第一話(後):邂逅~少女の立場~

 この世界では魔法が科学と同様に、発展途上とはいえ学術体系の一つとなっている。

 科学もそうであるように、その起源を明確に定義するのは困難であるが、人類文明の始まりと共にすでに原始的な魔法は存在したとされている。

 使用人口の少なさや偏見、差別、迫害といった要因により、その発展は妨げられ、体系化には科学よりも大きく後れをとることになった。魔法という学問の歴史は数百年程度であるものの、科学では成しえない現象の数々は、人類に今なお大きな影響を与えている。 


 魔法を行使するための素因――魔力を発現する者は数少なく、魔法を行使する者を人は『魔導士』と呼んだ。そんな魔導士を育成、あるいは管理するために、各国は魔導士の育成機関を設立することになる。


 日本魔導士学校高等部。新一年生を迎え2週間が経つこの場所で、物語は動き始める。











 「麗菜れいな、マジサンキューッス! すっごく分かりやすかったッス!」


 「いえいえ。でも、難しいよねここらへん」


 軽快な語尾をつける女生徒に対し、黒髪の少女も、気さくで打ち解けた態度で応じる。


 「でもここまで段階を経ないと競合することが分かんないなんて、もう嫌がらせのために神様が理論組んだんじゃないのって思っちゃうッスね」


 「アハハ、そうだね。でも――」


 「何だ何だ、ボマーが偉そうに人様に教えてあげてんの?」


 嫌に耳に残る声に、同調するように笑い声があがる。二人の少女がそこに目を向けると、そこに細身の、男女問わず取り巻きを侍らせる少年が居た。


 「仲村渠なかんだかり! お前も馬鹿だなぁ、こんな知識だけ詰め込んで何もできない放火魔ボマーに聞くよりも、この有栖野ありすの信弥しんやに聞く方が何倍も有益だろうが!」


 そうして何が面白いのか分からないのに、有栖野と名乗った少年と取り巻きは下卑た笑い声をあげる。


 「あの野郎……!」


 仲村渠と呼ばれた少女は抗議の声をあげようとしたが、もう一人の少女に阻まれる。


 首を振り、薄く笑みを作って下を向く。空色の瞳の輝きが、眼鏡のレンズの薄い反射光で隠れる。


 「有栖野くんを差し置いて、私なんかが人を教えるなんて畏れ多いです。仲村渠さんはいずれ自力で理解できたでしょう。私は少し、そのきっかけを作っただけです」


 「だよなぁ! いやぁ教室見たときオレ目を疑っちゃったもん! 魔力量は学校一で入っておきながら、自分の魔力調節出来ずに、アホの一つ覚えみたいに何度も魔法を暴発させてる『放火魔』『ボマー』こと落第魔導士の芳麻ほうまに! 誰かを教えるなんてできるはずないもんなぁ! 」


 またも取り巻きと共に嘲笑する有栖野。同じ教室内の人間は苦い顔を向ける者が多いのだが、誰も諌めることができない。


 「席に就いてください。授業を始めます」


 教室に入ってきた教師の声に、有栖野は小さく舌打ちをして「は~い」と気の抜けた返事をする。自由席であるため、彼は取り巻きを侍らせながら一角を占拠した。


 「麗菜、ごめんッス。自分、友達失格ッス……」


 そうしてしょぼくれる親友に向かって、麗菜は笑みを向ける。


 「大丈夫。ありがとね、ひより。そう思ってくれるだけで、私は嬉しいから」


 「いつかあの野郎の恥ずかしいプライベートすっぱ抜いて、泡吹かせてやるのが新聞部美少女敏腕記者こと仲村渠ひよりの、高等部1年における目標ッス!」


 「自分で美少女とか敏腕なんて使わないでください……」


 そうして二人で苦笑したあと、授業に臨んだ。




 授業の本筋からやや離れ、教師が召喚魔法について生徒に紹介しているときだった。


 「せんせー。その召喚魔法、芳麻さんならできると思うんですがー」


 間延びした声で授業が中断させられる。そして教室がざわつき始める。


 「はぁ……!?」


 「ひより、落ち着いて……!」


 隣に座る親友をドウドウと宥めつつ、麗菜は教室中から刺さる同情の視線や好奇の視線に耐える。


 「……有栖野くん。どうしてそう思うのですか?」


 若い女教師は、どこか警戒の色を見せながら有栖野に問う。


 「召喚魔法。世界の裏側に居る精霊やら悪魔やら天使やらを呼び出して契約、使役する魔法ですよね? 

