第27話:和解1

 シズの足元に、頭を砕かれた石貫きの死体が転がっている。

 アミュレはその光景を、呆然と見ていた。


 石貫きは緑鬼の中でも百戦錬磨の戦士だった。

 背高く、手足の長い、理想的な槍使い。一等級の冒険者をも真っ向から突き殺すほどの業前。そうして奪った斧槍を、手足のように使いこなす才能。

 文句の付けようがない、歴戦の勇士だった。

 それをシズは、いとも容易く討ち破った。


 西田も手傷こそ負っているが――子鬼を蹴散らすその動きに陰りは見えない。

 それどころか、受けた傷からの出血は既に止まっている。

 戦闘中に動き回りながらでも、治癒が進むほどの自然治癒力があるのだ。


 二人とも明らかに、他の冒険者達とは、動きが、ものが違う。

 特別案件の第一線に派遣してもよいと見定められた、一等級の冒険者よりも、更に、遥かに。アミュレが呆然とするのも、やむない事だった。


「――おい!」


 不意に、西田がアミュレを振り返って、声をかけた。

 そして駆け出し地を蹴ると、彼女の頭上にまで飛び上がって――樹上からの急襲を図った子鬼どもを切り払う。


「何をぼうっと突っ立ってんのさ、だったか? 何やってんだ。大丈夫かよ?」


 着地を果たした西田は、改めてアミュレに尋ねた。

 呼びかけは、基地に向かう途中でかけられた言葉の意趣返しではあったが、責めるような口調ではない。

 あくまで、何らかの不調に襲われているのかを案じた声音だった。


 アミュレが、西田を睨み返す。


 アミュレは、冒険者が嫌いだ――憎んでいるとさえ言える。

 このエスメラルダの森にゴブリンが大量発生したのは、もう三年も前の事だ。

 当初は、カルブンクルス研究院の魔術師達が討伐に出た。

 だがゴブリンは予想以上に多く、そして通常よりも遥かに狡猾だった。

 魔術師だけでは討伐は難しいと判断した研究院は、冒険者協会に支援を要請した。


 そして冒険者が――闘士達が集まってきた。

 その殆どは、魔術師の事を見くびっていた。


 魔術師達はゴブリン退治もまともに出来ないのか。

 最初から闘士の装備だけ作っていれば良かったものを。

 そうでなければ、畑の土にでも魔法をかけて、喋る林檎を育てているのがお似合いだ。魔術師に魔導具の製作を依頼しながら、そんな事を嘯く者すらいた。


 だが――冒険者達が集った後も、事態は好転しなかった。

 塔の如く背高い木々と、ゴブリン達の数と短躯は、あまりにも相性が良すぎた。

 冒険者達は数ヶ月ほど断続的に死人を出して、その内、誰も特別案件を受けなくなった。残ったのは、ゴブリン達に奪われた多量の装備品――それと一人の少女の、冒険者への嫌悪感だった。


 結局、ゴブリン達との戦争は魔術師達の仕事になった。

 冒険者がいようがいまいが、放っておけばゴブリン達は増え続け――やがては街にまで出てくるのだ。

 魔術師達は様々な魔導具を、攻性魔術を開発して、陣地構築を繰り返し、少しずつ戦線を上げていった。何人もの魔術師がその過程で死んだ。


 神の奇跡に頼らぬ治療術を研究していた魔術師達がいた。

 負傷者の増加によって前線に出ざるを得なくなって、やがて殺された。


 魔術の農業利用――土壌の調整や農作物の品種改良を研究していた魔術師達がいた。広大な森の陣地構築には人手が必要だった。

 必然、前線に出る機会は増えて――やがてゴブリンの襲撃を受けて殺された。


 戦場に立つ魔術師達の殆どは、研究者であり、教師だった。

 メイジャとて――かつては、ただの女学生だった。学徒動員という訳ではない。

 ただ彼女には魔術の才能と、弱い心があった。

 心弱き故に――彼女には堪えられなかった。

 師と仰いだ魔術師達が、戦場で死んでいって、死体も形見も戻ってこない――そんな現実に。


 メイジャはこのエスメラルダの森で何百と、或いは千にも及ぶほどに、ゴブリンを殺した。殺し続けた。

 そして――また、冒険者達が来た。最強を目指す為の、踏み台に足をかける為に。


 メイジャの嫌悪感が、憎悪へと変貌するのは、自然な成り行きだった。


 冒険者が来た事で、人手が増えて、前線の押し上げは楽になった。

 だが、だからと言ってメイジャの憎悪が収まる事はなかった。

 三年前と同じように、魔術師をあざける冒険者はいた。

 戦功を求めるあまり独断専行して死んでいく冒険者もいた。


 アミュレは、冒険者が嫌いだ――憎んでいるとさえ言える。


「……悪かったね。手間をかけた」


 だが――己の非に目を背けてまで怒り狂えるほど、彼女は愚かでもなかった。


「いや、別に悪かったとか、そういうのじゃないんだけどよぉ」

「ふん……魔法の撃ちすぎで息切れでもしましたか? それなら、そうと言って下さいよ。庇ってあげますから……仕方なくですけど」


 西田とシズは周囲の警戒をしつつ、あくまでアミュレを案じる姿勢を崩さない。二人とも激昂しやすい性質たちではあるが、陰湿な報復を望む性格ではない。


 アミュレは、西田の背を見ていた。

 その表情は――苦しげだった。

 自分の考えていた事が、間違っていたと認めるのは、苦しい事だ。

 だが睨むような、突き刺すような嫌悪の眼光が、彼女はもう保てていなかった。


「……息切れだって? 馬鹿を言いなよ」


 そして――アミュレは手にした長杖を、高く掲げた。

 彼女の右手から、柄に刻み込まれた紋様へと魔力の光が流れ込む――眩いほどに。

 魔法陣や秘文字を介する魔術は、その回路に変化がない限り、常に一定の現象を呼び起こす。ただし、出力に関してはその限りではない。より多くの魔力を注ぎ込めば、当然、発生する現象の規模は強化される。


 つまり――数え切れないほどの、風の刃が迸った。

 基地内に降り立ったゴブリンも、樹上の伏兵として待機していたゴブリンも、駆け抜ける風が首を刎ねていく。基地のあちこちで冒険者と対峙していた緑鬼ホフゴブリンにも、それは襲いかかった。

 何匹かの緑鬼は、死角からの急襲に為す術もなく死んだ。

 何匹かは咄嗟の反応で風の刃を躱し、或いは防いだが、その隙を突かれて敗れた。

 風の刃と、対峙する冒険者の追撃、両方を捌けたのは、ほんの僅かだった。


 怒号、悲鳴、剣戟――戦場に入り乱れる無数の音。

 その全てが、ほんの一瞬だが、静まり返った。


「……すげ」


 西田は、思わず身震いしていた。

 恐怖ではない――戦慄にも似た感動が、西田を打ち震わせたのだ。

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