76話 新たな境地と天人族の契約(前)

 ザハ……何だって?


 間違いなくコアから届いたのであろうその言葉。

 複雑な音節が絡み合っていてサシャには聞き取れなかったが、それが奈落を指していることは分かる。コアが飛行蟲に圧倒されかけていて、かなり危機的な状況であることも。


「ヴィオラ!」

「はい!」


 咄嗟に投げかけたサシャの呼びかけに、シルヴィエの向こうから即座に返事が戻ってくる。ヴィオラはいつもそうなのだ。この場では特にありがたいと、サシャは双剣を振るいつつも彼女に頼みごとを叫んだ。


「なんか、ちょっと、ヤバそうなんだけど! ヴィオラ、あの斬撃の魔法で、強引に道を! 急がないと!」

「――デスサイズTulzscha!」


 言葉足らずの依頼にもかかわらず、詠唱すら省略された緑白の閃光が前方へと放たれた。それはヴィオラの神剣に宿った、古の破壊女神による巨大な死の鎌。進路上のもの全てに平等な安息を与える、太古の死の息吹だ。


「ありがとう! よしみんな、急ぐよ!」


 サシャがひと声叫び、ヴィオラの斬撃が創り出した死の道へと駆け出していく。上下に見事分断された飛行蟲の残骸が邪魔だが、戦いながら進むことを思えば断然早い。


「――確かにズメイの姿が見えなくなっているぞ、流石にやられたか!? 良く気づいたなサシャ! 急ごう!」


 下半身が馬体であるが故に視点の高いシルヴィエがサシャの言葉を捕捉し、猛然とその進撃速度を上げた。その槍捌きはもはや神がかっていると言っても過言ではなく、先行するサシャが燃え上がらせた飛行蟲の頭、ふたつの緋色の複眼の中央をやすやすと貫いてとどめを刺していく。


「私も負けないぞ! 唸れ精霊! 世界の敵を駆逐し、道を開いてくれ!」


 エリシュカが声を張り上げ、ヴィオラに負けじと頭上の氷塊を立て続けに連射し始めた。この場合唸っているのは精霊ではなく、もの凄い勢いで射出されていく氷塊群の風切音だ。それらはまるで操られているようにシルヴィエを避け、サシャを避け、ラプトルまでも避けて次々に飛行蟲だけに命中して打ち倒していく。


「うははは、見たか聞いたか精霊の唸り声を! ついに私は古代魔法でマスターを超えた――」


 エリシュカの高笑いが戦場に上がった、その瞬間に。






 ――もはや、此処まで。






 全員の頭の中に重く苦しげな声が響いた。


 同時に呪縛にも似た途方もない重圧が、この場で争う全ての者の動きを遍く奪い去った。凶暴性を剥き出しにして飛行蟲に群がるラプトルも、前腕の鎌でそれを迎え撃つ飛行蟲も、エリシュカが射出した氷塊までもが急速にその勢いを失い、ひょろひょろと力なくその場に落下していく。


「今のは、何だ……?」


 シルヴィエの呆然とした呟きと共に最後の氷塊が地に落ち、まるで蒸発したかのように融けて消えた。


 残ったものは、水を打ったような沈黙と、奇跡のように時間が止まった激戦の場。


 そして再び、全員の頭の中に苦しげな声が響く。





 ――次世代を……託されし者よ…………吾の……を……汝……託す…………





「ま、まさかコアが喋ってるのでは?」

「ありえぬ。いくらラビリンスの精髄とはいえ無機の結晶ではないか。だが、私にもそうとしか……」


 サシャの後方で囁かれたヴィオラとイグナーツの声が、いやにはっきりと残り全員の耳に届いた。


 それは、サシャを除く四人全員が共通して直感したこと。

 そしてサシャだけは、それが紛れもない事実だと知っている。何か言おうとして口を開きかけたその時、再び苦しげな声が切れ切れに頭の中に響く。





 ――吾等ヴラ……未来……あれ…………





 それはこの<神罰の迷宮>と呼ばれるラビリンスの、最期の言葉。

 意味が分かるほどはっきりとは聞き取れなかったが、そこに込められた無念さだけは十二分に伝わってきた。


 同時に、コアに残された途方もない量の青の力も。


 サシャの前方で目が眩むほどの鮮烈な青光が円形闘技場コロセウムの天上へとほとばしり、渦巻きながらサシャ目がけて降りてきている。


「ちょ、カーヴィ!」


 サシャが咄嗟に肩掛け鞄を手繰り寄せ、中におとなしく隠れているはずのカーヴィに手を伸ばす。以心伝心、あやまたずにカーヴィが鞄の中でサシャの手に出してくれたものを取り出して両手で持ちなおし、それをサシャは――


