第二話:握手~事情聴取と、一応の和解~
「事情は把握しました。まずは白井先生。優秀なあなたであればその場で対応が可能であったでしょうが、召喚魔法などという超難度の魔法を生徒に行わせたのはいただけません。
追って処分を伝えます。下がってください」
「承知しました」
そうして先ほどの授業を担当していた女教師は、学校長室を後にする。
質素なデザインだが高級な調度品と分かる机で手を組み座るのは、怜悧な印象を纏う妙齢の美女。
齢二十七にして、日本のみならず世界に名を馳せるS級魔導士、《
「そこの少年はとさておき、あなたとも直接話すのは初めてだから軽く自己紹介します。今年度から日本魔導士学校の学校長を務めます、
丁寧な言葉、穏やかな笑みではあるが、日本最強との呼び声高い魔導士に話しかけられているという事実に、麗菜は身を委縮させる。
「は、はい! よろしくお願いします!」
「そんなに畏まらなくてもいいですよ。今回の件についてですが、もう一度確認させてください。間違いがあれば訂正してください。いいですね?」
「は、はい」
「よろしい。
疲れるほどに濃密でめまぐるしい経験をしたと麗菜は思っていたが、他者が言葉にすればそれは、どうやらニ・三行で事足りるらしい。
あまりにも簡素にまとめられたことにどこか釈然としないものを感じながらも、内容は正しいので麗菜は了承の意を示した。
「わかりました。ではそこの彼についてですが……」
麗菜に向けていた瞳を、鏡花は麗菜の隣へと向ける。努めて意識をしていなかったのだが、観念したように、麗菜は意識と横目を隣の少年に向けた。
鎧や剣は意識を失っているときに外され、今は後ろ手に拘束されながら、瞳を閉じて無表情に立ち尽くしている。直立したその姿は無動で、精巧な模型であると言われても疑える人間はそう多くないだろう。
少年の後ろには、警備員が控えている。
「君からも話を伺いたいのですが、ええと……芳麻さんの話では、確かイセルと名乗っていましたか?」
「その前に少し言わせていただきたい」
これまで無言を貫いていた彼が、どこか不機嫌な声で言う。だがその美声が質を穢されることはなく、このような場でありながらも、麗菜はその流麗な響きに聞き惚れそうになる。
「……なんでしょう」
堂々とした態度に、鏡花はどことなく緊張の色を表情に滲ませる。
イセルは、隣に立つ麗菜へと体を真正面に向ける。予測してなかった行動に、そして向けられる真剣な眼差しに、麗菜は思わず息を呑む。
「魔力の質や声が、私の良く知る大事な家族にあまりにも似ていて浮かれてしまっていた。そのために我を忘れ、うら若き乙女にあのような不躾な行動をとってしまった。
レイナ殿、といったか。そなたに不快な思いや公衆の面前で羞恥させてしまったことは、何度でも謝罪する。まことにすまなかった」
そうして頭を垂れる姿はどこまでも誠実で、一分の綻びもない見事な礼であった。
「い、いえ! 私の方こそ申し訳ありません! 私のせいでここに呼び出してしまって、その、あんなに強く引っぱたいちゃって……!」
舌が空回りしているのか、たどたどしい言葉を紡ぎ続ける。その様子にイセルはホッと胸を撫で下ろしたように緊張を緩ませた。そして苦笑しながら、
「あの一撃は見事だった」
無遠慮にその美貌を張り倒したことに対する申し訳なさと、向けられる笑みの凛々しさとが相まって、麗菜は頬を染めた。
「それから、キョウカ殿」
今度は再び机へと体を向け、少年は鏡花へと向いた。
「突然現れた得体のしれぬ者に対して、このように身を縛っておくのは当然だと思う。だがこう見えても私は、向こうの世界では王族の血に連なる者だったのだ。罪人や賊を裁くかのような今の姿は耐えられぬし、このような醜態をこのまま晒すとあっては父や祖父、歴代の王たちに顔向けできない。
こちらに敵意はない。どうかこの枷を外す許可を頂けないだろうか」
「……分かりました」
「学校長、それは――」
「構いません。手錠を外してあげなさい」
警備員の声を無視するように、鏡花は少年の後ろ手を縛る手錠の解除を命じた。その言葉に、麗菜はホッと一息ついた。
――あれ、外すって言った? 外してもらうじゃなくて?
