フィジカル最強が異世界最強に成り上がる物語 ――魔王が倒され百年が経った今も、異世界最強のジョブは決まっていない――

第34話：決着

　剣閃が二つ。金属音は、響かない。

　西田の左肩の根本に、短剣が突き刺さっていた。

　首狙いの刺突を咄嗟に躱したが、咄嗟に避け切れなかったのだ。

　対する西田の斬撃は――絶影に、当たらなかった。

　奇襲に気づくのが遅すぎたのだ。

　剣を振り上げた時には、短剣は既に肩先に突き刺されていた。

　つまり、絶影の体は刃よりも更に内側にあった。

　だから――剣は当たらなかった。代わりに、それを振り回す、腕が当たった。

　絶影は、殴り飛ばされていた。

「っ、か、は……！」

　西田が呻く。

　当然だ。刃物が、自分の体に刺さっているのだ。

　刃は肩を通して、肺にまで届いている可能性すらあった。

「っ、お……おぉおおおおおッ！！」

　それでも、西田は叫んだ。叫んで、自分を奮い立たせた。

　直剣を地に突き立て、左肩の短剣を引き抜き、放り捨てる。

　蓋を失った傷口からの出血が増す――だが、少なくとも可動性は確保された。

　絶影は、今やっと立ち上がろうとしている。

　渾身の暗殺（アサシネーション）に反撃を合わせられたダメージは、決して軽くないのだ。決着をつけるなら、今――その一心で、剣を掴み、地を蹴る。

　彼我の距離は、一瞬で埋まった。西田が剣を荒々しく振り上げる。

　絶影は――右手を西田へかざした。『閃光』の魔術による一方的な仕切り直し。

　大きなダメージは受けた。だが、西田の負傷も決して軽くない。

　仕切り直す事さえ出来れば――勝機は、まだある。

「――それはもう、飽きたっつうの！！」

　だが西田は、それを読んでいた。より正確には、既に対策を考えついていた。

　そして――敵の間近でありながら、目を閉じた。

　同時に剣を振り上げた右手を、胸の前へと戻す。

　そして、激痛に構わず左手を剣の側面に添え――強く、前方へ押し出した。

　間合いなど関係なく、己の前方、全てを押し飛ばすように。

　つまり――放たれたのは、遠当て。

　絶影は咄嗟に飛び退き躱そうとして――間に合わない。

　未熟故に気の収束が不完全だった遠当ては、かえって西田の狙い通りに働いた。

　近間からでは回避困難な、前方広範囲への攻撃として。

　それは、本質的には絶影の戦術と同じだった。

　つまり本体の攻撃を避けさせ、分身で刺す。或いはその逆。

　二段構えであり、まやかし（フェイント）と本命を使いこなすその戦術を、西田は自分に実現可能な形で、再現したのだ。

「へっ……散々ボコってくれて、ありがとよ。いい勉強になったぜ」

　吹き飛ばされた絶影は、基地内のシェルターに激突。

　ずり落ちるように地に伏して――立ち上がらない。或いは立ち上がれない。

　遠当ての余波で霧が吹き飛び、その姿が露（あら）わになる――

「……っ、とどめを刺して！」

　瞬間、倒れた絶影を目にしたアミュレが、思わず叫んだ。

　絶影は特等級の要注意対象（ネームド）だ。

　何人もの冒険者が、このゴブリンに殺されてきた。

　何人もの魔術師が、殺されたのだ。

　西田もシズも、その真に迫る声音に背を押されるように、前へ出た。

　確かに、絶影は致命的な隙を晒している。決着をつけるなら今をおいて他にない。

　だがアミュレの声は、その必死さは――二人から「これほどの強敵ならば、まだ何か手札を隠しているかもしれない」という考えを、奪っていた。

　二人が絶影へと肉薄する。

　西田が剣を振り上げ、シズが振りかぶった右の手刀に闘気を集中させる。

　そして――次の瞬間、二人の目の前に絶影が二体、現れた。

とどめを刺そうとする二人にカウンターを決める形で、短剣を突き出す。

　当然、二人はそれらを無視する。

　本物の絶影は間違いなく、目の前で立ち上がれずにいる、それだ。

　分身に気刃を隠す素振りも見えなかった。

　だが――その短剣が己の胸に触れる直前。

　二人は、そこでようやく、本来ならもっと早く考慮しているべき可能性に思い至った。「これほどの強敵ならば、まだ何か手札を隠しているかもしれない」と。

