地球編 捜査開始

第1話 失踪

 私、東雲しののめ 宗一郎そういちろうの朝は妻の呼ぶ声で始まる。

 だが、今日はそうならなかった。

 いつもは「あなた〜、ごはんですよ〜起きてくださ〜い」と呼びかけて起こしてくれるのだが、それが途中までしか聞こえなかったのだ。


 いつもと違う朝の違和感に飛び起き、寝室を出て階段を下りダイニングに向かう。

 そこに妻の——さちの姿は無く、有るのは用意されたばかりの朝食だけだった。

 リビング、浴室にトイレと確認するが幸の姿は見えず、玄関の鍵や靴を見るに外に出た形跡も無い。

 念の為に息子達の部屋も確認したが、いるのは春に大学生となる三男坊だけ。

 妻が——母親がいなくなった異変に気づかず呑気に寝ている息子を、つい叩き起こしてしまった。


「——っぇ、なんだよ父さん! 今は春休みなんだから寝ててもいいだろ!」


左門さもん、幸が……母さんがいないんだ。確かに私を起こす声はしたのに、その途中で突然いなくなったみたいで何処にもいないんだ」


「はぁ!? あの母さんが父さんを置いて出て行くはずがねェ。俺は二階を探して見るから、父さんは一階をもう一度探してみたらどうだ?」


「あ、ああ」


「落ち着けって父さん。刑事だろ」

 

 息子の励ましを受け、冷静になるよう深呼吸をしながら階段を下りる。

 再びダイニングに入ると、足の指先が何かに触れた。


「さっき戸を開けた衝撃で落ちたのか……幸ぃどこにいるんだ、いるなら出てきてくれ」


 落ちていた銀婚式の記念写真を拾い、握り締めながら呟いた。

 いや、泣き言を言っている場合ではない。


 もう一度家の一階を念入りに探す。




 念入りに探したがいなかった。

 痕跡は無いが外に出たのかもしれない。

 一度外も見てみるか。


「ああ! 待って父さん!」


 玄関の鍵を開けた所で息子に呼び止められた。


「なんだ左門、二階にもいなかったのだろ?」


「そうだけど……外に出るのはナイトキャップは脱いでからにしなよ」


「おっと、椅子の上にでも置いといてくれ」


 息子にナイトキャップを渡し、サンダルを履いて外に出た。庭を見渡しても妻の姿は無く、車庫の車も全て残っている。

 これ以上はパジャマのままではまずい。

 着替えの為に一旦家の中へと戻ると、左門が自分の茶碗にご飯をよそっていた。

 この非常事態に呑気に朝飯を食べる気かと思うと怒りが沸いてくる。

 

