第八話:猛省(後) ~異世界の少年は、少女と真剣に向き合うことにしたそうです~

 「麗菜と自分は幼馴染なんス。父さん同士が仲良しで、自然と接する機会も多くて。

 小学校では自分、背も小っちゃいし、要領も頭も悪いしで、ちょっと苛められてたんスけど、いつも麗菜は助けてくれた。味方してくれた。滅多に怒ることなんてないあのは、友達が泣かされてるの見て本気で怒ってくれる優しい娘なんス。可愛くて、性格も良くて、そんな麗菜は自分にとって自慢できる、最っ高の親友なんス」


 イセルは机を挟んで、ひよりと鏡花と向き合っている。ポツポツと語るひよりの声に、イセルは真剣な表情で、鏡花は穏やかな笑みを浮かべて聞き入る。


 「そんな麗菜の夢は、お父さんみたいな立派な魔導士になることなんだっていつも話してたッス。

 麗菜のお母さんは麗菜を産んだときに亡くなっちゃって。麗菜のお父さんは魔導士として活躍する一方で、一人で麗菜を育ててたッス。そんなお父さんのことを麗菜は、本当に尊敬してて。

 七歳のころに魔力が発現してからは、魔法の勉強に打ち込んでいったッス。魔法の練習は……何回も暴発させちゃって。でもへこたれることなく、『やっちゃった~』とか照れくさそうに笑って何回も練習してたッス。

 一代目であんなに凄い活躍をする魔導士の娘なんだから、きっと麗菜も、凄い才能を持っている。こんなに真面目に魔法に向き合って勉強している麗菜なら、きっと世界一の魔導士にだってなれる。自分は、そう思ってたッス。今でも思ってるッス」


 麗菜のことを嬉しそうに話すひよりの表情は、どこまでも穏やかだった。


 「芳麻聖――芳麻さんのお父様は、とても優秀な魔導士だった。数々の魔法犯罪やテロを未然に防ぎ、数多くの人々を救出してきた。そして現場だけでなく、後進の魔導士のためにと現場教育にも力を入れて取り組んでおられた」


 そう言い添える鏡花の表情に、懐かしさ以外の別の色をイセルは見出したが、それを指摘することなく言葉を聞き続ける。


 「私も何度かお仕事を一緒にさせてもらったり、教えを受けたこともあったけど、本当に素晴らしい人だった。

 お互い一代目だから否血派の代表格として取り上げられることも多かったけど、私なんかあの人の足元にも及ばないわ」


 「そ、そうなんスか……?」


 今や世界的にもその名を馳せる鏡花の言葉に、ひよりが思わずといった表情で零す。それに対して苦笑を以て答えながら、鏡花は言葉を紡いでいく。


 「私の魔導士としての実力は、私の魔法特性――先天的な部分に依るものが大きいの。もちろんそれなりに努力はしたけど、後天的な要素を突き詰めて優秀な魔導士を輩出しようとする否血派の魔導士って、私は厳密には言えないの」


 「一方で芳麻聖という魔導士。あの人は魔法特性も特筆するものはないし、最適属性は『皆無』。魔力量も平均より少ない方だった。

 それでもあの人は魔法陣の改良や魔法式のより深い理解、効率的な魔力運用や魔法の使い方の巧さで、誰にも負けない実力を身に付けていた、否血派の理想を体現したような人だった」

 

 「あの人が組み上げる魔法陣は本当に美しくて、一切の無駄も、論理破綻もない丁寧な魔法だった。あれだけ綺麗な魔法を使う人を私は、あの人以外で後にも先にも、一度だって見たことが無い。

 底なんて見えないくらいに多くの魔法の知識を携えて、それらに振り回されることなく。

 上質な交響曲を指揮するように変幻自在に戦う様は、そのいろどりは、千や万なんて数字じゃ表せない。まさしく天の彩と呼ぶに相応しい鮮やかさだった」

 

 「魔力量や使える魔法の出力は、あの人より私の方が上よ。それでも何回模擬戦しても、固有魔法を使用しても、私は一度もあの人に勝てなかった。世間は私のことを国内最強って褒めてくれるけど、とんでもない。この国――いえこの世界で最高の魔導士は、間違いなく芳麻聖。

 あらゆる知識を駆使し、どんな状況にも万能に対応して華麗に戦った、『天彩コンダクター』の名をほしいままにした天才魔導士を置いて他ならない」


 「……数年前の記事に、キョウカ殿とヒジリ殿が紹介されたものを見た。だが芳麻聖という名を検索しようとしたら、出てきた記事の数々はその……そんなヒジリ殿からは想像もつかないような罵倒ばかりだった。詳しい内容はまだ見ていないのだが、一体何があった?」


