64話 凱旋
夜明けとともに旧キリアーノ領から瘴気が消え失せてから十日。
守備兵の大量動員による厳重なる周辺偵察と、翼を持つ天人族ダーシャによる度重なるキリアーン渓谷偵察の結果、ザヴジェル騎士団の南方駐留部隊本部は正式に下記の旨を発表した。
――領境を脅かしたキリアーン奈落、その先兵の排斥に成功。
奈落を撃退したと言い切れないのが微妙なところだが、いつまでも臨戦態勢を続ける訳にもいかない。戦費も莫大な金額に膨れ上がっている。
現状も残存する死蟲の散発的な襲来はあるが、長大な境壁のお陰でザヴジェル領内に入り込むことはない。旧キリアーノ領に出なければ良いだけなのだ。
主力防衛部隊を除き、増援部隊の大半に順次の解散命令が下されたその日の昼下がり。
ファルタや周辺都市に帰還する第一陣でごったがえす中、サシャは重大な任務を帯びてその先頭を行進していた。
「神父さまー! ありがとよー!」
「新たなザヴジェルの英雄、救世の
「見ろよ、ヴィオラ様や<槍騎馬>もいるぞ! おおーい、おおーい!」
「サシャどの、貴殿の癒しのお陰で古傷が綺麗に――」
そう。
ザヴジェルの勝利を印象付けて士気を高揚させるため、民を慰安し明るい話題を与えるため、帰還する増援部隊の先頭を切って騎乗しているのだ。
先のカラミタ禍の英雄、天人族。
神隠しにあって行方知れずだったその稀少な種族の赤子が立派に成長し、今回の奈落という危機に颯爽と現れてザヴジェル勝利の原動力となったのである。これ以上の祝報はない。
同行者はヴィオラやシルヴィエ、イグナーツといった神剣使いの面々。いわゆる凱旋パレードに近い、
「ほらサシャ、笑顔が消えているぞ」
「サシャさま、頑張って!」
両脇からシルヴィエとヴィオラの檄が飛ぶ。
シルヴィエは神槍と化した愛槍をこれみよがしに背後に背負い、ヴィオラはぴかぴかに磨き上げられた純白のミスリルメイルで颯爽と騎乗して、それぞれサシャの左右に同伴しているのだ。
「…………」
顔見せメンバーの最後の一人、樹人族のイグナーツは、慣れた手綱捌きでその後ろを物静かについてきている。
彼は奈落との戦闘では今ひとつサシャ個人の警護を出来なかったとのことで、これからが本番だと心に期しているらしい。さりげなく周囲に鋭い警戒の眼差しを投げ、いつでも神剣を盾に変化させられるよう身構えている。
「えええー、なんかもう顔が引きつりはじめたんだけど……」
カーヴィを肩に乗せたサシャが愚痴をこぼすが、両脇の二人はそれを許さない。シルヴィエがまず溜息を吐き、サシャの肩からカーヴィを奪い取った。
「まったく。まだ境壁の陣地を出てもいないではないか。先は長いぞ? む、あそこにいるのは兵士食堂の料理人たちか。サシャ、お前に手を振っているみたいだぞ」
「え、チェニェクさんたち? どこどこ、あ、いた! おーい、美味しいご飯をありがとー!」
シルヴィエに教えられてサシャが大きく手を振ると、その一角からの歓声がどっと上がった。シルヴィエはそれによしよしと頷きつつ、手の中のカーヴィをこれでもかと撫で回している。この数日は忙しくて、なかなかそんな時間が取れなかったのだ。
「ふふふ、サシャさまは人気者ですね」
「まあ、毎食毎食あれだけ美味そうに食べていたからな。料理人たちには特に気に入られているらしい。そんなことを言えば、ヴィオラの人気もなかなかのものではないか」
「わたしくは、領主に連なる者として元々の知名度があっただけですわ」
ヴィオラとシルヴィエは専ら武を研鑽してきた者同士で馬が合うのか、この十日間で急速に仲が良くなっている。連日繰り返された偵察行の合間、暇を見つけては手合せをしていたらしい。
シルヴィエは偵察の合間も父親や他のケンタウロスがいる<青槍>傭兵団にしょっちゅう顔を出していたようだし、ヴィオラはヴィオラで騎士団の上層部との情報交換に余念がなかった。サシャからしてみれば、どうやって手合せの時間を作っていたのか不思議なくらいである。
