第2話 聞き込み
左京さんは事情を聞き終えるとおもむろに紅茶を入れ始めた。そんな事をしている場合ではないというのに。
「いえ、一度落ち着くべきです。東雲君はいささか気持ちが先行し過ぎています。紅茶でも飲んで一旦思考を整理しましょう」
「でしたら、私は珈琲を淹れます」
「そんな泥み……いえ、失言でしたね。君の淹れる珈琲はそんじょそこらの泥水とは違いました。私の分も一杯お願いします」
「市販の珈琲嫌いも相変わらずですね。では淹れておきますので、私の分の紅茶もお願いします」
自分で入れた分を飲んだ後、お互いに入れたモノを飲む。以前、試しに左京さんが私のオリジナルブレンドを飲んで以来の日課となっている。
入れたての珈琲を啜りながら分かっている事を紙に書き出していく。
・侵入者の痕跡は無かった。
・私を起こす途中でいなくなった。
・悲鳴等は無し。
・起床時間の六時二十分頃の出来事。
・朝食の用意は完璧だった。
・いつも通りの美味しい朝ごはん
いや、これは別にいいか。
最後の一文を消そうとした時、部屋の戸が開く。
ノック無し……いつものあの人か。
「おいっす、今日も暇んなりそうだからお邪魔するぞっと。あ、そうだ東雲〜お前さんが変な事言うもんだから気になって確認したが特に動きなんて無かったぞ」
「そうでしたか、ありがとうございます」
「丸井課長、いつも言っていますが戸を開ける前にノックをして下さい」
「そう堅いこと言うなよ松上、基本的にお互い暇なんだから。それに、ほれ。いつも通りミルクを持ってきてやったぞ」
丸井課長は実家で取れた牛乳を差し入れに、よく暇つぶしにやってくる。その為、私の飲む
この人、置いてある二杯目のカップに勝手に牛乳を追加するからな。
「よし、東雲! 今日は珈琲を頼む」
そのくせ本人は牛乳を飲まずに珈琲か紅茶を催促してくるから困った人である。もう慣れたが。
新たに淹れた珈琲渡し、事情を説明する。
妻の——幸の存在はヤクザ連中に対する抑止力になっている。この署の管轄内にいる連中は一度、幸に壊滅されているからな……物理的に。
それ故に幸の失踪は組織犯罪対策課の課長である丸井課長に知らせておかないと拙い。
「なにぃ〜!? いなくなった? 嘘だろ?
お前さんといるのが嫌になって逃げたとかそんなオチじゃぁ……」
「なっ!? そんな事はありえませんが、もし仮にそうだとしても妻は突然いなくなるような人間ではありません! きっと何かがあったはずです」
思わず憤慨してしまった。
私と妻の仲は課長もよく知っている。
冗談なのは頭では分かっているが、受け流す余裕が今の私には無い。
「まぁ、そうだよな。嫌になる原因を破壊しに行くようなカミさんだもんなお前のカミさんは。だが、そうなるとかなり厄介な『何か』なのは間違いないだろうな」
「厄介……ですか」
「確かにその通りだと思いますよ。ちょうど我々の手は空いているわけですし、捜査してみるのも悪くないかもしれません。いえ、君の奥さんがいなくなったのです。探すのに協力は惜しみませんよ」
「左京さん……ありがとうございます!」
左京さんも厄介な『何か』があったと考えているとなると不安ではあるが、左京さんの協力を得られるのはかなり心強い。
「ただ、職権濫用になってはいけません。
他に失踪した人がいないか調べることから始めてみるとしましょう。聞き込みについては、少し騒ぎになった早朝の発光事件の調査ついでに聞いてみるのがいいかもしれませんね」
「「発光事件?」」
そんな騒ぎがあったのか……朝は妻を探すのに必死で街の事を気にする余裕なんて無かったからな。
少なくとも私は騒ぐような発光は見ていない。
「ええ、今朝方に巨大な半球状の光を見たとの通報が何件かあったと聞いています。確か六時二十分頃の事だったはずです」
「六時……二十分!?」
「松上ぃ、よくそんな時間まで覚えてるな」
私がいつも妻に起こされる時間だ。
「いえ、僕も目撃したのでよく覚えてるんですよ。