 イセルの問いに、二人は揃って表情に昏い影を落とす。そして唇を軽く結んで言葉を紡ぎ始めたのは、鏡花だった。


 「もう、5年も前になるかしら。魔法学会が開かれて、会場にはこの国の研究魔導士たちが集って研究成果を発表する機会があったの。空羅覇家の次期当主となるはずだった方も含めて、この国の魔導士最高の頭脳たちが結集していた。私はたまたまアメリカ――この世界の別の国で魔法フォーラムがあったから、そこに参加していたわ。

 芳麻聖はそのとき任務などではなく、傍聴人として参加していたの。九歳になる、芳麻さんを連れて。

 でもその会場を、テロリストが襲ったの」


 「会場そのものを爆破して、一般人の参加者もろとも全員始末しようとしていた。崩落する会場に巻き込まれて、空羅覇くらは家の次期当主をはじめとする多くの魔導士が命を落としたわ。

 魔導士でも自分の身を守るのが精一杯の爆発と崩落。一般人の犠牲者は甚大な数に上った。その中で芳麻聖は――」


 「……レイナ殿だけを命と引き換えに守った、か」


 掠れた声で言い結ぶイセルに、鏡花は沈鬱な声で頷き、ひよりは拳を固く握り締めた。


 「日本史上最大級のテロとなった事件。一般人や魔導士は共に多くの犠牲者を出したけど、生存者は圧倒的に魔導士が多かった。これに対して、一般人から魔導士に対する強い非難の声があがったわ。

 このままでは魔導士への不満が爆発し、魔導士排斥の気運が生じてしまう。

 それを恐れた一部の魔導士連中――有栖野家を含めた一部の尊血派の連中は最低な、卑劣な手段をとった」


 「何を……まさか――!?」


 思い至ったその結末にイセルは、目を大きく広げ、息を呑んだ。


 「そう。芳麻聖を、非難の矛先スケープゴートに仕立て上げた。


 魔導士の中には身を呈して一般人を守りきった者も居た。そんな中、否血派の代表格たる芳麻聖は、魔法の力を持たない弱者たる一般人を守る努力もせず、そしてこの国の宝である研究魔導士をも見殺しにしたってね。

 芳麻聖は当時、その実力の高さから一般人にも広く知られていた。そのことも負の方向に拍車をかけたわ。そんな強い魔導士なら多くの人の命を救えたはずだって、一般人も思ったのでしょうね。

 あの人よりも魔力量も魔法出力のある私だって、そんな咄嗟に崩落を防げるような防護壁を展開するなんて無理よ。自分の身を守るのが精一杯のあの中、自分の命を賭して娘の命を守りきっただけでも称賛されるに相応しい偉業だった。

 それにも関わらず、一代目プライマリにして名声を得るあの人を疎んじていた尊血派の人間は、これ幸いとあの人を利用して身代わりにした……」


 無表情のまま言い続ける鏡花だったが、その細い白指には、筋が明瞭になるほど力が込められていた。


 「世間は掌を返して、麗菜のお父さんをこき下ろしたッス。自分の父さんはメディアに関わる仕事してたから、少しでも麗菜のお父さんを庇おうと頑張ってたッスけど、それでも世間の大勢ってヤツには勝てなかったッス。麗菜の存在を世間に晒さないよう守るのが、精一杯だったッス」


 これまで沈黙していたひよりは、震える声で言葉を紡ぐ。俯いて固く閉じられた瞳からは、涙が滲んでいた。


 「お父さんも死んじゃって、独り身になった麗菜はうちに引き取られたッス。

 大好きな家族が死んで、周りはその家族を理不尽にボロクソ言って、辛かったはずなのに、あの娘は涙を見せることなんてなくて。ただひたすら、魔導士学校に入るまで魔法の勉強を続けてたッス。

 たまたま自分も魔力を発現して、一緒に勉強と練習して。出来の悪い友達にも、麗菜は嫌な顔一つしないで付き合ってくれたッス。

 『一緒に頑張って、立派な魔導士になろうね』って言ってくれたッス」


 「入学してからは酷かったッス。

 名門って言われる家系のヤツらはみんな麗菜のこと馬鹿にしたッス。血の浅い連中も関わりたくなくてみんな見て見ぬ振りで、教師ですら尊血派寄りの連中は、暴発させてばっかの麗菜を劣等生って嘲ってて。

 それでも麗菜はめげずに勉強して、座学では学年一番の成績とってたッス。けどそのことも面白くないのか周りの風当たりは強くなるばかりで。

 自分もどうにかしたかったッスけど、一代目の自分なんかの声をまともに聞いてくれる人間なんて、あんまり居なくて。同情してくれる子たちは居ても、有栖野とか名門のやつらに目を付けられるのが怖いから、大っぴらに麗菜と関われなくて」


