第5話 夏 或いは極楽鳥の生息地

 ずっと昔、夏休みには祖父の家に遊びに行っていた。私は、それが毎年楽しみで仕方なかった。祖父は私とよく遊んでくれたし、美味しい食事やおやつを用意してくれたから。


 それに、祖父の家を探検することが、とても楽しかった。


 祖父の家は、当時私が住んでいた家よりもずっと広く、珍しい物が沢山あった。

 

 時間の合わないゼンマイ式の壁掛け時計。


 ベルトの切れた足踏み式のミシン。


 針が折れた蓄音器。


 鯨の髭の塊。


 イタチの剥製。


 そんな物たちが部屋や廊下のあちこちに溢れかえっていて、私は毎年目を輝かせながらそれらに見入っていた。

 でも、母はそれらの物を気味悪がっていた。父も母ほどではないけれど、毎年、少しはガラクタを処分しろ、と言っていた。それでも、祖父はいつも笑顔でその言葉を受け流していた。きっと、父や母にとっては、気味の悪いガラクタにしか見えなくても、祖父にとっては大切な物だったのだろう。


 その年も、祖父の家に着くなり、いたる所に溢れる珍しい物を見て回っていた。

 そんな中、私は二階にある一室の前にたどり着いた。


 そこは、祖母が生前使っていたという部屋だった。


 祖父からは、祖母が亡くなってから物置として使っていると聞いていた。また、物が散らかっていて危ないから、入ってはいけないとも言われていた。

 私は祖父の言いつけを守り、その部屋の中には入らないようにしていた。でも、扉の奥に何があるかは、いつも気になっていた。だから、いつもドアノブを握って、その部屋の中を空想していた。


 アンティーク品や剥製や絵画であふれた室内、そんな映像を思い浮かべてドアノブを回す。

 でも、鍵がかかっているから、ドアノブは微かに動くだけ。

 私はため息をついて、家族のいる部屋へ戻る。


 毎年そうなっていたのだから、今年も結果は同じだろう。そう思いながら、その年もドアノブを握り、軽く捻った。



 その途端、ガチャリという音とともに、ドアノブがグルリと回った。



 予想外の出来事に、私は思わず息を飲んだ。

 今なら、この部屋に入ることができる。でも、祖父からは絶対に入るなと言われている。もしも、言いつけを破れば、きっと叱られてしまう。

 いつも優しい祖父が怒った姿を想像し、私は身震いをした。

 それでも、この部屋の中には、他の部屋や廊下に飾られているような、素敵な物が沢山あるに違いない。少し覗くだけなら、きっと大丈夫なはず。


 葛藤の結果、私はドアノブを捻り、扉を押し開けた。

 

 部屋の中は、祖父の言葉とは裏腹に、物が散乱しているということはなかった。床も埃一つないくらいに磨かれていて、一見すると、中に入っても何も問題がないように見えた。


 ただ一つ、部屋の中央にある机に載った物を除いては。


 それは、大きな鳥の剥製のようにも見えた。


 全身を艶のある黒い羽が覆っていたが、カラスではないことはすぐに分かった。


 頭についているのは、黄土色と灰色が混じったような色のトサカ。


 平べったい顔に付いているのは、白目がちなギョロリとした目と、やけに小さい白っぽいくちばし


 今考えると、顔の作りはカラスよりも、タチヨタカに似ていた気がする。でも、タチヨタカよりずっと不気味な顔をしていたことを覚えている。


 下肢は骨が剥き出しになり、五本の指が全て体の前方を向いている。


 あまりにも奇妙な剥製が気になり、覗くだけ、という当初の言いわけも忘れ、私は部屋の中に足を踏み入れた。


 近づいて見ると、その剥製は異様さを増した。


 黒い羽は一本がとても細く、とても鳥の羽毛には見えなかった。

 トサカも片面にだけ複雑な凹凸があり、ニワトリの物とは様子が異なっていた。



「そこで何をしているんだ?」



 剥製に見入っていた私は、不意にかけられた声によって我に返った。

 振り向いた先には、立ち尽くす祖父の姿があった。

 

 このままでは、きっと大声で叱られてしまう。


 私はそう思い、身を竦めた。


「そこで何をしているんだ?」


 でも、祖父は大声を上げることはなく、淡々とした口調で、再び私に尋ねた。


「……ごめんなさい。鍵がかかっていなかったから……中が気になって……」


 私が正直に謝ると、祖父は、そうか、と呟いた。そして、こちらに向かって歩き出し、机の側で足を止めた。


「おじいちゃん。この鳥はなんていう鳥なの?」


 青ざめた表情で剥製の頭を撫でる祖父に向かって、恐る恐る問いかけた。すると、祖父は剥製を見つめたまま、口を開いた。


「これは、極楽鳥だよ」


「ゴクラクチョウ?」


 聴き慣れない名前を問い返すと、祖父は無言で頷いた。


「ああ。生きているころは、綺麗な声で歌ったり、悲しげな声でないたりしていたんだよ。でも、今年のはじめに死んでしまってね。特に綺麗だった部分を集めて、剥製にしたんだ」


