白銀の英雄と落第魔導士

カシマカシマシ

第一章 Boy meets Girl あるいは少年が少女を救う物語

第一話(前):邂逅 ~少年の立場~

 ――世界は救われた。


 草木生えぬ荒れ果てた大地。奇怪かつ残忍な風貌を持つ、獣や人らしき姿の肉塊が、至る所で無造作に転がっている。

 グロテスクな照りとぬめりを見せる肉からは、鉄錆色の腐臭が放たれる。


 地獄絵図と呼んで差支えない戦場跡で、少年は仰向けに倒れていた。


 鎧は砕かれひび割れ、銀髪は泥や魔獣たちの血で薄汚れている。


 けれど右手に持つ剣――ここまで少年と共に駆け抜けつづけ、数多の魔獣や人の皮を被った畜生共を斬り屠り、そして今しがた魔王殺しを成した聖剣は、白銀の輝きを放ち続けている。


 横目で相棒に目をやったあと、緩慢な動きで空を見上げる。世界を覆い尽くそうとしていた常闇は、魔王が消滅したことで、劇的なまでに晴れつつあった。


 「やったよ、父上……母上……みんな……レーナ」


 掠れた声で満足そうに呟いたあと。

 胸からせり上がってくる吐き気に抗うことなく、鮮血を吐き散らす。胸の中心に空いた穴からは少年の命が刻一刻と垂れ流されている。


 「結局、憎しみでしか剣を振れなかった。レーナの持つ優しさなんて、俺には欠片もなかった。その報いだろうな、これは」


 自嘲気味に呟く少年は、けれど、充足感に溢れた表情で死を迎えることにした。


 「怒るかなぁ、こんな気持ちのまま世界を救った俺を。でも、いいよな。世界を救ったんだぜ? 馬鹿兄貴だったけど、向こうで褒めてくれるよな……?」


 「レーナ。俺、頑張ったよな……?」


 涙を流しながら、弱々しい動きで、光が満ち始めた青空へと手を伸ばす。


 正直少年にとって、世界の命運などどうでも良かった。

 国を滅ぼされ、両親や民の命を喰い荒らし、そして最愛の妹をも奪ったのが、魔王の軍勢であったというだけ。


 


 「イセル様ぁぁぁぁぁ!」


 遠くから聞きなれた胴間声が聞こえる。常日頃から『うるさい黙れ』と怒鳴り返していたそれも、今や遠く遥か彼方に聞こえる。


 遠かった。


 全身を泥のように包む疲労も、穿たれた胸の痛みも、唸りを上げて迫る騎士たちの声も、今や全てが遠かった。


 瞼が落ちるその直前。少年は、愛しい少女の笑顔を見た気がした。




 「イセル様ぁぁぁぁぁ!」


 倒れ伏した少年の下に集まる、千を優に超える鎧姿の戦士たち。魔王軍との全面戦争を共に少年と駆け抜け、そして魔王との一騎打ちが終わるまで下がるように少年から指示を受けていた。


 「イセル様! イセル様! おい! 早く癒術士ヒーラーをありったけ呼べ! 早く治癒魔法を!」


 騎士たちの先頭を率いて走り、胴間声を張り上げながら少年の名を呼び続けていたのは筋骨隆々の老爺。勇者として名を馳せる前から少年と共に戦ってきた、最古参の騎士であった。


 「軍団長殿。勇者殿は……イセル様は、もう……!」


 若い騎士は、そう言って、表情をぐしゃりと歪めた。


 「そんな……まだ、十六だぞ……!? 魔王を倒した、この世界を救った、世界最強の勇者だぞ!? この星に住む命全ての恩人だぞ!? 俺たちはまだこの英雄に、なにも報いていないではないか! なのに、なのに……!

