38話 調子に乗ると厄介
嫌いではないけど少し苦手だというようなことは、誰にでもあると思う。
たとえば私は、刃物を扱うときや食器などの割れ物を触る際、慣れた作業にもかかわらず若干の苦手意識を拭えない。
一人暮らしを始める前から大きな失敗こそ経験していないけど、包丁を握ると心のどこかに恐怖心があり、食器を棚から出し入れするたびに落としてしまわないかとハラハラしてしまう。
「カナデさん、こんな感じでいいですか?」
キッチンで私の隣に立つリノが、視線をこちらに向けて小首を傾げる。
まな板の横に置かれたボウルを見て、私は迷わずうなずいた。
「うん、完璧。すごいね、初めてとは思えないよ」
大きさにバラつきがなく、感動すら覚えるほど均等に千切りされたキャベツの山。
今晩のメインであるとんかつを揚げながら、リノの包丁さばきがいかに見事か思い知らされる。
「ふふんっ、聖剣を自在に操るボクにとっては容易いですよ! 刃物の扱いでは誰にも負けない自信があります!」
当然ながら、異論はない。
包丁の持ち方はちょっと危なっかしいものの、目視不可能な速度でありながら精密機械のように正確無比な仕上がり。
リノは見た目通り私よりも年下だけど、手際のよさに敬意すら覚える。
「……カナデ、終わった……」
リビングの方から、サクレが姿を現した。
本人から強い申し出を受け、最近はトイレ掃除をサクレが担当してくれている。
作業が終わると決まって私のところに顔を見せ、そわそわした様子で頭を差し出す。
「ありがとう。サクレは私より上手だから、安心して任せられるよ」
サラサラの髪に手を当て、頭を撫でる。するとサクレは嬉しそうに微笑み、無垢な表情にこちらも笑顔がほころぶ。
トイレ掃除だけでなく、食器を片付ける際にも甲斐甲斐しい働きを見せてくれる。
私が洗った食器をタオルで丁寧に拭き、棚に収納。シンプルでありながら重要な作業であり、その動きには一切の無駄がない。
「このままじゃマズいわ!」
晩ごはんを食べ始めて少しした頃、唐突にファルムが声を荒げた。
「ソースじゃダメだった? おろしポン酢の方がいい?」
「違うわよ! カナデが作ったとんかつは、なにも付けなくてもおいしいわ! あたしが言ってるのは、同居人としての立場よ!」
ホッとした反面、正確な情報を得てもなお釈然としない。
同居人としての立場って、どういうことだろう。
「あはっ、ファルムさんだけ家事に貢献できてませんからねぇ。危機感を覚えて焦っちゃったんでしょう? 年長者のくせに、ボクやサクレさんがカナデさんを手伝ってる間もボケーッとしてるだけでしたよね~」
リノは味噌汁を一口すすった後、水を得た魚のようにまくし立てた。
「うるさいわね、メスガキは黙ってなさい! 熱々のとんかつを下の口で食べさせるわよ!」
「へぇ~……カナデさんが真心込めて作ってくれたおいしいご飯を、そんなふうに扱うんですね~」
過激な表現を用いるファルムに対し、イジワルそうに目を細めるリノ。
毎度毎度、止めるべきだと分かっているのに、ついつい微笑ましく感じて見守ってしまう。
「た、確かに……! 珍しくまともなこと言うじゃない。あんたの言う通りね。用を足した後にちゃんと拭いてないような不潔極まりない場所に、カナデお手製の食事を近付けるなんて言語道断よ」
「最低最悪な形で同意しないでください! ちゃんと拭いてますよ!」
「それはどうかしらね。お風呂に入る前、あんたが脱いだ下着からおしっこの臭いが漂ってくるような気がするんだけど?」
「間違いなく気のせいです! まったく、長生きしすぎて感覚がボケてるんじゃないですか?」
「小便臭いメスガキが……ブチ殺すわよ」
「うっ。い、いまのは言いすぎたかもしれません。だけど、ボクは念入りに拭いていますからね。それだけは覚えておいてください。カナデさんとサクレさんも、くれぐれも誤解しないでくださいね」
年齢に関わる煽りに対して、ファルムは私にも分かる明確な殺意を抱いた。
瞬時に危険を察知したリノは、ばつが悪そうに顔を背けながら潔く退く。
名誉を守るために慌てて弁解する様子が、なんともかわいらしい。本人にしてみれば笑いごとじゃないだろうから、口には出さないけど。
「本題に戻るけど、小便娘の言ったことはあながち間違ってないわ」
「あれ? ボクの呼称、変わってませんか?」
「排泄物常時垂れ流しのメスガキは静かにしてなさい」
「常人なら号泣するレベルでえげつない言われ様なんですけど……下手に口を挟むとどんどん誇張されそうなので、ここは黙っておきますよ」
リノは諦念の溜息を漏らしつつ、食事を再開する。
ファルムの発言が気になったので、タイミングを見計らって「本題って?」と訊ねた。
「リノもサクレも、カナデの役に立ってるわ。それに比べて、あたしはなにも……。これじゃあ恋人じゃなくて、ただのお荷物よ」
「へ? ファルム、本気で言ってるの?」
心底呆気に取られ、間抜けな声を漏らしてしまう。
ファルムがお荷物だなんて、冗談にもならない。
精神的にも生活的にも、ファルムにはいくら感謝しても足りないほど助けられている。
「調子に乗りそうだからあんまり持ち上げたくないですけど、ファルムさんがいなかったらいまの生活は有り得ないと思いますよ」
「……余も、同意……」
リノが言っているのは、決して創造魔法による恩恵だけではない。
サクレもそれを理解しているからこそ、大げさなまでに首を縦に振ったのだろう。
「ファルムはお荷物なんかじゃないよ。いつもすっごく助けられてるんだから、もっと自信持って」
「そ、そうよね! あたしとしたことが無駄に後ろ向きなことを考えてたわ! ふふっ、カナデのお墨付きをもらえて自信が沸いてきたわよ! メスガキたちの働きなんて児戯にも等しく感じられるぐらい、あたしはカナデの力になれてる! そう、ご褒美におっぱいを吸わせてもらえるかもしれないほどに!」
しまった。
柄にもなく殊勝な態度を見せるから、本心とはいえ言葉に出しすぎた。
「はぁ……カナデさん、この感じだと寝るまで続きそうですよ」
「なんというか、ごめんね」
リノが危惧していた通り、ファルムは目に見えて調子に乗っている。
ハイテンションで絡まれたサクレが、「……煩わしい……」と嘆いた。
恋人として素直に褒めたい気持ちはあるんだけど、どうやら細かな加減が必要らしい。
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