「サシャさまっ!」

「何とまたか! 気をつけろサシャ!」


 ヴィオラとシルヴィエの警告の叫びと、渦巻く青の奔流がサシャを飲み込んだのはどちらが先だったか。少なくともサシャは、まばゆい青に染められた視界の奥から二人の声を聞いた。


 そして瞬く間にきらめく奔流がその渦の半径を狭め――


「よし来いっ!」


 ――サシャは忘れてはいない。この<神罰の迷宮>に潜るにあたり、ひとつの課題があったことを。


 あまりの急展開に心臓が破裂しそうなほど暴れているが、イグナーツにもらったヒントに自分なりの改良を加えた案を実行に移すべく、冷静にタイミングを計って。


「今だっ!」


 みるみるうちに眼前に迫る壁となった青に、そしてそれが自分を飲み込む直前に、えいやとばかりにカーヴィから渡してもらった空の大型魔鉱石を突っ込んだ。


「そして、【ゾーン】を上書き……うわああぁああぁああーーー」


 新たに上書き展開した【ゾーン】から、想像を上回る青の力が濁流となってサシャの体内の泉へ流れ込んでくる。それもそのはず、【ゾーン】で支配したこの一帯には既に青の力が具現化し、奔流となって渦巻いているのだ。かつてない効率で一気にサシャの元へと取りこまれてくる。


 けれどもサシャは空の魔鉱石を離さない。

 しっかりと両手で保持し、自分に流れ込んで来ようとする青の奔流に、まるで盾にするかのように自身の前にかざし続ける。


 そう、サシャが必死に試みているのは、<天人族の契約>ヤーヒムズ・コアを作り上げること。イグナーツが言うには、青の力ならばかなり操れるサシャであれば、このやり方で二級品ぐらいは作れるのではないか、と。


 そもそも空の魔鉱石は、濃度の高い魔力に触れればそれを吸収する性質を持つ。


 それをサシャに流れ込もうという青の奔流にまず突きつけ、そこから青の力だけサシャが強引に吸い上げれば、混じっていた魔力だけが空の魔鉱石に残るのではないか――そうイグナーツはヒントをくれたのだが。


「わあああぁああぁああーー」


 途方もない青の奔流がサシャの体内の泉になだれ込み、激しく泡立っている。サシャの誤算、それは良かれと思って【ゾーン】を追加展開したことだ。


 イグナーツがくれたヒントだけでは、最高に上手くいって二級品ができるかどうかというところだろう、サシャはそんな予感がしていた。前回の<密緑の迷宮>で流れ込んできた膨大な青の力を思い起こせば、そんな悠長なことをやっている余裕なんてない――それをサシャは心配したのだ。


 その懸念を解消するために前もって【ゾーン】を展開し、出来るだけ青の奔流を事前にそちらで吸収してしまえばいい、そう考えたのだが。


「あひゃああぁあああぁああーー」


 元々の案では、奔流とはいえ一本の流れを魔鉱石経由で受け止めればよかった。けれども補助として展開したつもりの【ゾーン】、その効率はとんでもなかった。展開した瞬間、周囲で渦巻いている全てから一気に青の力を吸い上げる形になってしまったのだ。


 確かに【ゾーン】経由であれば、余計な混じり物のない純粋な青の力だけ綺麗に抽出して吸収できる。それは思惑どおりだった。周囲のきらめく渦は一気に青の色合いを失い、サシャにはよく分からない魔力だけになっている気はする。


「それならこのままああぁあぁあああーー」


 そう。どんどん透明になっていくその迸りを、必死に保持している空の大型魔鉱石が貪欲に吸い込んでいるのだ。かなりの量が魔鉱石に収まりきらず直接サシャにドバドバと流れ込んできているが、それはそれだ。


 魔鉱石だけを考えれば、悪くないものが出来そうな流れである。このままサシャがもうちょっと耐えれば、このまま魔鉱石が壊れなければ。


 サシャはまあなんとか耐えれるとして、はたして、大半がサシャの方に流れ込んでいるとはいえ、この途方もない奔流に魔鉱石が耐えれるものだろうか。


「もうちょっとだからあぁあああーー」


 ピシリ、と走った大型魔鉱石の亀裂を必死に手で押さえつつサシャは奮闘する。自らに流れ込んでくる【ゾーン】からの奔流をどうにか受け入れ、魔鉱石の負担を少しでも減らすために、魔鉱石内部に混じり込んだ青の力だけでも吸い上げて。


