第2話 初代天皇「神武天皇」 西暦127年~

 ◆ ◆ ◆



《 歴史年表 》



 今より古代日本の「歴史年表」を示し遣る。

 この「年表」は「日本書紀」を独力にて翻訳し、解説や推察を交え遣ったものである。

 この「年表」には〝半年から1年くらいの遡る形での誤差〟がある。

 この「年表」にある〝邪馬台国がらみのイベント〟は実際の発生年より「プラス1年」足してある。



 ◇ ◇ ◇


【西暦127年】


〈甲牛31〉


 ウガヤフキアエズの息子、「神武天皇(4男坊)」生誕。



【西暦142年】


〈乙丑2〉


 神武立太子1年、神武天皇、皇太子に指名される。15歳。

※(時期は不明であるのだが、この前後に日向の「吾平津媛(アヒラツ姫)」を〝嫁にした〟と考えている。 また、これも時期は不明であるのだが、アヒラツ姫との間に「手研耳(タギシミミ)」が生まれている。 タギシミミは父親の没後、神武天皇が奈良にて儲けた異母兄弟と後継者争いをする事になる。)



【西暦150年頃】


 九州の北部地域を震源とした「倭国大乱」が発生する。

 


【西暦156年】


〈癸巳30〉(東征甲寅51)


 10月27日~29日、神武天皇は日向(宮崎県の何処か)から「神武東征」を開始する。29歳。

※(この頃の「東」は〝下関から山陽地方の海岸線を紀伊半島経由で関東地方へと進む事〟であり、「西」は〝下関から海岸線に沿いながらに福岡(長崎)方面へと向かう事〟であると考えている。 また、この「神武東征」には神武天皇の現地(宮崎県?)での息子である手研耳(タギシミミ)も同道しており、仮に神武天皇が〝皇太子に指名された翌年に手研耳が生まれていた〟とした場合、手研耳は現在「13歳」という事になる。)

※※(ちなみにこの当時、「九州」は「出雲」と呼称をされていた。 そもそも「出雲」とは「雲が地面より出でている様」、つまりは「地面から立ち昇る温泉の煙」から付けられ遣った呼称である。 最初にそう呼ばれた場所は「大分」だったのだけれども、しかしそれが転じては「九州」そのものを呼び表す言葉となった。 けれどもこの項では既に「福岡(九州)」の事を「出雲」ではなく「筑紫」と表現しているので、この時点までに「地名の変更」が行われたものだと考えている。 また、「島根」の事だけを「出雲」と呼称をされるようになるのはこれから後の話であり、それは〝神話の時代の全ての物語を「島根」で起こった事にしよう〟という作為的な理由であり、その結果〝全ての神様が「島根」に集まってしまった〟が為に「島根」のみが「神在月」で、それ以外の地域が「神無月」になってしまったものだと考えている。) 


 出発した神武天皇は、やがて「筑紫国(大分)」の「兎狭(ウサ・中津の東)」へと到着。

※(この当時、「筑紫(兎狭)」は「福岡北部+大分県」であった可能性が存在する。 もしくは「兎狭」は現在比定されている場所とは別の場所であるかも知れない。) 


 11月、神武天皇は「筑紫国(福岡)」の「岡水門(オカノミナト・遠賀川河口?)」へと到着。

※(この時この地にて〝戦闘状況〟が発生した可能性があるが、真実は不明。)


 12月、神武天皇は「安芸国(広島)」の「埃宮(エノミヤ)」にて滞在。

※(〝滞在〟という事は、この時既に安芸が〝支配下にあった〟事を意味している?)



【西暦157年】


〈甲牛31〉(東征乙卯52)


 3月25日、神武天皇は「吉備国(岡山)」へと到着。 「高嶋宮(タカシマノミヤ)」にて3年間(1.5年間)、戦闘準備(もしくは海戦)を行う。

※(この期間に〝海を渡って「四国」を制圧した〟かどうかは不明だが、少なくとも〝「神武東征」終了まで〟には「四国全域」の制圧は完了している。 また、この地にて長期滞在している事から、この地が既に〝領地であった〟可能性が高いものの、〝この地での戦闘行為が長引いた〟とも考えられる。)



【西暦158年】


〈丁酉34〉(東征戊牛55)


 2月17日~22日、神武天皇は「浪速国(なみはや国・神戸)」へと到る。 


 3月2日~7日、神武天皇は「河内国(大阪)」へと到る。 


 4月17日~21日、神武天皇は大和川を遡って「龍田(柏原・カシハラ?)」へと到るが、道が狭かったが為に和歌山へと迂回する? 


