63話 状況の変化(後)

「死蟲だ! 戦闘陣形を取れ!」


 <連撃の戦矛>の戦士たちがきびきびと迎撃体制を整えていく中、サシャはその場から微動だにしない。両足でしっかりと地面を踏みしめ、大きく息を吸って――



「な、なんだ!? 地震か!!」



 突然、地面に短い揺れが走った。


 いや、地表が一瞬だけブレた、そう表現した方が正しいかもしれない。そしてもし上空から俯瞰している者がいれば、事態をこう正確に伝えただろう。


 ――唐突に直径三十メートルほどの謎の地表絵が出現した、と。


 が、それは地上にいる者にとっては与り知らぬこと。

 最近頻発している地震がまた来たのかと思考の外に追い出し、まずは眼前に迫り来る死蟲の群れに意識を戻していく。


 そこに。


「――よしっ、予想外に疲れたけどたぶん成功! みんなちょっと待ってて! 確認してみるからっ!」


 そんなことを叫びつつ、サシャが死蟲の群れめがけて矢のように飛び出していった。


 その手にはトレードマークとなりつつある双刀が煌めき、ただ、サシャの真の代名詞たる青き聖光は一切伴われていない。奈落の先兵を弱体化させる彼の聖光の評判は夙に広まっており、<連撃の戦矛>の戦士たちももちろん見聞していることだ。


 だからバルトロメイ他の戦士たちが慌てたのも間違いではない。


「神父殿、聖光が消えてるぞっ!」

「気づいてないのか!? あれでは剣は通じないっ!」

「いかん、神父殿を守れ!」


 だが。

 滑空する燕のように地面すれすれを走るサシャは「大丈夫、実験だから!」と極端な前傾姿勢のままで叫び、止まる気配がない。


 そして。


 矢継ぎ早に振るわれる双刀による剣閃。

 瞬く間に死蟲の群れへと飛び込んだサシャが、修羅もかくやとばかりの殺戮劇を繰り広げているのだ。


「成功だ! みんな来てもいいよ! ちゃんと【ゾーン】になってるから!」

「なっ――【ゾーン】てのはまさか!?」

「昨日月姫がやった、総攻撃の時のアレか!」

「そういえば天人族の秘奥義と言っていたような!」

「野郎ども、お喋りは後だ! 今ならあの時同様死蟲を倒し放題! 神父殿に一人でやらせるな、我らも行くぞっ!」

「おおおお!」


 サシャに負けじと重装備の戦士たちも突撃し、ただでさえ圧倒していた戦闘が一方的なものへと変わる。


「どおりゃああ! 喰らえええ!」

「通る、剣での攻撃が通るぞっ! こりゃありがてえ!」

「化け物め、今のうちに死ね!」


 重厚な両手剣ロングソードが、戦斧バトルアックスが、統制なく暴れるだけの死蟲の残党に嵐のように襲いかかる。元々十を超えるほどしかいなかった死蟲がみるみる死骸へと変わり、あっという間に遭遇戦は終息した。


「どうだ、思い知ったか!」

「うおおおお、やってやったぜ!」


 一斉に武器を天にかざし、荒野に勝ち鬨を上げる<連撃の戦矛>の戦士つわものたち。


「よし! 皆、負傷はないか? ハヴェルは周辺の警戒、他は各自装備品を点検しろ!」

「問題なし! これっぽっちの戦いで壊れるようなチャチなもんは身につけてないっての!」

「わはは、確かに! しかし驚いたぜ、神父様までが【ゾーン】とやらを使えるとはな」

「あは、上手くいって良かったよ。説明不足でごめんね。さっき教えてもらったばっかりで、実戦で使うのは初めてだったんだ」


 全員に怪我がないのを確認し、ほっと一息ついたサシャが申し訳なさそうに戦士たちに頭を下げた。


 そう。

 サシャの【ゾーン】は、二度目の偵察に出ようとする姉ダーシャを見送る際に、これがそうだと教わったばかりだったのだ。それも成り行きに近いもので、概略だけの説明だったのだが――



 ◇



「ではダーシャさま、くれぐれもお気をつけて」

「嬢ちゃん、無理はすんなよ。この近辺はこっちで手広く偵察しておくから、ヤバいと思ったらすぐ帰ってくるんだぞ?」


 それはほんの一時間ほど前、二度目の偵察に出ようとするダーシャを見送りに境壁の上に一同が集まった時のこと。


 翼を広げて動作を確かめるように羽ばたかせる彼女に、ヴィオラや英雄フーゴが代表して言葉をかけている。それもそのはず、彼女がこれから向かうのは奈落そのもの。何が待っているか一切不明の、極めて危険な場所だからだ。


