歴史保安隊~派遣タイムトリップ~

@taknak

第1話

「あかん、こんなん、やってられへん」

 麹町康太は、眉間に皺を寄せながら憤った。その皺、梅干に似てへん? と、大学時代の友人達に笑われて以来、なるべく寄せないようにしていた眉間の皺を、だ。

「やってられへん、てなぁ」

 康太の目の前に立つおっさんは苦笑しながら、

「兄ちゃんな、そんなん言うてたら、金なんていつになっても稼げへんで」と、バーコード・リーダーを康太から受け取る。

「ええわ。こんなんやってたら、人間が萎んでまうわ」

 康太は悪態をつきながら周囲を見回した。大阪港近くにあるピッキング工場。パートのおっさんやおばさん、覇気のない若者らがカートを押し、棚の中からネジやら何やらが入った小袋を取り出し、それに印字されたバーコードをバーコード・リーダーで読み取り、カートの中に投げ込んでいる。

「こら、乱暴に扱ったら、あかん!」

 康太の目の間にいるおっさんは怒鳴ると、

「まだ1時間も経ってないで、自分」と、時計に目を遣った。朝の8時48分。始業から38分が過ぎたばかりだった。

「あかん、こんなん、1時間ももたへん。騙されたで」

「騙されたて……。今までの最短記録やで。昼飯食った後に帰ってった奴はおるけどな」

 康太は、日雇い労働で今朝この工場に来たばかりだった。

「単調やし」

「派遣元から、事前に説明は受け取るやろ」

「ピッキングて、横文字やから、もっと格好ええ仕事かと思っとったわ」

「仕事に格好ええも悪いもあらへんやろ。食う為なら何でもするもんや」

 康太はそれを無視して、

「仕事始まる前から、残業確定しとるし」

「繁忙期やから、しゃあないやん」

「ババア、ばっかりやし」

「それ言われたら、しゃあないわ」

「煙草は吸えへんし」

「それは、おっちゃんだって困っとる」

 工場敷地内では完全禁煙だった。

「酒は飲めへんし」

「当たり前や」

「ほな、辞めさせてもらうわ」

 康太は、作業着を脱ぎ捨てると、さっさと控え室の方へ去って行ってしまった。その後ろ姿をおっさんは見つめ、

「駄目や、あいつ。自分の身の丈が分かってへん」と、溜め息を吐いた。


 康太は大阪淀区のドヤ街にある、家賃1万ぽっきりの貧乏アパート2階の自室に戻ると、腐った煎餅みたいな座布団を枕代わりにして仰向けになった。天井裏からネズミの駆け回る音が聞こえてくるが、そんなことには慣れきっているので気にならない。捕まえて食ってやろう、ぐらいにしか思ってなかった。

「あかん、何もやる気せえへんわ」

 康太はそうのたまうと、尻を横に向けて放屁し、煙草に火を点けた。

「ほんまに、何もやる気せえへんわ」

 仰向けに戻ると、煙草を咥えたまま目を瞑った。

「何で、こんなんなったんやろ」

 『こんなん』とは、就職浪人のことである。康太は2浪して何とか入学した、三流もとい四流大学を、1年留年した後、つい2ヶ月程前に無事卒業したのだが、在学中に就職先が決まらず、今はバイトで口を糊しながら就職先を探す毎日を送っていた。当初の目論見ではすぐにも就職先は見つかると踏んでいたが、今ではバイトすらも安定して続かない状況に陥っている。その要因は、何事に対しても辛抱の効かないワガママで癇癪持ちの性格にあるのだが、本人にその自覚はちっともなかった。

 部屋の隣りから、何か呪文を唱える様な声が聞こえてきた。壁が薄いために隣り近所の音が丸聞こえなのだ。いつぞやの朝方に康太が放った、豪快な屁の音で目が覚めてしまったと、下の部屋に住む股引ジジイに文句を言われたことがあった。股引ジジイとは、康太が勝手に付けた綽名で、1年中股引を穿いていることに由来する。

「やかましいわ、ボケ!」

 ただでさえ苛立っている康太は、壁を蹴飛ばしながら怒鳴り声を上げた。すると、隣りの部屋から呪文は聞こえなくなった、隣りに住んでいるのは、名を飯田橋稔といい、本人いわく新興宗教の教祖ということだが、康太の憶測するところ、その信者は限りなくゼロに近かった。

