第五話:登校 ~少女の仮面、少年の失望~

 「私がイセルさんを召喚したとき、きっと誰かがそのときの光景を映像として残したんだと思います。それがこの国の魔導士協会に渡ってしまったんです。まだ他の国の魔導士協会や一般の社会には広まっていませんが、楸尾ひさぎお先生はきっと、その対応に追われてて……」


 「そうか。あの若さで、一国の魔導士育成機関の長に就任されるほどの才媛だ。それだけ敵も多いんだろうな。キョウカ殿のような理知的な女性があそこまで弱音というか、愚痴を垂れるから何事かと思ったが」


 「若いって、私もイセルさんも楸尾先生よりはずっと若いんですけど……」


 日本魔導士学校の敷地内。


 学生アパートから校舎までの道程を、イセルと麗菜は並んで歩いていた。

 鏡花からの連絡を受けてからすぐに(と言っても連絡を受けてからしばらくは、毒に満ちた口調で綴られる愚痴の数々に付き合う羽目になったのだが)、支度を整えて二人は出発した。


 そのおかげで通学路には生徒は居らず、制服姿の少女と私服姿の銀髪の少年という、衆目を集める組み合わせであっても人目を気にすることがなかった。


 「若く優秀な者に対してのやっかみというのは、世界を隔てていたとしてもやはりあるのだな。向こうに居た、血筋やら地位に縋りついて威張り散らす老害共とそっくりだ」


 「向こうの世界にも、魔導士の組織みたいなのがあったんですか?」


 「まあな。だがこの世界のように、ここまで大規模な魔導士育成機関を持つものとなればそう多くは――」


 どこか和やかに会話をしながら歩みを進め、そして日本魔導士学校の高等部校舎が見え始めた頃だった。


 「お! 来た来た! 二人揃って登校とか、青春っぽいことしてるじゃないの芳麻さーん!」


 人を小馬鹿にするような浮ついた声に、それに同調する笑い声。それに麗菜は表情を強張らせ、イセルは声の方向に目を向ける。


 有栖野と取り巻き数名が、揃って笑みを浮かべながら近づいてきた。


 「よう芳麻。朝早くに男連れて登校とか、随分楽しそうじゃねえの」


 「……楸尾先生に朝から呼び出されたんです。その、彼のこれからについて話し合いたいとのことで」


 有栖野の問いに、麗菜は薄い笑みを貼りつけて答える。


 「けっ、あの女か。まあ今回の件で相当ダメージくるだろうから、この学校から退くのも時間の問題だろうな」


 そう吐き捨てる有栖野に、麗菜は曖昧な笑みを向けるままだ。


 「んで、そっちのキミが……」


 「ん? ああ、私か」


 有栖野が注意を向けたことに気付くと、イセルは堂々とした態度で告げる。


 「私の名はイセル=ボーデルト=ミハイル=ファルザー。第二十七代ファルザー王国元首、ボーデルト=ミハイル=ゴードン=ファルザーの長子。しばらくキョウカ殿やレイナ殿の世話になることになっている」


 無遠慮に目線を向ける有栖野に気を悪くした風でもなく、イセルは生真面目な自己紹介をする。イセルの言葉のあとにやや間を置いて、有栖野や取り巻きが声をあげて笑う。大袈裟にも思えるその反応に、イセルも目を丸くする。


 「ハッハ、面白いねぇキミ! ぼーで……みはいる、なに? 横文字多すぎて分かんねー! その話し方はキャラ!? 作ってるの!?」


 「きゃら……? よく分からないが、こう見えても私は向こうの世界では王族に連なる者でな。堅苦しい口調に感じてしまったのであればすまないが、身内以外だとこういう風に話すよう躾けられいる」