 周囲の渦を見る限り、魔鉱石が吸収しきれずにサシャに流れ込んできた透明な力、それはどうやら泉には入らずにそのまま体外に排出されているらしい。そしてどうやら、魔鉱石は遅ればせながらそれも吸い込んでいる。


 サシャという青の力濾過器を経て更に純度が上がった透明な力は、魔鉱石と更に相性が良いらしい。青の力と入り混じった奔流の直撃を避けられた効果もあるのだろうか。押さえた手の下でピシリピシリと嫌な感触を走らせながらも、なんとかバラバラにはならずに貪欲に透明なその力を吸収し続け、そして。


「――サシャさま!」

「サシャ!」

「使徒殿ッ!」

「サシャ君!」


 ようやく収まってきた力の奔流の向こうから、皆がサシャの元へと駆け寄ってきた。くらり、とふらついたサシャの体を、イグナーツの長く逞しい腕が受け止めて。


「おおお! なんて素晴らしい<天人族の契約>ヤーヒムズ・コアなんだ――ありゃ?」


 サシャの手から魔鉱石を奪い取ったエリシュカがびくりと固まった。目の前に掲げたその魔鉱石が、亀裂に沿って三つに割れたのだ。


「ちちち、違うぞ! 私が壊したのではなく、元々割れていたんだからな! そうだろうサシャ君、そうだと言ってくれ!」

「エリシュカ、今はそれどころではないぞ。周りを見ろ。サシャ、動けるか?」


 シルヴィエが臨戦態勢で見回す先、そこには無数の飛行蟲とラプトルが未だ彫像のように固まっている。今はまだ先ほどのコアによる呪縛に囚われているようだが――


「いったん退きましょう! さっきのコアの言葉を思えば、この呪縛が解けた後にラプトルですらどう動くか分かりません!」


 ヴィオラの指摘に全員が息を呑んだ。


 そうなのだ。これまでラプトルは一行には敵対姿勢を見せていなかったが、それはコアに防衛戦力として召喚されていたからである。


 だが、先ほどのコアの最期を予感させる言葉。もしその言葉のとおりに、コアが死んでしまっていたら――


「――ッ! 動き出すぞ気を抜くな!」


 周囲を埋め尽くす飛行蟲が、そしてその奥にいる数千ものラプトルが、一斉に身震いをしている。そして困惑しているようにも取れる一瞬の空白の後、けたたましい雄叫びと共に猛然と周囲との戦闘を再開した。


 止まっていた時間が一気に流れ始めたかのような、唐突な乱戦の再開。しかも見る限り、ラプトルに以前のような意思統一は一切感じられない。たとえそれが同じラプトルであろうと、一番近くにいる相手に獰猛と襲いかかっているのだ。


 それはまさしく、ラビリンスが死を迎えた時と同じ行動。召喚主の枷から解き放たれ、自然界と同じに剥き出しの闘争本能に従いはじめているのだ。


「ぬんッ!」


 咄嗟にイグナーツが展開した神盾に、何匹ものラプトルと飛行蟲が激突した。


「ぼんやりしている暇はないぞ! 使徒殿、動けるか!?」

「え……と、もう大丈夫! ありがとうイグナーツさん! ちょっとぐるぐるしてただけで、もう収まったよ!」


 サシャが慌てて跳ね起き、周囲の大騒動に再び眉をしかめた。ラプトルが自由に暴れまわっているからではない。何というか、先ほどから全てをはっきりと知覚できてしまっているのだ。


 イグナーツの神盾に弾かれた飛行蟲の、怒りと混乱に突き動かされた皮翼の羽ばたき。その向こうで互いに争うラプトルの身体から飛び散る血飛沫の、それら一粒一粒の軌跡。


「エリシュカ、後ろ!」


 サシャが身を翻すなり斬り飛ばしたのは、魔鉱石を握りしめたまま後ろに立っていたエリシュカの、そのまた後ろから襲いかかってきていた飛行蟲の鎌だ。


 前腕を鎌ごと失った飛行蟲はそのまま蒼い焔に包まれて燃え上がり、その周囲をサシャが人間離れした動きで瞬く間に制圧していく。


「す、すまないサシャ君助かった! だがなぜ分かった――」

「説明はあと! 今はこの場を切り抜けないと!」


 今のサシャには全てが"見えて"いる。

 展開している【ゾーン】、その半径二十メートルほどの範囲内にある全てが、頭の中で立体的な像を結んでいて手に取るように分かるのだ。


 暴れ狂う飛行蟲とラプトル、その一匹一匹の微細な動きも。

 先ほど切り飛ばした飛行蟲の鎌が、カランカランと人知れず地面を転がっていく様子も。


 新たな境地に足を踏み入れたサシャの、無敵の蹂躙劇が始まった。




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