「仕事、どないしよ」

 康太はまるで他人事のように呟くと、枕元に丸めて置いてある求人誌を手に取ってパラパラと捲って見るものの、

「あかん、ロクなの載ってへん」

 すぐに枕元に投げ捨て、天井をぼんやりと見つめ、横を向いて放屁し、仰向けに戻り、腹の虫が鳴ると、

「何か食いに行こか」と、灰皿に煙草を押し付けて立ち上がり、廊下へと出た。

「教祖、一緒に昼飯食いに行かへん?」

 教祖の部屋のドアを乱暴にノックするも、

「行かへん」と、くぐもった声が返ってくる。

「ほな」

 康太はそう言うと階段を降り、近所にあるボロくて汚い定食屋の暖簾をくぐった。

「何や、お前か」

客席に腰掛け、競馬新聞を広げて読んでいた、頭の禿げ上がったずんぐりむっくり体型の店主が、つまらなそうに顔を上げた。

「何や、やあらへん。飯や飯」

「飯じゃ分からへん」

「生姜焼き定食や。それと、生ビール」

「ビールて、こんな時間から、大層なご身分やのう」

「うっさいわ、ボケ。先にビール持って来てや」

「おお、こわ。若いモンが働かんと、どないすんねん」

 店主は鼻をほじりながら立ち上がると、厨房の方へ入って行く。

「働き口があらへんねん。しゃあないやん」

 康太は勝手知った様子で、テーブルの上に置いてあるリモコンを手に取り、店の天井の隅に設置されたテレビの電源を点けた。お笑いの番組にチャンネルを合わすと、テーブル席に着いて煙草を吸い始める。

「ビールや」

店主からジョッキを受け取り、グビリと美味そうに一口。

「ああ、ほんまに幸せや」と、その言葉通り幸福そうな顔をして、テーブルに肘をつき、テレビに見入り、テレビの中の観客と一緒に笑い声を上げる。その姿はもはや、実人生に疲れたおっさんの風情だった。

