第26話:獣牙VS槍術

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 子鬼ゴブリンの雑兵達が基地内へと着地し始めたのは、西田が緑鬼の強襲を受けてから、すぐだった。その中から十数匹ほどが、緑鬼と対峙する西田の背を刺そうとそちらへ駆け寄った。

 ゴブリンどもは戦術の貴賤など選ばない。

 当然だ。憎き侵略者どもを殺すのに、手段を選ばない理由などない。


「させませんよ」


 しかし――シズが、それらの行く手を遮るように前方へ回り込む。

 そうして拳打と足刀をもってゴブリンどもを蹴散らした。

 移動から撃滅まで、瞬きほどの間に起きた出来事だった。


 死を恐れない子鬼ゴブリンの雑兵達が思わず、たじろいだ。

 恐怖によってではない。

 純粋に、自分達では打つ手がない――身体能力、技量では叶うはずもない。人海戦術で圧倒しようにも一体何匹で群がれば、シズを抑え込めるだろうか。十匹ほどでは一瞬だった。それが二十匹になろうと、一瞬が一呼吸に変わるだけだ。三十でも足りない。五十でも、百匹いても、まるで足りないだろう。

 そう確信させられたが故の、硬直だった。


「……やるじゃないか、あんた」


 ふと、シズの視界外――背後から声が聞こえた。

 振り返ってみれば、アミュレが戦闘中とは思えない静かな足取りで、近づいてきている。周囲の戦況を確認したり、ゴブリンを警戒する素振りすら見えない。

 当然、ゴブリン達はその無防備な背中を刺し、頭を殴りつけるべく飛びかかる。

 だがその瞬間、アミュレが手にする長杖から、風の刃が独りでに迸るのだ。

 それらは自由自在にうねり、襲い来るゴブリン達の首を刎ね飛ばしていく。


「あなたこそ……それ、どうやってるんですか?」

「これ? ……これは単に、こういう魔導具ってだけだよ」

「……便利ですね」


 敵へと追尾する、自動で発射される風の刃。

 それが役立つのは、何もこのような大規模な戦闘だけではない。

 一対一の戦いでも、対手の思考と行動を著しく制限し得るのは明白だ。


「ですが、それ一本だけなんですか? もっと沢山用意すれば――」


 敵の技に無知であるという事は、それだけで敗北の可能性を跳ね上げる。

 最強を志すならば、己が使い得ぬ技にも精通していなければならない。

 探りを入れるように、シズは尋ねた。


「出来るものなら、とっくにしてるよ。これには――」


 不意に、アミュレが息を呑んだ。

 そして険しい表情で、長杖をシズへと突きつける。

 より正確には――シズの背後から襲い掛かる、斧槍ハルバードを振り上げた、背高い緑鬼へと。


「――ああ、お気になさらず。どうぞ続けて……」


 直後、シズの全身が旋風の如く躍動した。

 身を屈めながら、右足を軸に体を半回転。

 振り下ろされた斧槍を、まるで背後が見えているかのように、最小限の動きで回避。そのまま地を蹴り、回転の勢いを殺さぬまま跳び上がり――眼前の緑鬼に、右後ろ蹴りを叩き込む。