 「王族! なに王子様!? すっごいねパないね! 向こうでは何してたの!? お国でも治めてたとか!?」


 「いや、国自体は幼いころに魔王に滅ぼされてな。ほとんどは魔王と魔王が率いる軍を倒すために世界中を巡っていて、この世界に召喚される直前は魔王と相討ちに――」


 「ま、魔王! すげーかっこいいねハハハ!」


 取り巻きたちの質問にも律儀に答えていくイセルだが、有栖野たちはその笑い声を大きくしていく。魔王のくだりに至ったころには、数名は腹を抱え過呼吸気味になっていた。


 「王子様で! 国を滅ぼされて! 魔王倒したとか、なにその勇者! 今時そんなベタな設定、誰も見向きもしませんが!」


 「まあ、信用できないのは分かる。なにせ証明しようにもその手段がないからな」


 「いやいや信じるさ! 国を滅ぼされ、命と引き換えに魔王を倒した悲運のオウジサマ、ってことでオーケイ?」


 「概ねその通りだ」


 はばかることなく品位のない笑い声をあげる有栖野たち。だがそんな彼らに嫌な顔を見せることなく、何気ない調子をイセルは続ける。

 笑い続けていた有栖野だったが、思ったような反応ではなかったのか、イセルに対しやや鼻白んだ表情を向ける。だがすぐに、その整った顔に余裕に満ちた笑みを浮かべる。


 「そうだ、自己紹介がまだだったな。

 俺は有栖野ありすの信弥しんや。この国の魔導五大家の一つ、有栖野家の十三代目当主となる男だ」


 「そうか。ではシンヤ殿。よろしく頼む」


 そうして堂々とした姿勢を崩すことなく、爽やかな笑みを浮かべるイセル。

 これまた思っていたような反応を得られなかったのだろうか、有栖野はあっさりとした答えを言うイセルに、あからさまに不機嫌さを滲ませた表情を向ける。


 「……まあ、昨日の昼に来たばかりの新参者だからしょうがないか。これから勉強していけば、俺がどういう存在なのか分かるだろ。

 ところでイセルくん、だっけ? キミも可哀想になあ、召喚されたのが、よりにもよって芳麻だなんてよぉ!」


 「……それはどういう?」


 「あれ、知らないの!? おいおい芳麻、いくら恥ずかしいからってきちんと説明してあげなきゃ可哀想じゃないの!」


 そう言って有栖野は、にやついた表情を取り戻して麗菜に向き直る。


 「魔導士学校にかれこれ三年間も通っておきながら、初級の魔法すら満足に発動できずに暴発させてばっかの欠陥魔導士、『放火魔』『ボマー』だってなぁ!」


 そうして再び、有栖野は取り巻きたちと面白おかしく笑い始める。麗菜はそれに対して何も言わず、俯いて薄い笑みを貼りつけたままだ。


 そんな麗菜に、イセルは感情の読めない視線を向ける。


 「確かに実技は上手くありませんが、芳麻さんは座学なら学年一位の秀才です。もちろん、あなたよりも優秀な成績よ、有栖野くん」


 麗菜やイセル、有栖野たちの集団に向けて涼やかな声が投げられる。


 タイトスーツを着こなした鏡花が、生徒たち(+異世界からの客人一人)へと歩み寄ってくるところだった。


 「楸尾先生……!?」


 麗菜が驚いたように声をあげる。対する有栖野は、忌々しげに――生徒が教師に向けるものとして決して相応しくない、敵意剥き出しの鋭さを視線に籠める。


 「おはようございます、楸尾せんせー。そりゃ俺……ああすいませんボクよりもボマーさ……またまた失礼、芳麻さんの方が座学の成績は上ですが、どれだけ知識があろうが肝心の魔法が使えないんじゃ持ち腐れっすよねぇ? どっちが有用性あるかなんて、目に見えて分かると思いますがぁ?」


 申し訳程度の敬語で、敬意など微塵も感じさせない態度と口調で有栖野が言う。

 この学校の最高責任者、そして日本最強と呼び声高い魔導士に向ける姿勢として、一生徒ごときが取っていいようなものでは決してない。だが取り巻きを含めた多数の生徒が緊張しても、有栖野は悪びれる様子がない。


