7

 ――一緒に逃げてほしい。


 薄暗い部屋でベッドに横になり、カトリーナはクリストファーに言われた言葉を考えていた。


 一晩考えたけれど答えは出ず、朝食として出されたパンとスープで空腹を満たしたあと、再びベッドに寝転がって、また考えている。


 ずっと自由な恋愛に憧れていた。


 恋愛小説の中の主人公のように、大好きな人と結ばれて、幸せになる夢を見ていた。


 本気で好きになった人に、すべてを捨ててくれと言われたら――、きっと、捨てられると思っていた。


 それは、今でも思っている。


 それなのに、クリストファーの手を取れなかった。


(クリス様のこと、大好きなのに……)


 考えれば考えるほど、カトリーナは自分の気持ちがわからなくなった。


 クリストファーのことは大好きなのだ。


 一緒にいると緊張して、ドキドキして、幸せで、時間があっという間にすぎていく。


 でも、差し出された手を取るのが、怖い。


 本当にそれでいいのかと、心の中の自分が問いかける。


「レオン……」


 レオンハルトなら、どんな助言をくれるだろうか?


 きっと彼は、一緒に逃げてくれなんてことは言わないだろう。いつも自信たっぷりな彼は、逃げるのではなく、立ち向かうことを選びそうだ。


 瞼を閉じれば、レオンハルトの顔ばかりが浮かぶ。


 心細くて、雷の日に抱きしめられたように、今ここにきて抱きしめて大丈夫だと言ってほしかった。


 カトリーナは「ああ……」とつぶやく。


(わたし……、レオンのことが好きなのね)


 どうしてなのかはわからない。いつからなのかもわからない。ただ、今ここで考えるのは、レオンハルトのことばかりなのだ。気づけば、クリストファーではなくレオンハルトを好きになっていた。


(わたしって馬鹿なのかしら?)


 レオンハルトは元婚約者で、今はただの友人で――、彼には好きな人がいるらしい。


 カトリーナは枕元におきっぱなしの毛糸を手に取る。


 編み物は苦手なのに、レオンハルトのためにブランケットを編みたいと思った。自分が編んだブランケットを使っているレオンハルトを想像すると嬉しくて――、そのとき、どうしてそう思うのかと自分自身に問いかけていれば、きっと気づいていただろう。


 初恋の相手のクリストファーではなく、レオンハルトが好き。


 幼い日の初恋の思い出ばかり大事にしていたから、大切なことに気がつかないのだ。


 カトリーナはベッドから起き上がると、閉められたままのカーテンを見た。


 何となく、開いては咎められると思って開かなかったカーテン。


 この部屋は二階のようだから、窓を開けたところで飛び降りることはできないし、おそらく下には見張りがいるはずだ。


(なんとか、逃げ出せないかしら……?)


 カトリーナはベッドから降りて、窓際まで歩いていく。


 レオンハルトに会いたい。彼に好きな人がいたっていい。


 助けが来るのを待っていたら、いつここから出られるのかわからない。


 カトリーナはとにかく、今すぐレオンハルトに会いたかった。


(小さい頃はおてんばだったんだもの、なんとかなるはずよ)


 カトリーナはぐっと拳を握りしめて、勢いよくカーテンを引いた。


 屋根が邪魔をして、下は見えないが、カーテンを開けても騒ぐ声が聞こえないということは、この部屋が見える範囲に見張りはいないのかもしれない。


 カトリーナはそっと窓を開けると、ドレスをたくし上げると窓枠に足をかけた。


 そのとき。


 バタバタバタ―――


 大きな足音が聞こえて、カトリーナはハッと息を呑んだ。


 足音は部屋の外から聞こえてきて、こちらに向かってくるように大きくなる。


 カトリーナは慌てて窓枠をこえると、屋根の上に両足をつく。


 屋根は斜めになっていて不安定で、カトリーナは窓枠にしがみついたままきょろきょろと視線を彷徨わせた。


 ドクドクと心臓が激しく脈を打つ。


 窓枠を掴む手のひらは汗ばんで、焦りと恐怖から膝が震えた。


 足音はカトリーナが迷う間にも近づいてきて、そして―――


「カトリーナ!」


 突如カトリーナの耳を打った声に、カトリーナは息を呑んだ。


「カトリーナ!」


 声は、もう一度下から――、庭の方から聞こえてくる。


「レオン!?」


 カトリーナは泣きそうになりながら声を張り上げた。


 それと同時に、バタンと部屋の扉が開いて、男たちが雪崩れ込んでくる。


「捕まえろ!」


 男たちはカトリーナが屋根の上にいるのを見つけると、血相を変えてカトリーナの方に走ってきた。けれど――


 男たちのあとから部屋に駆けこんできた金髪の男が、一番扉側にいた男に足払いをかけると、その鳩尾みぞおちに拳を叩きこんで昏倒させる。


 その早業に男たちが息を呑んだすきに、二人目に回し蹴りを食らわせ、三人目には部屋の中にあった椅子を思いっきり投げつけた。


「カトリーナ! 庭にレオンハルトがいる! 飛び降りろ!」


「クリス様!?」


 金髪の男はクリストファーだった。


 残り二人の男は動揺を浮かべていたが、椅子を投げられた男が、蹴りを入れられ吹っ飛ばされるのを見て我に返り、クリストファーに飛びかかる。


「クリス様!」


「大丈夫だから、早く飛び降りろ!」


 叫びながら、クリストファーが男の拳をよけて壁際に寄った。


「カトリーナっ」


 下から、レオンハルトの声が聞こえる。


 カトリーナはごくんと唾を飲むと、屋根の端まで進んでいき、下を見下ろした。


 そこには、レオンハルトが手を広げて立っている。


(高い……!)


 カトリーナは屋根の端にしゃがみこんだ。


「飛び降りろ! 絶対落とさないから!」


 レオンハルトが叫ぶ。


 カトリーナはちらりと背後を振り返った。クリストファーが、二人の男を相手にしながら、カトリーナに一瞥を投げて、こくんと頷く。


 きっとカトリーナがここにいては、クリストファーの足手まといにもなるのだ。


 カトリーナは意を決し、立ち上がると、屋根の上から飛び降りた。


(落ちる―――!)


 立って飛び降りたはずなのに、すぐに体が傾き、頭から落ちていく。


 地面にたたきつけられることを想像してぎゅっと目を閉じたとき。


 どさりという音と衝撃を感じた直後、暖かい腕に包まれていて。


 ゆっくりと目を開けたカトリーナは、日差しを浴びた金色の髪をキラキラと輝かせて、安堵の表情を浮かべるレオンハルトを見た。


 レオンハルトはカトリーナの顔を間近で見つめたあと、ふわっと微笑んで――


「天使が落ちてきたのかと思ったよ」


 その言葉を聞いたカトリーナは、レオンハルトの顔を見つめたまま、呼吸を忘れたのだった。

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