 「一回、麗菜に聞いたんス。辛くないのかって。こんなに頑張っても認められずに馬鹿にされてて、もう見てられないって。麗菜みたいに頭良かったら、魔導士じゃなくても成功できるはずだって。今思えばあのに失礼な言葉だったッスけど、そのときは本当に、見てられなかったんス。


 そしたら麗菜、なんて言ったと思うッスか? 一言一句覚えてるッス。


 『周りが言う事は全部事実だよ。初歩の魔法も使えないなんて、魔導士として落第もいいところ。でもお父さんみたいな強くて優しい魔導士になりたいから、諦められないの。

 ありがとね、ひより。私みたいなのに友達でいてくれて。気を遣わせちゃってごめんね、私は大丈夫です』って。


 精一杯笑いながら言うあの娘見て、自分、何も言えなかった。

 あんな目に遭ってもなお頑張るって言う麗菜が眩しくて、でもそのときの笑顔が痛々しくて……。

 昔からずっと味方でいてくれた友達が苦しんでるのに……!


 なんの力にもなれない自分がなざげなぐで……!」


 俯いていたひよりは、とうとう涙を数滴落とす。


 「許ぜ、なぐで……!」


 体を震わせて、涙声になって言うひよりが――その涙が、どこまでも眩しく、そして尊くイセルの瞳に映った。


 鏡花がいたわるように、ひよりの背に静かに手を添える。

 ひよりは腕で乱暴に目元を拭い、顔を隠すように手で覆う。そうしてフー、フーと荒い息を零したあと。


 「こんな自分が、本当はあの娘の友達である資格はないのかもしれない。こんなこと言う資格はないのかもしれない。

 でも、決めたんス。自分だけは何があっても、麗菜の味方であり続けよう。大好きな友達を守れるくらいには、強くなってやろう。そして魔導士としてだけじゃなく、報道に携わる職について、どれだけ時間かかっても麗菜のお父さんが――あの娘の誇りが、どれだけ素晴らしい人なのかを世に知らしめてやるんだって。

 だから、麗菜を馬鹿にするヤツらは全員ぶちのめす。有栖野含めて麗菜をいままで侮辱してきたアホども全員、麗菜の前で土下座させてやる。そうできるくらい強くなるんス、自分は。

 この世界に来てまだ二十四時間も経たないイセルさんにこんな風に怒るのは、理不尽かもしれないッス。


 でも……!


