第2話:敗北
スマイリーは体勢を崩している。立て直す隙を与えまいと、西田は飛びかかった。
最早構えにこだわる事もせず、ただ鋭く斬りつける。
スマイリーはなんとか体勢を立て直し、防御する――が、重い。
異世界転移者の膂力から放たれる強烈な打ち下ろし。
その威力に耐えかねて、スマイリーがたたらを踏む。体勢を立て直せない。
今度は西田が連撃を繰り出す番だった。
防御されようが躱されようが、構わずに次の一撃を、更に次の一撃を繰り出す。
むしろそうして、疲弊させる事こそが目的だった。
駆け引きも読み合いもない。ただ素早く力強く、何度も剣を振るう。
西田の猛攻を受け続けるスマイリーの口元から、笑みが消えた。
糸のように細めた双眸は健在。だが、額には汗が浮かび、息も乱れつつある。
そして――響く、一際激しい金属音。
西田の執拗な連撃に――スマイリーが大きくよろめいた。
好機、と、西田は一際深く踏み込む。
そのまま体ごとぶつかるようにして鍔迫り合いへと持ち込んだ。
そして、渾身の力を腕に込めて剣を押し込む。
スマイリーは左腕をサーベルの峰に添えて踏ん張るが、堪えられない。
頭一つ分ほども身長の低い西田に力負けして、仰け反らされていく。
「出来れば背骨がブチ折れる前に、降参してくれよ」
西田は歯を食い縛り、両腕に力を込め続けたまま、そう言った。
しかしスマイリーは応じない。ならばと、西田は更に腕に力を込める。
そして――スマイリーの膝が、がくんと折れ曲がる。
瞬間、西田は勝利を確信した。
彼の頬に、重い衝撃――サーベルの柄が叩き込まれたのは、その直後の事だった。
スマイリーは、西田の鍔迫り合いに膝を屈したのではなかった。
そうなる前に自ら膝を曲げ――同時に巧妙な剣捌きで、西田の剛力をいなしたのだ。受けている刃を左へいなせば必然、西田の体は前のめりになる。
すなわち――自ら勢いをつけて、スマイリーの殴りやすい位置へと顔面を差し出す形になる。
「がっ……!」
想定外の打撃に西田が堪え切れず、倒れ込んで石畳を転がる。
それでもなんとか剣を強く握り締めて、すぐにスマイリーを睨み上げた。
今の体勢は恐ろしく隙だらけ。
追撃が来るに違いない。防御しなければ、或いは這ってでも逃れなくては、と。
だがスマイリーは、剣を振り上げてすらいなかった。
「……クソが……! 苦し紛れにセコい真似しやがって……」
何故、追撃が行われなかったのか――西田には分からない。
その理由を考える余裕もなかった。
ただ、虚勢に似た悪態が口から漏れた。
「セコいだなんて心外だな。ただの組討術じゃないか。力任せに叩き切るばかりが、剣術じゃないさ」
スマイリーは、なおも追撃を仕掛けない。
それどころか西田に背を向けて、数歩ほど距離を空けてから、悠然と振り返った。
それから鋼の鞘を逆手で抜き、順手に持ち替え、二刀流の構えを取る。
そして――糸のようだった双眸が見開かれ、金色の瞳が西田をじっと見つめた。
「……とは言え、実戦で使わされたのは君が初めてだ。いいね。君なら……目を開けていても、そこそこ楽しめるかもしれないな」
「……なんだと?」
事もなげに紡ぎ出されたスマイリーの呟き。
西田は思わず、呆然とした声を零した。
顔中に冷や汗が浮かび、心臓が早鐘のように暴れ出した。
「……目を開けてても、だと?ざけんな……くだんねーハッタリかましやがって」
だが西田はすぐに首を左右に振って、自分に言い聞かせるようにそう呟いた。
信じられる訳がなかった。
剣技では圧倒され、異世界転移によって得た怪力すら決定打に出来なかった。
その相手が、実は今までずっと目を閉じて戦っていたなどとは。
西田は左手で地面を強く押して、勢いよく立ち上がった。
そのまま構えを取り直す事もせず剣を振りかぶり、スマイリーへと走り寄る。
「がぁあ!!」
そして渾身の力を込めて剣を振り下ろした。
自分が全力で斬りかかれば相手を殺してしまうかもしれない。
そのような考えは脳裏から消え去っていた。