「父さん、一旦落ち着いて朝ごはんを食べよう。

 どうも父さんは冷静になりきれてないし、母さんがせっかく用意した朝ごはんが冷めちゃうよ」


「分かっている! だが、これが事件なら犯人達が危ないんだ」


「え? 犯人が危ないの? 母さんじゃなく?」


 そうか……子供達は知らないんだったな。

 幸の本当のを。


「お前達が小さい頃、探検して怒られた廃墟があっただろ」


「ああ、兄さん達についてって怒られたっけ。

 縦に裂けたシャッターに、拳の跡がくっきり残る壁のひび割れや踏み抜かれたような穴の空いた床とかがある鉄筋の建物のこと……だよな」


「あの廃墟にある破壊痕は全て母さんがやった」


「嘘……だろ……?」


「年少の時に拐われた幸一を助ける為にな」


 驚きのあまり落とした箸を拾い、洗って渡してやると息子は再起動した。


「それがマジなら確かに犯人が危ない……。

 まぁでも、それって自業自得じゃない?」


「本当のとこを言うと、私が案じているのは犯人達の無事じゃない。幸がやり過ぎて逮捕する羽目にならないかなんだ」


 当時は色々と誤魔化しが効いたが、科学捜査や法整備の進んだ今だとどうなるか分からんからな。


「それなら早く仕事に行って上司で相棒の松上まつがみさんに相談した方が良くない? それに時間、まだ大丈夫なの? 朝の占い始まってるけど」


「普段から時間に余裕があるように起きているから時間はまだ大丈夫だ。と、言ってもこれ以上探している時間は無いな。醤油をとってくれ」


 息子の手前そう言ったが時間は結構ギリギリだったので急いで朝食を堪能し、身支度を整え玄関を出る。


「いってきます」「いってらっしゃーい」


 安全運転で街の様子に異常がないか確認しながら出勤するのが習慣なのだが……今日はやけに若い世代を多く見かけるな、今日は何かイベントでもあるのだろうか。



 職員駐車場に愛車を止め、刑事課特命捜査係に与えられた一室へ向かう。

 特命捜査係は本来の警察署には存在しない。

 私の上司で相棒の松上左京まつがみさきょうが十五年近く前に警察が隠蔽しようとした不祥事を暴き解決した為、左遷する先として設立されたらしい。なんでも手元に置いておくと余計な事まで暴いて厄介だが、頭抜けた捜査能力を利用できなくなるのは惜しいと思った上層部の苦肉の策だそうだ。


 元々は左京さん一人だけだったが今は左京さんと私の二人だけが所属している。

 上層部からの特命の捜査依頼も無く、他の課からの捜査協力要請も無く暇していた左京さんが三十年前に妻が起こした暴力団壊滅事件に興味を持ったのが始まりだった。

 その類稀なる推理力で事件の真相を見抜き、当時刑事課の強行犯係にいた私を問い詰めるに至るまでに時間はかからなかった。

 その際に立場を顧みず妻を庇ったのを気に入ったのか捜査の補佐を頼んでくるようになり、壊滅事件の真相を公にしないでくれた事もあって協力しているうちに特命捜査係に配属され今現在にいたる。


「よう、お前さんが時間ギリギリに来るなんて珍しいな。かみさんとでも何かあったか?」


「おはようございます課長。

 当たらずも遠からずですかね」


 組織犯罪対策課の前を通ると課長の丸井課長が声をかけてきたので挨拶を返す。

 課長からはよく捜査協力要請を受ける事もあり、課の前を通ると声をかけてくれる事が多い。

 

「おいおい、お前さんとこのかみさんに何かあるとヤツらが怯えて何しでかすか予想が難しくなるから勘弁してくれ」


 ヤツらとは幸が昔壊滅させた暴力団の残党達の事で、あの事件以来改心してゴミ拾いや花壇の世話等地域貢献するようになった連中だ。

 未だに幸への恐怖心が拭えないのか、言い争ったとかで幸の機嫌が悪い事を察知するとよく分からない暴走をして通報がくる事がままある。

 

「今のところ動きは無いですか?」

「ん? 無いが……おい、まさか」


「すいません課長、詳しくはまた後で」

「あ、おい——」


 呼び止めようとする課長の声を背に、特命捜査係の部屋へ入る。

 出退勤確認用のマグネットを在室の位置に移したところで一息つく。


「おや、東雲君が時間ギリギリとは珍しい。

 スーツやネクタイの具合からして幸さんと何かありましたね? いえ、まさかとは思いますが幸さんがいなくなったのではないですか?」


「はい、そのまさかです。

 相変わらず鋭いですね左京さん」


 スーツやネクタイを確認するがネクタイがいつもに比べ少しだけ緩い程度しか違和感は無い。

 左京さんの変人的な洞察力には長い付き合いなのでもう慣れてはいたが、幸がいなくなったことまで当てられたのには少し驚いた。


「こないだの左門君の合格祝いにお邪魔した時に聞いたんですよ、幸さんに。旦那さんの——東雲君のネクタイを出勤前に確認して送り出すのは、たとえどんなに喧嘩しても忘れない。と」


 そうか、だからネクタイが緩かったのか。

 毎朝幸に緩めのネクタイを締めてもらうのがルーティーンとなっていたから、その癖でついネクタイを緩めにしたまま出勤してしまったのだ。

 しかし、ネクタイの緩みだけで幸がいなくなったことまで察せるのは付き合いの長い左京さんだからこそでもあったようだな。


「実はですね……」


 正直、左京さん以上に幸を探す上で頼りになる人は他にいない。

 待ってろ幸、必ず見つけ出してやるからな。

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