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「ボナール男爵……は、三十五歳。違う。ベクター子爵令息は十歳。これも違う。カスピア伯爵……、誰だこんな情報を持って来たのは! カスピア伯爵は六十八歳じゃないか! ふざけるな!」


 エドガーはつらつらと名前が書かれている羊皮紙を目で追っていたが、カスピア伯爵の名前を見た瞬間のそれをぐしゃっと握りつぶすと、壁に向かって力いっぱい投げつけた。


 そしてソファに体を投げ出すと、天井をむいてはーっと息を吐きだす。


 金髪の碧い瞳、そしてアッシュレイン侯爵家の領地の近くに領地を持っている、もしくは別荘を持っている貴族を洗い出していたエドガーだったが、思っていた以上の数に辟易していた。加えて調査を頼んだ部下がポンコツで、二十から二十五歳程度の青年に絞って探して来いと言ったのに、半分以上それ以下かそれ以上の年齢の男の名前が混ざっている。


 エドガーは絶賛、カトリーナの初恋の男性探しの真っ最中だった。


 年齢と外見から絞り出した今のところの有力候補はロナウド公爵家の嫡男とリチャード男爵、それからカールトン伯爵の次男だが、その三人も少々難がある。


 まずロナウド公爵家の嫡男であるマックスだが、年齢は二十三歳。アッシュレイン侯爵家の領地から山を一つ越えたところに別荘の一つを持っており、白と金色の間くらいのプラチナブロンドにアクアマリンのような色合いの瞳の青年だ。


 外見は可もなく不可もなく。身分が高いため社交界の結婚したい男の中の五位以内に入るらしいが、調べていると、女性関係のろくでもない噂が出るわ出るわ。もしも、万が一カトリーナの初恋の男性であったとしても、エドガーは何としてもカトリーナを彼に引き合わせてはいけないと心に決めた。あの男なら、あのアホ王太子の方が十倍はましだ。


 次にリチャード男爵。彼はアッシュレイン侯爵家の領地の川下かわしもに領地を持っていて、年は二十一。父親の男爵が去年急逝きゅうせいしたため家督かとくを継ぎ、領地を切り盛りする傍ら貿易関係の会社も興している実業家だ。まばゆいばかりの金髪と藍に近い青い瞳、そして優男風の甘い顔立ちの、男からしたら少しできすぎていて鼻につくが、女性目線で考えると、まあ、いい男だろう。


 しかし、彼は貿易の仕事で知り合った隣国の令嬢とこの春結婚したばかりの新婚者だ。もしも彼が初恋の相手だったとしたら、運命はなんて残酷なのかと繊細なカトリーナ嬢が儚くなってしまう! これも断固阻止。


 最後にカールトン男爵の次男、アーロン。二十歳。アッシュレイン侯爵家の領地の近くに別荘も領地も持っていないが、ちょうどカトリーナが五歳くらいの時に、カールトン男爵は療養のためアッシュレイン侯爵家の領地の中に家を借りて暮らしていた。


 アーロンに変な性癖もなく、博打ばくちもしない。女性にもだらしなくない。見た目も普通。だが、カールトン男爵は十年前、反王太子派が起こした騒動に加担していた疑惑が残り、今も王太子寄りとは言い難い。残念だが、エドガーの立場から彼をカトリーナに引き合わせるわけにはいかない。


「あー……、うまくいかない」


 いっそ新聞に探し人の広告を載せてもらおうかとエドガーが真剣に考えはじめたとき、ふいに足音が聞こえて天井から視線を下ろすと、いつの間にエドガーの私室に入ってきたのか、レオンハルトがエドガーが壁に向かって投げつけた羊皮紙を拾い上げているところだった。


「一人でぶつぶつと、いったい何をしているんだ……?」


 レオンハルトは怪訝そうに羊皮紙に書かれた内容にざっと目を通すと、突然ぱあっと顔を輝かせた。


「エドガー! まさか俺のために動いてくれていたのか!?」


「は?」


「俺のために、『紫の君』の初恋の相手を探そうとしてくれているのだろう?」


 なるほど、仮面舞踏会で知り合った女性を、瞳の色から「紫の君」と呼ぶことにしたのか。


 エドガーは途端変な顔をした。


「なに寝ぼけたことを言ってるんですか? どうして私が、ろくでなしのあんたの初恋の相手の恋路を邪魔する手伝いをしなくちゃいけないんですか」


 言っていてすごく虚しくなってきた。一国の次期国王というレオンハルトが、ちまちまと初恋の相手の恋路を邪魔する――。なんて器が小さいのだろう。


「しかし、こうして金髪に青い瞳の男を探してくれているじゃないか。年齢的にもぴったりだ」


「ああ、そう言えば、殿下の『紫の君』の初恋の相手も金髪でしたね」


「金髪に青い瞳だ」


「へぇー」


 面白い偶然もあるものだと、エドガーは同じく金髪に深い青色の瞳を持ったレオンハルトの顔をしげしげと見つめた。


 レオンハルトは今日こそは恋の相談にのってもらおうと、キラキラした表情を浮かべてエドガーの真向かいのソファに腰を下ろした。


「出会いは十二年前だそうだ。彼女の話のよると、おそらく年は二十二前後」


「二十二歳に金髪に青い瞳……、はあ、これで殿下なら話が早いんですがねぇ。―――ん? 十二年前?」


(カトリーナ嬢が初恋の相手と出会ったのも十二年前じゃないか……?)


