第四話:断片 ~英雄の嘆き~
「……美味かった。満足だ」
「気に入ってもらえて何よりです。お粗末様でした」
「粗末? 粗末だと!? あの極上の料理をそんな言葉で表すなど、『かれえ』に対して失礼だ!」
「ええと、これも挨拶と言うか、常套句みたいなものなんです。気にしないでください」
「む、むう。そうか。この世界の考え方や作法について、やはり大いに学ぶ必要があるようだ……」
使い終わった皿や鍋を流しで洗いながら、イセルの声に麗菜は小さく笑みを零す。
結局その後、イセルは五杯も平らげてしまった。
――喜んでもらえて何よりだけど、あてが外れちゃったな。
数日分の晩御飯にしようと計画していた麗菜は、笑みに苦みを混ぜる。そうして見事に空になった鍋を洗っているときだった。
「――レーナにも、食べてほしい料理だった」
寂しげに呟かれた声を背に、麗菜の手がピタリと止まる。蛇口から流れ出る水の音が、麗菜の耳に嫌に大きく響く。
召喚の際に見た断片的な映像。そこに居たイセルと、イセルと同じく見事な銀髪の少女を思い起こす。
自分と似た響きの名を持つ少女。魔力の質や声、瞳の色が似すぎているとイセルが言う、可憐な魔導士。
初めて出会ったとき、抱きしめられながら聞いた彼の声は切ない響きで。
――大切な家族、だったんだよね。
あの喜びようは、千年越しにようやく会えた恋人に向けるものと言われても疑えないほどに温かく、鋭く、痛々しく。
血の繋がった家族をもう持たない麗菜は、彼の歓喜や、人違いだと分かったときの失望に共感できた。
食器を洗い終わりイセルのもとへ向かおうとした麗菜だったが、先ほどまで言葉を交わしていたにも関わらず、どのような態度や表情でまた向き合えばいいのか分からなくなっていた。
このまま顔を見ずに、自分の部屋に戻ってしまいたい。
訳も分からず怯えに似た感情が去来するも、頭を大きく振って無理矢理追い払い、意を決してイセルのもとへ戻る。
「あ……」
当の銀髪の少年は、机に突っ伏して寝入っていた。呼吸と共に規則正しく体が上下する。
「……もう。食べたあとにすぐ寝ちゃうと、この世界では牛になっちゃうんですよ?」
気が抜けたように笑みを零し、せめてベッドで寝てもらおうと思い、イセルを起こそうと近づく。
だがどこまでも穏やかで心地良さそうに眠るイセルの表情を見て、麗菜は伸ばしかけた手を戻す。
そして起こすことを諦め、ブランケットをイセルの体にかけた。
「朝の7:30ごろ、また部屋に伺います……と」
適当な付箋紙にそう走り書きを残して。
「おやすみなさい、イセルさん」
電気を消して麗菜はイセルの部屋をあとにした。
――永別を見た。
数えきれないほどの鎧姿の男たち、そして魔導士と分かる男女の部隊が、崩れ落ちるように蹲っている。
涙を滂沱のごとく流し、嗚咽を迸らせる彼らは、一様に同じ方向を向いていた。
人々の中心――銀髪の少年が、同じ色の髪をした少女の体を抱きしめていた。
「レーナ! レーナ! お願いだ、目を開けてくれ!」
イセルの様子はこれまでにないくらいに余裕を無くしており、少し
イセルの手に抱かれる少女――素人目からも分かるほどの致命傷が体を穢し、その命が風前の灯火であることは明らかだった。
弱々しく呼吸する少女――レーナが、震える瞼をゆっくりと持ち上げる。
「おにい……さま……?」
紡がれた声に、イセルが目を見開く。
「レーナ! 良かった、気が付いた! 待ってろ、今、癒術師全員で――!」
イセルの言葉に、レーナがゆっくりと首を振る。
「わたしは……もう、ダメだから。わたしよりも、今回の戦いで……傷ついた人たちを……」
「何を言ってるんだ!」
途切れ途切れに紡がれた、諦めと、このような状況においてもなお他者を優先させよと言う少女。
イセルは声を荒げ、他の者は嘆きを大きくする。
「諦めるな! お前、見たいって言っただろうが! 魔王が居なくなった世界で、人がみんな力を合わせて笑顔で暮らす光景を! 弱い人たちが虐げられず、子どもたちが当たり前のように愛情を受けて育つことができるような、そんな優しい世界が来るって信じてたんだろう!?
