第三話:食事 ~異世界交流の第一歩?~

 ――どうしたらいいんだろ……。


 場所は変わり、日本魔導士学校敷地内にある学生アパートの一室。

 麗菜はペタリと座り込んでおり、簡素な丸テーブルを挟んで銀髪の少年と向かい合っていた。


 理事長室をあとにした二人は早速、イセルがしばらく住むことになる部屋へと向かい、鏡花が手配した最低限の家具や男物の服を確認して部屋を整理した。


 ある程度落ち着いた頃には日は暮れており、その後はイセルに部屋の使い方――風呂や部屋の電気の使い方など、生活に最低限必要になることは思いつく限り話した。

 興味にその黒い瞳を輝かせ、イセルは麗菜の話を聞いていた。そしてそれが終わったあと、イセルは急に表情を憂いに翳らせ、俯き気味の顔色で沈黙したのだった。


 ――えっと、一応一通り教えられたはず……だよね? どうしよ、話しかけた方がいいのかな……?


 イセルの憂い顔の理由が分からず、麗菜は途方に暮れたまま居心地の悪い時を過ごす。


 ――いや、考えれば分かるよね。突然違う世界に呼ばれて、召喚したのが芳麻麗菜こんなので。


 自嘲気味に内心で呟く。イセルの話、そして召喚前に見た景色から察するに、世界一つ救うほどの大英雄だった彼は、それ相応の魔力量と魔法の実力を兼ね備えていたことは容易に想像できる。


 麗菜が中途半端な召喚をしなければ。


 あるいはこんな落第魔導士ではなく、もっと優秀な、それこそ有栖野あたりが召喚したのなら、きっと魔力を失うなんてことにはならなかったはずだと。


 申し訳なさを痛感しながら、再び目の前の少年を見る。


 どのような表情であっても――今のように物憂げな表情であっても、その表情は品位を落とすことなく麗しい。

 麗菜は彼が同年代であることが信じられなかった。一つ歳が離れているが、大人びた表情、そして漂う風格は、年齢差以上の隔たりを感じさせる。

 よくよく見れば年齢相応の幼さも残るのだが、彼にとってはそれすらも凛々しさを形作る要素になってしまう。


 ――って、何を見惚れているんだ私は。


 冷静に自身へとツッコミを入れて、熱を帯び始めた頬を冷まそうと手で扇いだ時だった。


 「……レイナ殿」


 これまで沈黙を保っていたイセルが、重い口を開いた。その声は、ともすれば絶望に打ちひしがれていると思わせるほどに弱々しい。


 「……はい?」


 どのような言葉が飛び出すのか分からず、強張った声で麗菜は応じる。


 「そなたやキョウカ殿には世話になってばかりで申し訳なく思っている。寄る辺のない私にこんなにも立派な部屋を用意していただき、ここまで丁重に扱っていただき感謝している。

 ここまで多大なる厚意をかけられた上で、このようなことを口にするのはどれほど浅ましく、恥ずべき行為であるのかは重々理解しているつもりだ。だがあえて、言わせてほしい……!」


 覚悟を決めたとばかりに、イセルが目を見開く。


 短い時間ではあるが、目の前の少年がどれほど礼儀正しく、実直で誠実な人間なのか、麗菜は理解していた。


 そのような人間でさえも、やはりこのような現状を起こした張本人に文句の一つくらいは言いたくなるのだろう。


 どのような罵言や非難の声であろうとも、自分は受けねばならないと麗菜は思った。 

 イセルの口から出てくる言葉を、麗菜は身構え、甘んじて受け入れようと覚悟した。


 けれど言葉は紡がれず、言葉以上に雄弁に少年の望みを伝える音が響いた。


 麗菜は一瞬、獣の唸り声かと錯覚した。場の空気を震わせるその音を聞いて、


 「……え?」


 呆気にとられたように声を漏らす。それは音こそ凄まじいものの、聞き馴染みのあるものだ。


 腸管の蠕動音。いわゆる腹の虫というやつで。


 「……すまない。何か、食物をいただけないか?」


 渋い表情の赤みの理由は、間違いなく羞恥によるものだった。


 「このように食物をねだるなど、王族の風上にもおけぬ浅ましい行為だとは承知している! だがもしいただけるなら、いつまでにと確約はできないがいずれ宿飯の礼は必ず果たす! どうか、この通り!」


