第六話:協定 ~ビジネスライク、それとも大人と子供?~

 学校長室。


 部屋の主が仕事をするための机と椅子。そこに全身を弛緩させて、グデッと身を預ける鏡花と、その後ろで苦笑するイセルが居た。


 「あーもう、何回経験してもあの面子に顔合わせるのは気が滅入るわね。もう精神がクタクタよ」


 日本魔導士協会幹部との映像通信を終えたあと、疲労を隠すことなく鏡花が弱音を吐く。


 「心労お察しする、キョウカ殿。先ほどの面々が、この国の魔導士を束ね管轄する組織のトップか。他の幹部はともかく、会長と名乗ったあの御仁。あのご老体だけは気迫が違ったな」


 「そうね。この国最古の魔導の家系、空羅覇くらは家の現当主。まだあの方が尊血派じゃないだけマシってものね。そうじゃなきゃ今ごろ協会は尊血派一択になって、私の首なんて今頃飛んでるとこよ。

 あーもう、有栖野の馬鹿息子! あいつが父親に映像送ったりしなければ、こんな面倒なことにはならなかったのにー!

 子も子なら、親も親よ! 自分の手下や派閥の人間と徒党組んでねちっこく責任追及だなんて、親子揃ってやること一緒!」


 「有栖野……ああ、先ほどの通信で必死にキョウカ殿を貶めようと申し立てていたあの男、今朝会ったあいつの父か。成程、あの親にしてあの子あり、とはよく言ったものだ。

 ところで先ほどの通信、魔法が使われている様子が全くなかったんだが。これも『かがく』という技術によるものなのか?」


 「あー、うー、ごめんなさいねイセルくん。説明してあげたいけど、私今ちょーっと疲れてて……。これでなんとか一山乗り越えたけど、まだ仕事があるのよね……」


 落ち着きのある理知的な雰囲気は今や消え去り、溜まっていた疲れを吐き出すように盛大に溜息を吐き、机に突っ伏す鏡花。それを見てイセルは歩き出し、机を挟んで鏡花と向き合う。


 そして。


 「最初は有栖野どもが言うように、私を手元に置いて利用しようとしていたのだろう?」


 鏡花は僅かに息を呑む。そして揺るぎなく言い切ったイセルに対し、姿勢を正して悪戯っぽく微笑みながら。


 「おかしいわね、そんなにバレバレだったかしら?」


 「いや、上手く隠せている方だったと思う。だが向こうでは魔王だけでなく、足元を掬おうとする輩や、取り入って利用しようとする権力者たちともやりあうことが多かったからな。不本意ながらそのような意図に敏感になってしまって」


 「そっか……世界を救った大英雄さまとはいえ、十六歳の男の子に見透かされるなんて私もまだまだね。

 さて、それで? どうにかしてあなたを利用しようと画策していたお姉さんにそんなことを言うってことは、『お前なんかの言う通りにはならないぞ』って宣言するつもりかしら?」


 潔さの表れたさっぱりとした口調で、鏡花は冗談めかしてイセルに問う。一瞬苦笑いを浮かべたイセルは、その笑みに穏やかさを残す。


 「最初は警戒した。だが利用するだけなら、その姿勢に偽りや飾りのような胡散臭さがどうしても残る。そのようなものをキョウカ殿から感じることができなかった。

 そして先ほどの通信。私の身柄を拘束や事情聴取、実験動物のような扱いすら求めてきた輩に対し、キョウカ殿は本気で怒りながら守ってくれた。私をあくまで一個人として扱い、尊重してくれた。

 それだけで充分だ。ここまで真摯に向き合ってくれるのであれば、私も真正面から応えなくてはならない」


 「……それも、あなたに気に入られようと演技しただけかもしれないわよ?」


 「それくらいの判断はできるつもりだ。仮にそうだとしても、それはキョウカ殿が相当な役者で、見破れなかった私がその程度であったというだけの話だ」


 そうして表情を引き締め、左手を腰元に、そして右手を左の握り拳に添える。存在しないにも関わらず、その姿勢の見事さは、イセルの腰元に剣を幻視させるほどだった。


 「持てる限りの思いを以て、キョウカ殿に謝罪と感謝を。

 私のせいで無駄に大きな負担をかけてしまい、大変申し訳なく思っている。そしてありがとう。衣住を手配していただくばかりでなく、私を庇っていただき、大変痛み入る。

 私はキョウカ殿を信じる。どうせ身寄りのない身だ、ならばキョウカ殿に使われた方がいい。こんなことがキョウカ殿への返礼になるのかは分からないが、どうかこの身を使ってやってくれ。我が身を保障してもらえる間は、相応以上の働きをすると約束しよう」


