その言葉に麗菜がハッと表情を開かせるのと、アナウンスが鳴り響いたのは同時だった。


 『有栖野信弥。並びに芳麻麗菜とイセル=ボーデルト=ミハイル=ファルザー。入場して下さい』


 「この声も科学というやつか。魔力を用いない技術も、中々どうして見所がありそうだ。さてレイナ。行こうか」


 勝気な笑みを浮かべて、その表情に相応しく自信を漲らせた声を放つイセル。そんな英雄の熱が伝番したかのように、麗菜もまた力強い笑みを浮かべて。


 「はい。今日はよろしくお願いします、イセルさん!」


 そうして二人は、競技場へと歩み始めた。









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