第8話:執念

 シズは獣人の中でも、子犬族デクス・テリアと呼ばれる種族として、この世に生を受けた。子犬族はその名の通り、遺伝的なレベルで体躯の小さい種族だった。

 一方で忍耐力や持久力、学習能力は他の犬人族と比べても優れている。

 故に彼らが修める闘法は必然、猟兵や魔術師のものに傾倒していた。


 そんな種族に、しかしシズは武芸に強く惹かれる魂と――同族内においては文字通り頭抜けた体格を持って生まれた。

 加えるなら、武芸への憧れを体現出来るほどの才能も。独学で狼拳を習得した。群れのどんな猟兵も魔術師も及ばないほどに、技を磨き上げた。

 しかし――彼女の才が称賛を浴びる事は殆どなかった。


 誰もが彼女にこう言った。

 やめておけ。拳法の道は我らには向かない。同族相手ならともかく、この矮躯で多種族に殴り勝つ事など、結局は不可能なのだ。強さを追い求めたくば、その身のこなしを活かして猟兵となればよいではないか、と。

 それは挫折を味わう前に引き留めようという同胞への気遣いだったが――シズにとっては屈辱でしかなかった。


 齢十五の若さで、隻腕とは言え王国の教練指導官を打ち負かすほどの才を持っていながら、シズはずっと否定され続けてきた。武名を広め、同胞を見返そうと志した冒険者にも、不適格の理由すら分からないまま、なれずにいる。


 だからこそ、西田の言葉に宿った純粋な称賛と敬意が、シズには嬉しかった。

 自尊心と、自己肯定感が負った傷に、どうしようもなく染みた。

 それまでに積み上げた嫌悪すら一時、忘れてしまうほどに。


「……悪いな、待たせちまったか」


 やがて西田が回復を終えて、そう呟いた。


「お気になさらず。私も……ちょうど今、治癒が終わったところです」


 シズは平然と答えた。


「そりゃよかった……さっきの、なかなか悪くなかっただろ」

「……まぁ、まずまずでしたよ」

「へっ……次は、もっと上手くやるぜ」


 西田が再び剣を構えた。ただし今度は、虎伏ではない。

 剣は片手で肩に担ぐように、左手は腰の高さで拳を握り、膝は軽く曲げる程度――スマイリーの構えだ。技の引き出しが少ない西田の戦術は、どうしても見様見真似になる。とは言えこれは、ただの猿真似という訳でもない。

 西田なりに、今の状況に対して有効だという考えに基づいての事だ。


 西田は、この構えの使い方を知っている――二段構えだ。

 振りかぶった状態から渾身の初太刀を放ち――それが凌がれてもまだ左手がある。

 スマイリーは鞘を使ったが、拳でも十分に効果的だ。

 剣での攻撃が弾かれようと、懐に飛び込んできたシズを更に迎え撃つ事が出来る。


 一方でシズは――本当に小さく、向かい合う西田すら気づかぬほど僅かに、笑った。この相手は、今まで戦ったどんな相手とも違う。自分をよく観察し、分析し、対策してきた――己の技を、その鋭さを、認めてくれているのだ、と。

