第九話:暴発 ~少女の誇り、不可侵の傷~

 時はしばし遡り、高等部校舎学生食堂。


 三時限目の授業が自習と言う名の自由時間となり、朝から何も口にしていなかった麗菜は早めの昼食にしようとしていた。


 「朝ごはんはちゃんと食べなきゃ、やっぱ駄目だね。あーお腹空いた。いただきます」


 そう呟きながら、手を合わせてバターロールを口に運ぶ。


 昼休みの書入れ時に比べれば幾分かマシであるものの、三時間目の授業が行われている時間にも関わらず、学年を問わずそれなりに生徒で賑わっている。


 だが麗菜のテーブルは本人以外誰も居らず、他の生徒は避けるように違うテーブルへと向かう。


 そんな周囲を気にする様子もなく、麗菜はかなり速いペースでバターロールを平らげてしまった。


 ――やっぱり呼んであげた方が、良かったかな。


 考えるのは、異世界からやってきたばかりの少年。


 昨日の食事を見て、見た目からは想像もつかない大食漢であることを知っている麗菜は、腹を空かせてどうにもならなくなっているイセルの姿を想像する。

 ともすれば情けないといえるそんな姿が容易に想像できて、思わず吹き出してしまいそうになる。


 「でも、なぁ……」


 今朝見せてしまった、あまり見られたくない同級生との遣り取り。

 そのあとに見せた失望に満ちたイセルの表情が、今も小さな棘となって麗菜の胸を刺していた。


 ――どこに居るかも分かんないし、しょうがないよね。楸尾ひさぎお先生がきっと、ちゃんと面倒見るでしょ。うん。


 言い訳するように内心で捲し立てたあと、麗菜はクリームパスタに手を伸ばす。


 そのとき目の前に手が現れ、持っていたコップを逆さにする。中に入っていた水が、麗菜の昼食を台無しにした。


 「ああごめんなぁ芳麻。つい手が滑っちまったよ」


 もはや否応なしに聞き慣れてしまった声が、麗菜にかけられる。有栖野の作り物めいて整った顔には、その性根を反映させた高慢な笑みが宿っていた。


 「……いえ。別に構いません」


 作り慣れてしまった薄い笑みを貼りつけ、感情を抑えた声で言う。この三年間で、麗菜は自分を隠すことが上手になっていた。


 絞るようにクックと喉を鳴らす有栖野と、それに追従するいつもの面子。


 この国の五大家の一つである有栖野の覚えがめでたければ、それだけでこの国で魔導士として生きていくのに十分すぎるほどのコネクションを持つことになる。


 十代とはいかずとも、八代九代続く家門の子息は皆、有栖野の取り巻きとなる。


 男子は有栖野の鞄持ち。


 女子は外見を有栖野好みの浮ついた見た目に。


 そしてそんな名門の子息のお眼鏡にかなわない血の浅い学生は、彼らに目を着けられないようにひっそりと息を殺す。


 麗菜がこうして絡まれる姿を見ても、見て見ぬ振りをするだけだ。今も二人の男子学生が学食から出て行くのを、麗菜は視界の端に捉えた。


 「せっかく自習になったのに早めの昼食で時間潰すなんて、怠慢すぎるんじゃねーのぉ? 俺みたいに優秀な魔導士ならともかく、お前みたいな落第魔導士は少しでも魔法の練習に費やして、ほんのちょびっとでも実力をあげるべきなんじゃねーかぁ?」


 「有栖野くん、それは無理だよ。だって芳麻さん、今まで魔法成功させたことないし、下手にそんなことしたら自分含めて、周り巻き込んで暴発しちゃうんだもん!」


 「ああ、それもそうか! いやあこの学校も厄介なお荷物抱えてるよなあ! 所構わず迷惑かけまくる放火魔がこんなところ通ってるなんて、マジ有り得ないわ!」


 「有栖野さんの言う通りです! 通うの学校じゃなくて、下手すりゃ監獄になっちまいますよね!」


 「お! お前うまいこと言うじゃねえの!」


 ゲラゲラと笑い合う有栖野たちに、周囲は触らぬ神にたたりなしと言わんばかりに視線を向けることもしない。


 学食には教師も一人居たが、尊血派であるその教師が咎めることなど有り得ないと、麗菜は身に染みて分かっていた。


 ――ほんと、なんで毎度絡んでくるかなぁ。他の人みたいにほっとけばいいのに。


 溜息を吐いてしまいそうになるのをグッと堪え、薄い笑みを絶やさない麗菜。


 「おお、そうだ芳麻。今朝会ったあのオウジサマはどうしたんだよ」


 「イセルさんは多分楸尾先生に、学校を案内されてるんじゃないかと」


 「ケッ、あのクソババアも必死だな。否血派の上に一代目だからって、あんなのまで取り入れようと媚び売ってやがる。

 今回もあのスかしたツラ引きずり下ろそうと親父が画策したらしいんだが、うまいこと逃げやがってよう、胸糞悪い」


 「い、いやいや有栖野さん! 有栖野さんのお父さんも立派な方ですから、近いうちにも否血派の連中ともども、『起動制限アクセル・コマンダー』を失墜させることができますって!」


 「そ、そうよ! だからそんな気を悪くする必要もないって! むしろあんな女、有栖野くんみたいな人が気に掛ける価値なんてないんだから!」


 機嫌を斜めにする有栖野に対し、オロオロと慌てふためきながら必死に有栖野を持ち上げる取り巻きたち。


 「まあ、それもそうだな!」


 子分ともだちのそんな声に気を良くしたのか、有栖野は途端に上機嫌になって声を弾ませる。


 「ていうか芳麻ほうまさんさぁ、今更なんだけどここまで言われて、全然悔しくないわけぇ?」


 ひよりのような地毛ではなく、けばけばしい色を髪に染みこませた女子生徒が、化粧で彩った表情を意地悪く歪ませて麗菜に問う。


 「……悔しいもなにも、皆さんがおっしゃることは事実なので。初歩の魔法すら満足に使えず、怪我をしてばかりいるのはひとえに、私が未熟な魔導士だからです」


 軋む心を無視して。

 吹き出てしまいそうになる感情に蓋をして。


 人当たりのいい曖昧な笑みを浮かべて、いつものように麗菜は己を偽る。


 「おいおい、いくら自分がどうしようもなく底抜けな劣等生であったとしても、魔導士たるもの気概だけはしっかり持っておこうぜ? 

 この学校に入学した当時みたいによぉ!」


 嘲りを前面に出して言う有栖野。


 「え、有栖野さん? 入学したとき芳麻、なんか言ってましたっけ?」


 「ああ、お前はクラス一緒になったことないから知らねえのか?」


 ニヤニヤと品の無い笑みを浮かべて、わざとらしく大仰な様子で言い合う有栖野と取り巻き。


 中等部から何度も繰り返されてきたお約束のネタであり、麗菜にとっては耐えるのが苦痛ないびられ方の一つだった。


 「入学したときってさ、一人一人自己紹介で自分の夢的なの言うじゃん? そんときに言った芳麻の言葉! 俺は忘れらんねえなあ!」


 「え~? あたし知らなーい! 芳麻さぁん、なんて言ったのー?」


 「いえ、私みたいな者が今更皆さんに言うようなことでは……」


 「いやいや、恥ずかしがらずに胸張って言えよ! それとも俺が代わりに言ってやろうか?」


 そうしていよいよ、醜悪なまでにニヤついた笑みで、


 「『わたしの将来の夢はぁ、この世界で一番の魔導士になることでぇす! 沢山の人を助けられるぅ、強くて優しい魔導士になりまぁす!』」


 作ったと分かる裏声に、火の点いたように爆笑が巻き起こる。


 「す、すごいですね! 入学当初はそんなこと言ってギャハハハハ!」


 「魔力量だけならそうかもしれないけど! い、今や初級魔法すら満足に発動できずに暴発させて自分が怪我して! 人救う前に自分が助けられなきゃならないでやんのアハハ!」


