第35話:休息1

 まんまと逃げられた。逃した。西田は、苦渋の表情で歯噛みした。


「……わりい、油断した」


 そうしてアミュレを振り返ると、ばつが悪そうに、そう言った。

 敵の、恐らくは最大級の戦力を逃したのだ。

 あれほどの使い手が五体満足に生きて帰れば、多くの人間にとって脅威となる。

 西田が悔やむのも、当然の事だった。


「よしてよ、あんたに謝られたら私達の立つ瀬がないでしょ。私も、みんなも、ろくに援護も出来なかったし」


 だがアミュレは困ったように、そう答えた。それから周囲を見回す。


「負傷者はいるけど、誰も死んでない。あんたらがいなかったら、こうはいかなかった」

「……かもしれねえけどよ」

「かもじゃない。絶対にそうだったさ。だから、もっと誇らしくしなよ。それとも……もしかして私に、逃げる背中をまた斬らなかったって責められるとでも思ってたの?」


 アミュレが冗談めかした調子で、西田を睨んだ。こちらが笑い話にしようとしているんだから、これ以上引きずるなと言っているのだ。


「……なんだ、そのつもりじゃなかったんですか?」

「は……俺たちゃてっきり、また喧嘩を吹っかけられるかと思ってたのにな」


 西田もシズも、その気遣いを無下にしては、かえって無礼だと冗談を返した。

 それでようやく二人の表情が和らいだ。


「そう、それでいいのさ。さて……お喋りはこれくらいでおしまい。私は後始末をしなきゃいけないし、あんた達はちゃんと体を休めてくれないと」

「後始末? 別に、俺達も手伝う気力くらい残ってるぜ」

「駄目だよ。第二陣が控えている可能性はゼロじゃないし……絶影が戻ってくる可能性だってある」

「それなら、望むところだ。戻ってきたなら今度こそ、叩きのめして――」

「だったら、ちゃんと休みを取りなよ。あいつも気づいたはずだ。あんたらは、この戦争を終わらせるだけの力があるって。無理をしてでも、奪った魔導具を全部吐き出してでも、仕留めに来るかもしれない」