もう少しなんだよ! 魔王軍はもう四半分も残っていない! もう少しでお前が見たがっていた未来が掴めるんだよ! だから――!」
絶叫するイセルの頬を、レーナの右手がゆっくりとした動きで触れる。
「おにいさま、ごめんなさい。わたしは最後まで、おにいさまの憎しみを癒やしてあげることが、できなかった……」
レーナの言葉に、イセルは目を見開く。
「おにいさまが、剣を振っておられた理由は、ずっと前から分かってました。お父様やお母様、臣下の方々、民の皆様を滅ぼされ、その仇を討つためにと。
そして、こんなわたしを守るために、どれだけ体が傷ついても構わないと戦場を……駆けていた」
そうしてレーナは、見る者全ての胸を温め癒すような――灯火に似た優しい笑みを浮かべる。
「おにいさまが心から笑ってくれるのは、ずっと、わたしに関わるときだけだった。それ以外では感情を殺して、自分の望みも捨てて、ただただ、魔獣と戦っておられた。
あの凛々しいおにいさまが、わたしの前でだけ本当に笑ってくれる。それはそれで、誇らしい気分でした。でもわたしは、やっぱり、おにいさまに、どんなときであっても、笑っていてほしかった」
「世界を救いたい。苦しむ人々を癒やして、誰一人涙することなく、笑える明日がほしい。そんなわたしの言葉を、初めて真剣に聞いてくれたのは、おにいさまだった。
そして思ったんです。そんな世界ならおにいさまも、わたしの前だけでなく、いつも笑ってられるようになれるはずだって……」
少女が弱々しく咳き込む。その度に鮮血が吐き出される。
「レーナ!?」
イセルの焦燥の叫びに、レーナは変わらず微笑みを向ける。
「おにいさまは、この世界を嫌いだと言った。大事な家族を、国を奪っていったこの世界が嫌いだ、だから魔王を倒して変えるんだって。
でもわたしは、こんな世界でも、大好きなんです。確かに悲しいことや辛いことも多かった。でも少なかったとしても、いいこともちゃんとあったんです。
この世界を巡って、沢山の人々を救えたときは、ほんとうに嬉しかった。弱くても支え合って生きていく人の営みが、どうしようもなく眩しく見えた。こんな時代でも、新しい命が生まれるのを見て、その逞しさが愛おしくて、胸が温かくなって、涙が止まらなかった。
何よりこの世界に生まれなきゃ、おにいさまに出会えなかった」
空色の瞳は、輝きが失われつつある。最後の力を振り絞るように、少女は目の前の最愛の兄へ最後の言葉を告げていく。
「結局、わたしの生きている間に、おにいさまにこの世界を好きだって思わせることは、叶わなかった。そんなわたしがこんなことを言う資格は、ないけれど、最期に、約束して、いただけますか……?」
弱々しいレーナの声に、イセルは上を向いて表情を顰めたあと、穏やかな微笑みを見せる。
「いいよ。言ってごらん?」
どこまでも優しい響きで言うイセル。
「おにいさま、この世界を最後まで見捨てずに、救っていただけませんか……?」
そんな必死の掠れ声に、イセルは間髪入れることなく。
「分かった。あとは任せて、今はゆっくり休んで」
穏やかな微笑みと共に放たれた言葉に、少女の瞳が潤んで、そして涙の筋を作る。
「今、この世界の救済は、約束されました。おにいさまが、わたしとの約束を、守れなかったこと、なんて、一度だって、ないんだから……」
幸せそうにそう呟いたあと、少女は満足したようにゆっくりと瞳を閉じて。
イセルの頬を触れていた手が落ちる。その寸前で、イセルがその手を掴む。
「レーナ……?」
呆然とした、気の抜けた声をあげたあと。
「レーナ? レーナ嘘だ、レーナ! 起きてレーナ!」
粛然とした態度が嘘だったように、何度もその名を叫ぶ。周りの人々はその様に、叫びのごとき泣き声をあげ始めた。
「ヤだ……待って……! 逝かないで……! 置いて行かないで……!