 次々と湧き上がる、無遠慮な言葉の刃。


 一つ一つが一人の少女の心を、抉り切り裂き、血を強いる。


 それでも痛みを表すことなく、麗菜は薄い仮面を貼りつけて耐える。耐え続ける。


 麗菜が静かに立ち上がる。


 「おいどこ行くんだよ芳麻。まだ昼飯残ってんじゃねーか。それとも何か? 俺たちが居るところで飯なんて食えないってか?」


 「いえ、そんなことは。ただ楸尾先生との約束があったことを思い出したので、心苦しいのですがこのあたりで失礼しようかと」


 目敏く睨んで言う有栖野に、咄嗟の出任せで無難に対応する麗菜。そうしてトレーを持って、食器の返却口に向かおうとする。


 「ケッ。目上の人間に対する必要最低限の付き合い方すら知らねえとは、どこまで終わってんだよその頭は。どう遺伝子弄ったらこんな出来損ないが生まれるんだか」


 「ちょ、有栖野さん流石にプクク、ひ、酷い物言いっすよ……!」


 背に投げかけられる不遜な物言いや笑いにも、麗菜は心に蓋をする。


 ――他の部分はともかく、魔法に関して私は出来損ないなんだから。


 そんな卑下で自分を戒め、沸き立ちそうになる心を何度も凍らせる。


 「あーあ。あの事件で生き残ったのが空羅覇家当主候補を含めた優秀な魔導士じゃなくて、こんな欠陥品とはな。流石は悪名高き天彩コンダクター、魔導士の面汚し! 救う命を間違えてやがる!」


 有栖野のその一言に、麗菜の体が静止する。


 「一般人を救うことなく、そして国の宝である、由緒ある魔導士を救うでもなく! 自分の命犠牲にしてまで助け出したのがこんな出来損ない! 

 いやあ笑える笑える! 助ける命くらいきちんと選べっつう話だよな! 自分の身内だからって目が眩んで最適な選択ができないとか、所詮は一代目プライマリ! 否血派! 魔導士の何たるかってのを理解出来ていないわな! 


 そりゃそんなヤツのたねから生まれたんじゃ、いくら魔力量多くても出来損ないになるよな! お前らもそう思うだろ!」


 「え、ええ。まあ、アハハ……」


 魔導士であるなら、七年前に起きた事件も、それに対し一部の急進的な尊血派が中心となって取った手段も知っている。


 有栖野に追従する生徒たちであっても、流石に簡単に触れてはいけない話題だと思っているのか、曖昧な笑い声をあげることしかできない。


 そんな反応に気付いていないのか、有栖野は機嫌よく高笑いし続けている。


 「あーウケる。さてお前ら飯にしようぜ。せっかく長くなった昼休み、放火魔みてえなどうでもいいヤツイジって時間潰すのもったいな……ん?」


 ニヤついた表情で言い続けていた有栖野だが、その顔に訝しむ色を添える。


 麗菜がトレーを置いて、静かな歩調で有栖野へと近づいていく。俯き気味の顔は無表情で、そこに感情は読み取れない。


 取り巻きの生徒ら――そして遠巻きに意識を向ける他の生徒たちは一様に、麗菜に不気味な威圧感を覚える。だが有栖野は余裕綽綽の高慢な態度を崩すことなく、麗菜が自身の前で静止するまで待ち構える。


