3
ピカッと遠くで稲光が光るのを目にしたカトリーナは、慌てて自室のカーテンを閉ざした。
直後、ドオォォォン! と大きな音が聞こえて、思わず耳を塞いでその場にしゃがみこむ。
(雷いやぁーっ)
カトリーナは雷が嫌いだった。子供のころは雷が泣くたびに泣いていたものだ。さすがにこの年になると泣き叫びはしないが、怖いものは怖い。
大粒の雨が窓を叩く音が響く。
もうじき夜になるが、夜の間ずっとこの調子なら、今夜は眠れそうになかった。
「お嬢様、お客様がいらっしゃいました」
カトリーナが部屋の真ん中でうずくまっていると、困惑した顔のアリッサが部屋にやってくる。
「お客様?」
クリストファーが来る予定はない。
「誰?」
「それが……、王太子殿下です」
「また!?」
カトリーナは素っ頓狂な声をあげて立ち上がった。
時折響く雷の音に身をすくませながら階下に降りれば、居間の窓際に立って、叩きつけるような雨を見やっているレオンハルトがいる。
つい昨日の朝、高ぶった感情のままレオンハルトをなじってしまったカトリーナは気まずく思いながら、その背中に恐る恐る声をかけた。
「殿下……、こんな雨の日にどうされたんですか?」
雨というよりはほとんど嵐だ。馬車を走らせるのも大変だったはずなのに、いったいどうしたのだろう。
レオンハルトはゆっくりを振り返ると、カトリーナのこわばった表情を見て、困ったような顔をした。
「……以前、アッシュレイン侯爵に、君が雷が苦手だと聞いたことがあったから、どうにも気になってきてしまったんだ。突然来てすまない」
カトリーナは瞠目した。
「まあ、お父様が殿下にそんなことを……」
気を遣っていただいてありがとうございます、と続けようとしたカトリーナだったが、その前にドォンと響いた雷の音に悲鳴を上げた。
レオンハルトは窓のカーテンを閉めると、耳を塞ぐようにして硬直しているカトリーナのそばまで行き、遠慮がちに手を伸ばすと、ふんわりと抱きしめる。
「で、殿下?」
突然抱きしめられて驚いているカトリーナの背中を、レオンハルトはあやすようにポンポンと叩いた。
「大丈夫だ。雷は、そう簡単に落ちやしない」
慰めてくれているのだと気づいたカトリーナは、おずおずと顔をあげる。
シャープな輪郭に、その輪郭に沿って流れるさらさらの金髪。彫の深い精悍な顔立ちだが、厳つい印象はなく、目を細めてカトリーナを見下ろす瞳は甘い。
三年間も婚約関係にあったのに、こんなに近くでまじまじとレオンハルトの顔を見るのははじめてかもしれない。
(変なの……、なんだか少し、懐かしい気がするわ)
そう感じるのは、彼が思い出の中の初恋の相手――クリストファーと同じ、金髪に青い瞳を持っているからだろうか。
「昨日はすまなかった」
じっと見上げたまま黙っていると、レオンハルトがうっすらと頬を染めて顔を背け、ぽつんと言った。
「昨日……?」
「クリストファーに掴みかかった件だ。驚かせた」
「わたしもカッとなってしまって……、申し訳ございませんでした。失礼なことを」
「いや、昨日は俺が悪かった」
レオンハルトはゆっくりと抱擁を解き、カトリーナをソファにいざなった。
レオンハルトはいつも向かいに座るのに、今日は隣に座って、カトリーナを安心させようとしているのか、手を握りしめてくる。
相変わらず雷鳴が響いているので、こうして手のひら越しに他人のぬくもりが感じられるのはありがたかった。
「その……、殿下はクリス様とお知り合いなのですか?」
「ん? あ、ああ……、少しな」
「仲が、悪いんですの?」
「うーん……、昔はそうでもなかったが、今はそうかもしれないな」
レオンハルトが苦笑を浮かべる。
「カトリーナはクリストファーが……、その、初恋の相手だと知って、嬉しかったのか?」
カトリーナはかぁっと頬を赤く染めた。
「そ、それはその……、はい……」
小さく頷くと、レオンハルトがカトリーナの手を握る指に力を込めた。
カトリーナは握られている手に視線を落とす。カトリーナの小さな手をすっぽりと覆いつくしてしまうほど大きいレオンハルトの手は、しかし男性の手にしては繊細だ。
レオンハルトはそのまま黙り込んでしまって、カトリーナは雷の音に怯えながら、必死に話題を探した。黙っているとどうしても雷に意識が行ってしまう。何でもいいから会話を続けていたくて、まさか苦手だった元婚約者と「会話をしたい」と感じることがあるなんてと内心で苦笑する。
隣に座っている元婚約者のことを、今は苦手だと思わない。ほんの少しまともに会話した程度なのに不思議なものだった。
「殿下にも、好きな方がいらっしゃるんですよね? その方とは、仲良くされているのですか?」
話題を探して、エドガーが言っていた「どこの誰とも知らない女に恋してしまったんです」という言葉を思い出した。レオンハルトには好きな女性ができたらしい。色恋沙汰の話題が大好きなカトリーナが、わくわくしながら訊ねれば、レオンハルトはなぜか傷ついたような顔をした。
(もしかして、うまくいっていないのかしら……?)
カトリーナは余計なことを言ってしまったかもしれないと慌てて口を閉ざしたが、レオンハルトは握ったカトリーナの手の甲を親指の腹でゆっくり撫でながら返す。
「その子には……、好きな相手がいるらしい」
「まあ……。ごめんなさい、わたしったら」
「いや、いいんだ」
「でも―――」
そのとき、一際大きな雷鳴が
レオンハルトはカトリーナの肩に手を回し、そっと引き寄せると、彼女の頭を撫でながら、
「……諦める気はないから」
小さくつぶやいたが、雷に怯えて耳を塞いでいるカトリーナには、その言葉は届かなかった。
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