第25話:魔力の流れ3

「――敵襲! 敵襲だ! とんでもない数が押し寄せてくるぞ!」


 不意に、立哨を務める猟兵の、悲鳴じみた叫び声が聞こえた。

 一秒ほど遅れて、無数の枝葉が擦れ合う雑音が、獣の咆哮のように周囲に響く。

 アミュレが反射的に、森の奥を振り返って樹上を見上げた。

 西田も、一体何が起きているのかと、それに倣う。


 塔のように巨大な樹木の、枝の上。

 最初は、そこで激しく葉が揺れ動いているように見えた。

 だがすぐに気がついた――動いているのは葉ではなく、数え切れないほどのゴブリンの軍団だと。数百ものゴブリンが、枝から枝へと飛び移りながら、急速に基地へと接近しているのだ。

 体格や装備は個個別別。だが、どの個体も木の葉を加工した仮面をしている。目元の部分があえて細く見辛く作られた、呪いの地上絵を直視しない為の装備だ。


「な……なんだよアレ! ゴブリンって……あんなに攻めてくるのかよ!」

「そりゃ、連中は子鬼。種族としては妖精みたいなもんだからね。人間よりずっと早く増えるのさ……怖気づいたかい?」

「誰が……って言いてえけど、これはちょっとヤバくねーか!?」

「ヤバいよ。だから……何をぼさっとしてんのさ! 今の内に数を減らすんだよ!」


 アミュレは叫ぶや否や、長杖を頭上へかざした。

 表面に刻み込まれた紋様に魔力が走る。

 瞬間、数十の風の刃が上方へと迸り――ゴブリン達の間をすり抜ける。

 すれ違いざまに、その緑色の頭を、熟れた果実のように切り落としながら。


「……ぼさっとしたくて、してる訳じゃねえけどよ」


 一方で西田は剣を抜き――しかしそれきり動けないでいた。

 ゴブリン達の兵数に怯んだのではない。

 ただ闘気を用いた遠距離攻撃を行った経験が、西田にはなかった。


 『遠当てプラナ・ストライク』や『気刃オーラ・ブレード』といった技術スキルに関して、昨夜、シズからコツを聞くくらいの事は出来た。

 出来たのだが――


『いいですか? 一番大事なのは、気の持ちようです』

『勘弁してくれよ。脳みそまで闘気で回ってんのか?』

『ぶん殴りますよ? ……仕方ないでしょう。私もそう教わったんですから。獲物が遠くにいようと関係ない。拳が当たると信じて突きを打てって』

『……他になんか、コツみたいのはないのか?』

『コツ、ですか……ううん、あると言えばありますが……実戦じゃ使えない方法ですよ?』


 といった調子で話は終わってしまった。

 試しに剣を振ってみようにも、街中では万が一成功した時に大惨事だ。

 故に練習も出来ていない。


「畜生、やってやらあ……!」


 だが、それでも西田は剣を振りかぶった。

 ぼさっと突っ立っていていい状況ではない――出たとこ勝負で、やるしかないと意を決したのだ。


『――それでもいいから教えてくれ。練習の時だけでも、役に立つかもしれないからな』

『……まぁ、そうですね。簡単ですよ。目を瞑るんです。距離なんて、見えているから迷うんですよ』


 シズの助言を思い返す――歯を食い縛り、目を固く閉じる。

 何も見えない。だが見える必要もない。

 刃が描く軌跡の先にあるもの全てが斬れるなら、目が見えている必要は、ない。


「だあああああっ!!」


 半ば破れかぶれに、西田は剣を振り抜いた。

 暴風のような風切り音が轟き、一瞬遅れて目を開く。

 見えたのは胸や腹を切り裂かれ、宙に投げ出された、数十体のゴブリン。


 人と同じ形をした生き物を斬った。

 それでも――西田の口元に思わず、牙を剥くような笑みが浮かんだ。


「や……やったぞ! おい見たかよ、シズ!」

「闘気がちゃんと纏まってません。私なら、あんなの小突くだけで打ち消せますよ」


 シズは素っ気なくそう言いつつも――満更でもなさそうに、微笑んだ。


「……まっ、私も最初は似たようなものでしたけどね」


 そして――シズの靭やかな右脚が、鋭く天を衝く。

 響くのは、まるで研ぎ澄まされた名剣が奏でるような、冷たい風切り音。

 直後、蹴りの軌道上にいたゴブリン達が真っ二つに切断された。


