第56話:唯一の技
「――殺してやるぞ」
ティラノが立ち上がり、地を蹴った。
西田の眼でも鮮明に捉える事の出来ない、炸裂のような踏み込みだった。
伸び来たるのは、凶暴なまでに鋭い打ち下ろし。
速い。恐ろしく速い――だが、それだけだ。
西田は容易くそれをいなし、反撃の切り返しを打とうとして――後ろに跳んだ。
直後に、その目の前を分厚い大盾が唸りを上げて通り過ぎる。
「クソ、完全に、キレちまいやがって……!」
西田が、大盾を振り抜いた反動で、再び薙ぎ払われた長剣を弾きつつ、呻いた。
ティラノは左右の得物を、怒りと憎しみに任せて振り回している。
暴風雨の如き乱打だが、西田ならば躱し、防ぐ事は難しくない。
問題は――反撃に出る機会が、ない。
勢いの乗った攻撃というものは、例え反撃を受けても簡単には止まらない。
最早、大盾は完全に鈍器として扱われているが、隙だらけの腹を突いたところで、ティラノは止まらないだろう。
腹を裂かれ、内臓をぶち撒けながらでも、西田を叩き潰す。
これは、そういう攻撃だった。
実際――西田が、もう何度目かにもなる打ち下ろしを避ける。左後方への足捌き、同時に直剣を跳ね上げる。次手で相打ちにならずに済む距離から、対手の右腕を斬り裂く動き。刃は、ティラノの右腕を半分ほどまで抉った。
しかしティラノは止まらない。本来なら剣を握っていられる傷ではないはずなのに。大盾が轟音を奏で――長剣に切り裂かれた風が悲鳴を上げる。
今度は大盾による殴打に合わせて、身を屈めながら脛を斬った。
ティラノは怯まない。再び長剣の打ち下ろし。
右後方へ飛び退きざま、振り払った剣先で腹を薙ぐ。
ティラノは構わず、憤怒の形相で西田を追う。
「……嘘だろ」
「――亡者なんかより、よっぽど『
憎悪に満ちた闘気が、肉体の限界を超えてティラノを衝き動かしているのだ。
いよいよ、西田は打つ手がなくなった。猛攻を躱しながら、何度斬りつけてもティラノは止まらない。止めるには、もっと深く斬り込まなくてはならない。
だが、西田には確信があった。
――相討ちじゃ困るんだ。相討ちじゃあ……。
これ以上深く踏み込めば、相討ちに持ち込まれる。相討ちは、つまり負けだ。これ以上どこにも行けなくなる。そもそも、ティラノは自分の不死身めいた肉体を前提に、相討ちを狙っている可能性すらある。
相討ちにならずに、なおかつ深く斬り込む。西田が今まで見てきた、そして模倣可能な技に、戦術に、それを可能にするものは――
――いや、ある。一つだけ。
一つだけ。一つだけだった。
しくじれば――腕を失うか、首から上が飛ぶ。そんなやり方だった。
――やってやる。
逡巡はなかった。決心は、一瞬だった。
迫りくる、左から右への横薙ぎの斬撃。
西田はそれを、やや大きめに飛び退いて躱した。大盾による殴打では届かない距離へ。
果たして――それは来た。風の悲鳴を纏いながら迫る、切り払い。
――ここだ。
西田が一歩前へ踏み込んで、深く身を屈める。同時に両手で握り締めた直剣で、それを受けた。そのまま刃の上で、
つまり――『パリィ』したのだ。それが唯一、この状況を打破し得る技だった。
自らの力によって振り回されたティラノの、重心が大きく前に傾く。
右腕が前に伸び切り、左足が殆ど地面から離れる。次の行動が素早く取れない。
乱打が、途切れた。
「おぉおおおッ!!」
右へ払った直剣を、左後方へ振りかぶる。左手を離して刃の可動域を増す。そして跳ね上げ。伸び切ったティラノの右腕の、肘から先が宙を舞う。
切り返し――大きく弧を描くように、足を薙ぐ。ティラノの左足が完全に切断されて、倒れ込んだ。
「……ど、どうだ! 流石にこれならもう、動けねえだろ!」
西田が微妙に情けない勝利の雄叫びを上げた。
ティラノは――流石に右手と左足がなくては、身動きが取れずにいた。
黒い闘気は今も健在だが、少なくとも立ち上がれそうな様子は見えない。
とどめを刺すべきかと悩んで――西田は、まずはシズを振り返った。
相手はもう動けない。もし万が一あちらが、或いはアミュレが劣勢なら、加勢しなくては、と。勿論、それは単に身動きの取れない相手を殺めるという行為に対する、逃避だった。
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