 魔法陣の難易度が高いのもありますけど、この魔法の難易度の一番の理由は、消費魔力量が他の魔法よりも段違いにぶっ飛んでるからですよねぇ?」


 「概ねその通りです。高等部1年生の時点ですでにそこまで知っているなんて、流石です」


 教師からの称賛の言葉に、取り巻きの生徒たちは火が付いたように有栖野を誉めそやす。


 「そこで。魔力量は多いのに全然魔法が使えない、無駄に魔力を腐らせているボマーさ……いえ失礼芳麻ほうまさんなら、もしかしたら成功するんじゃないかと思いまして」


 「あの野郎……! もうキレたっす! いっぺんぶん殴って……!」


 「ひより、本当に落ち着いて……!」


 今にも本気で飛び出しかねないひよりを、麗菜は渾身の力で押し留めている。


 「実演があった方が、ボクはともかく他の生徒も知識が身に付くんじゃないかって思うんですがー?」


 「……芳麻さん? やってみませんか?」


 「はぁ!? ウソでしょあの教師!? そんな危ない魔法を生徒に……!」


 「やります」


 「ちょ、麗菜!?」


 有無を言わさず立ち上がりながら言った麗菜に、ひよりは大きく目を見開く。


 そしてかけていた眼鏡を外して、ひよりに預ける。


 「……怪我、しないでくださいッスよ~?」


 「……善処します」


 泣き出しそうな顔をする親友に向けて、麗菜は苦笑いを浮かべた。




 「ひゅー! 眼鏡まで外しちゃってヤル気満々じゃないですか芳麻さーん! あ、先生こっちは大丈夫ですよ~。ボクがみんなの分の防護結界張っておくんで」


 そう言って有栖野は両手を前に掲げる。途端に赤い光の魔法陣が三つ現れ、クリアレッドの壁が生徒たちを覆う。その手際の良さに、取り巻き以外の生徒からも感嘆の吐息が漏れる。


 ……ひよりだけは、『こんなヤツに守られなきゃいけない自分が情けない』と表情で如実に物語っている。


 「芳麻さん、ごめんなさいね」


 教師から小声で謝罪がもたらされる。麗菜は軽く首を振り、薄い笑みを貼りつけて。


 「もう慣れっこなので大丈夫です。えと、暴発しそうになったら止めていただけますか? 間に合わなかったら最悪、先生だけでもご自身をお守りください。私はなんとかしますので」


 麗菜のその言葉に、教師は悔しそうな表情を浮かべながら了承を示した。


 「魔法式は分かる? 詠唱は?」


 「大丈夫です。どっちも覚えてます」


 「おぉ! さっすが座学席次1番の芳麻さん! その頭の中に詰め込んだ知識の数々、火薬にならずに実るといいですね~!」


 ギャハハと取り巻きたちと笑う有栖野。麗菜にとっては今更そんなことで怒りを覚えはしなかったが、血の気の多い親友がとびかからないかどうか心配で肝を冷やした。


 「……芳麻さん。始めてください」


 「はい」


 教師に促され、麗菜は集中するために目を閉じる。


 右手を掲げる。


 右手の先に、複雑怪奇な文様を多く含めた、白光の魔法陣が形成される。


 ちょうど姿見の鏡ほどの大きさだ。混沌を呈する幾何学模様は、されど、見る者に一種の感動を叩きつける。構築した者が丁寧かつ正確に、澱みなく魔法陣を形成したことによる造形美のせいだ。