「ちゃんと鍛錬を積めば、これくらいは出来るようになりますよ」

「……何年かかるんだか」

「わりと、すぐでしたよ? 一週間くらいで……」

「……多分だけど、それ、お前だけだぜ」


 シズの天稟にいちいち驚く事の不毛さを思い知った西田は、気を取り直し、二発目の気刃を放つべく再び剣を振りかぶる。


 しかし、それは叶わなかった。

 数百のゴブリンの群れの中に混じった、一回り体格の優れた個体。

 その内の一体が周囲の雑兵を掴み上げ――西田めがけて、放り投げたからだ。


「なっ……何やってんだ、あいつ!」


 予想外の反撃に、西田は思わず怯んだ。

 その間にもゴブリンの雑兵は砲弾の如く迫ってくる。

 それも一匹ではない。何匹もだ。


「ちぃ……!」


 気刃で斬り落とすべく西田が剣を振るう。

 だが――降り注ぐゴブリンに対して目を閉じる事が、本能的に出来なかった。

 その上、驚きによって集中力も乱れている。

 放たれた気刃は酷く不完全で、ゴブリンの砲弾を切り裂く前に霧散してしまった。


「ああ、畜生……!」


 やむを得ず、西田は切り返しの刃で直接ゴブリンを斬った。

 一匹、二匹と――西田の視界に、血と臓物が広がる。


 そして――その隙に一匹、西田の背後へと着地した個体がいた。

 ただのゴブリンよりも体格の優れた進化個体――緑鬼ホブゴブリンだ。

 木の枝や幹を蹴りながら、ただ飛び降りるよりもずっと素早く降りてきたのだ。


 仮面を剥ぎ捨て、死角へ潜り込んだ緑鬼――両手で握り締めているのは、華美な装飾の小剣ショートソード。元々は、この森を訪れた人間の所持品だったであろう得物。


 その細身の刃が鋭く、閃く。

 刺突だ。狙いは腰のやや上、背骨の脇――腎臓。

 損壊すれば激痛と大量の出血を招く、急所である。


「くっ……!」


 一瞬遅れて西田が振り返る。

 反撃も防御も間に合わない。

 それでも辛うじて、咄嗟に身をよじりながら、後方へ飛び退く。

 緑鬼の刃は――西田の着衣、その腹部を裂くのみに留まった。

 西田はすぐさま剣を振りかぶり、そのまま袈裟懸けに斬りかかった。


 眼前の緑鬼はゴブリンよりも背高いが、それでもシズと同程度。

 得物と身長の差から間合いで勝るのは己の方。

 ならば工夫など必要ない。

 相手の間合いの外から斬り付けるだけで勝てる――はずだった。


 緑鬼は――右足を半歩引き、上体を反らす。

 その僅かな動作だけで、西田の斬撃を躱してのけた。

 低いという事は、遠いという事。

 魔物じみた、本能任せの回避ではない。

 確かな術理を帯びた避け方だった。

 とは言え――シズと比べてしまえば、技量はずっと低い。

 彼女ならば避けず、逆に鋭く前へ踏み込み、カウンターを決めていただろう。


「……ヒヒ、ヘタクソ」


 緑鬼が、喋った。珍しい事ではない。

 この世界にバベルの塔はない――故に言語というものを、全ての知性ある存在が共有している。亜人であれば、程度に差はあれど言葉を発する事が出来ても不思議ではない。


「うるせえ」


 ――避けただけで、いい気になってんじゃねえ。


 さておき――西田の考えは、正しい。

 緑鬼はあくまで攻撃を避けただけに過ぎない。

 ならば返す刃でもう一度斬り付ければいいだけ。

 緑鬼は既に右手の小剣を振りかぶっているが――西田の剣速ならば、切り返しが間に合う。そして正面切っての打ち合いで、西田が負ける訳がない。


 そして――気付けば西田の眼前に、短剣が迫っていた。

 緑鬼が左手で後ろ腰から抜き、放ったものだ。

 右手で剣を振りかぶる動作は、その動作を隠す目眩ましに過ぎなかった。


「うお……!」


 緑鬼を斬る気でいた西田は、反応が遅れた。

 辛うじて短剣は弾いたが、それは単に、避けられなかったという事だ。

 構えは完全に崩れている――すぐさま斬撃を繰り出す事が出来ない。


 その隙に、緑鬼が前へ踏み込んだ。

 振りかぶった小剣が、稲妻のように、横一文字に閃く。

 西田は防御も――回避も、出来なかった。

