70話 祖父との語らい(前)

「サシャ! 待っていたよ!」

「サシャ君、精霊が見えるというのは本当か!」


 魔法使いクラン<幻灯狐>の前庭。

 魔法の鍛錬の場ともなっているそこには、大勢の魔法使いクランメンバー に囲まれた年齢不詳のハイエルフと、そこからこちらに駆け寄ってくるクランのサブマスターの姿があった。


「サシャ君、私は君が精霊が見えるなどと聞いていないぞ! ひどいではないか!」

「え、ええと、気付いたのはこの間だし、見えるようになったのもたぶん最近で――」


 両肩を掴んでがくがくと揺さぶってくるエリシュカに、サシャがしどろもどろに説明をする。実際、そうとしか言えないのだ。


 初めて精霊の姿に気づいたのはザヴジェル南領境からの帰路で、オルガが古代魔法を使った時。それからそこかしこに精霊の姿が見えることを意識するようになったのだ。


「どうしてかって言われても、自分でもよく分からないし――」


 なんでそんなことになったかというのは、もしかしたら奈落の先兵との戦いの中で【ゾーン】を使い、膨大な青の力を吸収したのがきっかけのような気がしないでもない。


 それから癒しにしても何にしても妙に調子がいいし、姉ダーシャがちらりと言っていたように、精霊とは世界を織りなし、四大元素を滞りなく回すための存在である。世界そのものとなるサシャたちヴラヌスからすればパートナーのようなものなんじゃないかなあ、そんな風に解釈しているサシャである。


 もっとも、ダーシャにそれを確認した訳でもないし、彼女以外においそれと話せる内容でもない。曖昧にしてごまかすしか選択肢はないのだ。


「あはは、私の孫はすごいんだから。シェダの精髄、紫水晶の瞳も受け継いでいるし、天人族の血も流れているしねえ」

「おおお、なるほど!」


 何がなるほどなのかさっぱり分からないが、後から歩み寄ってきたローベルトの言葉にエリシュカは大いに納得したようである。自分を表す大層な言われようにやや居たたまれなさを感じつつも、それで追求が止まるならまあいっか、とサシャは感謝を込めて祖父ローベルトの姿を見上げた。


「さあサシャ、ここなら遠慮なく古代魔法を放てるし、ちょっと精霊の挙動を見ていてくれないかな? 他の皆さんもお待ちかねだよ」

「そうだサシャ君! 頼んだよ!」

「…………あれ?」


 どうやらこの場を支配している流れは、なぜ精霊が見えるのかという理由を追求するよりも、まずはそれを最大限に利用して古代魔法の研鑽と研究をしよう、そちらに特化した流れらしい。


 そんな流れを作り出せるのはひとりしかいない。


 サシャに精霊が見えることを知っていた人物、昨日サシャが古代魔法を見て思わず漏らしたひと言――うわぁ、すごい数の精霊が集まってきてる!――を聞いて目を輝かせた当人、サシャのおじいちゃんである。


 どうやらサシャの部屋で昨夜遅くまで続いた質問攻めでは飽き足らず、今日この場に来て実践面での検証を進めていくことにしたらしい。事実、今サシャの眼前では。


「さあ皆さん、これからは孫のサシャが精霊の動きをチェックしますからね! 謎多き古代魔法の無駄なところを劇的に改善できるチャンスです! 順番に見てもらいましょう――おっと、一番は譲りませんよ?」

「なら二番は私だ! サブマスター権限を使ってそれを主張する!」


 あまりといえばあまりな光景に、なんだかエリシュカが二人になったような、そんな錯覚に囚われるサシャ。どちらにしろ休む暇もなく、引っ張りまわされることが判明した瞬間だった。