ちなみにサシャは、偵察任務の空いた時間は姉ダーシャのところへ呼ばれることが多かった。【ゾーン】の練習も含め、色々と話すことが尽きなかったのだ。あとは、暇さえあれば料理人たちのところへと抜け出しておやつをもらっていた。大きな戦闘がなかったとはいえ、各人それぞれに忙しい日々を送っていたのである。
「ほらサシャ、その調子で皆に手を振ればいいのだ。ダーシャ殿にもそう言われているのであろう?」
「うう……頑張る」
「うふふ、サシャさまはやれば出来る御方ですよ?」
料理人たちとの賑やかなやり取りを終えたサシャに、シルヴィエとヴィオラが励ますように声をかける。実際、この顔見せ凱旋の意義は大きい。この終末がひしひしと迫ってくる厳しい時代、ザヴジェルの民にとってそれだけ天人族という看板は希望の象徴になっているのだ。
「むう、やるなら姉さんの方が適役なのに……」
「いや今回はサシャ、お前が主役だ。新たな英雄、なのだろう?」
「えええー、そんな柄じゃないのはシルヴィエも知ってるでしょ……」
「もう、サシャさまこそ今回の奈落の先兵撃退の立役者ではないですか。わたくしだけでなく、皆が知っていることですよ?」
サシャのぼやきは誰にも同意を得られず、そのまま周囲の歓呼の声に埋もれて消えた。
本来ならダーシャやフーゴといった有名どころもこの凱旋に参加してもおかしくないのだが、その二人はこの場にいない。
彼らは今もなお、奈落のその後を探り続けているのだ。いくら諸事情により先兵の排斥宣言がなされたとはいえ、実際のところは奈落を滅ぼした訳でも何でもない。なぜか勝手に消えた、そんな状況に過ぎない。
いくら探っても瘴気の痕跡すら残っていないとはいえ、再攻勢があった場合の守備戦力を空にする訳にはいかない。そして再攻勢がなくとも、翼を持つダーシャ、ケンタウロスのフーゴ、同じくケンタウロスの<青槍>傭兵団、そうした優れた機動力を持つ面々は更なる調査に欠かせない人材でもある。
そんな訳でカラミタ禍の英雄組は領境に残り、凱旋はサシャと神剣使いたちの新世代組のみで行うと決定されたのだ。
「……使徒殿、もう諦めよ」
ひとり項垂れるサシャに、後ろから樹人族のイグナーツが冷静に最終判決を下した。
「兵や民には拠り所が必要なのだ。それに全て誇張などではなく、事実だ。姉上殿にもあれだけ言い含められていたであろう?」
「そうなんだよねえ……」
分かってはいるんだよ?と深々ため息をこぼすサシャ。
この凱旋については、前もってダーシャから色々聞かされていたのだ。曰く、これは自分たち天人族しか出来ない仕事のようなもの。何をする訳でもなく、笑顔で手を振るだけで大勢の人を勇気づけられる。初めは大変だけれど、貴方も早く慣れてしまいなさい、と。
「……なんか父さんや姉さんの七光りな感がどうしても拭えないんだけど、二人の代役と思って頑張る」
「うむ。それでこそ使徒殿。クラールの御心にも沿うというものだ」
「ほらサシャさま、今度はあちらの兵たちが手を振っていますよ。共に戦った者として、四人で一緒に敬礼を返してあげませんか?」
「おお、それは良いアイデアだ。さすがヴィオラ。さあサシャ、やるなら四人揃えてビシッとやるぞ。いいか、三、二、よし――」
そんな形で周囲に乗せられつつ、彼らを先頭とした第一陣の帰還部隊はゆっくりと境壁陣地を後にしていく。
その先には、要所要所で一般民衆が待つ街道がファルタまで続いている。予定行程は二日。ザヴジェル全土を熱狂的な歓呼の声で満たす新たな英雄のお披露目は、こうして幕を開けた。
◇
「おやまあ、英雄さまがなんて格好をしてるんだい」
「もー疲れたよーオルガー」
「サシャさまは本当に頑張ったのです。ねえシルヴィエ?」
その日の夜。
街道沿いにある街の脇で野営することになっていた帰還部隊の第一陣は、予定どおりの行程を進み、盛大なかがり火を焚いた宿営地で一日の疲れを癒していた。
「あ、そういえばオルガたち<幻灯狐>の皆は怪我とかしてない? 後ろの方は何度か魔獣の襲撃があったんでしょ、なんだったら癒しをするよ?」