ただ、自分が全力を尽くして渡り合った相手が、実は本気を出してすらいなかった。その事実を否定したいという思いが西田を支配していた。
異世界転移者の怪力をもって振り下ろされる刃。
対してスマイリーは緩やかな動作で左手の鞘を掲げた。
両者の獲物が接触し――しかし金属音が響かない。
精緻を極めた技巧によって音もなく、西田の剣が受け流される。
渾身の一撃がいなされた事で、西田は大きく前のめりになった。
転びそうになったところを、慌てて右足を前に出して踏み留まる。
つまり――図らずもスマイリーの目の前に首を差し出す体勢になった。
「……あれ、見込み違いだったかな」
西田がどうにか体をよじりスマイリーを見上げる。
彼女は既に右手のサーベルを振り上げていた。
異世界に転移してきてから初めて、西田は己の死を予感した。
そしてスマイリーのサーベルが、西田の首筋へと振り下ろされる。
斬撃がいなされた事で右腕は伸び切っている。防御は間に合わない。
「し……」
絶体絶命の窮地で、西田は――
「死ねるか! こんなとこで!」
そう叫ぶや否や自らその場に倒れ込んだ。
元より体勢は崩れ、無理に踏み留まった状態――故にその動作は極めて素早く行う事が出来た。
西田はそのまま左手を、目の前にあるスマイリーの足へと伸ばした。
右腕は伸び切っていて剣は使えない。
それしか出来る事がなかったが故の咄嗟の行動だった。
己の怪力をもってすれば、左手一本でもスマイリーの足を掬えるはずだと。
しかしその指先は空を掻いた。
スマイリーは事もなげに一歩飛び退いて、西田の手を躱してしまった。
これで今度こそ打つ手はない。
直後に襲い来るであろう斬撃の激痛を想像し、西田は思わず目を閉じる。
「……そう! それだよ! 今のは良かった! やれば出来るじゃないか!」
だが――西田がとどめを刺される事はなかった。
目を開けると、スマイリーは嬉々とした様子で笑っていた。
「……何言ってんだ、てめえ」
「あれ? 狙ってやった訳じゃないの? ……まっ、いっか。それでもぎりぎり見込みありって事にしといてあげよう」
スマイリーは剣を鞘に収めると、西田のすぐ傍で膝を屈めた。
一見すれば隙だらけな状態だが――西田は何も仕掛けようとはしない。
彼我の実力差は既に痛感していたからだ。
そして――だからこそスマイリーが何を考えているのか分からなかった。
自分に闇討ちを仕掛けた相手を前にしゃがみ込んで、彼女が一体何をするつもりなのか分からなかった。
「安心しなよ。君を殺したり、自警団に突き出したりするつもりはないから」
そう言うと、スマイリーは双眸を細めて西田に笑いかけた。
だがそれがかえって西田の不安を煽る。なにせ殺さず、法の裁きにも委ねず――代わりにどうするつもりなのかが分からないままなのだ。
「君を見逃してあげるよ」
「……なんのつもりだよ」
続くスマイリーの発言。その意図をやはり西田は読み取れなかった。
「今夜は楽しかったよ。目を開けないと勝てない戦いは本当に久しぶりだった」
「……オメーが目を開けた途端に負けてちゃ、世話ねえけどな」
「まあ、そうだね。でも次があるなら……君はもっと上手くやれる。だろ?」
スマイリーはそう言うと、西田の顔を覗き込むように小さく首を傾げた。
「……いつかまた戻ってきて、オメーを楽しませろってか」
「いつかまた、じゃ困るな。ちゃんと私達におあつらえ向きの舞台があるじゃないか」
「舞台? 何言って……」
「楽しみに待ってるよ。だから……」
スマイリーは笑いながら、鞘に収めたままのサーベルを、右手で柄を、左手で鞘の半ばほどを掴み、振り上げた。
石畳の上に這いつくばった状態の西田には、どうする事も出来ない。
鞘の先端が、西田の側頭部を強打する。
強烈な脳震盪によって、西田は意識を失った。
「……今日のところは、おやすみ。その屈辱が、きっと君を強くしてくれる」
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