俺を一人にしないでぇ……!」
堂々とした言葉づかいも消え去り、幼子のような頼りない声でレーナの体に縋りついたあと。
「ああああ……! うああああああああああああああああ!」
空に向けて、悲哀に満ちた咆哮を奔らせた。
ベッドから飛び起きた麗菜は、真っ先に涙に塗れた目を拭った。
――あれは、イセルさんの記憶だよね……?
夢で見た光景――兄妹の最期の会話が、今なお麗菜の胸を締め付ける。
――どうして私が見れたの? 召喚魔法を通じて、絆……みたいなものができた?
考え込む麗菜だったが、けたたましい電子音がその思考を遮る。
目覚ましのアラームを、麗菜は普段通りに黙らせる。時刻は7:00。
「……準備して、イセルさんのところに行かなきゃ」
とりあえず考え事は後回しだと、麗菜は立ち上がり制服に着替えはじめた。
準備を終えた麗菜は、ちょうど7:30に隣の部屋の呼び鈴を鳴らした。しかし待てども出てくる気配がない。
「まだ寝てるかな? 部屋のキーナンバーは分かるけど、勝手に入っちゃまずいよね……」
そう呟いてもう一度呼び鈴を鳴らそうと手を伸ばしたところで、麗菜はある想像をしてしまう。
今この瞬間にも、彼は悪夢に囚われているのではないか。
あのどうしようもない悲しい光景を繰り返し見て、うなされて涙を流しているのではないか。
そんな場面がどこまでも現実的に思え、麗菜は顔を強張らせてキーロックへと手を伸ばした。
「イセルさん……!」
そうして扉を開けて、中を確認すれば。
「ん? ああレイナ殿。どうかしたか?」
服を着け、濡れた髪をタオルで拭いているイセルが居た。
「あ……お風呂に入ってたんですね」
「うん。昨日はいつの間にか眠ってしまったからな。しかしこの世界は風呂もすごいな。この蛇口? とかいうものを捻っただけでちょうどいい加減の湯が出てくるとは。
ああ、そうだ。昨日はありがとう。本当に美味い料理を馳走になった」
明るい調子で言うイセルに、麗菜は思わず顔を綻ばせる。
「いえいえそんな。いい夢は、見られましたか?」
緊張が緩んでしまったからだろうか。思わず口から漏れた言葉に、内心で冷や汗を垂らす。
イセルは一瞬だけ目を丸くしたあと、大きく破顔して。
「いや、おそらく疲れていたんだろうな。夢を見ることもなく寝入ってしまった」
「そう、ですか……」
その言葉と笑顔に、チクリと嫌な痛みが胸を刺すのを麗菜は感じる。
――嘘、だよね……?
目の前の少年が、このような軽薄な笑みを向けるわけがない。麗菜はわけもなくそう思った。
「イセルさん、あの……」
継ぐべき言葉も分からぬままに、そう声をかけたときだった。麗菜の制服のポケットから、軽快な着信音と振動が発せられる。
「ん? 何だそれは」
「えと、ちょっと待って下さい」
そうして携帯電話を操作すれば、画面に鏡花の美貌が映し出された。
「あれ、楸尾先生?」
「おはよう、芳麻さん。いきなりでごめんなさい、今学生アパート?」
「えっと、はい。今イセルさんの部屋です。これから朝の準備をして、とりあえず先生の指示を仰ごうかと思ってました」
鏡花とは昨日に連絡先を交わしてある。事情が事情だけに理解できるし、鏡花から連絡がくるのもおかしなことではないのだが、鏡花の表情が苦く歪んでいるのを見て麗菜は違和感を覚える。
「ごめんなさい、芳麻さん。早急に学校に……イセルくんと一緒に来てくれないかしら」
「今からですか? イセルさんの準備ができ次第向かえますけど、どうかされましたか?」
そして鏡花は小さく溜息を吐き、疲れた表情を浮かべる。
「イセルくんのことが、外部に漏れたの」
端的に告げられた言葉に、麗菜はギョッと目を剥く。そしてイセルは鏡花の言葉の重大さを知らず、興味に瞳を輝かせて携帯を見るのだった。
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