「くくく、それは気遣いだけありがたく受け取っておくよ。あんな大人数に挑んでくる間抜けなんて、あっという間に袋叩きだったけどね。それに奈落の奴らと違って魔法が効くんだ。あたいたちの敵じゃないよ」
街での宿営を丁重に断ったサシャたち顔見せ要員は、他と同じ天幕をふたつ借り受けていた。そこに同じ第一陣に入っていた、<幻灯狐>のオルガが訪ねてきたのである。
オルガたち市井の魔法使いは帰還までの十日間に粗方の境壁増築を終えたこと、いざ死蟲らの再攻勢があった時に魔法使いは戦力にならないこと、そしてサシャやヴィオラとの繋がりが深いことなどなど、<幻灯狐>の面々がこの帰還第一陣に入っているのはそんな理由だ。
けれども帰還の陣形を組む際にサシャたちと同じ先頭を行くという訳にもいかず――大きな武勲を上げた者たちが優先された――、こうして野営で落ち着いたタイミングで顔を出してくれたのである。
「……なんかこうしてオルガと顔を合わせるのも久しぶりだねえ」
「それぞれがそれぞれで忙しかったからね、仕方がないさ。それで、我らが<幻灯狐>の顧問さまがあたいに話があるって聞いたけど?」
「あ、そういえばそんな言付けもしてたっけ。すっかり忘れちゃってたよ」
「まあまあオルガ、まずは入って寛いでくれ。ヴィオラ、ラダを呼んでもいいか? お茶でも入れてもらおう。ラダの茶は美味いからな」
シルヴィエがそう言って専用の座椅子から立ち上がり、こういった時のためにラダ本人が置いていったハンドベルをチリンと鳴らした。
ラダはヴィオラの側仕えであり、今はヴィオラとシルヴィエで使う予定の天幕内部を整えているところだ。ちなみにこの天幕はサシャとイグナーツ用である。
どちらももっと人数は入るのだが、ザヴジェル本家の姫君であるヴィオラに対する配慮と、守りの神剣使いであるイグナーツがサシャの警護面の理由から少人数使用を希望したことで、最終的にこの形に落ち着いたのだ。
「ふむ、ラダ殿の淹れる茶は確かに美味だ。だが使徒殿、彼女が来るならもう少ししゃっきりした方がいいぞ」
「わ、そうだった! 危ない危ない、イグナーツさんありがと」
サシャがイグナーツの指摘を受け、慌てて床から飛び起きる。
ザヴジェル本家に仕える由緒正しき使用人のラダは、サシャがあまりにもだらしない格好をしていると、口には出さないが何とも悲しそうな顔を一瞬だけ浮かべるのである。英雄としてどうのというよりは、彼女なりにヴィオラの将来を慮ると……といったところだろうか。
「おやおや、あたいが入ってきても床に伸びていたのに、酷い変わりようじゃないかい」
「うふふふ、それはオルガさま、それだけわたくしたちには心を許してくれているということですわ」
「そ、そうだよ。だいたいそんな感じ!」
「……まあサシャだからな」
「ちょっとシルヴィエ、それはどういうこと!?」
相変わらずぎゃあぎゃあと騒ぎ始めたサシャに、あんたは何も変わらないねえ、とオルガが敷き布に腰を下ろしながら溜息を吐いた。
「まあ元気そうで何よりだよ。で、話って何だったんだい?」
「あ、そうそう! オルガは魔狂いについて調べてたでしょ? いつだったか姉さんと話している時にね、なんかちょっと関連した話になって――」
「なんだって! ちょっとあんた、洗いざらい全部喋るんだよ! 月姫はなんて言ってたんだい!? あんたの結論だけじゃなく彼女が口にしたことも全部正確にだからね!」
「ぜ、全部正確には無理だと思うよ……」
サシャはあまり実感がないが、姉ダーシャは百年を生きる英雄、謎に包まれた天人族の稀少なひとりである。市井の者とはあまり接点がなく、本人も普段は限られた者としか行動を共にしていない。
そんなダーシャが、魔狂いについてサシャに話したというのだ。オルガの食いつきぶりは半端ではない。サシャは顔を引きつらせながらも、その時のことを脳裏に思い浮かべた。
なんだか簡単には人に言えないことばっかりだった気もするが、あれはたしか、瘴気が消えてから二日か三日経った夜のことで――
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