「やあ、やっと来てくれたかい。あたしゃもう疲れちまったよ」

「オルガ……」


 そこに足取りも重く歩み寄ってきたのは、この<幻灯狐>のクランマスター、最近とみに苦労人の風貌が強くなってきたオルガである。


「あんたの爺さん、ローベルト卿は凄い人物だけど……ちょっとアドバイスするだけで、メンバーたちの古代魔法がみるみる改善されてはいくんだけど……」


 そこで、はあ、と深々とため息を吐くオルガ。


「うむ。サシャとエリシュカを足して二で割らなかったような、そんなお人柄だな」

「分かるかい、シルヴィエ。そのとおりだよ」

「えええ、エリシュカが二人じゃなくて!?」


 サシャの抗議は見事に流され、オルガとシルヴィエは二人で会話を続けていく。


「尊敬もするし、メンバーを導いてくれて感謝もしているけど、あたいはちょっとひと休みしてくるからね。シルヴィエもおいで。あんたは魔法の鍛錬なんて見てもさっぱりだろう? ヴィオラもイグナーツももう揃っているから、この先の段取りについて軽く相談しちまおう」

「え、ねえ僕は……?」

「うむ、それは良い考えだな。物事は段取りで八割が決まる。ヴィオラがいるってことはラダも来ているのだろう? ここまで歩き詰めでな、ちょうどラダの淹れる茶が飲みたいと思っていたところだ」

「ああ、そいつはいいね。あたいも一杯飲みたいところだ。じゃあそういうことで、あとはサシャ、頼んだからね」


 オルガが視線で示すのは、<幻灯狐>のメンバーたちが我も我もと賑やかに順番決めをしている光景である。その中心で水を得た魚のように生き生きと順番に口を挟んで裁定をしているのはもちろん、サシャの祖父ローベルトとエリシュカだ。


「ええ!?」

「ああ、いくら祖父だからといって失礼はないようにな。あれだけ気さくに振る舞ってくれてはいるが、このザヴジェル独立領のみならず大陸全土で考えても上から数えられるほどの影響力を持つお方だ」

「そうさね。実際のところこの流れでローベルト卿に見てもらえれば、これまで手探りで進めていた古代魔法の復元が今日一日で一気に進む気はするよ。あんたの<幻灯狐>顧問としての初仕事だ。しっかりやってきておくれ」

「そういうことだ。精霊が見えることはもちろん、あのお方の接待役としてもお前以上の適任はいない。ではサシャ、後でな」

「えええ!?」


 そうしてオルガとシルヴィエは一旦中に引っ込むことをローベルトに丁寧に謝罪し、サシャを残して去っていったのである。


「さあサシャ、まずはおじいちゃんの魔法からだぞ! 精霊がどのタイミングでどんな風に動いたのか、遠慮なく全てを教えてくれ!」

「おおお! あのローベルト卿の魔法がこの目で観れるなんて! サシャ君、絶対に見逃してはダメだぞ!」


 それから<幻灯狐>全クランメンバーによる入れ替わり立ち替わりの古代魔法検証が続き、精根つきはてたサシャが解放されたのは夕暮れになってからだった。


 ちなみに。


 クラールの力が弱まり、日照時間が短くなっていることにサシャが感謝したのは生まれて初めてのことである。



 ◇



「いやあ、実に有意義な時間だった。予想はしていたけど、精霊の動きが分かるだけでこんなにも古代魔法のメカニズムが解明できるなんて」

「ローベルト卿、本当にありがとうございました! 私、今日だけで随分と実力が伸びた気がします!」

「ローベルト卿、私も古代魔法の何たるかがうっすら掴めたような気がします!」

「あっはっは、私も大満足の一日だったよ。聞くところによるとサシャはここの顧問になっているそうだね。これからも孫をよろしく頼むよ」

「はいっ!」


 夕焼けに照らされた<幻灯狐>のクランハウスに、がやがやとクランメンバーたちが帰ってきた。その中心にいるのは魔法界の大御所、魔法騎士団<白杖>の名誉団長でもあるハイエルフのローベルトだ。


 今日一日ですっかりメンバーたちの尊敬を勝ち得たローベルトだったが、そのハイエルフならではの碧の瞳で元々貴族の屋敷であったクランハウス内部をもの珍しそうに眺め、ふと思い出したように周囲に尋ねた。