 教師を含め、先ほどよりも大きな感嘆の声が教室に満ちる。面白くなさそうに鼻を鳴らしたのは誰なのかなど、言うまでもない。


 ――問題は、ここからだよね。


 より一層意識を集中し、形成された魔法陣を睨み据える。


 「回せ。廻せ。循環まわせ。

 現象を紡ぐ超常の因素。我が轍に続き、まだ見ぬ彼方へのえにし紡ぐ絹糸となれ――」


 己の内にある血液が沸騰したように、熱い流れが麗菜の全身を駆ける。

 魔法陣の輝きが徐々に強くなる。形成された魔力が魔法陣の模様を循環し始める。


 「加速せよ我が血潮。我は装置。極点に至るための発射台なり」


 「静止せよ我が精神。我は座標。彼の者が現世を目指すための灯台なり」


 「来たれ、物理の檻より放たれし者。いと眩き在り方を示す、高潔なる魂よ。我は汝の存在を証明する者――!」


 精密な光を放っていた魔法陣であったのだが、いまや凄絶な、目が眩むばかりの極光を放ち始めていた。


 「ハハっ! また暴発するぞ! お前ら、俺様の結界に隠れておけ! 先生はご自分の体守る準備した方がいいっすよ! 芳麻さんは……まあ、無駄に有り余った魔力で死にはしないっしょ!」


 待ってましたと言わんばかりの有栖野の声に反論することなど、もちろんできない。麗菜は暴走し始めている魔力を、必死に制御しようと脂汗をかいていた。


 「芳麻さん、もう結構です! 術式を破棄してください!」


 近くで見ていた教師も、緊張に満ちた表情と声で麗菜に言った。


 ――やっぱり、ダメだな私。


 幾度となく繰り返された結果に、内心で自嘲する。暴発する前に収めれば御の字だろうと、慎重に魔力の加速を緩めようとした。


 その時だった。


 どくんっ、と。


 全身が心臓になったかのような衝撃が麗菜を襲う。


 「……え?」


 そして脳裏に、見たことのない光景が次々と浮かんでいく。







 ――嘆きを見た。


 中世ヨーロッパを舞台にした映画や劇で用いられるような、簡素な村人の服を着けた人々。必死の形相で逃げる彼らを弄ぶように、自然の摂理を無視した造形の、おぞましい獣たちが蹂躙していく。


 子を。恋人を。家族を。友人を。


 理不尽に奪われ泣き叫ぶ、弱き者たちの絶望に満ちた嘆きを見た。




 ――二人の英雄を見た。


 魔獣と呼べるそれらを白銀の剣閃が打ち倒していく。青黒い血に塗れても、白銀の剣はその眩き光を失わず。返り血を浴びてなお、銀髪の少年の気高さは損なわれることがない。少年の猛々しい叫びに、男たちは鬨の声をあげる。


 傷ついた者に寄り添い、妙なる魔法を以て安らぎと癒しを与える少女。麗菜よりも一回り小さな銀髪の少女と、そんな彼女に縋る人々。彼らの嘆きに寄り添い、涙し、そして最後に希望に満ちた可憐な笑みを浮かべる。


 英雄だ。勇者だ。聖なる御人だ。神が我らに遣わしたもうた、最後の救世主ひかりだ。


 人々の期待と希望を一身に受け、世界を救わんと雄々しく進む。そんな眩しい二人の兄妹えいゆうを見た。




 ――安らぎを見た。


 果たして魔王は打ち倒され、その世界は平和へと至った。大地は息吹を取り戻し、空は陽光の祝福を再び、地上に住まう生命に与える。


 丁寧に設えられた棺の中。兄妹は共に穏やかな笑みを浮かべながら、色取り取りの花々に包まれていた。


 多くの人々が涙していた。


 救世を成した大英雄たちの死を、心から悼んでいた。


 その重荷を、若い兄妹に押し付けた自分たちを恥じていた。


 そして同時に、感謝していた。


 この世界が終わるまで、我らはあなたたちを語り継ぐ。そしてあなたたち兄妹を始め、多くの命を犠牲に得た平和を、星の命潰えるその日まで守り抜く。


 大英雄たちに向け、涙ながらに叫ぶ老騎士の言葉とともに、人々は口々に兄妹を讃えた。




 「なに……これ……」


 こんな物語を、過去に目にしたのだろうか。


 そんな思いと共に呟かれた言葉であったが、麗菜の記憶にはもちろんない。仮にあったとしても、今見た人々が見せた、どこまでも真に迫る嘆きや希望、感情は、創作物では到底表現できるとは思えなかった。


 ――この感……なに……引っ張られ……


 ――召喚……死んだ俺を……のか……!?