 救世の大英雄の終わりが、こんな場所であっていいわけがないだろぉぉぉぉぉ……!」


 泣き崩れる老騎士。それを皮切りに、騎士たちは臆面もなく嘆いた。


 「イセル様、申し訳ありませぬ……! 我らは、貴方たちに守られてばかりだったのに……! 我らは貴方を、貴方たち兄妹を守れなかった……!」


 孫同然のように接した勇者の亡き殻を掻き抱き、ひたすらに悔恨の声をあげる。その肩に、小さな手が置かれる。

 老騎士の血を引く、癒術士の孫娘だった。


 「おじい様。イセル様やレーナ様に対して、私たちはあまりにも無力だった。あの兄妹に救世と言う名の枷を無理強いさせたのは、紛れもなく私たちです」


 可憐な美貌を悲哀に歪ませ、涙に濡れた言葉を紡ぐ。


 「でもイセル様の最期もきっと、穏やかだったんだと思います。レーナ様と同じように、こんなに静かに微笑んでおられるんです」


 その言葉に、老騎士は少年の顔を見る。妹を失ってからは笑顔を見せなかった凛々しい顔は、どこまでも澄み切った笑みを浮かべていた。


 「それにイセル様は、おじい様の謝罪なんて求めていないと思います。かけるべき言葉は、きっと――」


 孫娘の言葉を聞いて、老騎士はハッと目を見開く。そして体をワナワナと震わせたあと、酷く優しい手つきで少年の体を地面に置き、立ち上がる。


 「聞けい、同志たちよぉぉぉぉぉ!」


 荒野一面に響き渡る胴間声。年齢を感じさせない大音声に、崩れ落ちていた騎士たちは顔をあげる。


 「今日この日! 魔王は打ち滅ぼされ、この世界に真の平和が訪れた!

 これまでに重ねた犠牲は、言うまでもなく大きい! そして勇者の力を発現した心優しき兄妹に重荷を背負わせ、遂ぞ報いることが叶わなかった我らの罪は、極めて重い!」


 「なればこそ! これまで蹂躙され続けた命の果て、そして救世の英雄たちの命を糧に掴みとった平和を、我らはこの星が終わるその日まで守り紡ぎ続けなければならない!」


 老騎士の声に、憔悴しきっていた戦士たちの目に光が戻る。


 「大英雄たちの戦いはここで終わった! だが我らの戦いはこれからだ! 人という種の末路、星の滅亡、世界の終焉に至るその時まで、我らはこの平和を守り続ける!

 そして語り継ごうぞ! 魔を統べる悪しき者に抗い、散っていった命たち! そして人の世を守り世界を救った兄妹、二人の大英雄が居たことを!

 総員、立てぇい!」


 掛け声と共に、騎士たちが一糸乱れぬ動きで直立不動の姿勢を取る。


 「世界を巡り、常に微笑みを絶やさず分け隔てなく!

 弱き者を暖め癒やし続けた『灯火の聖女』レーナ=ヴィルテスク=フォレス=ファルザー!


 聖女の兄にして世界最強の武技を誇る、我ら騎士たちの至高の誉れ!

 数多の先人たちが成し得なかった魔王殺しを遂げた救世の大英雄、『白銀の煌剣』イセル=ボーデルト=ミハイル=ファルザー!

 我らに希望と平和を齎した兄妹の次なる旅路が、いと幸多からんことを願い! 敬礼!」


 ザンっ、と。一斉に鎧を打ち鳴らした音が高らかに響き、少年の亡き殻に敬礼が向けられる。

 そうして先に老騎士が、再び崩れ落ち。

 一人、また一人と、二人の英雄を思い涙に倒れた。





 ――世界は救われた。




 瘴気に汚染された大地は思い出したように一斉に花を咲かせ、空は光を取り戻した。


 そして少年は最愛の妹と共に、その名をこの世界へと刻み付けたのだった。







 「……これは、一体?」


 唐突に意識の覚醒を覚える。

 少年の物語は、終わりを迎えなかった。


 肉体は傷一つなく、鎧も聖剣も綻び一つない。


 嵐の中に居るのではないかと、イセルは思う。様々な見たことのない景色や光の形が、迫っては後ろへと流れていく。


 「この感じ……何かに引っ張られてる……!?」


 視界から入ってくる情報量の多さに、頭が混乱しそうになる。けれどイセルはなんとか状況を把握しようと努める。


 目の前に白光の魔法陣が描かれる。妹には十歩ほど譲るものの、剣だけでなく魔法にも精通する少年はそれを見て驚愕する。


 「召喚魔法の術式……!? 死んだ俺を呼び出して、何かに利用しようとしているのか……!?」


 自分が死んだあとの世界の人間だろうか。死者蘇生を試みているのか、傀儡にして利用しようと目論んでいるのか。

 どちらにせよ碌な目に遭わないだろう。そう断じたイセルは召喚陣を打ち消す魔法を放とうとした。


 ――だれ?