だがイセルの言い方に、麗菜は疑問を抱いた。単なる言い間違いなのかもしれなかったが、それはまるで、許可さえもらえるなら自身でどうにでもなると言っているように、麗菜には聞こえたのだ。
「いや、衛兵の手を煩わせる必要はない」
そして続く少年の言葉と、それに続くバキリという音に、少年以外の全員の目が見開いた。
「な、腕力だけで……!? そんな、補強魔法をかけていたのに……!?」
警備員の驚愕の声が空しく響くが、少年はどこ吹く風と手首を擦っている。後ろ手という力が入りづらい状態にも関わらず、イセルは自力で手錠を引き千切ったのだ。
「これは衛兵のものだったか。
そう言ってイセルは、手錠の残骸を警備員へと渡す。
「魔力放出阻害……?」
唖然とした表情を見せる警備員。小さく放たれる疑問符に対し、少年もまた訝しむように眉を寄せる。
「そのことについても私が説明します。あなたはもう下がっていなさい」
鏡花の指示に従い、警備員は部屋をあとにした。
「それではまず。あなたの自己紹介と、あなたの元居た世界に関して説明を願えますか?」
柔らかな物腰であるが、その瞳が対峙する少年を見定めんと眇められるのを見て、麗菜は緊張する。
真正面からその視線を受けているはずの少年は、堂々と余裕のある態度で高らかに告げる。
「我が名はイセル=ボーデルト=ミハイル=ファルザー。齢は十六。第二十七代ファルザー王国元首、ボーデルト=ミハイル=ゴードン=ファルザーの長子にして、世界を支配せんと悪逆を尽くした魔王を打ち倒せし、『白銀の煌剣』なり」
自らを王族であると名乗った少年は、成程、確かにいと貴き血を引く者であるのだろう。
自身と、その身に流れる血に対する絶大の自信が垣間見えるその名乗りは、民を統べるに足る王者の風格に満ちていた。
「――お話しいただきありがとうございます。そちらの事情も概ね把握致しました。
自然の理から外れ、他の命を蹂躙し世界を脅かさんとする魔獣。
そしてそれを統べる魔王と、魔獣共々その魔王をも、命と引き換えに打ち滅ぼし世界を救った大英雄……といったところですか」
英雄、という言葉にイセルは苦い思いを抱く。一つの世界を救ったという功績はそう呼ばれるに相応しいものではあるが、少年にとってその言葉は、ひどく軽薄な肩書きであるように感じられる。
「信用できないか? もっとも、今の私は言葉以外で我が身の上を示すことができないわけだが」
そんな暗い胸の
「まだあなたの言葉全てを鵜呑みにするわけにはいきません。ですが現状としてこちらはあなたの説明しか手がかりがないので、ある程度信じる以外に選択肢はないでしょう。
あなたの言葉に嘘があったようには思えませんでした。それにいつでも枷を破ることができたはずなのに、あなたは反抗することなく、真摯な態度で私たちに答えてくれました。その誠実さは、十分に信頼を置くに値すると私は思います」
鏡花の言葉に、イセルはホッと胸を撫で下ろした。
――全てに納得したわけではないだろうけど。俺の言葉が狂人の妄想や与太話として片付けられずに済んだだけ、良しとするか。
そんな前向きなのか後ろ向きなのか分からないことを思いつつ、イセルは思案に耽る鏡花の次の言葉を待つ。
「私たちの世界で召喚魔法とは、物理次元の世界からその裏側へと渡ったとされる精霊、霊獣、天使や悪魔とされる超常の存在を呼び出し使役する魔法です。
魔法がこの世界の学術体系の一つとして確立されて決して短くない月日を経ていますが、別の世界の存在を呼び出したことは過去に一度もありません。
それも亡くなった者の魂を、魔力が失われているとはいえほぼ完全な形で受肉させて、召喚者である芳麻さんの魔力供給も受けずに現界しているなど、死者の完全蘇生に等しい……」
「この世界の魔法と私が居た世界の魔法は、やはり概ね似ているようだ。私の知る召喚魔法も大体そういう認識だ。死者の魂だけの召喚ならば召喚魔法の亜種である降霊魔法で可能だが、こうもはっきりとした肉体を持つことはない。