 「んだよ芳麻。邪魔ださっさと失せろ。それともなんだ。たかだか二代目の魔導士ごときが、魔導五大家の一つたる有栖野家の十三代目に意見するとでも――」


 有栖野の言葉は続かなかった。


 学食中に響き渡る渇いた音。


 有栖野は驚愕に目を見開き、左頬を抑えており。


 麗菜は俯いたまま固く目を閉じ、右手を振り抜いたままの姿勢で止まっている。


 麗菜の右手が、有栖野の横っ面を張り抜いた。


 適度な喧噪に包まれていた学食が、一斉に静まり返る。呼吸音すら躊躇われるほどの静寂の中、当事者や周りを含め誰も身動きができない。


 そんな静寂を、麗菜のひび割れた声が破る。


 「私は、初級の魔法すら使えない欠陥魔導士だ。あなたたちに言われるまでもなく、そんなこと自分が分かってる。

 だから別に、あなたたちに馬鹿にされても構わない。

 魔法を使えなくて、暴発させて怪我するのを笑われたって構わない。

 自分の夢を貶されたって構わない。

 でも……!」


 ゆっくりと手を下ろしながら言うその言葉は、声量としては決して大きいわけではない。


 だがそこに込められた熱量は、その重さは、果てしなく切実に場の空気を震わせる。


 カッと目を見開き、眼前の有栖野を睨み据える麗菜。涙を溜めた空色の瞳に、千切れんばかりの激情が灯っていた。


 「私の誇りおとうさんを侮辱するのは、絶対に許さない……!」


 麗菜は同年代の少年少女たちに比べれば、はるかに強靭な精神力を持つ少女だ。


 生来の大人しさもあるだろうが、気を荒げることなんて滅多になく。

 いつも優しく、ときに厳しくありながらも深い愛情を注いだ父の下で、彼女は人の心を思いやれる優しい少女に育った。


 そんな彼女だからこそ。


 どれだけの屈辱を噛みしめることになっても、この三年間涙も怒りを見せることなく、ただただ耐えて。


 どれだけ結果が伴わなくても挫けることなく、ただ只管に魔法に向き合い続けた。


 そんな麗菜の強固な殻をも一瞬で破って暴発するほどに、その怒りは鮮烈だった。


 どれだけ己が罵倒されようと耐えることのできる少女の強い心は、同時に、自分以外の者の侮辱に対し一瞬で崩れ去ってしまう、優しい脆さを伴っていた。


 麗菜の誇り。それは紛れもなく敬愛する父で、父との思い出も憧れも、少女が後生大事に抱き続けた宝物だ。


 そんな彼女の不可侵の領域を、有栖野は容赦なく踏み躙った。


 「お父さんはこの世界で一番の魔導士だった! 沢山の人たちを救ってきた、そして多くの魔導士たちを教え導いてきた優秀な魔導士だった!

 自分以外の誰かを救うために、迷わず自分の命をなげうてるくらいの……強くて……優しい……人だった……!」


 荒ぶる感情が声を詰まらせ、少女の瞳を濡らしていく。


 涙は決して零さないと、麗菜は一度、硬く瞑目する。そして再び目を見開き、有栖野を睨みつける。


 「自分の命と引き換えに、私の命を守ってくれた英雄ヒーローだ! あなたみたいに人を見下すことでしか自分を守れない弱い人間なんか、比べることができないくらいの立派な人だった!

 あなたみたいな人が、私の大切な家族を侮辱するなんて許さない!」


 震える声で、戦慄きながら言う麗菜の姿に、誰もが言葉を発することができなかった。


 少女の怒りの気高さを理解することのできない、有栖野以外は。


 「痛えなぁ。いきなり暴力揮うとかひどいことすんのなお前」


 ゆっくりと顔を引き戻し、満面の笑みを浮かべる有栖野。無駄に整ったそれは女子受けの良さそうな爽やかさを持っていたが、そこに宿る得体のしれない気迫に中てられ、麗菜は僅かに身を引く。


 それが幸いした。


 有栖野が裏拳を放つように腕を振り抜く。直撃はしなかったものの目元擦れ擦れを通り、眼鏡が吹き飛ばされ、思わず数歩後ずさる。


 「はあぁ? なに避けてんだ手前。二代目ごときが俺様に盾突くばかりか、手ぇあげるとか頭沸いてんじゃねえか? ああ!?」


 一瞬で笑みを消し去り、青筋を立てて凄む有栖野。


 麗菜はそれでも、その瞳に力を込めて真正面から受ける。


 「んだその目はよぉ! 調子こいてんじゃねえぞクソアマぁ!」


 拳を振りかぶる有栖野。だが麗菜は避けるつもりはなかった。


 ここでどれだけ痛みつけられても、ひよりも居ない今、麗菜を庇う者は誰も居ない。それでも麗菜は謝るつもりも、許しを請う気も無かった。


 ――お父さん。私、間違ってないよね……?


 この怒りは、そして自分の誇りはどこまでも正しいと、麗菜自身が信じていた。


 迫る拳。瞳を閉じて、来たる痛みに耐えんと体を強張らせた。




 麗菜の肌が感じたのは、どこからか舞い込んだ一陣の風。




 聞こえてくるはずの、拳が肉を打つ鈍い音はなく。




 パシっという渇いた音が、小気味よく鳴る。




 「なんだ手前ぇ!?」




 耳障りな有栖野の怒声は、驚愕に満ちていた。




 来たるべき痛みがどれだけ待ってもなく、疑問に思った麗菜が恐る恐る目を開けば。




 「大丈夫だよ、


 「その怒りは、君の誇りは、決して間違いなんかじゃない――!」




 麗菜を振り返ることなくかけられた、優しくも力強い響き。空色の瞳に映るのは逞しい背中と、白銀の後ろ髪。


 「イセル、さん……?」


 向けられる呼び方が変わったことに気付くこともなく、その名を呆然と呟く。


 イセル=ボーデルト=ミハイル=ファルザー。


 麗菜の使い魔たる『白銀の煌剣』が、有栖野の拳を受け止めていた。







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