「……そういや、さっきもそんな事を言ってたな」

「後始末が終わったら、ちゃんと話すよ。だからそれまでは、ゆっくりしていて」


そう言うとアミュレは二人に背を向け、他の魔術師や冒険者達の方へ駆けていった。


「……ゆっくり、か。手伝いがいらないなら、お言葉に甘えてそうするか」


 西田はそう言って、宿舎の方へと歩き出す。


「待って下さい、ニシダ。絶影やつが戻ってくるかもしれない以上、屋内は良くないですよ」

「あ……? あ、ああ……確かに、そうだな」


 閉所で、更に魔術などで視界を奪われれば、剣の取り回しは格段に落ちる。

 西田はそんな事すら考られずに宿舎で休もうとしていた。

 疲労や消耗のせい、だけではない――西田は、単にその場にいたくなかったのだ。

 大量のゴブリンの死体が転がる屋外から、立ち去りたかった。


 噛まれる前に噛まなければ、痛い目に遭う。

 それは分かっている。だが――今回は、流石に死体が多すぎた。

 殺した数も多い――接敵前の気刃だけでも、数十匹は殺しただろう。戦闘による集中や高揚が切れた今、この場に留まるのは、西田には些か苦痛だった。


「……なぁ、シズ。お前さっきの戦いで何匹くらい、殺したよ」

「なんです、急に。点数比べですか?そんなの、いちいち数えてませんよ」

「いや……なんとなく聞いただけだ」


 シズはゴブリン達を殺めた事に、何の感慨も持っていない。

 基地内に散乱する子鬼の死体は、冒険者達が乱雑に、何箇所かに山のように纏めている。まるで現代日本人がゴミ袋でも扱うような手際だった。


 彼らは、悪党ではない。モラルの欠如した精神異常者でもない。

 自分を、社会を害する者は躊躇なく殺す。この世界では、それが常識なのだ。

 慣れろ。どうせ斬る以外に選択肢はなかった――西田は何度も、自分にそう言い聞かせていた。


「ニシダ?顔色が良くないですよ。まぁ……あなたは結構、血を流していますからね。食料庫がどこか、聞いてきます」

「いや、いい。これは別に、そういうのじゃ……」

「強がりも時と場合を選んで下さい。そんなざまじゃ、次に奴が戻ってきた時、不覚を取りますよ」

「待て待て、本当にちげーんだって……」


 西田の制止も虚しく、シズは近くにいた魔術師を呼び止めた。


「すみません、何か食事を用意してもらえませんか?彼、大分だいぶ血を失ってまして……」

「だああ、もう……余計なお世話だっつうのに……」


 西田は、右手で頭を抱えて溜息を吐いた。

 もっとも、先の戦功を鑑みれば食事の用意くらい優先されて当然ではある。

 だが、それはそれとして、日本育ちであるが故か――皆が戦いの後始末に追われる中で食事を取るというのは、西田にはどうにも抵抗があった。

 なんにせよ、もう手遅れではあるが。


「それは、良くないな……おい!カボード!少し早いが食事の用意を始めてくれ!」


 魔術師は振り返って、そう呼びかけた。

 積み上げられた死体の山の前で膝を突いていた魔術師が立ち上がり、振り返った。

 髪も髭も長い、白く豪奢なローブを着た、恰幅のいい男だった。


「なんだよ、ケイン! もう腹が減ったのか!? 私ですら、まだ我慢してるってのに!」

「バカ! さっきの戦いを見てただろ! 彼らが消耗しているんだよ!」

「……ああ、なるほど! そりゃいけないな!」


 男――カボードは再びその場にしゃがみ込むと、


「やあ友人達よ。すまないが、少しだけ仕事を早めてくれないかい?」


 そう言った。

 たちまち地面から、土偶めいた、小さな人型の何かが何体も溢れ出てきた。

 土の精霊だ。風精よりもやや背が低く、代わりに丸みを帯びた体型をしていた。


「……んー、すまない。それはあげられないんだ。なくしてしまうと、どうしても困るものでね」


 カボードは何やら土精達と話をしているようだった。


「……これ? これは、うーん……仕方ないな。それで手を打ってくれ」


 やがて土精がカボードに背を向けて、ゴブリン達の死体の山へと登り始めた。

 そしてその上で何度も飛び跳ねる――と、瞬く間に死体が土色に染まった。

 土精はなおも飛び跳ねるのをやめない。

 土塊と化した死体は容易く崩れ落ちて、土の山へと成り果てた。

 そうすると、土精達は今度はそれを丸めて担ぎ上げると、どこかへと運び出した。


「やあ、英雄さん方! こっちだ!今、食事を用意するよ!」


 カボードが西田とシズに手を振って、自分と土精に付いてくるよう促す。

 向かった先には切石積みの、大きな倉庫があった。カボードの左手が虚空を奥から手前へと掻くと、重たい石の扉が音を立てて開いた。

 瞬間、倉の中から二体の精霊が飛び出して、カボードにしがみついた。

 紅と蒼――火と水の精霊だ。

 精霊達はカボードのローブを上から下まで隈なく、その小さな手で叩いて回っていた。手傷を負っていないかを調べているのだ。


「ははは……いつも心配をかけてすまないな。だが、大丈夫だ。今日も怪我一つしていないよ」


 カボードは二体の精霊の出迎えに、笑って身を委ねる。

 だが――西田とシズは、怪訝な表情をしていた。


「……ニシダ。人間達の間では、こういう『畑』が普通なんですか?」

「いや……俺も、これは初めて見た……」


 二人はカボード達の様子ではなく、その奥、倉の中を見ていた。

 倉の中には、壁一面に魔法陣が刻み込まれている。

 そして―シズの言った通り、耕された土があった。床は、奥の方には切石が敷かれて、その上に木箱が山積みにされてるが、大部分は、土が剥き出しになっている。


 西田達が困惑している間に、土精達は運んできた土団子を、その畑へと放り込む。

 土団子は、まるで石ころが湖に投げ込まれたかのように、畑に沈んでいく。


 土精達は、今度は畑の周りで踊り出した。

 その踊りに呼応するように、畑から植物の芽が生える。

 芽は見る間に成長して、すぐに大量の芋やとうもろこし、人参やレモン――多様な野菜や果物が実るにまで至った。

 それ土精達が手当たり次第に収穫しては、近くに放り投げる。

 それでも――なおも、作物の成長は止まらない。次から次へと、実っていく。


「お、おい……溢れてくるぞ!」

「大丈夫大丈夫! どうせこの後、みんなの昼食も作らなきゃいけないからね!」


 そこでようやく西田は理解した。この倉庫は要するに、植物を促成栽培する為の、ビニールハウスのようなものなのだと。


「……これって、間接的にゴブリンの死体を食ってる事にならねえか?」


 だが、それはそれとして――西田が複雑そうな表情で、ぼそりと呟いた。

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