 そして獣牙の構えを取り――地を蹴る。


 初めてシズが先手を取った。

 だが西田は動じない。迎え撃つように模擬剣を振り下ろす。


 獣牙の構えは攻防一体。左の手刀は依然変わらず模擬剣を弾く。

 手刀と共に繰り出される右の正拳が、西田の腹部を穿つ。

 拳からシズへ伝わる、硬い手応え。


 先ほどと同じだ。予め一撃受けると決め込み、腹筋を固めていた。

 故に西田の体勢は崩れない。

 そして放たれる、左拳によるショートフック。

 防御も回避も捨てた一撃――相打ち出来れば、膂力の分だけ西田が有利なのだ。


 その一撃を、シズは身を屈める事で回避。

 これも、先ほどと同じ――故に西田には、こうなる事は読めていた。

 故に――次なる一手が、用意してあった。


「俺の勝ちだ……!」


 左フックによる体軸の捻転を予備動作とした、流れるような右の膝蹴り。

 それを、屈み込んだシズの顔面を丁度捉えられる角度で、放つ。


 そして――西田は、シズの笑みを見た。幼い少女が、友達にとっておきの宝物をお披露目する時に浮かべるような、晴れやかな笑みを。


 膝蹴りは――外れた。躱されたのだ。

 シズは――両手を地につき、四足獣の如き体勢を取っていた。

 直後、西田は左足首に鋭い痛みを覚える。闘気を集中させたシズの右手――その五指が牙のように、西田のアキレス腱を食いちぎっていた。


「……獣牙零式」


 地を這う姿勢。それは、『構え』だった。零式の名の通り、原初の獣のように地を這い、牙に見立てた指で獲物の肉を抉る為の。


 いかなる達人とて、地に転がるものを平常の構えにて叩く事は、斬る事は出来ない。また槍や杖を用いたとしても、その軌道は大きく制限される。

 一方でシズは下段から跳ね上がるような襲撃も出来れば、今見せたように、指力をもって肉をちぎり、骨を砕く事も可能。


 それは、短躯を利用した防御術を破られた時の為に、シズが独自に編み出した構え。そして結局、一度も使う事なく埃を被せてきた――奥義だった。


「っ……!」


 左足を負傷した西田が膝をつく。

 対してシズは地面を転がるようにして一度距離を取り、立ち上がる。


「……すげえな」


 西田は半ば無意識の内に、感嘆の声を零していた。


「……でしょう? 私の、とっておきです」


 シズはもう一度、今度は誇らしげに笑い――構えを解く。

 それは当然の行動だった。

 腱を握力によってすり潰され、西田の左足は完全に死んでいる。

 足捌きを使うどころか立つ事すら叶わない。

 勝負はついたと、そう考えるのは、極めて自然な事だ。


「ああ、すげえよ……だけど、何してんだよ。まだ終わってねえぞ」


 故に――気づくまでに、少々の時間がかかった。

 西田がまだ構えを崩していない事に――より正確には、新たな構えを取っている事に。片膝立ちの状態で剣を振りかぶり、西田はシズを睨んでいた。

 それはシズの強み――低さを活かすという術理を盗んだ構えだった。

 居合腰にも似たその姿勢なら確かに、シズの短躯に間合いを惑わされる事はない。

 獣牙零式に対しても、立ったまま迎え撃つより遥かに戦いやすくなる。


 だが――その構えは、不完全だった。

 出来ているのは、形だけだ。

 左足の踏ん張りが利かないのでは、どうしても剣を振るう際に上体がぶれる。

 それでは十全の斬撃は打てない――シズを上回れる訳がない。


「……あなたがそう言うなら」


 それでも、シズは構えを取り直した。

 目の前にいる男の意地を、尊重しようと、そう考えたのだ。

 西田が、無自覚にとは言え――魔術師でも猟兵でもなく、拳法家になりたかった自分を尊重してくれたように。ほんの数分前に彼が自分をひどく愚弄した事は――忘れてはいない。だが、今となっては些細な事だった。


 シズが一歩前へと踏み出す。

 応じるように、横薙ぎに放たれる西田の斬撃。

 だが、やはり遅い――シズの右裏拳が刃を強く跳ね上げ、弾き飛ばす。


 これで、今度こそ決着だった。

 あと一秒もしない間に、シズの左拳は西田の顎先を捉える。

 そして西田は完全に意識を失い――負ける事になる。


 ――負けるのか。俺は、また。


 この戦いは、シズにとって――少なくとも今となっては、手合わせ以上のものではなかった。メイジャにとっても、他の門下生達にとっても、それは同じだった。

 西田だけが、皆とは違う認識を持っていた。この戦いは――西田にとっては、自分が価値ある人間のなる為の道のり、その第一歩なのだ。


 ――負けたくない。


 故に――シズは西田の執念を見誤った。

 拳を受ける直前、西田はその顔面を、自ら前へと差し出した。

 必然、シズの打撃が鼻面を強打。鼻骨が折れ、鼻血が溢れる――だが致命的な、即座に意識を失うほどの脳震盪は、避けられた。


 そして――殆ど無意識に、咄嗟に、西田は剣を掴んだ。

 先ほど弾き飛ばされた模擬剣ではない。

 左腰に吊るした、真剣を。


 それはシズにとって、完全に予想外の行動だった。

 加えて、不味い当て方――頚椎を傷める当て方をしてしまったという惑いもあった。故に――シズの反応と対応が、僅かに遅れた。


 西田が怪力をもって剣帯を引きちぎり、鞘を後方へ投げ捨てる。

 そうする事で、最小限の動作で剣を完全に抜き切った。

 そのままシズの腹部へと刃を薙ぎ――それを切り裂く直前で、止めた。


「……俺の、勝ちだ」


 そしてそう呟くと――糸が切れたように上体をぐらりと揺らがせて、倒れ込んだ。

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