 たとえ王子様だろうが世界一つ救った大英雄さまだろうが、関係ない! 麗菜のこと馬鹿にするって言うんなら、大好きな親友を侮辱するってんなら、自分は――!」


 手をどけて、涙に塗れ赤く充血する目を見開くひより。今にも掴みかからんとするほどに血走った表情を見せるのと、それはほぼ同時だった。


 イセルが右の拳で、自身の頬を殴り飛ばす。


 その行動がどれほどの膂力で行われたのかを、背筋が凍るような生々しい音が雄弁に語っていた。


 「え、ちょ……」


 戸惑いの声をあげるひよりは、その表情から興奮を一気に霧散させており、鏡花ですらも驚愕に目を見開く。


 「イ、イセルくん……? どうし――って、血が……!?」


 口角の端から血を流すイセルを見て、慌てたように鏡花が机から身を乗り出そうとする。だがイセルは無言で手を掲げ、その動きを静止させる。


 ひよりを向くイセル。その黒い瞳に湛えられた深い輝き、そして真摯な面持ちに、直接向けられたひよりだけでなく鏡花も息を呑む。


 そして。


 「私の父は私が幼いころ、国を魔王軍に滅ぼされた際に命を落とした。だがそれまでは私と妹に深い愛情を注いでくれたし、その言葉の数々は今でも私の胸で強く輝いている」


 唐突に語り始めた内容は、今しがたの行動となんの脈絡もないように思われる。それでもイセルが放つ純粋な、雑じり気のない迫力に、二人は固唾を飲んで続きを待つ。


 「その中の一つに、こんな言葉がある。『人の真価は、その者の真なる怒りと友に表れる』と」


 「怒りと、友……?」


 ひよりの呟きに、イセルは鷹揚に頷いて応える。


 「その者の本気の激情が、何に由来するのか。それが誇りあるものであるか。

 その者の友が、どれほどその者に対して真剣に付き合える者なのか。

 この両者を自分で見て、それらが真に尊きものであると判断したのなら。


 敵であれ味方であれ、その者に対し一切の忽略こつりゃくなく接するべし、と」


 そしてイセルは立ち上がり、拳を机にそっと置いて。


 「二人の話を聞いて、レイナ殿の本質、その一端が垣間見えた。


 どれだけ周囲の人間に蔑まれようとも曲げることのない信念。

 友のために真剣に怒れる心根の優しさ。

 そしてここまで涙を流して怒りをぶつけるほどに、レイナ殿を思うことのできる友の存在。


 レイナ殿は、私が真剣に向き合うべき人間であると今理解した。友のためにそこまでの激情を見せることのできる、ヒヨリ殿も同様だ。


 私の浅はかに過ぎる見立ては、レイナ殿とヒヨリ殿を大いに侮辱するものだった。先ほどの拳は、自分に対する戒めだ。こんなもので二人の許しを得られるとは思わない。それでも言わせてほしい。本当に、すまなかった」


 そうして真摯に頭を下げる姿は、どこまでも堂に入っていて。

 決して犯すことのできない神聖な儀式にも似ていて、ひよりと鏡花はそれを止めさせることができなかった。


 たっぷりと間を置いて礼を解いたイセル。そこに浮かぶ表情は、晴れやかに澄み切った笑みで。


 「私をこの世界に喚んでくれたレイナ殿は、どうやら最高の魔導士になる人間だったらしい」


 どこか茶目っ気を感じるほどに、その声もまた晴れやかだった。


 ひよりは再び目元を拭う。そしてそのあとは、どこか勝気な得意顔で。


 「フンっ! 気付くのが遅いんスよ、イセルさんは!」


 「違いない。昨日の『かれえ』を馳走になった時点で、そう判断すべきだったな」


 「あ、麗菜のカレー食べたんスか!? いいなー、自分も呼んでほしかったッスよもう!」


 軽口を叩き合う二人。そしてそれを微笑ましげに見ていた鏡花は、軽く手を叩く。


 「もう時間も時間だし、学食に行ってお昼にしましょうか。イセルくんもまだ、朝から何も食べていないんじゃない?」


 端整な笑みで言うのと同時に、イセルの腹部から鳴り響く、猿叫にも似た腹の虫。


 「そういえばそうだな、腹が減った。ヒヨリ殿、学食まで案内してくれ」


 「いやいや、今の腹の虫の音ッスか!? 人体から聞こえてはいけないような音だったッスよね!? 寄生虫か何か飼ってるんスか!?」


 冷静に呟くイセルに、大仰に驚くひより。そんな二人のやりとりにクスクスと笑う鏡花。


 「それじゃ行きましょうか。今ならもしかしたら、芳麻さんも居るかもしれないし」


 そう言って三人で席を立ち、図書館をあとにしようとしたところだった。


 図書室に入ってきた二人の男子生徒。イセルたち三人に気付いていないのか、二人は会話を交わしている。


 「あー、午後の授業ダルイわー」


 「まったくだ。にしても、もうちょいゆっくり昼飯にしたかったのにな」


 「しょうがないだろ、有栖野のあれはいつものことだ。芳麻も可哀想っちゃ可哀想だが、俺ら六代目七代目程度が首突っ込んだら、これからの平和な学生生活は望めないだろ。下手すりゃ親父たちにまで迷惑かかる」


 「違いねえや。それに高等部なっても初級魔法使えない放火魔ボマー、おまけにあの天彩コンダクターの娘を庇う道理もないだろ」


 「な、あいつら……!」


 二人の男子生徒の会話に、ひよりが怒りのあまり絶句する。だがそれよりも会話の中に、イセルは聞き逃してはならない、現在進行形の事実が差し挟まれていることを即座に理解した。


 「あなたたち!」


 「あ? え、楸尾先生……!?」


 「早急に答えて。今あなたたちはどこから来たの? そしてそこで何を見た?」


 男子生徒二人の驚愕を無視し、鏡花が畳みかけるように問い質す。


 「え、えっと……ぼくたち、さっきまで学食に居たんです。そしたら」


 「有栖野くんたちが芳麻さんにいつも通り絡んでいるのを見て、巻き込まれちゃ叶わないと思って」


 その言葉に鏡花は嘆息して、


 「麗菜……!?」


 ひよりは戦慄を表情に張り付ける。


 「――ヒヨリ殿」


 抑揚のない落ち着いた声に、ひよりはイセルの方を見る。そしてその端整な顔に浮かぶ、気迫の籠った神妙な表情に、ゴクリと喉を鳴らす。


 「学食まで、案内してくれ」


 先ほどと同じ言葉。だが声音に宿る熱量は比べるまでもなかった。


 ひよりは目を見開いたあとどこか挑戦的な笑みを浮かべて。


 「おなかが空いたから――ってわけじゃないッスよね?」


 ひよりの言葉に、イセルは表情を崩さぬまま頷いた。






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