 必死の形相で捲し立てるように言ったあと、イセルは両拳を床に付け、頭を深々と下げる。


 「……ハっ! いえいえあの、あ、頭を上げてください!」


 呆然としていた麗菜であったが、土下座に似た行為を行っていると認識するや否や、慌てた様子でイセルに礼を解くように言った。


 「あの……落ち込んでいたんじゃないんですか? こんな世界に訳も分からず飛ばされて、魔力も失って。

 恨んでいないんですか? 原因となった、私のことを」


 頭を上げ姿勢を戻したイセルは麗菜の言葉を聞いて、無防備とも思えるくらいに目を丸くする。


 「……確かに驚きは大きい。自分の住んでいた世界以外にも世界は存在し、そして自分がそんなところに行くことになるなど考えたこともなかった。魔力を失うというおまけ付きだ。

 だがなってしまったものは、来てしまったものはしょうがない。幸いこの世界には魔王も魔獣も存在しない。ならば魔法がなくとも、四肢が不自由なく動かせるのであればやりようはある」


 穏やかな――そして少年らしい爽やかな笑みを浮かべながら、気さくな調子をイセルは見せる。


 「そして私が、レイナ殿を恨む? それこそありえない。

 こんな得体のしれない男に対し、キョウカ殿共々ここまで親身になってくれた。

 そして人違いではあったが、そなたの声と魔力に誘われて私も召喚に応じた。

 今だってそなたの声を聞くたびに。

 魔力の波動を感じるたびに。

 その瞳の輝きを見る度に。

 私は胸が温かくなる。会う資格はないと分かっていても、愛しい家族の存在を、私はどこまでも感じることができる。レイナ殿にとっては知ったことではないだろうがな。

 そんなそなたに感謝はあれど、恨みを抱くなどという愚を犯すほど、私は落ちぶれていないぞ?」


 そうしてどこまでも純粋な光を宿す瞳は、言葉に嘘偽り、気遣いなどないことを麗菜に知らしめる。


 照れくささと気恥ずかしさで、麗菜の心臓は無秩序に暴れていた。


 「学ぶべきことや考えるべきことは多いと思う。私の身の振り方や原因の考察、この世界について。だが今は……」


 そして再び鳴り響く腹の虫。


 「この腹の切なさをどうにかしたい……!」


 笑顔を消して、どこまでも真に迫った形相で言うイセルに、麗菜はとうとう小さく笑い始めた。


 「……自分がどれほど浅ましいことを言っているか、繰り返すが分かっている。だがその……そう笑われては流石に立つ瀬がない」


 頬を僅かに染めながら、今度は拗ねた子供のように嘯く。コロコロと変わる表情もまたおもしろく、麗菜は笑いを止めるのに苦労した。


 「ご、ごめんなさい。落ち込んでいるように見えたんですけど、理由が思っていたものと違ったので。

 ……あ、でも」


 ひとしきり笑ったあと、麗菜は謝罪をする。だが自身のなかで首をもたげた悪戯心を自覚し、普段ならこんなことを言わないなと思いながら口にする。


 「イセルさんと初めて会ったとき。私はすっごく恥ずかしい思いをしたんですけど」


 慣れない冗談を言ったというのもあるが、そのときの羞恥心(主に体を触られたことに対する)も思い起こしてしまい。


 ――わわわ、これ自爆したかな!?


 一気に頬が赤くなるのを自覚する。


 だが目の前の少年の方がもっと劇的な反応を示していた。色白の部類ではあるが健康的な血色を見せる肌が一気に赤くなり、再び深々と頭を下げる。


 「それに比べれば確かに私の気恥ずかしさなど取るに足らない! 何度謝罪を重ねようと許されるものではないと承知しているが、本当にすまなかった!」


 「あああ、いえごめんなさい冗談です! 今はそんなに気にしてません!」


 二人してアタフタと慌てふためきながら、互いに謝り合う。


 落ち着いたところで、麗菜は苦笑いしながら。


 「それじゃ夕食にしましょうか。私の部屋にもう準備してあるものがあるから、この部屋に持ってきますね」


 麗菜の言葉に、イセルの目に涙が溜まり、希望にその表情を輝かせた。






 「この匙……まさか、銀製か!?」


 「そんなに高価なものではないですよ。ステンレス……えっと、銀よりは安いですけど、ある程度丈夫で軽くて長持ちする、そんな金属で出来てます」


 イセルの部屋にある備え付けのIHコンロで鍋を温め、中身を掻き廻しながら、イセルの方を向くことなく麗菜はその驚愕に答える。


 「むう。この世界は冶金やきんの技術もここまで高度なのか。この肌触り、手に否応なく馴染む重さと、鏡のように反射するまで丹念に磨き上げられた輝き。食器だからといって妥協することなく、こだわりを追及した職人の業と信念が窺える……」