「ほれ、できたで」

 店主は、脂身ばかりの豚の生姜焼きを山と盛った皿と白飯、味噌汁をテーブルの上に置くと、康太の前の椅子に腰掛けた。

「早いな」と、康太は早速、脂身に箸を付ける。

「さっと焼くだけや、そんなもん。時間なんて掛からへん」

 店主はつまらなそうに言うと、胸ポケットからピースの小箱を取り出し、一本抜き取って美味そうに吸い始めた。

「ええな、楽な仕事見つけて」

「何や、急に?」

「こんな汚い店でも、一国一城の主や。誰にも顎で使われんと、のびのびしてられるやろ」

 康太は、褒めているのか貶しているのか判然としない口調で言った。すると店主は、

「自分、仕事せえへんの?」と、急に真面目な顔になった。

「したくても、あらへんねん」

「あるやろ、仕事なんていくらでも」

「オレに合う仕事がないねん」

「あんたに合う仕事って、何やねん?」

「……分からん」

 康太は面倒臭そうに言うと、ビールを呷り、

「楽して稼げる仕事がええわ」

「そりゃ、わしかて同じや。誰だって同じや。だけどな、世の中にそんな仕事なんて1個もあらへんで」

「あるやろ、1個ぐらい」

 店主は溜め息を吐き、

「そんな考えやったらあかんで。若い時は買ってでも努力せえ、ゆう格言があるやろうが」

「何、急に学ある振りしとんねん。あっち行けや。ゆっくり飯が食えん。……ほんで、脂身ばっかりやな、これ」

「だから安いんや」

「詐欺やで、ほんまに」

「商売上手言うてくれや」

 店主はそう言って立ち上がると、厨房の方へ去って行った。その後ろ姿を見送り、

「しょうもないオヤジや」と康太は呟くと、テレビに目を戻して笑い声を上げた。


「また、来るで」

 康太は、ほろ酔い気分で店を後にすると、駅前へ足を向け、ぶらぶらと歩き始める。

 商店街へと入った。本屋に立ち寄り求人誌を捲ってみるが、

「あかん、同じようなのばっかりや」と悪態を吐き、漫画喫茶へと入って行く。

「楽して稼げる仕事、探せばあるやろ」

 個室ブースに入った康太は、ネット検索を始めた。

「日給3万……あかん、ホストやん」

 康太は、こけしみたいな何の面白味もない自分の顔を呪うように呟くと、

「トラックの長距離ドライバー……あかん、普通の免許もあらへん」

 そんな調子で仕事は一向に見つからず、

「疲れたわ」と、アダルト・サイトを閲覧し始め、

「あかん、アルコールが切れてきた」

 自動販売機で缶ビールと菓子を買って来て、漫画を読み始めてしまう。再びほろ酔いになってきたところでネット検索を始め、ふざけて『日給10万円』と入力してみた。

「あるやん」

 検索がヒットした。そのサイトをクリックし、

「医療モニター、24時間拘束……どういうこっちゃ?」

 いくら見ても詳しい内容は書かれていない。

「まあ、ええわ。1日で10万貰えるなら、10日で100万貰えるってことやろ。見てみい、あのオヤジ。楽して稼げる仕事、探せばちゃんとあるやんけ」

 喜々とした表情を浮かべながら連絡先をメモすると、康太は自動販売機でもう1本缶ビールを買って来て美味そうに飲み始めた。


「10万入るねんから、少しぐらい遊んでも構へんやろ」

 と、漫画喫茶を出た康太は、その足でパチンコ屋へと入り、

「10万入るねんから、全然痛ない」と、財布を空にして出てくると、街中をぶらつき出した。

 前方から見知った顔。康太は舌打ちし、Uターンしようと背を向けたものの、

「あれ、麹町やん!」

 笑い声を含んだ声に呼び止められてしまう。

「面倒くさ」

 康太は呟きながら振り向き、

「おう、浜松か。久し振りやな」

 作り笑いを浮かべる。

「ほんまやな」

 スーツを着た角刈りの男も作り笑いを浮かべ、康太に歩み寄ってくる。名を浜松武志といい、康太の大学の同級生。学生時代は学年でトップを争うほど成績がよく、四流大学の中の一流に属していた。

「何しとん? こんな時間にそんな格好で」

 ブランド物のスーツをこれみよがしに見せつけながら、浜松は康太のヨレヨレのシャツを見て笑った。

「ゆ、有休でな」

「へえ、じゃあ、仕事みつかってん?」と、意外そうな表情を浮かべる。

「ま、まあな」

「何の仕事なん? 有休使わせてくれるなんて、羨ましいわ。うちんとこなんか、全然使わせてくれん。まあ、オレが休んだら、会社の不利益になるっちゅうことやから、しゃあないけどな。で、何の仕事なん?」

「い、医療関係や」

「へ?」

 浜松は一瞬、間抜けな表情を浮かべ、

「医療器具の営業か?」

「ま、まあ、そないなこっちゃ」

「ほう」と、疑わしげな表情を浮かべるも「良かったやん、仕事見つかって。こないなこと言っちゃ悪いけど、麹町は就職するの無理やと皆が思っとったからな」と言い、ガハハと豪快な笑い声を上げた。

「余計なお世話や」

「せやな。まあ、頑張りや。ほな」

 浜松は康太の背中をバシッと叩くと、ガハハと笑い声を上げながら歩き去って行ってしまう。

「何やねん、あいつ。気分悪いわ」

 康太は悪態を吐きながら歩き始め、途中で鯛焼きを買って帰った。

 アパートへ戻ると教祖の部屋のドアをノックし、

「教祖、鯛焼き食わへん?」

「食う」

 ロボットのような返事。

「ほな、入るで」

 ドアを開けると中は真っ暗闇。しかも、

「ウへッ」

 康太は、部屋中に充満するお香の煙と臭いに噎せてしまった。

「はよ、閉めてや」

 部屋の真ん中で、座布団の上に胡坐を掻いて座る髭もじゃの男が、抑揚のない声で注意するが、

「アホ、こんな部屋におれるか。換気せえ」

 康太はズカズカと部屋の中へ入り、雨戸と窓を開け放つ。

「眩し……」

 教祖は顰め面をしながら、顔の前に両手を翳した。皮膚は病的に青白く、伸ばし放題の髪の毛はパサつきが酷くて、パッと見はドレッド・ヘアのようにも見える。四角い縁の眼鏡を掛け、群青色の作務衣を着ていて、教祖というよりは陶芸家や書道家といった雰囲気を醸し出していた。