死者の蘇生か。この世界でも禁忌の魔法とされているようで……」
鏡花の言葉と己の知識を摺り合せ、概ね共通していることに満足そうに呟いていたイセルだったが。
「待て」
鏡花の言葉に、
「魔力が失われている……? まさか、私が……!?」
貴公子然とした端整な顔立ちが、初めて驚愕の色を露わにする。その言葉に鏡花は重々しく頷く。
「あなたが意識を失っている間に、色々調べさせてもらいました。まずはそのことに対する謝罪を。知らなかったとはいえ、王族であるあなたの御体を無断で探るという無礼について――」
「それはいい! そちらの事情は重々理解していると言った! それで、私の魔力が失われているというのは……!?」
鏡花の言葉を遮って、イセルが焦燥を隠すことなく言葉を叩きつける。横に居る麗菜が委縮する様子を感じ取ったが目もくれず、目の前の鏡花を見据える。
「召喚魔法により召喚されたものは、必然的に召喚者の使い魔となります。使い魔は普段霊体化しており、必要に応じて召喚者の魔力を受け取り仮初の肉体を得て現界します。現界し続ける間、召喚者の魔力は消費され続け、魔力の供給が絶たれた場合は使い魔は現界できずに霊体化します。
今回の場合は芳麻さんが召喚者、あなたは使い魔ということになります。あなたがこの世界に呼び出されてから今に至るまで、あなたの体は霊体化していません。つまり今なお芳麻さんから魔力供給を受けているはずなのですが、芳麻さん曰く、そのような魔力消費は自覚できていないそうです。芳麻さん、そうですね?」
イセルが思わず横目を向ける。鏡花と合わせて二人の視線を受けた麗菜は、居心地悪そうに身を強張らせたあと、小さく頷いた。
「私を含めた他者から見ても、麗菜さんの魔力の動きが全く感知できません。使い魔の種類によっては、自己の魔力を用いて現界を果たし続ける上位精霊の存在が居ます。
可能性は低いと考えましたが、そのことを考慮してあなたについて調べました。結果は――」
「私の体からも魔力の動きどころか、魔力そのものの存在が確認できなかった、というわけか。なるほど、通りで先ほどからアルジェグラウスを呼び出そうとしても出来ないわけだ」
「アルジェ……あなたの剣のことですか? 鎧共々、こちらで預からせております」
「すまない、手間をかける。でも何故私の魔力が……」
そう呟いたとき、イセルは召喚された際の感覚を思い出す。
魔法陣を潜り抜けるときに感じた、言葉で言い表せないほどのあの喪失感を思い起こす――。
「あれかぁぁぁぁぁ……!」
人前に居るということも忘れて、頭を抱えてイセルは唸った。
「ご、ごめんなさい! 多分私のせいです! あのときの召喚魔法はその、魔法を終了させる途中で! 完全な召喚魔法だったなら、きっとこのようなことには……!」
申し訳なさそうに声を振り絞る麗菜にも反応せず、イセルは魔力を失ったという事実に打ちひしがれる。
元の世界では仮にも魔王を打ち倒し、世界を救った大英雄だ。妹に劣るとはいえ、魔力量も魔法の実力も世界最強を担っていたとの自負はあった。
実際に感じる、目の前に居る鏡花や隣に立つ麗菜の魔力量と魔法技能など、軽くあしらえるほどの実力はあった。
そんな自身の一部を失ったというのは確かに由々しき事態であり、そして最愛の少女と共に研鑚に励んできた業が二度と使えないかもしれないという事実に、決して無視できない大きさの寂寥感がイセルを襲う。
「……本来ならこんなことを頼めはしないのだろうが、魔法を失っている今、私には剣を振ることしか能がない。そしてあの剣は我が一族が代々受け継いできた王剣であり、私が死ぬまで共に駆け抜けた心からの相棒なんだ。返してもらえないか?」
顔を上げたイセルは、陰鬱さを感じさせない声で鏡花に問う。