 スプーン一つに大げさなまでに感嘆の声を上げるイセルにおかしさを感じながら、麗菜はすでに米がもられた皿に鍋の中身をかけていく。


 「はい、お待たせしました」


 そういって二人分の皿をテーブルに置く。二人分の皿を持つ麗菜に期待の込められた視線を向けていたイセルは、しかし、皿の中身を見たと同時に表情が硬くなる。警戒の色を見せながら、皿に顔を近づけ匂いを嗅ぐ。


 「間違いない。先ほどから刺激的な匂いを部屋に運び、私の腹をさらに期待で切なくさせていたのがこいつだということは、発せられる匂いで分かる。だが、これは……」


 「えっと、向こうの世界で似たような料理はなかったですか? カレーと言いまして、この国ではかなりポピュラー……ああ、よく親しまれている料理なんですけど……」


 「『かれえ』……聞いたことがない。この白いのは粥か? いやでもソバや粟、麦とは違うな。ここまで見事に白く輝いている粥など見たことが無い。それに皿半分を覆うこれは……」


 「白いのはお米と言って、麦や粟みたいな、穀物の一種です。そこにかかっているのはカレーの本体といいますか、ええと……」


 どう説明したものだろうかと悩む麗菜だったが、


 「うん。料理を言葉で説明するのは、舌で本質を味わってからであろうな」


 イセルは笑顔で言ったあと、スプーンをカレーに付けようとした。


 「あ、待ってください!」


 慌てた声の麗菜に対し、イセルもやや面食らった表情を向ける。


 「この世界……少なくともこの国の作法として、食べる前に『いただきます』、食べ終わったら『ごちそうさま』と言うのが礼儀なんです」


 「『いただきます』、『ごちそうさま』……ん? 

 それはレイナ殿も言うのか? 私はそなたに作ってもらった立場なのだから断りを入れるのは道理だが、作った本人であるそなたは誰に対して、その料理を食べることに断りを入れたり、食べたあとにそのような言葉を言うんだ? 自分自身か?」


 「えっと、これは作った人に対してって言うより……もちろんそういう意味も含まれますが。

 こうして料理を食べれるということは、お野菜やお米、お肉が犠牲になってくれているわけです。それからそれに携わる、食材を作る人たちの思いもいただくことになるんです。それらに対して感謝の意味を込めて、『いただきます』『ごちそうさま』とあいさつするんです」


 「なるほど……そのように深い意味が込められているとは。食事にさえこのような信心深さすら見せるとは、この世界の人間の心根はとても素晴らしいな」


 「そんなに大袈裟なものでもないと思いますが……」


 苦笑しながら、麗菜は手を合わせる。


 「いただきます」


 その様子を見たイセルも、たどたどしく両手を合わせ、


 「い、いただきます……」


 慣れない言葉を呟くように、これまたたどたどしく。しかしながら精一杯の気持ちが伝わる真剣な表情で、麗菜の真似をした。

 その様子を微笑ましく思いながら、麗菜は自身の料理に手を付け、一口頬張る。


 ――うん。今日のもいい出来だ。


 幼いころから料理をすることの多かった自身の、一番の得意料理だ。たまたまカレーを作っていて良かったと思い、初めてカレーという存在を実食するイセルの反応を見た。


 ――え?


 それを見て、麗菜も思わず固まる。

 イセルは一口目のスプーンを口に咥えたまま、目を見開き、彫像のように固まっていた。


 ――うそ。口に合わなかった!? それとも辛いものが苦手!? でも隠し味の蜂蜜とパインジュースは入れたし、ああでも向こうの世界の人には刺激が強すぎたとか!?