「自分、ちゃんとせな、あかんで」

 康太は、自分のことは棚に上げて説教臭い口調になり、

「外に出んと、一日中暗くて狭い部屋に閉じ籠ってたら、人間廃れてまうで」と、煙草を吸い始めるた。教祖はそんなことなどお構いなしで、鯛焼きを頬張り始める。

「うまいやろ? 焼き立てや」

「うまい」

 本当にそう思っているのか分からぬ抑揚のない声で言うと、

「もう一個食べてええか?」

「オレの分なんやけど、しゃあないな。食べてええで」

「ほな」

 教祖は康太の分の鯛焼きも食べ始める。その様子をしばし見つめてから、康太は部屋の中を見回した。

「しっかし、相変わらず殺風景な部屋やな」

 部屋の中には古びた座卓と、綺麗に折り畳まれた布団があるだけ。

「刑務所みたいや」と康太は笑うが、教祖は俯き、黙々と鯛焼きを食べ続ける。

「何や、あれ」

 座卓の上に、『ルノミー経典』と表紙に書かれた学習帳が置いてある。それを手に取り、康太はパラパラと捲るが、字があまりにも小さすぎて解読できない。

「こんなんじゃ、信者増えへんで」

 学習帳を座卓の上に放ると、康太は畳の上に横になって頬杖をつき、まだ鯛焼きを食べている教祖を見つめ、

「なあ、自分、何して生計立ててるん?」

「内緒や」

「どうせ、親の仕送りやろ」

「ちゃうわ」

「じゃあ、何や? 毎日この部屋におって、どうやって稼ぐいうねん。信者1人もおらへんから、お布施もないやろ」

「内緒や」

「ずるいわ。鯛焼き食っておいて」

「それとこれとは、別や」

 教祖は作務衣の袖で口の周りに付いた餡子を拭うと、座卓の方へ行き、引き出しからノートを取り出して何か書き始めた。

「何してん?」と、康太が後ろから覗き込むと、

「康太に鯛焼き二個奢てもろた、書いとんねん」

「日記付けとんのか?」

 教祖は無言で頷く。

「部屋に引き籠りっぱなしで、何を書くことあるねん」

「……いずれ、教えたるわ」

「何が?」

「何で稼いでるか、その内、教えたるわ」

「今、話せばええやん」

「時期尚早や」

「何やねんそれ。勿体ぶりおってほんまに。大体、自分何歳なん? まだ学生とちゃうんか?」

「来月で29や

「年上やん。30前のおっさんやん。働かんで何しとんねん」

「働いてるっちゅうねん」

「だから、何をしてるか教えろっちゅうねん」

「内緒や」

 康太は苛立ち、頭を掻き毟ると、

「ああ、アホくさ。ほな、自分の部屋戻るわ」

 教祖の部屋を後にし、自分の部屋へ戻って畳の上に仰向けになった。

「せや、電話せんと。募集終わってもうたら最悪や」

 ポケットからメモ紙とスマホを取り出し、電話を掛けた。コール音が鳴っている間に胡坐を掻き、相手が出るのを待った。

 しばらくして、

「お電話ありがとうございます。虎の子病院治験センターでございます」と、若い女の声が返ってきた。康太は少し緊張し、

「あ、あの、ネットで見て電話したんやけど、医療モニター? いうのに――」

「ありがとうございます」

 女は遮り、

「では、お名前と年齢と性別、現在お住まいのご住所を教えて頂けますか?」

 康太はその通り教えた。

「ありがとうございます。では麹町様。まずは当センターにお越し頂き、メディカル・チェックを受けて頂きたいのですが、ご都合の宜しい日時はありますでしょうか?」

「メディカル・チェック……」

 横文字に弱い康太は少し尻込みするが、

「別にいつでも構へん。明日でも明後日でも。それより、ほんまに1日に10万も貰えるんか?」と、さっきから訊きたくてウズウズしていた質問をした。

「はい」

 女は何の澱みもなく返事をし、

「メディカル・チェックでご健康体だと確認が取れれば、1日につき10万円の治験料を保証致します」

「そのぉ……治験て、具体的には何をするもんやの?」

 康太はそもそも、そこから話が分かっていなかった。

「新しい医薬品を投与させて頂き、どういった反応が起こるのかをチェックさせて頂くものです」

「つまり、実験台っちゅうわけやな」

 康太は独り言のように呟くと、

「何の医薬品やの?」

「様々な医薬品がありますので、その条件に合った医薬品のモニターをして頂こうと考えております」

「ふーん……」

 納得いったのかいっていないのか、よく分からないような返事をすると、

「まあ取り敢えず、その何とかチェックを受けさせて貰うわ。話はそれからってことやろ?」と、康太は横柄な口調で言う。

「はい。では、明日の10時はいかがでしょう?」

「ええよ」

「当センターの住所はお分かりになりますでしょうか?」

「知らん。教えてや」

 メモを取ると、

「ほな、明日の10時、よろしく頼むわ」

 康太は通話を切り、仰向けになった。その口元には笑みが浮かび、

「ほんまに1日で10万貰えるんや。最高やな」と、決して小さくない声で独り言をのたまった。

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