　悪足掻きとして分身を作り出すなら、懐に飛び込ませる必要はない。

　むしろ視界を遮るように、大量の分身をばら撒くか、『土煙』を用いた方が遥かに効率的。「もしかしたら」――そんな考えが、二人の脳裏によぎる。

　そこから先の判断は、ただの直感だった。

　「殺し損ねる」と「殺される」、どちらがマシか。

　二人の直感は――前者を選んだ。

　西田が、シズが、咄嗟に身を躱す。

　短剣の刃先が――二人の胸部を切り裂いた。

　決して浅くない手傷――避けなければ、心臓を突き刺されていただろう。

「っ……！」

　西田もシズも、驚愕のあまり声も出なかった。

　周囲で見守る冒険者、魔術師、アミュレも同じだった。

　本物の絶影は確かに地に伏している。

　にもかかわらず、分身は確かな実体を持って、二人にて傷を負わせたのだ。

　『蜜蜂の一刺し』ではない。分身は初撃を避けられた後、隙のない構えで本体を守っている。

　――困りましたね。このスキル、この状況で相手を仕留められなかった事など、今までなかったのですが。

　しかし――絶句しているのは、絶影も同じだった。

　高密度の闘気による、実体を持った分身の生成。

　『蜜蜂の一刺し（ワンタイム・スティング）』の上位スキル――『影分身《シャドウ・スプリット》』。

そのスキルは、絶影の秘技だった。

見た者は必ず殺し、絶対の秘密として伏してきた奥義。

だが今回は、そうはならなかった。

絶影は仕損じた。奥義を見られ、その上で相手を殺せなかった。

　どうするべきか、絶影は考える。

　眼前の二人は影分身による攻撃を警戒しつつ、傷を癒やしている。

　今の内に姿を再び隠し、仕切り直す事は出来る。問題は――

　――果たして、そうしたところで、彼らに勝てるかと言えば……確信は、持てませんね。分の悪い勝負になるでしょう。

　影分身は、分身とは比べ物にならないほど闘気を消費する。

　既に極限の戦闘によって疲労した絶影では精々、あと一体が限度。

　三体の影分身と、疲弊した本体――西田とシズに勝てるかは、怪しいところだ。

　それでも、時間は有限だ。いつまでも悩み続ける事は出来ない。絶影は決断を下した――傍に転がっていた同胞の手から折れた剣を取って、姿を消す。

　同時に、二体の影分身が西田とシズへ襲いかかる。

　影分身のそれぞれが『蜜蜂の一刺し』を駆使し、仕掛ける、怒涛の連撃。

　刹那に十重二十重と迫る刃を躱し、防ぎ――しかし、二人は反撃に転じられない。

　姿をくらませた本体が、いつ致命の一撃を放ってくるか分からないからだ。

　単純な攻防の速度ならば、二人は絶影に勝っている。

　だが、いつ来るか分からない不意打ちを警戒しながらでは当然、パフォーマンスは落ちる。影分身と二人の攻防は、互角。

　――いつでも来やがれ。絶対に見逃さねえ。出てきた瞬間に斬り落としてやらあ。

　西田は腹を括って、迫る猛攻を凌ぎ続けた。

　そして――不意に、二体の影分身が消えた。

　隠密ではない――まるで砂が風に吹かれて散るように、消滅したのだ。

「……まさか」

　西田が呆然とする一方で、ふと、シズが張り詰めた声を零した。

　それから更に数秒、静寂の時が続いた。

「あの野郎……まさか、逃げやがったのか！？」

　ようやく、西田もその可能性に思い至った。

「……分かりません。或いは、そう思わせる事こそが目的かも……」

　だが――確認が取れない。

　それすらもブラフである可能性を考えると、戦闘態勢は解けない。

　さりとて、ずっと周囲を警戒している訳にもいかない。

　他の冒険者や魔術師にしても、いつまでも結界に閉じこもったり、守りを固めている訳にはいかない。

「……私が確かめるよ。護衛して」

　最初に動き出したのは、アミュレだった。

　彼女が長杖を頭上に掲げると、柄に刻まれた紋様に魔力の光が流れる。

　光は先端の頭骨へと至り、その口部から風が溢れて――しかし刃を形成する事なく、掻き消えた。

「……今のは」

「……この杖の術式が感知出来る間合いには、もういないって事さ」

　アミュレはそう言うと、小さく嘆息を零した。

「――逃げられたね」