 がら空きの腹部を切り裂くように、刃が奔る。


 緑鬼がほくそ笑む――勝利を確信した笑みだった。

 事実、先の斬撃は致命打と称して差し支えのない一撃だった。

 もしも――西田に神気の守りがなければ、間違いなく命を落としていただろう。


 だが――実際には、西田は死ななかった。

 刃は学生服と、皮膚と、腹筋を浅く切り裂いて、内臓にまでは届かなかった。

 故に緑鬼の得た勝利の確信は、単なる油断にしかならなかった。


「いっ……てえな、この野郎っ!」


 よろめきながらも、西田は力任せに剣を薙いだ。

 構えも崩れ、踏ん張りも利かぬまま放った斬撃は――しかし緑鬼の左腕に容易く、深く食い込んだ。これもまた、神気の加護があればこそだ。


 声にならない悲鳴を上げて、緑鬼は半ば倒れるように後方へ退いた。

 そして己の左腕を見る。

 大量の血が噴き出す傷口――腕は骨まで断たれ、辛うじて千切れていないだけの状態。当然、左手の感覚はない。

 出血は闘気で抑えられる。

 しかし――目の前の剣士は戦慣れこそしていなかったが、力強く、素早い。

 片手落ちで勝てる相手では、断じてない。


 緑鬼は――薄ら笑いと共に、小剣を左方へ深く振りかぶった。

 鞘こそ帯びていないが、居合のような構えだった。


「……悪いな」


 対する西田は――剣を振り上げ堂々と、一歩踏み込んだ。

 相手は手負い。今更どう足掻こうと、己が打ち負ける事はないと。


 だが――振り上げた剣を、振り下ろすまでの、ほんの一瞬。

 その中で西田は、不安を掻き立てる胸騒ぎを――直感を得た。

 それは無根拠な第六感ではなく、経験による無意識からの警告だった。


 手負いの緑鬼は、最早どう剣技を放とうと勝ち目はない。

 にもかかわらず何の工夫もなく、剣を振りかぶる事があるだろうか。

 思えばつい先ほどの攻防も、そうだった。

 緑鬼は勝てるはずのない状況であえて剣を振りかぶっていた。

 そうして西田に勝機を感じさせて、その実、左手では短剣の投擲スローイングを準備していた。


 ならば今度も、必ず何かある。

 刹那の思考を経て、直感は確信に変わった。


 そして――人間の脳は、“そこにある”と知っている物に対して認知能力が向上する。緑鬼の勝機は最早、剣技にはない。

 ならば――秘められた手が何であるかも、察しはつく。


 緑鬼の視線は、西田の胸を刺すように見据えている。

 加えて、小剣が帯びた華美な――魔術の紋様にも見える装飾。

 そこに、何か目に見えない力が走るのを、西田は確かに感じ取った。

 そして――咄嗟に身を躱した。


 直後、西田の眼前で青白い光が閃いた。

 ばちん、と空気の爆ぜる音を一つ残して。

 魔法陣を刻んだ小剣の柄から放たれる、稲妻の槍。

 それが緑鬼の、切り札だった。


「今のが、魔力……!」


 緑鬼は、西田が『稲妻の槍ライトニング・スピア』を躱せるとは思ってもいなかった。故に驚愕と、自分が完全に詰みに陥った事による戦慄に顔を引きつらせ――そのまま、首が飛んだ。


「……殺そうとしたのは、お互い様だぜ」


 罪悪感を吐き出すようにそう呟くと、西田は周囲を見回した。

 ゴブリンの雑兵達は既に基地内のあちこちに着地し、乱戦を引き起こしていた。

 数匹、何を血迷ったか――戦闘を終えた直後の今ならば、と西田に飛びかかった。

 西田はそれらをろくに見向きもせず、瞬く間に切り伏せた。

 それから一度だけ深呼吸をして、斬られた腹の治癒を促す。


「……そうだ、シズはどうしてる」


 治癒が終わると、西田は旅の道連れを振り返る。

 彼女の身を案じてというより、単にその戦いぶりを伺おうといった心算だった。

 シズは強い。もし今すぐ再戦すれば、自分はまず勝てないと西田は理解している。


「……シズ?」


 故に振り向いた先で、槍を振り下ろした体勢の緑鬼と、その前方で地に倒れ伏すシズが見えた時、西田は呆然と彼女の名を呼ぶ事しか出来なかった。

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