第7話:獣牙2
「もらった」
西田の拳が、シズの左肩に、届いた。
寝ぼけたまま石畳を指で抉り取る、西田の膂力を秘めた拳槌。
まともに入れば、いかなる闘気の守りとて打ち砕く。
そう――まともに入れば、だ。
シズが、まさしく獣の如き俊敏さで、膝を屈めた。
拳槌の威力が、自身に完全に伝わるよりも、更に速く姿勢を落とす。
小さい――それ故に、遠い。その法則は打撃の間合いにおいても変わらない。
クリーンヒットを辛うじて免れ――シズの姿勢は右手を地につき、しゃがみ込む形。その体勢から放たれた左回し蹴りが、大鎌のように西田の膝を刈る。
膝を外から内へと蹴りつけられて、西田の体勢が崩れた。
そして頭一つ分ほど低い位置へと落ちてきた顎先を、シズは宙返りの要領で、殆ど真下から蹴り上げた。
着地を終えたシズの目に映るのは――がくりと崩れ落ちる、西田の姿。
「お……おぉ……マジかよ……今のも、駄目か……」
それでも――倒れ伏すまでは至らない。片膝を地につきながらも、意識を保っている。だとしても絶好の、追撃のチャンス。
だがシズは動かない――だらりと左腕を下ろして、その肩を右手で押さえている。
僅かに苦しげな表情――異世界転移者の拳槌を受けたのだ。
咄嗟にいなしたとは言え、それでも彼女の鎖骨は完全に折れていた。
たかが骨折とは言えない。
片腕が使えないのだから、獣牙の構えを取る事も出来ない。
攻めれば必然、守りを捨てる事になる。
それではもし、また相打ちを狙われた時に、より手酷い反撃を受ける事になる。
とは言え――それでも、状況はシズが有利だった。
闘気の扱いに長けた者は、それを用いて傷病を回復する事が出来る。
しかし――脳震盪は、ただの怪我ではない。
脳という複雑極まる臓器の、人間には原理すら定かでない機能異常。
神気の加護と言えど、早々に回復出来るものではない。
「……シズ、そこまでだ」
メイジャが制止の声をかけた。
肩の回復を終えれば、シズは脳震盪のダメージが残る西田を攻撃するだろう。
西田の回復を阻止しつつ、自分は決してダメージを負わないように、攻撃し続ける。それは最早、手合わせとは言えない。一方的な蹂躙だ。
「暴言の仕返しとしては、もう十分に殴り、蹴っただろう。これ以上は……」
「……やめろ、少佐。余計な事……してんなよ」
未だ立ち上がれない西田が、そう言った。
「クソ……オメー、ドが付くほどの、チビのくせに……」
未だ絶えぬ減らず口――肩の回復を終えたシズが、構えを取り直した。
「……だ、そうですよ。まだまだ戦意は衰えぬようで、何よりです」
「やめろ! これ以上はただの私刑だ!」
引き止めるメイジャを、シズはまるで意に介さない。
例え実力行使に出られても、彼女では自分を止められないと思っているからだ。
そして渾身の力で踏み込むべく、深く姿勢を落とし――
「……やるじゃ、ねえか。めちゃくちゃ……強えな……」
しかし続く西田の言葉に、動きを止めた。
「ニシダ!お前もこれ以上余計な事を……」
「余計な事を言っているのは、あなただ。引っ込んでいて下さい」
なんとか仲裁に入ろうとするメイジャを、シズが制した。
「あちらは見ての通り。ですが私も……まだ肩が癒えていない。仕切り直しです」
そしてシズはそう言うと、構えを解いた。それは明らかな嘘だった。脳震盪によって認識力を欠いている西田を除けば、この場にいる誰もが、それを理解出来た。しかしその意図は――誰にも理解出来なかった。
戦闘を続行するにしても、わざわざ対手の回復を待つのは何故か。
どうしてもまだ痛めつけねば気が済まないのか。
格の違いをとことん見せつける為か。
見取りに回った門弟達が、メイジャが、各々で予想を巡らせる。
しかし誰一人として正答に思い至る事は出来なかった。
無理もない事だ。予想など出来る訳がない。
あれほど西田への嫌悪を募らせていたシズがまさか――
己の武芸への称賛が嬉しくて――つい、半ば衝動的にああ言ってしまったなどと。
誰にも予想出来るはずがなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます