第55話:激昂と憎悪
迫る刃と自分の腹部の間に、直剣を差し込む。
そしてティラノの斬撃を受け止め――踏み留まった。
ティラノの顔に、困惑とも驚愕とも取れる表情が浮かんだ。崩れた体勢から、自分の斬撃が受け止められるとは、夢にも思っていなかったのだ。
「……ああ、ああ、なるほど……今ので少し、掴めたぞ」
西田はあえて、剣で押し合う状況を長引かせた。
勿論、組討術や、
十秒ほど力比べが続いて、そうしてひとまず、足がふらつかない程度にはダメージが回復出来た。
「おい、いつまでも近くで力んでんじゃねえ。息が臭えんだよ、お前」
西田が挑発を置き土産にして、大きく飛び退き、一度距離を取った。
構えを取り直しつつ、考える。少なくとも一つ分かった事がある。この巨体が相手でも、力比べなら自分が上だという事。神気の加護を帯びた西田に力比べで勝てる者など、この世界にはいない。
ティラノは大盾の扱いを含めた守勢に長け、自分は膂力で勝る――その状況から、どう勝つか。同じく守勢に長けるシズに勝った時は、捨て身の攻撃が上手くいった。
――だが、ああいうのは今回はなしだ。いや、次もその次もなしだ。あれは、勝ったけど、勝ちじゃない。
今までの戦いを振り返る。闘気は、人間の身体能力を増強する――つまり、思考速度も増す。そう大して長くもない戦歴は、すぐに現在に追いついた。
そして――西田が、牙を剥くように笑った。そのまま剣を肩に担ぐ。
「おぉ!」
放つのは、初手と同じ渾身の横薙ぎ。
ティラノは鼻で笑いながら、姿勢を沈めた。
瞬間、西田が剣を止めた。フェイントだ。
ティラノは姿勢を低くした状態で盾を構え、対する西田は右足を前に踏み出した形。そこから――左足で、渾身の前蹴りを打った。
技量で上回る相手には、力押しも選択肢の一つ――【
鈍く、重い、打撃音。
神気の加護を帯びた西田の前蹴りが、ティラノの構える大盾を、大きく跳ね除けた。ティラノの体勢が崩れる。重心が左後方に大きく傾き、胴体を曝け出す形。
「くた……ばれッ!」
西田が剣を振り上げ、深く踏み込み――打ち下ろした。
稲妻の如き剣閃。ティラノは咄嗟に、後ろに跳んで――それでも間に合わない。
斬撃はティラノの左の角と、左眼を斬り裂いた。
角に括り付けられていた木彫りの王冠が紅く汚れて、地に転がった。
「とどめ――」
振り下ろした剣を、西田はそのまま左後方へと引き絞る。
追撃の、とどめの突きを放つ為の予備動作。そして――
「オォ……オォオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!」
西田が前へ踏み込もうとしたその瞬間、ティラノが叫んだ。絶叫、咆哮、慟哭。そのどれとも付かない、どれでもあるかのような、叫びだった。
興奮によって、切り裂かれた左眼から涙のように鮮血が溢れる。
同時にその全身から、黒い闘気が迸った。
西田がその場に踏み留まれず、押し返されるほど強烈な闘気。
「な……なんだ、そりゃ……よく分かんねえけど……ヤバそうだな! おい!」
訳の分からない現象に勇んで飛び込んでいくのは、馬鹿のする事だ。西田が後方へ跳ぶ。対するティラノは――西田へと、長剣を突き出した。
貫いたり、斬り裂く為の動作ではない。
それはまさしく、王が兵士達に号令を下すような、そんな動きだった。
瞬間――漆黒の闘気が、無数の腕と化して西田へ迫った。
「なっ……!?」
西田の表情が驚愕に染まる。
咄嗟に飛び退いて躱すと、地面がずたずたに引き裂けた。
絶影に聞いた通りだった。それは、明らかに尋常の気功術とは異なっていた。
気功術とは、生物が持つ『気』なるエネルギーを用いた戦闘技法の総称だ。
その根幹は「気合」だ。自分にはこれが出来るという気の持ちようが、そのまま力となり、現象となる。力強く、速く動ける。空気を蹴れる。水上に立てる。炎をも斬れる――そんな具合に。
つまり――自らの腕が増えて、伸びて、兵士の如く敵に襲いかかる。
そんな事は、普通なら気功術では実現出来ない。使用者が、普通の精神状態であるなら。逆説、使用者が異常な精神状態にあれば。例えば深い悲しみや、怒りや、憎しみに支配されていれば――その気功術は、時に常識を踏み躙る。
『
「よくも。よくも我が……俺の、宝物を。お前達はいつもそうだ。いつも俺の大切なものを、奪って、壊すんだ」
ティラノはその場に膝を突き、俯いたまま、何かを呟いていた。
西田にはその言葉は殆ど聞き取れなかった。
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