 自信作の料理が受け入れられていない(と、このときまだ勘違いしている)ことによるショックと、自分の配慮が足りなかったのだろうかと罪悪感に駆られて思考が混乱する。


 イセルはやがてゆっくりとスプーンを引き抜き、嚥下したあとに皿に視線を落とす。


 「なんだ、これは……」


 呆然と呟く。


 「ご、ごめんなさい! お口に――!?」


 合いませんでしたか、と続けるはずだった麗菜の言葉は、最後まで続かなかった。


 イセルが麗菜の存在に目もくれず、二口目、三口目とスプーンを口に運び、やがてじれったいと言わんばかりに左手で皿を持ち、その中身を掻きこみはじめた。


 いっそ惚れ惚れするほどの見事な食べっぷりに、麗菜は安堵と同時に感嘆の思いを抱いた。他者が同様な行動をとれば確実に行儀の悪い態度であるにも関わらず、イセルの姿は不思議と見苦しさを感じさせなかった。


 やがて一分もしないうちに、イセルが皿をテーブルに置く。スプーンだけしか使っていないにも関わらず、皿は磨かれたように光沢を示すほどで。


 驚愕に彩られた表情と視線を麗菜に向けて、イセルは重々しく告げる。


 「凄まじい料理だった」


 「料理に対する表現として、それはちょっと……」


 イセルの言葉に、苦笑を交えて麗菜が応じる。


 「いやすまない。詩歌や文芸にそれほど通じているわけではないから、この料理の美味さを言葉でどう表現すればいいのか分からなかった。


 感動した! そなたは魔導士だけでなく、料理の才能もあるのだな! 元居た世界なら余裕で世界一の称号を欲しいままにできるぞ! そなたがあの世界に居たのなら間違いなく、王室直属の料理人として召し抱えられる逸材だ!」


 「あ、ありがとございます。でも大袈裟です、そんな大したものでは……」


 称賛し続けるイセルに対し嬉しく思うものの、慣れない賛辞に麗菜は身を強張らせる。そんな麗菜の様子を気にすることもなく、イセルはその美声で続ける。


 「謙遜するな! 王族である私をここまで唸らせたのだ、胸を張れ!

 それにしても凄まじい、素晴らしい料理だ。

 使われている具材の豪華なこと。人参、ジャガイモ、玉ねぎ、野菜はどれも質が良い。それにこの肉、これはなんだ!?」


 「えっと、豚肉って言います。猪を家畜にしたものなんですけど……」


 「これが猪だと!? いやまあ向こうでは狩って食べたこともあるし、あれもあれで美味かったが、この肉は野性味というか臭みもなく、柔らかい!」


 ――言えない。


 ――牛よりも安い上に、タイムセールで70%オフでたたき売りされてたものを使ってますだなんて、言えない……!


 今回使われている肉に対する賛辞を、子供のように目を輝かせて惜しみなく披露するイセルに、麗菜は表情を強張らせて汗を垂らす。


 「そしてこの茶色の……これが『かれえ』というやつなのか。辛味の中にほんのりと甘味があり、そしてこの馥郁ふくいくたる刺激的な香りが食欲をそそり、その味を高めている!

 この米というやつもなかなか。柔らかくあるものの確かな歯応えと甘味があり、これが『かれえ』の味を十分に受け止めている。

 素材全てが互いに互いを高めている。これはもう、芸術と呼ぶに相応しい完成度が……!」


 なおも浮かれたように称賛を続けるイセルであったが、再び腹の虫の音を盛大に響かせる。


 「……よろしければおかわり、どうですか?」


 表情を強張らせ、額に汗をかいて固まるイセルに対し、笑い出したくなるのを必死で堪えながら麗菜が声をかける。


 「いいのか!? いやしかし……ダメだ。もうすでに堪能させてもらった。これ以上貪るような真似をするわけには……」


 「大丈夫です。気にしませんし、結構作ってあるのでまだまだあります」


 「だが、甘えるわけには……」


 なおも固辞しようするイセルに対し、


 ――この人なら、多分。


 イセルが断ることができないと思われる言い方で、麗菜は言葉を紡ぐ。


 「作った身としては、沢山食べていただけることが何よりのお礼になります。気遣っていただくのは嬉しいんですが、この場だけは素直になってください」


 イセルは声を詰まらせ、しばらく黙考する。表情がコロコロと変わり、食欲と理性が葛藤を起こしているのが容易に見て取れた。


 そして。


 「……もう一杯、よろしく頼む」


 恥じ入るような小さな声で、皿を麗菜に突き出す。


 「はい。分かりました」


 麗菜は微笑みながら、再び盛りつけるために立ち上がり、鍋の下へと足を運んだ。




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