「ああそうそう、この後サシャとちょっと話したいんだけど、どこか部屋を借りれるかい?」

「もちろんですローベルト卿! こちらの応接室をお使いください!」

「おお、すまないね。お茶とか何もいらないから、少しだけ孫と二人で話させてもらえるかな?」

「はいっ!」


 ありがとう、と気さくに礼を言ったローベルトが、悪戯っ子の笑みを浮かべて最後尾のサシャを振り返る。


「おーいサシャ、おじいちゃんと少しお話ししよう。色々聞きたいことが尽きなくてねえ」

「おおう? ひと休み?」

「もちろん。今日は疲れただろうけど、もうちょっとだけお話に付き合ってくれるかな?」

「……はあい」


 人の輪から遅れ、カーヴィを抱き締めて癒し成分を補充していたサシャが、ローベルトが開いた応接室のドアへと素直に歩いていく。


 サシャとてローベルトのことは嫌いではないのだ。年齢不詳の見た目なのにおじいちゃんと呼ばせられていることに若干の抵抗はあるものの、向けられる慈愛の眼差しは紛れもない肉親のものだ。ただ、少しだけ距離感がつかみ切れていないだけだ。


「ほらサシャ、そこのソファに座ろう。今日は本当に助かったよ」


 ドアを後ろ手に閉め、二人きりの空間を作ったローベルトが朗らかに微笑む。

 こうした瞬間にサシャは、ああこの人と家族なんだなあ、と思うのだ。幼い頃によその家の窓越しに眺めていた光景の只中に、今の自分がいる。そう考えるとなんだかこそばゆくて、勝手に頬が緩んでしまうサシャであった。


「いやあ、昨夜からずっと聞きそびれていたことがあってね。サシャは昨日の晩餐会でも、かなりの量を食べていただろう?」

「え?」


 初めての二人きりの会話は、思いがけずの食いしん坊指摘から始まった。


 しまったああ!と内心で絶叫するサシャ。

 貴重な肉親にそんな第一印象を与えていたとは、痛恨の作戦ミスである。たしかに勧められるままに片端から食べてしまっていたが、本来はもっとこう、錚々たる肩書を持つ家族にふさわしく上品にいくべきだったのではあるまいか。


 が、サシャのそんな内心にはお構いなく、ローベルトは上機嫌に笑う。


「いやいや、若者がたくさん食べるのは見ていて気持ちの良いものだからね、それは構わないんだけど。でもサシャ、おじいちゃんは逆に心配になっちゃってね――」


 そこでローベルトは微笑みつつも底の見えない翠の瞳でサシャを見つめ、こう続けた。





「――血は飲まなくていいのかな、と」





 ふぁ!?

 思わずサシャの口から漏れたのは、驚きの叫びか狼狽の叫びか。


 確かにローベルトは血の繋がった祖父である。けれどもそれは母方、ヴァンパイアではないエルフの血筋なのだ。迫害されるどころか地方の名士であるローベルトが、まさかその秘密を知っているとは――


「あはは、僕には隠さなくてもいいんだよ。君の父親のヤーヒム君も義姉のダーシャ嬢も、生粋のヴァンパイアだってことは知ってるから」

「え、あ」

「二人はさすがに小食でね。人の食事を食べれないことはないけれど、果実水のようなもの――それなりに美味だが腹は膨れない――だって言ってたかな。けどあんまりにもサシャが美味しそうに、その上たくさん食べるものだから、その辺りはどうなんだろうって思ってて」

「あ、えと」

「混血なのは知ってるし、父譲りの膨大な青の力を持っていることも予想はついてるんだ。癒しの力だったり、奈落の先兵を浄化したって噂の聖光の正体はそれなんでしょ?」

「…………」

「よく分からないのはウチの娘リーディアとの混血で、その辺りの種族特性がどうなっているのかってこと。ほら、どうしようもないことなのに我慢させるのも可哀想だし、何だったら僕の血を飲ませてあげてもいいかなって思ってたんだけど」