 一瞬にも満たない間の出来事だった。


「……いえ。やっぱり、話は後にしましょうか」


 だが、その超速の反撃を、斧槍使いの緑鬼は防いでいた。

 振り下ろした斧槍を巧みに操り、柄を用いて防御したのだ。

 槍は斧刃が地面に食い込んでいた。つまり、衝撃を地面に逃がす事が出来た。

 故に後退こそさせられたものの、ダメージはなく、体勢も崩していない。


「すぐに、終わらせますから」


 言うや否や、シズは得手である守勢に回らず、前へ踏み込んだ。

 敵と味方の比率という観点で見れば、この基地は既に敵地と言って差し支えない。

 戦いが長引いて有利なのは緑鬼の方。それ故の判断だった。


「ふ……ッ!」


 緑鬼が放つ迎撃の刺突。

 それをシズは、獣牙の構えからで踏み込みながら、左の手刀で外に弾く。

 そうして槍の間合いの内側に潜り込んだ。

 緑鬼にシズを突く事は叶わない。

 対してシズはあと一歩踏み込めば、緑鬼を完全に間合いに捉える。

 股間を蹴り潰すもよし、心の臓を打ち抜いてもよし、下顎を打って頚椎を砕くもよし。如何様いかようにでも緑鬼を殺せる――


「甘イナ」


 とは、いかなかった。

 緑鬼は後ろへ飛び退きながら、弾かれた槍を鋭く振り戻す。

 槍頭から突き出した斧刃で、シズを切り裂くように。


「っ……!」


 シズはすぐに緑鬼の狙いを察した。

 そうして瞬時の判断で、四つ這いになるほど身を屈め、斧刃を回避。

 顔を上げ、改めて追撃を図り――間に合わない。

 緑鬼は既に斧槍を振り上げていた。再び迫る打ち下ろし――側方へ転がり回避、そのまま後方へとまろび逃れる。


「――シズ!」


 ふと、シズの視界の外から、彼女の名を呼ぶ声が聞こえた。

 西田の声だ。

 緑鬼から目を離せる状況ではないが――彼がどんな表情をしているのかは、想像がついた。西田の声は張り詰め、強張っていた。


「……血のにおい。不覚を取りましたね?」


 シズは、十分な余裕を帯びた声音で答えた。


「一応、あなたは私に勝っているんですから。しっかりしてくれないと困りますよ」

「……折角、人が心配してやってんのに、随分と余裕そうじゃねえか」

「あら、分かりますか? 実は、その通りなんですよ」


 シズは四つ這いの状態のまま、ふっと笑った。

 そしてゆっくりと、立ち上がる。

 再び対峙するシズと緑鬼――西田は周囲のゴブリンを迎え撃ちつつも、ついそちらを、目で追ってしまっていた。


 緑鬼が疾風の如く突きを繰り出す。

 シズはそれを足捌きで躱し――しかし前には出ない。

 単に先ほどと同じ動きを繰り返しても、事態は好転しない。

 躱し、捌く――それが四度、五度と続く。


「――おい、あんた! 何やってんのさ!」


 アミュレが、不意に声を発した。


「あんた? おい、誰に話しかけてんだよ!」


 西田が、押し寄せるゴブリン達を次々に切り払いながら、叫んだ。


「あんたに決まってるだろ! 何やってんだ! 雑魚なんか放っておいて、ツレの援護をしなよ!」


 右手の長杖で敵を散らしつつ、左手で『風の矢弾エアロ・ボルト』を放ち方々の緑鬼を射抜きながら、アミュレが叫び返した。


「手配書を見てないの? あいつは“石貫きロックピアサー”……一等級の冒険者が二人もやられてるんだ。あんなチビっ子――」


 直後――アミュレの言葉を掻き消すように、重い打撃音が響いた。アミュレが振り返ってみれば――シズの足元で、頭を砕かれた石貫きが倒れていた。


「――あんなチビっ子が、あんなに強えんだから、たまんねえよな」

「ニシダ、聞こえていますよ」


 一体何が起きたのか――西田には、その一部始終が見えていた。


 石貫きの戦術は徹底的だった。

 徹底的に、シズが一足飛びに踏み込めない間合いから、刺突を繰り出す。

 それを繰り返していた。


 突きを放ち、槍を引き戻す際に柄に捻りを咥え、斧刃で斬り付ける。

 突きが斬撃の予備動作となり、斬撃が突きの予備動作となる。

 一切の無駄なく円環する連撃に、隙はない。


 手刀による弾きパリィも――石貫きは背高く、得物は槍。

 その間合いは長い。シズも一歩では踏み込めない。

 しかし二歩進み、拳を打ち込むには、斧刃の戻りが早い。


 無論、闘気に増強された身体能力ならば「飛び込む」事は出来る。

 だが――対手とて、気功術により視覚を含めた身体機能を増強しているのだ。

 ただ矢のように飛び込んでは、身体の精妙な操作が出来ない。容易く切って落とされて、終わりだ。


 石貫きは、ひたすら同じ事を繰り返していればよかった。

 眼前の小さな獣人は、確かに優れた身のこなしをしている。

 安全策だけでは決め手に欠けるかもしれない。

 けれどもこの戦場では、決め手なんてものは戦いの外からやってくる。


 討ち漏らされた子鬼達の横槍が入るのを待ってもいい。

 戦友の緑鬼達が不意打ちを仕掛けてくるのを待ってもいい。


 無論、他力本願だけが勝算ではない。石貫きは突きと斬撃を避けさせながら、殺された子鬼から流れた血溜まりへとシズを追い込んでいる。

 シズが足を滑らせればそれが決め手となり、罠にかからずとも不利益はない。


 しかし――不意に、シズは刺突に合わせて前へ出た。

 対する石貫きは――怪訝に思いながらも突きを打ち切る。

 この小娘の矮躯ではどう足掻こうと、踏み込み一つでは拳は届かないと。


 そして――鈍い音が響いた。

 血肉に包まれた骨が折れる音。

 石貫きの顔が、苦悶と驚愕に歪んでいた。


 シズの取った戦術は先の攻防と変わらない。

 ただ前に踏み込みながら、槍を弾くだけ。

 ただし、今度は――刺突を避けると同時に体を一回転。同時に腕を伸ばし切り、遠心力を帯びた裏拳で、槍を、保持する左手ごと殴り付けた。

 槍を突き出すには当然、緑鬼は左手を伸ばし切らねばならない。

 そこを叩くなら、踏み込みは一歩で事足りた。


 その時点で、石貫きの敗北は決まっていた。

 左手が潰れ、右手だけでは弾かれた槍を御し切れない。

 シズが更に一歩踏み込み――そのまま地を蹴り、跳んだ。


 軌道は前方宙返り――気付けば、石貫きの眼前に、シズの踵が迫っていた。

 石貫きは――そのまま頭部を蹴り砕かれて、死んだ。

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