 一方の鏡花も気にした風もなく、爽やかな笑みを浮かべて言葉を続ける。


 「その部分はまだ改善のしようがありますよ」


 「へぇ、そうですか。中等部の三年間で結局魔法を使えた試しがない、お情けで高等部に上がったようなやつが、これからどう努力しようが無理だと思いますけどねぇ」


 「見解の相違ですね。まだ魔法的な部分は、教育者次第でどうとでも伸ばせます。それよりも生来の性根というか、礼儀や常識の方を正していく方が難しいですよ?」


 「……どういう意味っすか」


 にこやかな表情の鏡花に、有栖野が表情を顰めて言う。


 「芳麻さんがイセルくんを召喚した際。動画を撮ったのはあなたの子分おともだちよね。動画を撮るだけならまだしも、魔導士学校における授業風景を外部に発するなんて、そんなリテラシーの欠片もない子がこの国の魔導士学校の生徒だなんて考えただけで、私は頭が痛くなりそうよ」


 わざとらしく頭を振りながら、演技と分かるくたびれた声で鏡花が言う。


 「……異世界の存在を召喚するなんていう、魔導士にとって計り知れない価値を持つ出来事。学校だけで留めず、社会に発信すべきだと思いますがね。むしろすぐにそうしなかったそちらがおかしいんじゃないですか、楸尾せんせ?

 もしかしてこの出来事、内密に処理してご自身の出世や地位のための材料にしようとしてたんじゃないっすか?」


 すぐに挑戦的な笑みを浮かべて返した有栖野だったが、鏡花は変わらずににこやかさを絶やさずに続ける。


 「出世? 地位? 有栖野くん、漫画やドラマの見過ぎじゃないかしら。ことが大きいからこそ、慎重に物事を運ぶ必要があるのよ? 有栖野家次期当主候補筆頭ともあろう子が、そんなことにも頭が回らないほど幼いなんて残念でしょうがないわね。

 朝早くからこんなところで油を売ってないで、その有り余った行動力、魔法以外のそういった常識のお勉強にも費やした方がいいわよ? なんなら付き合ってあげましょうか?」


 軽い調子で、あしらうように毒を吐き続ける鏡花。


 「……お前ら、行くぞ」


 苦い表情を張り付けて、有栖野は取り巻きにそう声をかけ歩き去ろうとする。


 そうして立ち去る間際に。


 「いい気になるなよ、一代目プライマリ風情が」


 最早口調を取り繕うことなく、有栖野は鏡花を睨みつける。


 「どう言いくるめようが、この件を早く報告しなかったのはてめえの落ち度だ。大方自分のために利用しようと画策する時間が欲しかったんだろうが、目論見が外れて残念だったな。

 そのチョーシこいてるふざけた面下げてられるのも今の内だ。てめえを引きずりおろして、『否血派』なんていう頭お花畑の連中諸共、根絶やしにしてやんよ」


 そう言い捨てたあと、今度こそ有栖野は校舎に向けて歩き始めた。二人の遣り取りに固まっていた取り巻きたちは、慌てた様子で有栖野の後を追った。


 「……はあ。全く、あの家柄含めて『尊血派』の人間は本当に嫌いだわ。あんな子供まで調子に乗っちゃって」


 後ろ姿を見せる有栖野の集団に、子どもっぽく『べー』と舌を出したあと、鏡花は残された麗菜とイセルに向く。


 「見苦しいところを見せたわね。あと、二人ともごめんなさい。こんな朝からお呼び立てしてしまって。なにぶん、あっちこっちから問い合わせや説明を求められてて、今てんてこ舞いなのよ」


 昨日よりもいくらか砕けた口調で、鏡花が二人に言う。


 「い、いえ。私は別に……」


 「私も特にどうということはない。今の遣り取りを見ただけで、キョウカ殿の置かれた状況がどれほど難儀なものなのか、ある程度察することができるというものだ」


 詰まり気味に答える麗菜に対し、イセルはきっぱりとした口調で鏡花に同情を示した。


 「ありがとう。そう言ってくれるだけでいくらか楽だわ。

 さて、まずは芳麻さん。イセルくんを連れてきてくれてありがとう。これから彼を学校長室に連れて行って、協会の幹部と映像通信で対談させます。まだ早い時間ですが、校舎にそのまま向かっていてください」