あれは東雲君の家の辺りだと思うのですが、君は見ていないのですか東雲君。東雲君?」
「あ、いえ私はその光とやらは見ていないんですが妻のいなくなった時間帯と一致しますね」
「ちなみに俺もその時間には起きてたが、そんな騒ぐような光なんてなかったぜ?」
「ええ、そうなんですよ。あれだけの光——かなりの光量だったのですが、見た人と見ていない人がいたんです。それに幸さんがいなくなったと思われる時刻と一致していたとは……単なる偶然とは思えませんねぇ」
見た人と見ていない人……そういえば出勤途中、普段より若者が多く外にいたのはそれが理由なんだろうか。もしかしたら本当に発光事件と幸の失踪が繋がっているかもしれない。
「松上さん! 早く聞き込みにいきましょう」
「落ち着いて下さい東雲君。まずは他に失踪した人がいないかを調べましょう」
「あー待て待て、失踪した奴がいるかどうかは俺が調べといてやるから行ってこい」
「ありがとうございます課長」
「ま、俺は付いてってやれねぇしな。そん代わりだ東雲、マル暴の連中に釘刺しといてくれや」
「分かりました」
ミルクティーの残りを一気に飲み干し、聞き込みに出掛ける準備を済ます。
全員部屋を出たのを確認し施錠、課長とは別れて松上さんと駐車場へ向かう。
その途中、松上さんに電話が一本かかってきた。
「……ええ、分かりました」
「何でした?」
「暇なら発光事件の事を調べておいてほしい、と署長からです」
それはちょうど良かったと車に乗り込み、市街へと車を走らせる。適当な駐車場に車を止めて、聞き込みを開始した。
朝感じた通り、普段より若者が多い。特に高校生から大学生くらいをよく見かける。
とりあえず聞き込みをかけていく。
「発光現象? さぁ、俺は見てないけど。お前、見たか?」
「いや俺も見てない」「俺も」「私も」「吾輩も」
なんか一人変なのがいたが、有力な証言は無し。
数を稼ごうと手分けして出歩いている若者を中心に声をかけて聞き込みをしていく。
目撃者も中にはいたが、「強い光で目が覚めた」だの「白くてでっかい光だった」とかで大した手掛かりはなかった。光があった方角も聞いてみたが、いずれも見たのが家の中からな為正確な方向というよりなんとなしの方角くらいしか分からない。
「なかなか有力な手掛かりはありませんね」
「私は年配の方や主婦の方にも話を聞いてみたのですが、目撃者は一人もいませんでしたよ。通報の方も若い方や子供が光を見たと騒いでいるというものばかりだったそうです」
「松上さんは例外として若い人しか見れない光なんでしょうか」
「と言うよりかは、若い人の方が見るための条件を満たしやすい光と考えるべきです」
考察を交え歩いていると、ゴミ拾いをしている男達がいたので声をかける。
「へ、あ! 東雲の旦那! どうしたんですかい?
幸の姉御の方はお元気で?」
マル暴の連中だったか。こいつら壊滅の一件以来かなり丸くなったよな、今日も清掃活動してるし。
「はい?! 姉御がいなくなった!? どどどどこにいるんでさ、堅気に迷惑をかけることは最近は無かったはずです。まさか、こないだ拾った子猫の世話が不味かったんでしょうかい? 東雲の旦那」
抑止力の不在に喜ぶより怯えるか。釘を刺す必要も無さそうだが一応な。
「幸がいないからって悪さすんじゃねぇぞ。幸が帰ってきた時の事考えて動けよ。それで、どんな子猫だったんだ」
「もちろんでさ、旦那。俺ら世代の目が黒いうちは若い衆にも悪さなんてさせませんぜ。あ、子猫の写真があります。コチラです。検査と躾が終わったら堅気に戻った奴らの経営する保護猫カフェに預けやすんで、もし良かったら遊びに来てやってくだせぇや。姉御と一緒に」
三毛猫と戯れる幸の笑顔が見たくなった俺は捜査により一層気合を入れてのぞむのだった。
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