 毒気を抜かれたように無防備な表情を晒したあと、鏡花は声をあげて笑い始めた。


 繕った上品さも、腹に一物抱えているような濁りもない。


 カラカラと、小気味よい女声が楽しげに部屋を満たす。


 「あーもう。どれだけ嫌われることなく、あなたを利用させてもらおうか考えていた私が馬鹿みたいね。そんな真直ぐなこと言われちゃ、余計に誠意を持って接しなきゃいけなくなるじゃないの」


 机に手を置き、鏡花がイセルを見据える。最高級の魔導士と評されるに相応しい堂々としたオーラ。だがその視線は、親愛が混ざったようにどこか優しげで。


 「こそこそと隠し立てしてごめんなさい。そしてこちらこそありがとう。あなたとよりよい関係を築くのは、こちらとしても非常に望むことです。どうかこれから、よろしくお願いします。

 あなたからの許可も得られた以上、ビシビシ使わせていくつもりだからそのつもりで。簡単に使い潰されないでちょうだいね、『白銀の煌剣』さん?」


 茶目っ気たっぷりの声で、そんな下心満載の言葉をしゃあしゃあとのたまう鏡花。

 対するイセルも気後れした様子もなく、軽く肩を竦ませながら答える。


 「それはぞっとしないな。向こうもこちらも、魔導士という輩は油断ならない人種らしい。精々、私も寝首を掻かれないよう気を付けるとしよう。

 だがキョウカ殿、一つ言っておく。これでも私は世界を一つ救った戦士であり、魔王をも切り裂いた剣だ。切れ味は保証するがこの剣、快刀乱麻の宝剣にするも、鈍にするもそちら次第だ。ともすれば剣を振ってるつもりが、振られていることになるかもしれんぞ?」