 祖父の言葉から推測すると、極楽鳥はもっと大きな鳥だったようだ。不意に、極楽鳥が、目玉をギョロギョロと動かしながら、巨大な体で宙に舞う姿が頭に浮かんだ。ただの空想とはいえ、その姿はあまりにも不気味だった。だから、私は思わず祖父の手をギュッと握った。


「どうしたんだ?」


 祖父はようやく剥製から目を離し、心配そうに私を見た。


「おじいちゃん、この鳥は、空を飛ぶの?」


 私が質問すると、祖父は再び剥製に目を戻し、そうだな、と呟いた。


「一度だけ、飛んだよ」


 祖父はそう答えると、顔を上げて部屋の奥を見つめた。そして、剥製を撫でる手を止め、視線の先にある磨りガラスの窓をゆびさした。


「そこの窓からね。ただ、あまり飛び方が上手くなかったんだろう。そのまま、落ちて死んでしまったんだ」


 祖父の答えを聞いた私は、飛び方が下手だなんておかしな鳥だな、と思った。それと同時に、極楽鳥が少し可哀想になった。

 ひょっとしたら、極楽鳥は一羽でこの部屋にいるのが淋しくなったのかもしれない。

 だから、友達や家族を探そうとしとて、窓から飛び立っていこうとしたのだろう。

 飛び方が下手だというのに……



「さあ、もうこの部屋を出なさい」



 極楽鳥を憐れんでいると、祖父の声が耳に入った。


「でも、おじいちゃん。このままだと、極楽鳥は独りぼっちで淋しくないの?」


 尋ねてみると、祖父はなぜか悲しそうに眉を顰めた。


「……もうじき、独りぼっちじゃなくなるよ。だから、何も心配することはない」


 祖父はそう言うと、私の頭をそっと撫でた。そして、膝を屈めると、どこか淋しそうに微笑みながら、私の顔を覗き込んだ。


「ここで見たものは、誰にも話しちゃいけないよ。たとえ、お父さんやお母さんであっても」


 祖父の言葉は穏やかだった。でも、その言葉には決して逆らってはいけない、と感じた。

 ただ、逆らったら叱られるかもしれない、というよりも、逆らったら祖父が悲しむかもしれない、という気持ちが強かった。


「うん。分かった……」


 だから、私は素直に返事をして頷いた。極楽鳥のことは凄く気になったけど、祖父を悲しませたくなかったから。そうすると、祖父は微笑んだまま、再び頭を撫でてくれた。

 それから、二人で極楽鳥のいた部屋を後にして、父と母のいる部屋へ戻っていった。


 その後は特に変わったことも起こらず、近くの林で虫捕りをしたり、海水浴場にでかけたりしながら、残りの日々を過ごした。祖父はいつものように、私と遊んでくれたり、美味しいおやつを用意してくれたりしていた。


 まるで、極楽鳥のことなどなかったかのように。

 

 私も言いつけを守り、あの部屋で見たことは一切口にしなかったし、忘れてしまえと自分に言い聞かせ続けた。


 それでも、気を抜けば


 極楽鳥が美しい声で歌う姿

 

 悲しげになく姿

 

 不器用に飛んで地面に墜落する姿


 そんな光景を想像してしまっていた。

 

 祖父の家から帰ってからも、光景はことあるごとに私の頭の中に浮かび上がった。だだ、想像を繰り返すうちに、極楽鳥は段々とその姿を変えていった。



 しまいには、想像の中の極楽鳥の姿は、鳥とは呼べないものに変わってしまった。



 そんな空想を打ち消そうとして、夏休みの間は鳥類図鑑ばかり眺めていた。

 図鑑には、ゴクラクチョウという別名を持つ南方の鳥が載っていた。でも、あの日あの部屋で見た剥製には、似ても似つかない鳥だった。

 大人になった今も、私は事あるごとに極楽鳥について調べている。それなのに、未だに似ている鳥すら見つけられていない。

 多分、極楽鳥の詳細は、祖父に聞かないと判明しなかったのだろう。


 でも、祖父は私たちが帰った日の一ヶ月後に亡くなってしまった。


 祖父はまだ暑さも残る時期だというのに、二階の一室で、石油ストーブをつけていたそうだ。

 それが倒れて、家ごと焼けてしまったらしい。


 近隣の家との距離が離れていたため、大ごとにならなかったことは幸いだったのかもしれない。でも、優しかった祖父が亡くなってしまったことや、楽しい思い出の詰まったあの家がなくなってしまったことが、凄く悲しかった。


 それに、極楽鳥の詳細が、永遠に分からなくなってしまったことも。


 それでも、私は諦めずに、今日も極楽鳥の情報を集めている。


 綺麗な声で歌い


 悲しげな声で泣き


 ヒトの髪の毛のような羽毛が生え


 ヒトの右耳のようなトサカが生え


 ヒトの目と爪に似た目と觜を持ち


 ヒトの腕から手に似た下肢の骨を持ち


 鍵のかかった窓を自力で開けられる


 そんな鳥が、この世の何処かに生息していることを信じて。

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觜《くちばし》 鯨井イルカ @TanakaYoshio

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