「そそそそれはやめてっ!」


 思わず叫んでしまったサシャは、その流れで洗いざらい白状することとなった。

 姉ダーシャに相談したくはあったのだが、そこまで知られているのであればもう隠す必要もないと観念したのだ。


 言い当てられたとおり、聖光の正体はヴァンパイアの青の力であること。

 自分の場合血を摂る必要があるのは、その青の力を補充する時だけであること。


 普段は人間と同じご飯が食べたいこと。

 野菜と蜂蜜が好きなこと。

 ザヴジェルに来てクリームシチューとロールキャベツの美味しさに驚いたこと。


 これまで飲んだ、死んだ魔獣の血は泣きたくなるぐらいエグくて、美味しいどころか二度と飲みたくないと思っていること――


「あは、予想以上に人間寄りなんだねえ。それは僥倖。でも聞いた話だけど、普通のヴァンパイアでも死体の血は不味くて飲まないらしいよ? 美味しいと思うのは動物にしろ人間にしろ、生血だけだって」

「し、知らなかった……。でもやだよ生血なんて。想像するだけでもウエってなる……」

「ははは、サシャがそんな感性の持ち主で良かったよ。でもまあ、もし飲みたくなったら言ってね。その辺の人のを飲まれちゃ大騒ぎになるし、サシャなら幾らでも僕のを飲ませてあげるから」

「お、おじいちゃん……」


 なんともざっくばらんなローベルトである。

 サシャは初めて自分がヴァンパイアの血を引いていると知られた人物が、この年齢不詳の祖父で良かったと心から思った。なんというか、これまで肩にずしりと圧し掛かっていた重さが、すーっと空気に融けて消えたような解放感すら感じてしまっている。


「あ、でもねおじいちゃん。この間の戦いで姉さんが使った【ゾーン】の話って聞いてる? あれちょっとだけ使えるんだけど、あれを使うと血を飲まなくても青の力を補充できるんだよ。だからもうこれから血は飲まなくていいかなって」

「な、なんだって! それは初耳だよ!」

「なんでも姉さんの話によると、ヴァンパイアは成長すると血を飲まなくても【ゾーン】で栄養を摂れるようになったりする場合もあるんだって」

「なんと、だから隠れ里のヴァンパイアたちは血を飲まないのか……。ようやく謎がひとつ解けたよ」


 ……あれ?


 もしかして喋りすぎたかもしれないと焦るサシャだったが、まあいいか、と考え直すことにした。おそらく今のは姉ダーシャが秘密にしていた情報だった気がしないでもないが、ヴァンパイアが人から嫌われているのは人の血を飲むからである。


 そこにヴァンパイアが人の血を飲まずに生きていけるという話が広まれば、そうしたヴァンパイアたちの立場が見直されるかもしれないではないか。しかもその軸となるのは、これからの奈落との戦いでも大活躍が約束されたヴァンパイアの固有能力、【ゾーン】だ。


 もしかしたら近い将来、ヴァンパイアがヴァンパイアであることを隠さずに生きていける時代がくるかもしれない――そんな薔薇色の未来を想像して、心からの笑みがサシャの顔に広がっていく。


「そうかそうか、【ゾーン】がねえ……。ふうん、ヴァンパイア社会に<クラールの系譜>なるものが密やかに存在しているって大昔に聞いたことがあるけど、あながちそれも嘘じゃなかったってことか。ヤーヒム君は謎多き存在だったけど、ダーシャ嬢にしろサシャにしろ、もしかしてその系譜に連なる者なのかもねえ――」

「え」


 ぼんやりと自分の考え事に入り込んでいたサシャだったが、同じくぶつぶつと独り言をこぼしながら考え込んでいるローベルトの、その独り言の内容にハッと身構えた。


 姉から聞いた話を思い起こせば、完全なる正解でもない。けれどもかなり近いところまで迫っている内容だ。このままヒントをこぼし続ければ、いずれ正解に辿り着いてしまいそうに思えるほどに。


 さすがにそれはよろしくない。


 下手をすれば、ダーシャとサシャの天人族姉弟が天空神の子供だと妙な勘違いが広まってしまう。そうすればどうなるか。サシャはさすがに自分が幼神だと祀り上げられるのは御免だ。姉ダーシャにしても、同じ考えで秘密にしている内容なのではないか。


 サシャがどうにかしてごまかそうと、話題を逸らすべく口を開きかけた時に――




「ねえサシャ。昔、君の父親のヤーヒム君にもした、古の神々の話をしてあげようか」




 ――どこまでも深い碧の瞳を輝かせ、ローベルトがそんなことを言い出したのである。



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