 「はい、わかりました」


 「それからイセルくんは、私と一緒にこちらへ。大変面倒だと思うのだけれど、協力してくれると助かるわ」


 「承知した」


 イセルは了承を示したあと、麗菜へと向いて。


 「レイナ殿、案内ありがとう。私のことは気にせず、学業に勤しんでくれ」


 「は、はい……」


 歯切れの悪い答え方であったが、イセルは気にすることなく、校舎とは別の建物である、学校長である鏡花が活動するための別棟へ向けて歩き出す。昨日で行き方も学校長室までの道も把握していたのだろう。その足取りは鏡花の案内がないにも関わらず確かなものだ。


 「芳麻さん?」


 「は、はい?」


 離れていくイセルの後をすぐに追わずに、鏡花は麗菜へと声をかける。


 「ごめんなさい。もっと早くに気付いてあなたに会っていれば、朝からあんな嫌な思いさせずに済んだのに……」


 「ああ、有栖野くんたちのことですか。お気になさらないでください。中等部からあんな感じなのでもう慣れっこです。

 それに向こうが言ってることは、事実なので」


 薄い笑みを向けて言う麗菜に向けて、鏡花は寂しげな目を向けて。


 「……あなたとは、一度時間を作ってお話しましょう。どうか、気を強く持って」


 そう言い残して、鏡花は速めの歩調でイセルへと向かうのだった。






 しばらく離れ行く二人の背中を眺めている麗菜だったが。


 「麗菜、おっはよーー!」


 「わあ!?」


 後ろからかけられた溌剌とした声に、思わず大声をあげる。振り向けば、数少ない友人が快活な笑みを浮かべていた。


 「なーに驚いてるッスか? まさか大親友の声が分からなかったんスか?」


 「ううん、いきなりで驚いただけ。ごめんね、ひより」


 「いや別に謝らないでいいッスよ。それよりも何見て……お~、これはまた興味深い組み合わせで」


 麗菜の見ていた視線の先を見て、ひよりはニンマリのほくそ笑む。


 「新聞部の打ち合わせで早めに登校してみれば、学校長たる楸尾先生と、噂の超絶イケメン貴公子とのツーショットに出くわせるとは運がいいッスね自分も! ネタの匂いがプンプンするッス! にしても美男美女が揃って歩くと、後姿でも迫力あるもんなんスね……。

 あとで取材行っちゃおーっと! あ、そういえば麗菜にも昨日召喚したあの人について話しが聞きたかったんスよ! 昨日はあのあと午後の授業にも出なかったし、詳しく話を……麗菜?」


 職業柄だろうか、美味しいネタに繋がりそうな光景を見て興奮気味に捲し立てるひよりだったのだが、麗菜へと視線を向けて声が訝しげに萎む。

 麗菜は再び、遠ざかる二人の背中に向けて寂しげな視線を送っていた。


 「麗菜、どうかしたッスか?」


 「え? ああ、んーん。何でもないよ。ただ、イセルさんに……」


 「イセル? もしかしなくても、あの銀髪の人のことッスよね? どうかしたんスか? あ、分かった! 一目惚れしたんスね!? あれだけのイケメンっすからね、気持ちは分かるッス! 

 大丈夫! 出会ったばかりだとしても恋に時間なんて関係ないッス! むしろ召喚主の立場として、他の娘よりもリードしてるッスよ!

 よーし! ここは美少女敏腕記者たる仲村渠なかんだかりひよりが、奥手な親友のために一肌脱いで……!」


 「ありがと、ひより。ごめんね、気を遣わせちゃったね」


 大袈裟なくらいにおどけた調子で続けるひよりだったが、麗菜の微笑みと声に宿る寂しさにてられて押し黙る。


 「……本当に、どーしたッスか?」


 「大した話じゃないんだよ。ただ、うん。

 私が、イセルさんをガッカリさせてしまったってだけの話」


 「麗菜……?」


 「さ、ひより! もう行こう! 部活の打ち合わせがあるんでしょ? 早く行かないと間に合わないよ!」


 誰の目からも空元気と分かる様子で、麗菜は校舎に向けて歩き出す。


 麗菜の後を追う直前。


 ひよりは遠く離れたイセルの背に、これまでの剽軽ひょうきんさを無くしたきつい視線をやるのだった。





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