「うふふ、大丈夫よ。充分な高さを取って上空から見てくるだけだから。それに飛行蟲が大群で出てきたところで敵ではないし、そもそも私の方が速いもの」

「嬢ちゃんはその自信に時々、呆気なく足元を掬われるからなあ。頼むぜ本当に」


 豪快に笑いながら釘を刺すのは、シルヴィエの父ケンタウロスであるフーゴだ。

 同じカラミタ禍の英雄であり、長年ダーシャと一緒に<青光>傭兵団を率いてきた経験がそれを言わせるのだろう。


「もう、フーゴおじさんは心配性なんだから。ねえサシャ、お姉ちゃんは大丈夫よ――って、あれ何?」


 ダーシャがふと視線を止めたのは胸壁の一部。

 そこの表面には何やら、芋虫がのたくったような模様が浮き彫りにされているように見えたのだ。


 突貫工事でこの壁を造った魔法使いたちに、装飾を施すような余裕がある筈もなく。かといって携わった魔法使いは練達の士ぞろい、彼らが造り上げた壁に素人作品のような不恰好がある筈もない。


 実際、ダーシャが目に止めたその場所以外は、無風の日の湖面のごとく滑らかに仕上げられている。遠目から見なければ分からない程度の、ほんの僅かだけ浮き彫りにされた芋虫を除いては――




「みみみ、見つかっちゃった!? あ、あれは、ここ幸運のしるしだから!」




 突然騒ぎ始めたサシャに、一同の視線が集中する。

 当然である。サシャがこの場の増築に関わっていないのは誰もが知るところだからだ。ダーシャもいぶかしげに本人に尋ねた。


「……幸運のしるし、なの? あの芋虫がのたくったようなのが? そもそもなんでサシャがそれを知っているのよ」

「い、芋虫じゃないよ。そりゃ確かに上手く描けなかったのは本当だけど……」


 変なところでダメージを受けた様子のサシャが、ぽつりぽつりと白状を始めた。


 昨日の巨岩蟲の大攻勢の前、ひと晩で見事に増築されたこの境壁に大いに感心したこと。せめて少しでもそんな努力が報われるようにと、思わず未だ使い道の分からない自身の土魔法もどきで胸壁の片隅に幸運のしるしを描き――絵が下手すぎて失敗したので誰にも秘密にしていたこと。


「……土魔法もどき? 貴方が土魔法を使えるはずがないじゃない」

「ええと、まあいろいろ事情があって? なんか、表面だけなら広い範囲の地面とかに大きな絵が描けるというか?」

「なにそれ。もう、今は時間がないから後でしっかり教えてもらうわよ。とりあえず、ちょっとだけこの場でお姉ちゃんに見せてみなさい。そうね、どうせならあっちにどどん、と」


 ダーシャが指差したのは胸壁の向こう、未だ昨日の戦いの残滓が残る旧キリアーノ領の荒れ果てた焦土だ。


「えええー……でもまあ、仕方ないか。じゃあリクエストとかある? どうせなら何か描いてみるよ」

「いいわね! ならお姉ちゃんを――ううん、やめてくわ。また芋虫になったらショックだもの」

「ぐう、地味にひどい……。じゃあもう一回、幸運のしるしに挑戦してみる。今度はもうちょっと上手く描いてみせるから!」


 そう言って胸壁から身を乗り出し、大きく息を吸い込むサシャ。

 言われたとおりに目いっぱい広々と描こうと、息を止めて眼下の焦土を見つめ――




「ちょっとサシャ! それ【ゾーン】じゃないの!」




 ――ダーシャの喘ぎ声で我に返った。


 視線の先の荒れ地には、直径三十メールほどの幸運のしるし……のようなものが地上絵となって浮き彫りになっている。


「へ? あれ【ゾーン】なの?」

「空間を支配するだけじゃなくて貴方、物体の表面に干渉までしちゃってるじゃない! 私だって精々が物の表面を撫でれるくらいなのに!」

「……表面に、干渉?」

「そうよ! この感じ、紛れもなく【ゾーン】が展開されているわ。範囲はだいたいあの絵と同じくらい――って、そうだわ! 昨日私が初めに感じたのはこれだったのね!」

「…………これ?」

「もう、何言ってるのよ自分でやっておいて! そういえばいつの間にか貴方、昨日の戦いで青の力が復活してたものね。おかしいとは思ったのよ! そう、この芋虫が【ゾーン】だったんだわ!」

