第八話:猛省(前) ~友の怒り、少女の苦労話の始まり~

 「……はー。ほんと、RPGから出てきたようなお方なんスね、イセルさんは」


 イセルのこれまでの経歴を聞いたあと、感心したように溜息を吐いたひよりはそんな感想を漏らした。


 「あーるぴーじー? よく分からないが、大方私の経歴は話したと思う。信用するかしないかはそちら次第だが、あいにくそれを証明する手立てはなくてな」


 「いやいや、信じるッス! むしろイセルさんから感じる『只者じゃないぞ』オーラの説明がついて、スッキリしたッス!」


 「なんだそれは」


 「だってイセルさん、自分たちと同年代って聞いてたのに随分と大人びているというか、格が違うというか、こう、とにかく漂わせる雰囲気がすごいッスからね」


 文章作成を生業とする記者にしてはあまりにも貧相な語彙に、イセルはたまらず苦笑する。そんなイセルに構うことなく、興奮したようにひよりは続ける。


 「でも感動したッス。国を滅ぼされて、世界救済を誓い合った二人の兄妹。そして兄は妹を失ってもなお足を止めることなく、遂に魔王を討ち果たして、英雄として生涯を終える。大河小説や英雄譚を聞かされてるみたいで、すっごく圧倒されたッス。そりゃこんなに濃い人生経験してりゃ、精神年齢も大人になるッスね」


 ――英雄、か。


 皮肉めいた言葉を内心で呟き、笑みの苦みを別の意味合いに変える。そんなイセルの変化に気付かなかったのか、ひよりは愛嬌のある表情で。


 「じゃあこれからいくつか質問させていただきたいッス。答えたくない質問だったらそう言ってくださいッス。追及しないとは言いませんが」


 「ひどい言い草だな。分かった、私に答えられる範囲であれば」


 そう嘯きながらも、イセルは気を悪くした風でもなく了承した。


 「ありがとうッス。それじゃまあ、最初はッスねぇ……」


 そうしてしばらく考え込むように手帳を見たあとに。


 「イセルさんをこの世界にんだ、芳麻麗菜という女の子。あのについて、どう思うッスか?」


 イセルは目を丸くした。恐らく向こうの世界のことについて詳しく聞かれると予測していたため、ひよりの口から出た質問は予想外の内容だったのだ。


 「ん? どうかしたッスか? もしかしていきなり答えたくない質問だったり?」


 「ああいや、そういうわけではない。ただ予測していた内容の質問ではないから、少し面食らっただけだ」


 「フッフッフ。そうやって予想外の質問を最初にぶつけて、相手に揺さぶりをかけるのも一種の戦略なんスよ」


 「何に対する戦略なのやら」


 得意顔のひよりに肩を竦ませたあと、イセルは麗菜のことを思い浮かべる。

 

 顔立ち。瞳の色。声。魔力の色や波動。大切な妹とあまりにも似ている少女。


 「心根の優しい娘、だと思う。こんな見ず知らずの男に嫌な顔一つすることなく、とても丁寧に、親切に接してくれるのは大変ありがたい。だが……」


 そうして逡巡するように眉根を僅かに寄せたあと。


 「少しだけ、残念に思っている」


 「……残念? と、言いますと?」


 訝しげな表情を見せるひよりに、イセルは今朝起きた有栖野とのいざこざを聞かせる。


 「……つまり、この世界に召喚した自分の主がそんな欠陥魔導士だって知って、それが残念だってことッスか?」


 「いや、そういうわけじゃない。私からすればここに居る魔導士連中、向こうに居た頃の私や私の妹レーナに比べれば大したことない」


 「ず、随分な自信ッスね」


 きっぱりと言い切ったイセルに、ひよりがたじろぐように表情を強張らせる。


 「私を喚んだ魔導士が劣っていようが、別にどうということはない。残念だと言ったのは魔導士としての実力ではなく、レイナ殿の気の弱さだ」


 「気の弱さ……」


 「ああ。あんな無礼な輩にあそこまで馬鹿にされてもなお言い返すことなく、ただヘラヘラして過ぎ去るのを待つばかりといった姿勢が、どうも気に食わなかった。

 自分を召喚した者がそんな罵倒を受けるのを見るのは、それはいい気のするものではない。多少言い返そうかとは思ったが、レイナ殿は悔しがる様子もなく、ただそれが当たり前であるような顔だった。中傷の声に反発する気概もない相手のために、こちらが庇ってやる道理もないのでな」