 この後、神武天皇達は和歌山市から「紀ノ川(吉野川)」を遡って東へと向かって進んで行くが、敵の総大将である「長髄彦(ナガスネヒコ)」に迎え撃たれては、神武天皇の兄「五瀬命(イツセノミコト)」は肘に矢を受けてしまう。 


 5月2日~5日、敗走した一行は「山城の水門(和歌山市?)」にて留まるが、「五瀬命」は矢傷が元で没してしまう。 


 6月16日~27日、一行は「熊野神村(紀伊半島南部?)」へと到着するが、神武天皇の二人の兄である「稻飯命(いなひのみこと)」と「三毛入野命(みけいりののみみこと)」は〝進軍がスムーズでは無い〟という理由から軍を離脱。 


 神武天皇はこの後、「熊野荒坂津(クマノアラサカツ)」、別名「丹敷浦(ニシキノウラ)」という場所にて「丹敷戸畔(ニシキトベ)」を倒してみせ遣るが、「神の毒気」により皆倒れてしまっては行軍不能に陥ってしまう。 そこでアマテラスは霊剣『布都御魂(フツノミタマ)』を下界の「高倉下(タカクラジ)」を介しては神武天皇へと届けてみせ遣ると、神武天皇は『フツノミタマ』を掲げては「神の毒気」は忽ちの内に消え失せた。 加えてアマテラスは「大和(奈良)」への案内役として「八咫烏(ヤタガラス)」を神武天皇のもとへと遣わし遣った。 

※(ちなみに【西暦158年7月13日】、ここいら辺で「皆既日食」が見られたらしい。)


 8月16日~16日、「?田(ウダ)」にて「兄猾(エウカシ)」を倒す。 


 9月1日~3日、戦闘準備。 


 10月15日、神武天皇は「国見丘(クニミノオカ)」にて「八十梟帥(ヤソタケル)」を倒す。 


 11月30日~12月3日、神武天皇は「磯城(シキ)」にて「兄磯城(エシキ)」を倒す。 


 12月15日~17日、神武天皇と長髄彦との再戦。 長髄彦を倒す。 

※(実際に長髄彦にトドメを刺したのは、「ニギハヤヒ(ウガヤフキアエズ)」の奈良での子供、「ニギハヤヒ二世(ウマシマジ)」であろうと考えている。)



【西暦159年】


〈戊戌35〉(東征己未56)


 2月15日~24日、神武天皇は葛で編んだ網で「土蜘蛛(つちぐも)」を捕らえて破り、故にその土地の名前を「葛城(カズラキ・かつらぎ)」と改める。 


 3月29日~4月2日、神武天皇は「橿原(カシハラ)」にて都を開く。 

※(この時、東征開始してから「6年」であると書いてあるが、これは現在の長さに換算すると「2年2ヶ月」くらいであり、「3年」も無い。)


〈己亥36〉(東征庚申57)


 同年の下半期。


 9月10日~21日、神武天皇は「大物主(大物具主)」の娘、「ヒメタタライスズ姫」を嫁さん(2人目)に迎える。 

※(この人物が後に綏靖天皇(すいぜい天皇)=崇神天皇(すじん天皇)を産む事になる。)



【西暦160年】


〈庚子37〉(東征辛酉58)


 神武即位1年、1月8日、神武天皇、即位。33歳。

※(このタイミングかもしくは神武天皇の没後くらいから「銅鐸」の製造が中止をされている。 そもそも「銅鐸」とは西日本の広い地域で生活をしていた私が言う所の「銅鐸族」の「テリトリーアイテム」であり、彼らは「ベトナム」辺りから来た者達であり、神話に登場する「タカミムスビ」とは彼らの事を指すのであろうと考えている。)


〈辛丑38〉


 神武即位2年、神武天皇は今回の「神武東征」に於いての論功行賞を行う。



【西暦161年】


〈癸卯40〉


 神武即位4年、神武天皇は「鳥見山(奈良)」にて「皇祖天神(アマテラス?)」を祭る。



【西暦162年】


 計算上、崇神天皇はこの年に生まれている。



【西暦163年】


〈丙牛43〉(神武壬寅39)


 神武立太子42年、1月25日~26日、「崇神天皇(綏靖天皇?)」、皇太子に指名される。0歳。 「崇神天皇(綏靖天皇?)」はヒメタタライスズ姫の2番目の子供である。 

※(生まれた直後に「太子指名」が成されているのは〝政治的な理由(嫁さんが東日本または地元の人間であり、支配領域を広げる事)〟が原因であろうかと思われる。 ちなみにこの(神武壬寅39)は、「(東征辛酉58)+神武立太子42年マイナス1」=99=「60年×1+(神武壬寅39)」で求める事が出来る。)



【西暦175年】


〈庚牛7〉


 神武即位31年、神武天皇は各地を巡り(国見を行い)、「腋上の丘」から眺めては、その地を「秋津洲(あきつしま)」と命名する。



【西暦180年】


〈庚辰17〉(神武丙子13)


 神武立太子76年、3月16日~21日、神武天皇、「橿原宮(カシハラノミヤ)」にて崩御。53歳。 

※(ちなみにこの(神武丙子13)は、「(東征辛酉58)+神武立太子76年マイナス1」=133=「60年×2+(神武丙子13)」で求める事が出来る。)


〈辛巳18〉(神武丁丑14)


 同年の下半期。


 9月26日~10月2日、神武天皇、「畝傍(ウネビ)山東北」へと陵葬される。 

※(この〝陵葬〟とは、〝遺体を墳墓(前方後円墳)へと埋葬する〟という意味の私が「定義」をした言葉である。 ちなみにこの「前方後円墳」、原文がどれであったのかは覚えていないが、「父はとても偉大な事をしたので前例の無いお墓を造ろう」という経緯から造られ遣ったものだと翻訳をした覚えがある。)


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