「………………あの、何を言ってるかさっぱり」


 もはや理解を放棄したサシャに、ダーシャが怒涛の説明を始めた。

 曰く、サシャが土魔法だと言っていたものが【ゾーン】であり、絵を描いた範囲がサシャの領域ゾーンであり、その領域内で死んだ生物の力がサシャに流れ込むはず。


 最後はこそこそと耳打ちでなされた説明に、サシャは「おお、そういうことだったんだ!」と目から鱗が落ちた心境である。


 確かに昨日の戦いで不思議な力の流入があったが、今思えばそれはこの胸壁に描いた幸運のしるし――ダーシャは芋虫だと言いきっていたが――の近辺で戦闘になった時分の出来事。お陰であれだけ惜しみなく戦えたのだ。


 そして今思えば、その流入が止まったのは、姉ダーシャが大規模な【ゾーン】を発動した時以降だった。きっとそっちの大規模【ゾーン】で支配権が上書きされ、この幸運のしるし――ダーシャの芋虫発言に誰も異を唱えないが――の近辺もサシャのものではなくなったのだろう。


「あ! ちょっと待ちなさいサシャ! 貴方がこの胸壁の芋虫を描いたの、昨日の朝よね? なんでそんなに連発できるの!? おかしいわ! 私だって二日か三日に一度使うのが精一杯なのに!」

「へ? なんでと言われても……。今だってもうちょっと休憩すれば、たぶんまた描けるよ?」


 確かにどっと疲れたけど、と首を傾げるサシャに、ダーシャは「いや、この子のは範囲がアレだけしかないし、私ので呆気なく上書きも出来たもの。お姉ちゃんの威厳は健在……」などとブツブツひとりごちている。


 そしてガバリと顔を上げ、サシャを自信溢れる英雄の顔で見上げた。


「いいこと、貴方これから偵察に行くんでしょう? 帰ってきたら私がもっと教えてあげるけど、偵察の間にも無理のない範囲で【ゾーン】を練習しておきなさい。【ゾーン】は奈落との戦いの鍵となる重要な技、皆さんもそれでよろしくて?」


 唐突な急展開に置き去りにされていた周囲の面々が、我に返ったように深々と頷いていく。


 昨日の大勝利の原点となった【ゾーン】を使える人間が増えるのは、実際問題として非常にありがたいことである。現状では月姫ダーシャしか使えず、しかも毎日は発動できず、さらにその一回も長時間の維持は不可能だという。


 そこに判明したばかりの新たな天人族、サシャも【ゾーン】を使えるとなれば。


「がはは、さすがはヤーヒムの息子だな。頼りになるぜ」

「ち、父上、そのヤーヒムというのは……」

「ん? ヤーヒムなんて初代天人族のヤーヒム以外にいないだろ。【ゾーン】はあいつの十八番だったからな。血は争えないねえ」

「さすがはサシャさま。一日でも早い習熟に向け、わたしく全力でバックアップいたします!」


 フーゴとシルヴィエ親子が、ヴィオラが、一斉にサシャを取り囲んで喋りだした。

 こうなるともう、サシャとしても積極的に取り組まざるを得ない訳で――



 ◇



「――とまあ、さっきそんなことがあって」

「くふふ、さすがは英雄天人族の血筋。本人は知らずとも、竜の子は竜という訳だ。まあお陰でこっちは助かるし、頼もしい限りだ。奈落が消えたってのも、ひょっとしたら神父殿たち天人族から尻尾を巻いて逃げたのかもな」


 違いない!と集まってきた<連撃の戦矛>の戦士たちも笑い声を上げ、彼らの士気は否応にも上がっていく。


「よし! じゃあ偵察を続けるぞ! 割り当て範囲はまだまだたっぷりある、この調子でガンガン行くぞ!」

「応!」


 それから半日。

 急ぎ足の太陽が天頂に昇るまで彼らの前進は続いたが、旧キリアーノ領には一片の瘴気も、組織だった死蟲の大群も見当たらなかったのである。



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