 空間に生じたその声に、戦慄が駆ける。


 「……うそ、だろ? なんで、お前……!?」


 聞き違いだと思った。けれどそれこそありえない。


 この声を。


 魂に刻みついているこの可憐な音色を、聞き違えるなど断じてない。


 「レーナ……!?」


 魔法陣に向けてイセルが声をかける。そしてその白い光が、その波動が、どこまでも彼女の魔力に似通っていることに気付いた。


 「レーナ!」


 張り裂けんばかりに叫ぶ。だが魔法陣は次第に小さく収束していく。


 「待って!」


 必死な思いと形相で魔法陣へと走り、強引に身を捩じ込ませる。その際に自身から何か大事な物がこそげ落ちていったような、どうしようもない喪失感がイセルを襲う。


 構うわけもなかった。


 もう一度あの声を聞けるのなら。あの笑顔を見られるのなら。

 彼女を抱きしめることができるのなら。


 それこそ、命だって差し出せる。


 「レーナ!」


 眩い光に視界が潰され目を瞑るが、気配だけで目の前の存在を察知し、迷うことなく抱きしめる。


 「え、ふぇ?」


 胸元から声があがる。やや困惑気味であるのだが、嬉しさのあまりイセルは気付かない。


 「レーナ! レーナ! 会いたかった、ずっと会いたかった! お前を守れなかった俺にはもう、会う資格なんてないんだろうけど! 今は、本当に嬉しい……!」


 「あ、あの。失礼ですが、どちら様で……」


 「なに言っているんだ! 俺だよ! イセルだよ! 記憶が混乱しているのか!?」


 抱きしめていた体を離そうとして、やや乱暴な手つきで手を動かす。


 そして両手から伝わる、ふくよかかつ柔らかな感触と。


 「ひゃう!?」


 思わずといった声で漏れた、本能を刺激する嬌声に似た声。


 「……ん?」


 ことここに至り、何かが致命的におかしいということに気付いたイセルは目を開ける。


 次第に鮮明さを取り戻していく視界。

 最愛の妹だと思い抱きしめていたはずの存在。瞳の色は記憶の中に居る彼女と同じ空色だが、その髪は白銀ではなく、濡れ羽色の滑らかな黒髪で。


 服装も少年が見たこともないような前衛的なものだ。嫁入り前の娘がそんなにはしたなく脚を晒すような真似を、あの妹がするわけないと思い直す。


 「な、何だあいつ……!?」


 周囲から聞こえてくるどよめきに目線をさっと走らせる。自分とそう歳の離れていないだろう少年少女たちが数多く居た。男女で意匠は異なるが、全員が概ね似たような装いをしていた。


 「へ?」


 間の抜けた声がイセルの口から漏れる。そしてもう一度、イセルが目の前に視線を戻す。

 目の前の少女の顔はやはり妹に似ていてるが、彼女のような華がなかった。雰囲気もどことなく陰鬱で、有り体に言えば野暮ったい。


 だがそんなことよりも。


 目の前の少女の頬が赤く染まり、瞳に涙が溜まりゆく表情に、イセルは命の窮地に立たされたような心地を覚える。


 両手に伝わり続ける感触の正体。手の位置は少女の胸の下あたり。己の手が、少女の胸を押し上げるような恰好だ。服装のせいであまり目立たないが、目の前の少女のそれは、妹のものよりも随分と豊かだった。


 「ひ、人違い……!? 馬鹿な。声も魔力の質も、全部同じで……!?」


 呆然と声をあげるイセルに対し、黒髪の少女は体を打ち震わせる。怒りによるものであると、イセルは当たり前のように理解する。


 「ま、待ってくれ! その、確かに君の怒りはごもっともだ! うら若き乙女の肢体を無断で触れてしまったのは確かに重罪であるし、私もその罰を受ける謂れが大いにあるわけだが、少しばかり私の話を……!?」


 「さっさと離してください、この変態!」


 絹裂くような絶叫と共に、頬を思い切り叩かれる。


 ――魔力の籠った、いい一撃だ。


 現実逃避気味にそんなことを思いながら、イセルは意識を暗転させるのだった。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る