 頭に直接響くような声は、若い男の声。それが自分の作り出す魔法陣の向こう側から発せられたように麗菜は感じた。


 「だれ……?」


 小さく漏れ出た言葉に、魔法陣を介した『向こう側』が、大きく鳴動したような錯覚を覚える。


 ――レーナ……?


 驚愕に満ちたその声で紡がれたのは、少女の名によく似た響き。。


 ――レーナ!


 力強さを増したその声に、思わず魔力制御が疎かになる。だが奇跡的に暴発に至らず、魔法陣が徐々に、そして急速に縮小していく。


 ――待って!


 縋りつくような、必死な声。そして麗菜は、『向こう側』から何か、自分などとは比べ物にならない大いなる何かが近づいてくるのを感じ取った。


 魔法陣が収束し消える直前に、果たして麗菜の魔法は、本来の魔法の成果を遂げたのだった。


 コマ送りにされたように、麗菜はその光景がひどく緩慢な流れに見える。


 眩しさで目が眩んでいるのだろうか。映像で見た少年の黒い瞳は瞑られているが、端整な顔は歓喜に綻んでいた。


 鎧姿のまま、両手を大きく広げ。


 麗菜は少年に抱きしめられた。


 ――!?


 声に出来ないほどの絶叫が心を満たす。見た目はやや細身の印象を受けたが、こうして直接抱きしめられればその胸板の厚さ、体に回される腕の力強さは、やはり麗菜が持ちえないものであり。

 男性らしいその体に抱きすくめられて、麗菜の心臓は限界まで早鐘を打つ。


 「レーナ! レーナ! 会いたかった、ずっと会いたかった! お前を守れなかった俺にはもう、会う資格なんてないんだろうけど! 今は、本当に嬉しい……!」


 声楽家もかくやと思われる美声が鼓膜を揺らす。そこに込められた狂おしいほどの熱い感情が麗菜の心を打つ。


 「あ、あの。失礼ですが、どちら様で……」


 混乱に陥る理性の、僅かに残ったまともな部分を振り絞り、麗菜は声をあげる。


 「なに言っているんだ! 俺だよ! イセルだよ! 記憶が混乱しているのか!?」


 その名前も勿論聞き覚えが無い。それどころか生まれてこの方、このような美丈夫の外国人と関わったことなど、麗菜は一度も無い。


 必死な声で、そしてやや乱暴な手つきで体を離そうとする少年。だがその際に、胸下の際どいところが触られて。


 「ひゃう!?」


 こそばゆさが何倍にも増幅されたような感覚に、麗菜の声は瞬間的に狭窄する。


 「……ん?」


 そうしてようやく訝しさを思ったのか、少年の瞳が開かれる。


 黒い瞳は闇色や夜の暗さとは無縁の、深く静かな光を湛えていた。澄み切った視線を向けられて身が強張る。


 だが徐々にその瞳に恐慌の色が満ちていくのを見て、忘れかけていた羞恥が舞い戻り頬を染め上げる。


 「ま、待ってくれ! その、確かに君の怒りはごもっともだ! うら若き乙女の肢体を無断でズケズケと触れてしまったのは確かに重罪であるし、私もその罰を受ける謂れが大いにあるわけだが、少しばかり私の話を……!?」


 必死の弁明が少年の口から紡がれるが、混乱や羞恥に晒された少女の脳が、まともに機能するわけもなく。

 すなわち理性が擦り切れ、本能的な防御行動をとる。


 「さっさと離してください、この変態!」


 あるいは火事場の馬鹿力に似たものだろうか。

 普段の自分からは考えられないような怒声をあげて、反射的に魔力を集約した右手で、麗菜は少年の横っ面を思い切り叩き抜いた。


 崩れ落ちる騎士姿の少年。唖然とする教師や生徒たち。その矢面に立っているのが自分だと思い知ると、


 「なに、これ」


 疲れ切った声を上げて、途方に暮れたように天井を仰ぎ見るのだった。




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