11話 聖剣使い

 剣の間合いとは。

 剣を振って当たる範囲なのか、伸ばした腕や踏み込む距離も含めての範囲なのか、それ以外の基準があるのかどうか。

 平凡な一市民である私が自信を持って説明できることは、なに一つとしてない。

 分かっているのは、目で見て確認できることだけだ。

 さっきまで寝転んでいた少女は、こちらを正面に見据え、余裕を誇示するように足を組んで座っている。

 華奢な右手に握られた眩い長剣は、全長およそ2メートル。

切っ先をこちらに向けた状態でピタリと制止しており、重さで腕が震えるようなことはない。

 背筋が凍るような恐怖を覚え、血の気が引くのを感じる。


「ちょっとあんた、カナデを怖がらせるんじゃないわよ。その剣、さっさと下ろさないとへし折るわよ」


「おや? よく見たら、女神様に歯向かってボコられたバカなハイエルフさんじゃないですか。あはっ、滑稽ですねぇ。女神様がダメだったからって、こんなちっぽけな世界のゴミみたいな生き物に手を出すなんて――新手のボランティアかなにかですか~?」


「カナデを侮辱するなんて、ただ殺すだけで済ませるわけにはいかないわね」


「さっきはあえて質問しましたけど、これは敵と断定してよさそうですねぇ」


「御託はいいから、かかって来なさいよ。さっさと終わらせてデートの続きを楽しませてもらうわ」


 目の前で物騒な方に話が進んでいく。

 私は未だに混乱と恐怖で言葉すら発せられず、ただ立ち尽くすことしかできない。


「お望み通り、聖剣のエサにしてあげます!」


 少女は勢いよく立ち上がりながら、剣を頭上に掲げた。


「へぇ」


 私ごときの動体視力では目で追えない速度で振り下ろされた剣を、ファルムは難なく片手で掴む。

 剣を掴むという行為がそもそも常識外なのに、一閃を受け止めた右手はまったくの無傷だ。


「なるほど、この剣は魔力を吸い取る能力が備わってるのね。しかも本体が魔力で構成されているから、使用者は重量に悩まされることもなく羽を振るように剣を扱える、と」


「な、なに余裕ぶって解説してるんですか! 無傷なのは想定外でしたが、このまま魔力を根こそぎいただきますよ!」


「べつに魔力なんていくら吸われても問題ないけど……ねぇ、あんたまだあたしに勝てると思ってるわけ?」


 ファルムは剣の切っ先を掴んだまま、呆れたような声で問いかけた。

 謎の少女が放った最初の一撃を、ファルムが防ぐ。

 言葉にすればそれだけのことだけど、実際はもっと大きな意味を持つ。

 つい数秒前まで勝ち誇ったような表情を浮かべていた少女が、いまは眉をひそめ、明らかに虚勢だと分かる発言をした。

 対するファルムは変わらず余裕な態度で、相手に落胆しているような素振りすら見せている。


「当たり前です! ボクは聖剣使いのリノ、負けるわけにはいかないんです!」


「自己紹介ありがと。時間の無駄だから、そろそろ終わらせるわね」


「なっ!?」


 ファルムがそう言った直後、謎の少女――リノちゃんが転倒した。

 誰かに足を払われたとか、そういう理由ではない。

 彼女が聖剣と称した武器がなぜか消滅し、体勢を崩してしまったのだ。


「脅威でもなんでもなかったけど、あんたにとって自信の源っぽいから次元の狭間に隠させてもらったわ。あとで返してあげるから安心しなさい。まぁ、死体には不要な物かもしれないけど」


「せ、聖剣がなくても、ボクは負けません!」


「は?」


 リノちゃんはよろよろと立ち上がり、ファルムに鋭い視線を向ける。

 当然だけど私なんて眼中にないのだと思った刹那、リノちゃんは私に向かって一歩踏み込み、腕を伸ばした。

 ――殺される!

 反射的に目をつむり、身を屈める。

 何者かに襲われた際の対処としては、愚策としか言いようがない。

 私はいままでに経験したことのない痛みを味わうのだと覚悟し、精神面だけでも攻撃に備えた。

 けど、なにも起こらない。


「あれ?」


 おそるおそる、ゆっくりと目を開ける。


「カナデ、もう大丈夫よ」


「リノちゃんは?」


 辺りを見回しても、横にファルムがいるだけだ。

 さっきまで目の前にいたはずのツインテ少女は、どこにもいない。


「さすがに殺したらカナデにドン引きされると思ったから、適度にボコって縛って家に置いてきたわ」


「い、いまの一瞬で?」


「時間の流れを歪めたのよ。意識を残して身動きできない状態で手足を粉々にして再生させて、それでも詫びないから腹パン数百発ぐらい喰らわせて、結局反省の色がないから家に運んで手足を空間ごと固定して、いまに至るわ」


「や、やりすぎじゃない? 相手は女の子だよ?」


「むしろ軽すぎるぐらいだわ。あたしのカナデに手を出そうとするなんて、本来なら永遠の地獄を味わってなお足りないぐらいよ」


「ファルムのではないけど、守ってくれてありがとう」


「嫁を守るのは当たり前のことだから、気にしなくていいわ」


 戯言はともかく、今回は本当にファルムのおかげで助かった。


「デートの続き、する?」


「もちろんよ!」


 その後、私たちは日が暮れるまで公園で遊んだ。

 遊具もなく、ボールなどの道具もない。

 なのに、時間も忘れるほどに楽しんだ。

 死に直面した恐怖なんて、頭から完全に消え去っている。

 だから、かな。

 楽しい気持ちのまま家に帰り、リビングで見えないなにかに縛られたような姿勢で横たわるリノちゃんと目が合ったとき、襲われたことへの怒りなんかは、微塵も感じなかった。


「ご、ごめん、忘れてた」


 むしろ、家で拘束されてるって忘れてごめん、と申し訳なく思ってしまう。


「ずいぶんとお楽しみだったみたいですね。聖剣使いのリノと他国にまで名を轟かせるこのボクを、こんな目に遭わせておいて」


 でも、それは自業自得のような……。


「黙りなさい。あんまり騒ぐと、そのツインテール丸めて口に詰め込んで窒息させるわよ」


「くっ」


 ファルムが吐き捨てるように言うと、リノちゃんは悔しそうに唇を噛みながら指示に従った。


「さぁて、デートの後は調教の時間ね。カナデ、いまからこのメスガキを徹底的に分からせるわよ」


 女神様をメスガキ扱いするだけあって、リノちゃんにも躊躇なく同じ蔑称を用いるファルム。

 どう考えても穏やかじゃない空気だ。


「わ、分からせるって、なにを分からせるの?」


「カナデはまだ未成年だから、詳しくは話せないわ。あんたは黙ってあたしに協力すればいいのよ」


 私、未成年に詳しく話せないようなことに加担させられるの?


「ぼ、ボクはちょっとやそっとの拷問には屈しませんよ!」


 リノちゃんがじたばたと身をよじり、抵抗の意思を示した。

 背中に回された両手と、胡坐をかくような形で固定された両脚だけが微動だにしておらず、ファルムが言っていた『空間ごと固定』という言葉の意味を理解する。


「あらあら、黙ってろって言ったわよね? 心配しなくても、ちょっとやそっとどころじゃ済まないから楽しみに待ってなさい」


 ファルムはいったい、リノちゃんになにをするつもりなのだろう。

 私がファルムに敵対することはまずないけど、もしものときは私が止めなくてはならない。

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