 エドガーは考え込んだが、それには気づいていないレオンハルトは俄然勢いづいた。


「まったくだ! もしもこれが俺なら最高に幸せなのに……! だが、残念ながら俺は十二年前にブランコから落ちたブラウン色の髪をした女の子を、颯爽と助けた記憶はない……。銀髪の女の子なら助けたことがあるが……。ああ、俺ならいいのに」


「……んん?」


 エドガーは腕を組んで眉間に皺を寄せた。何かが引っかかる。


(カトリーナ嬢も、ブランコから落ちたところを助けられたと言わなかったか……?)


 こんな偶然はあるのだろうか。


(カトリーナ嬢の瞳も、青みが勝った紫色だよ……な……。うわ、まさか……)


 さーっとエドガーの顔が青くなる。


「で、殿下……。『紫の君』の瞳は紫色でしたよね?」


「当然だ。紫じゃなかったら『紫の君』じゃないだろうが。青みがかった神秘的な紫色だ」


「青み、がかった……」


「どうしたエドガー、顔色が悪いぞ。風邪か?」


「いえ……」


(落ち着け、落ち着くんだ。こんな馬鹿みたいな偶然、あるはずがない……!)


 エドガーは棚からウイルキーを持ってくると、カットグラスにドバドバと注いだ。まだ昼前で、このあと仕事も残っているが、そんなことは知らない。


 いつもは夜しか酒を飲まない乳兄弟がウイスキーを、しかもカットグラスに並々と注いでいるのを見てレオンハルトは不審に思ったが、顔色が悪いし、きっと寒気がするから温まりたいのだろうと勝手に勘違いをして何も言わなかった。


 エドガーはぐびぐびと度数の高い琥珀色の液体を喉の奥に流し込む。直後、すぐにカーッと喉が焼けるように熱くなり、頭が少しくらくらしたが、酔っても悪酔いはしない体質なので大丈夫だ。そんなことより、今は目の前の問題をどうするかである。


 エドガーは心を落ち着けるように深呼吸をすると、レオンハルトに訊ねた。


「殿下。その、『紫の君』は十二年前に、ブランコから落ちたところを金髪に青い瞳の少年に助けられた、と。ちなみにその時の彼女の年齢は?」


「確か、五歳になる年だと」


「―――」


 果たして、こんな偶然があるだろうか?


 貴族の子女がブランコに乗るということ自体、この国では少数である。ましては女の子ならば、幼いころから部屋の中で本を読んだり人形遊びをしたりすることが多く、カントリーハウスにブランコがあったとしても、それで遊ばせることは、まあ、ない。


 なぜなら、貴族の女性は、日に一度も当たったことがないのかと言いたくなるような白い肌を美とし、そばかす一つあろうものなら躍起になって白粉を塗りたくり隠してしまうのだ。将来のことを考えて幼いころから部屋の中に閉じ込めて育てると言う教育方針が、現在のこの国の貴族の女の子に対する教育としてよしとされているのである。


 カトリーナが幼いころにカントリーハウスのブランコで遊んでいたとというのは、おそらくアッシュレイン侯爵が――母親は気難しそうなので、間違いなく侯爵の方だ――、娘に甘かった証拠だろう。


(……アッシュレイン侯爵家のカントリーハウス、十二年前……)


 だが、エドガーの頭痛の種はもう一つあった。


 なぜ、今まで思い出さなかった。「銀髪の女の子なら助けたことがある」というレオンハルトの言葉を聞くまで、すっかり忘れていた。


(最悪だ……。こんなことって……)


 エドガーの中で、十年前の反王太子派が起こした騒動に次いで、最悪な事態だ。


「殿下……。そう言えば、十二年前、あんた天使が落ちてきたって言いませんでした? さっきも言っていましたが、確か、銀髪の女の子を助けたって」


「ん? ああ、確かに助けたぞ。銀色の髪の毛の愛くるしい女の子だった。五歳くらいだったかな?」


 決まりだ。


 エドガーは、はーっと盛大にため息をついた。


「殿下……。『紫の君』の初恋の相手がわかりましたよ」


「なに!?」


 レオンハルトは勢いよく身を乗り出すと、勢い余ってソファから転げ落ちそうになりながら叫んだ。


「それはどこのどいつだ!?」


 エドガーはこめかみを抑えながら、こう答える。


「それは、あんたです。殿下」

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