考え込むように両手を組んで俯いた鏡花は、やがて再びイセルを見据えて。
「いいでしょう。お返しします」
「かたじけない」
「ただ条件……いえ、これはお願いですね。剣をそちらにお返しする代わりと言ってはなんですが、いくつか守っていただきたいことがあります」
「……聞かせてもらえるか?」
鏡花の目が僅かに眇められたのを見て、イセルも油断しないようにと意識を集中した。
提案された条件は至ってシンプルなものばかりだった。
まず、剣の返還のために時間が欲しいということ。
剣の携行には定められた手順が必要であるため、しばらくは持ち歩かないこと。
携行が認められても、無闇にそれを抜かないこと。
郷に入らば郷に従え。この世界の必要最低限の常識を学び、そこから外れる行動をしないということ。
当たり前な内容ばかりであり、イセルは快く了承していった。
「さて最後に。というか、これが一番心苦しいのですが……」
ここまで理知的で落ち着いた態度を崩さなかった鏡花だったが、僅かではあるが、初めてその美貌に疲れの色を滲ませた。
「イセルくん。いえ失礼、イセル王太子殿下とでも呼ぶべきでしょうか」
「構わない。そちらのお好きなように」
「ありがとう。ではイセルくん。あなたはこの世界に恐らく初めて降り立った、異世界の住人です。魔導士にとってだけでなく、空間転移や並行世界へ到達する手段を示唆し得る、科学的にも非常に貴重な存在となりました」
「かがく……?」
「その説明は追々します。ですがこのままあなたを野に放つとなれば、あなたに接触しようと様々な組織や団体、果てはこの日本を含めた多くの国家が動き出す可能性があります。そうなってはあなた自身にも不利益が降りかかったり、この世界の社会に大きな混乱を起こす可能性があります。
なので窮屈ではあるでしょうが、しばらくはこの学校であなたの身柄を預からせていただけないでしょうか」
イセルはしばらく目を眇め、鏡花を睨む。
「……いいだろう。何の寄る辺のない私からすれば、願ってもない提案だ。是非そうするとしよう」
「ご英断いただき、感謝いたします。
王族であらせられるあなたには最高級の部屋をご用意させていただきたいのですが、なにぶんここは教育機関でありまして。教職員や学生が最低限暮らせるような寮しかありません。申し訳ありませんが……」
「構わない。雨風が凌げるのならば、白亜の城だろうが
「ありがとうございます。それから芳麻さん」
「は、はい!」
固い声で返事をする麗菜に、鏡花は言葉を続ける。
「あなたとイセルくんは一応、主と使い魔の関係になります。なるべく離れない方がいいかと思いますので、あなたの部屋の隣にある空き部屋をイセルくんに割当てようと思います。
偶然の出来事であり、同情する余地がないとは言いません。ですがあなたには、イセルくんを召喚した責任があります。文字通り住む世界が違った彼にとって、見る物全てが真新しく、そして不安を抱かせるでしょう。
彼の具体的な処遇が決定するまでの間、しばらく支えてあげてください」
「……わかりました」
やや間があって、麗菜が了承する。それを聞いたイセルが再び、麗菜へと向く。
「そなたには迷惑な話であろうが、なるべく足手まといにはならないよう努力する。十分な返礼はいずれ丁重にさせてもらうつもりだ。だからどうか、今はよろしく頼む」
そうしてイセルは堂々とした態度で右手を差し出す。
しばらく麗菜は視線をイセルの顔と右手に行ったり来たりさせ、やがて少し赤らめた緊張気味の表情で。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
簡素な言葉に精一杯の思いが籠った響きの声で、イセルの握手に応じるのだった。
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