 貴公子然とした若い美貌からは想像できないような、ニヒルな笑みを浮かべる。


 「そうね。お互い、気を付けるとしましょうか」


 そう言ったあと、鏡花は威圧感を消し去って、くだけた調子に戻る。


 「私はこれから色々野暮用があるの。学校を案内してあげたいのは山々だけど、早くてお昼からになりそうね。それまではどうする?」


 友人にでも話しかけているように、馴れ馴れしさの増した言葉をイセルにかける。当のイセルも気にした様子はなく、しばらく顎に手を置いて考えたあと。


 「とりあえず、この世界のことについて調べたい。ここまで大規模な魔導士育成機関だ。書庫の一つや二つ、持っているだろう? そこで情報を得たい」


 「結構。事務員……ああ、使いの者を呼びましょう」


 そう言って鏡花は机に備え付けられた電話を取り出し、二言三言指示を飛ばす。そしてドアからすぐに、清楚なスーツ姿の女性が入ってきた。


 「……やはり原理が分からん。通信魔法……ではないよな?」


 「これも科学という、魔力に依らない技術体系の産物の一つよ。図書館で検索してもいいと思うけど、下手をすれば魔法を学ぶよりも難儀なことになるわよ?」


 チャーミングと呼んでも差し支えない笑みを宿して、イセルに言ったあと、来訪した事務員に向けて。


 「呼び立ててごめんなさいね。彼を――イセルくんを図書室まで案内して、データベースの検索方法とか、簡単な利用方法を教えてあげて」


 「かしこまりました。ではイセル様。こちらへ」


 恭しく礼をしたのち、扉を開けたままイセルを促す。


 「ありがとう。ではキョウカ殿。また後でよろしく頼む」


 気さくな、何の警戒心もない笑顔でイセルが立ち去ろうとしたときだった。


 「ああっと、その前に」


 呼び止められ、鏡花へと振り向く。彼女に向けられた笑みは朗らかだったが、どこか寂しさも同居しているようにイセルには見えた。


 「お姉さんから、青少年に向けるささやかなアドバイス……もしくは、お節介かしらね」


 初めて見せる慈しみに溢れた笑みに、イセルは思わず目を見張る。そんな少年の様子に構うことなく、鏡花は言葉を続ける。


 「先ほどの通信で、私がイセルくんの立場を守るために怒ったのが真剣であるように見えたのなら。

 それは私が魔導士であると同時に――いえそれ以前に、教育機関を預かる教育者の一人であり、子どもを守る義務を持つ大人だからよ」


 頬を綻ばせる鏡花。角の一切が除かれた柔らかな笑みは、鏡花の美貌も相まって、どこまでも魅力的に映る。

 だがイセルが声を出せずにいるのは、決してそのせいだけではなかった。


 「あなたが向こうの世界でどれだけ大変な思いをしてきたのか。私なんかが分かるわけもないし、簡単に理解を示すなんてこと、あなたにとってとても失礼なことだと分かってる。

 それほどに大きなことを成した。沢山の人から、世界の救済を求められた。

 なまじそれに応えられる力があったおかげで、あなたは向こうで、早く大人に成らざるを得なかったのでしょう。


 でも忘れないで。あなたは十六歳の男の子。向こうのことなんか知らないけど、ここじゃまだまだ、大人の庇護下に居てもおかしくない年齢なの。


 だから遠慮しないで。この世界では、あなたは子どもで居られるの。だから、周りにもっと甘えることを覚えなさい。

 大丈夫よ! 私だって、いくら異世界の人だからって十六歳の少年一人くらい、面倒見切れるってもんよ!」


 そうしてトンと、自分の胸を軽く叩く。


 「それから私だけじゃなくて、芳麻さんにも。言いたいことがあるなら、素直に言っちゃいなさい。不満な点があるなら、泣かせない程度に伝えてあげなさい。朝のとき、表情も態度も分かりやす過ぎたわよ?」


 そうして向けられる表情は、オトナの余裕というものに溢れた柔らかな笑みで。


 妙な気恥ずかしさを覚えたイセルは、それを誤魔化すように口を開く……のだが。


 「ご忠告、胸に留めてはおく。だがキョウカ殿、二十七歳は『お姉さん』に入るのか? 下手をすればオ――」


 軽口を叩いて照れ隠しにしようとしたのだろうが、右頬擦れ擦れを通り抜けた『何か』がイセルの言葉を遮った。

 通り抜けた先の壁を見て、イセルは絶句する。そこには青白い炎の鏃が刺さっていた。


 「イセルくん、ごめんなさぁい? ちょーっと聞き取れなかったんだけど、なんて言ったのかなぁ? お・ね・え・さ・ん、もう一回だけ聞きたいなー?」


 甘ったるい声を吐く鏡花に向けて、ギギギと音が鳴るくらいにぎこちなく顔を向ける。


 変わらずにこやかな笑みを貼りつけていたが、右手は前に軽く出され、その先には掌に収まるほどの、青白い光で編まれた魔法陣が展開していた。


 「……僭越ながらイセル様。これからのお言葉次第では、死んだ方がマシだと思える選択肢を握る羽目になります。どうか、ご一考を」


 事務員の冷静な、そして抑えられた声がイセルだけに届けられる。


 冷静に戦力を分析すれば。


 今の魔法程度なら見れば避けられるし、それ以上の魔法が放たれるのであれば魔法陣の展開までに鏡花へと肉薄し組み敷くことなど、イセルには造作もないはずだ。


 だが鏡花から発せられる凄絶なオーラが、イセルの身を竦ませる。


 ――ああ、思い出した。これ、師匠たちに怒られたときのやつだ……!


 どこか懐かしさすら感じる戦慄に、正答を出せたところでどうにかなるわけでもなく。


 「い、いやあキョウカ殿があまりにも美しく、何より若々しくてなあ! 二十七とはいえお姉さんという言葉でも謙遜に聞こえてしまって、『お嬢さん』の間違いじゃないかと問い質そうとしたんだ、アハハハ!」


 「まあ、お世辞がお上手なのねイセルくんは。流石は王子様、そんな歳で女性レディの扱いも心得ているなんてね?」


 「いやいや、世辞なんかではないぞ! キョウカ殿のような色も才も兼ね備えた人間、探そうとしても中々居ないだろうハッハッハ!」


 「ウフフ、王子様からお褒めに与るなんて鼻が高いわね」


 そうして互いに笑い合い――片方は凄絶な気迫を孕む笑み、片方は引き攣った笑み――、一段落したところで。


 「で、では! 私はこれで!」


 息も絶え絶えに、救世の大英雄は部屋から退室したそうな。







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