 この日――否、この世界に来て初めて見せる、冷たく突き放すようなイセルの声。それほどに今朝の有栖野たちの態度、そして麗菜の様子は癪に障るものだった。


 それを思い出して、多少熱が入ったからだろう。イセルはひよりの表情が次第に色を欠いていくのに、気付けなかった。


 「宿飯の礼はあるし、何よりレイナ殿は私にとって主だ。相応に礼をしようとは思うが、自分を召喚した魔導士がそのような気弱な者だったと知って、些か残念だと――」


 「悔しくないわけ、ないッス」


 「ん?」


 陽気な響きをなくした、抑揚のない呟き。ことここに至り、イセルはひよりの様子が明らかに変わったことに気付いた。


 「麗菜はこの学校の誰よりも、勉強熱心で、真面目で、どれだけ痛い目見ても魔法の練習を繰り返して、どれだけ周りから馬鹿にされても、腐ることも弱音吐いたりもしない、強いなんス。

 どれだけ辛くても怒ったり、逃げ出したり、涙を見せることなんかしないで、その苦しさを周りに見せることなんかなくて、そのくせ自分以外の誰かのために怒ったり、泣いたりすることのできる、メチャクチャ優しいなんス……!」


 小柄な体は細かく震え、表情も俯き気味で。

 声は小さく掠れており、そこには確かな激情が籠っていた。


 「ヒヨリ、殿……?」


 そんなひよりに、イセルが遠慮がちに声をかければ。


 バン、と両拳を机に叩きつける。朗らかさを一切消したその表情には、鮮烈な怒りが宿っていた。


 「あの娘のことを何も知らないクセに……! 麗菜を、悪く言うな……!」


 潤んだ瞳も、声も、体も、怒りに震えている。そして持てる感情全てを怒りに変えたかのように、ひよりはイセルへと激情を叩きつけていた。


 本来ならイセルにとって、それは取るに足らない微風のようなものだった。


 向こうの世界で見た魔獣や魔王の殺意や、戦士たちの怒号、人でありながら弱者を食い物にする外道共の敵意に比べれば、その激昂の鋭さや大きさはあまりにもぬるい。


 それでもひよりの怒り――その熱の奥底に隠された、誰かを思う優しい温もりに、イセルは口を噤まされていた。


 二の句を継げず、睨みつけるひよりと視線を合わせていたときだった。


 「仲村渠なかんだかりさん、落ち着いて。イセルくんもびっくりしてるじゃない」


 滑り込んでくるのは、落ち着き払った響きの女声。声のする方へと視線をやれば、鏡花が苦笑しながら近づいてくるところだった。


 「ひ、楸尾ひさぎお先生……!?」


 「楽にしてちょうだい。でもなんでこの時間にあなたが――そっか。三時間目の梅岡先生の授業が、先生の体調不良で自習になったんだっけ。芳麻さんは?」


 「麗菜――あ、芳麻さんは学食に。朝食べる時間なかったから、お腹空いたって言ってて……」


 「そう。朝は私が早くに呼びたててしまったから、そのせいね。あとで謝っとかなきゃ」


 気さくな調子でひよりと言葉を交わし、鏡花は視線をイセルへと向ける。


 「イセルくん、お待たせしてごめんね。情報収集は捗った?」


 「あ、ああ。とりあえず魔法関連のことを中心に調べていた。

 それで、キョウカ殿。ええと、レイナ殿に関してなのだが……」


 歯切れの悪いイセルの物言い。そして居心地悪そうに落ち着かない様子を見せるひよりを見て、軽く溜息を吐いたあと。


 「まだ他の生徒も来ないようだから、ちょっとだけお話しましょうか」


 そうして鏡花も会話に交えて、イセルは麗菜の――この世界に己を召喚した少女の、これまでの苦難を知ることになる。




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