48話 枯渇と神々の導き(前)

「まったく何だい、あんたって子は次から次へと」


 境壁に併設されたザヴジェル騎士団の南方駐留部隊本部、その一階にある兵士食堂。


 激戦を終え、腹を空かせた兵士たちでごったがえしている中、呆れた顔でサシャに文句を言っているのは救援として到着以来ようやくまともに会話をするオルガである。


「ふぁってほうふぁないふぁん」

「……口の中のものを飲み込んでから物をお言い。何を言ってるかさっぱり分からないよ」


 オルガが呆れるのも当然。サシャは実に五人前もの料理を、一人前を食べる他の面々の三倍の速度で口に運んでいるのである。


 ここの兵士食堂は野菜をふんだんに使っているのはもちろんのこと、海に近いこともあってか、今日は新鮮な魚の刺身までついてきているのである。サシャは刺身は初めて食するのだが、豪華なことに代わりはない。味もまた、素晴らしいのだ。


「――でもシルヴィエの槍が神々しく輝いていたのは、やっぱりサシャさまのお力だったのですね。戦いながらそうかな?とはうすうす感じていたのですが」

「ふふふ、ヴィオラ姫もお気付きでしたか。昨日からの神父殿の活躍の数々は、先にここにいた我々からすればまさに奇跡か天佑としか言い表せないほどでしてな」


 そう言ってヴィオラに指折り数えてみせるのは、民間調査隊として真っ先に死蟲に遭遇してから戦いどおしだった、ハンタークラン<連撃の戦矛>のバルトロメイだ。


 昨日の神がかった登場と死蟲の撃退から始まって、アベスカの空間収納によるポーション類の大量補給、シルヴィエの槍を神槍に昇華させ、二人で飛行蟲という新たな難敵に混乱する味方の窮地を見事に救い――


 そんなバルトロメイの長口上に耳を傾けつつ一緒に食事を採っているのは、ヴィオラとオルガ、樹人族ドライアド剣士のイグナーツ、シルヴィエ、サシャ――そしてそのおこぼれをもらっているカーヴィ――といった面々。


 彼らはまだまだ続きそうだった騎士団首脳部の会議から先に解放され、その足で食堂にやってきているのだ。


 殊勲者であり民間人でもある彼らに、ヘルベルトらが気を遣ってくれた部分もあるのだろう。サシャの神剣を増産する件をオルガと別室で相談するという名目の下、多大なる感謝と労いの言葉と共に作戦会議室を送り出されたのであった。


 そこには初対面の者もいる顔触れではあったが、とりあえずは後回しにしていた食事を一緒に、という流れでこの席が出来上がった訳なのだが――


「くくく、その辺はさすがあたいたち<幻灯弧>の顧問だね」

「なっ! オルガ貴様、抜け駆けしたのか!」

「何を人聞きの悪いことを。昨日の朝、本人からウチに来たんだよ。ちょっとばかし想定の斜め上の事態はあったけれど、入団翌日にはこうして早速<幻灯弧>の名を上げてくれるとはねえ。いやあ良い買い物だったよ」


 ――まずは<連撃の戦矛>と<幻灯弧>のマスター同士による、軽い応酬へと話は逸れていくのであった。


 両クランともにサシャを勧誘していた立場であったから、そのマスター同士が顔を合わせればこうなるのは致し方ない流れなのかもしれない。けれども二人ともそこまで本気でやり合っている訳ではない。


 なぜなら。

 今一番重要なのは、彼らの故郷ザヴジェルが危機に瀕している、ということなのだから。


「まあ、今のところは見逃しておく。先程の会議でもあったように、神父殿の神剣を増産できれば即座に戦力アップになるからな。その辺りは魔法使いが揃ってる<幻灯弧>と一緒にいた方がいいだろう」

「分かってるじゃないかい。まあサシャの使う神力は普通の魔法とは全然毛色が違うからねえ。いくら魔法に付与って分野があるにしても、どこまで出来るかはやってみないと分からないよ」

「それでも大切なことだ。頼んだぞオルガ」


 サシャの勧誘に関してやり合っていたはずが、いつの間にやら目下の懸案事項へと話がすり替わっている大手クランマスターの二人。戦士と魔法使いの違いはあるとしても、なんだかんだで長年顔を突き合わせ、互いのことはそれなりに理解しているのである。


「それはそうと、他の<幻灯弧>の奴らはどこに行ったんだ? 選りすぐりの綺麗どころを何人か連れてきていただろう?」

「けっ、これだからむさ苦しい戦士って奴は。……ああ、あの子たちは領壁のかさ上げに向かわせたよ。本当はヴィオラの護衛兼世話係のつもりで連れてきたんだけどね、ここには魔法使いが少ないって言うからねえ」


 オルガが言うのは会議でも触れられていた、死蟲の乱入を食い止めるために領壁自体を増築して高さを少しでも上げておこう、という当然と言えば当然な対策のことである。


 これまでもその話は出ていたのだが、いかんせんここにいるのは、魔法が効かない死蟲に対抗するためにかき集められた者が大半である。そんな力技を可能とする魔法使い自体がそう多くなかった。


 そこに増援として、<幻灯弧>のメンバーを始めとした在野の優秀な魔法使いたちが駆けつけてきたのだ。今こそ好機、かねてよりの案を実行に移さないという法はないということで、現在も夜を徹して増築されているところだった。


 ちなみにバルトロメイが口にした、「綺麗どころ」という言葉は本当である。


 <幻灯弧>は女性魔法使いのトップクランであり、そして魔法使いにはエルフやブラウニーといった、綺麗もしくは可憐といった容姿の種族が多いのだ。マスターのオルガからして妖艶な風貌を持つダークエルフである。その下に集う女魔法使いたちも、やはり整った容姿を持つ者が多かった。


 ヴィオラのように高貴な身分の者が身を寄せることが多いこともまた、その傾向に拍車をかけているのかもしれない。熊人族や豹人族の筋骨たくましい男性戦士が集う<連撃の戦矛>とは、そもそもの成り立ちからして違うというものだった。




「――では、私もそちらに向かうとしよう。良き食事だった」




 話の流れをそう綺麗に読み取ってそそくさと席を立ったのは、ヴィオラと共に救援に駆けつけた魔剣使いの一人、ドライアドのイグナーツだ。


 樹人族という種族柄か節くれだった長い手足を持つ彼は、どうやら奈落に飲み込まれた南方諸国の出身らしい。天涯孤独の身となった後はあちこちを放浪していて、亜人の天国と噂され、奈落の脅威からは一番遠いとも言われていたこのザヴジェル独立領に流れてきたようなのだが――


 そこでやはり奈落の脅威に再面し、意を決して今回の救援部隊に志願した、とのことだった。


 過去に体験した奈落の体験が未だに焼き付いているのか、常に無口で表情にどこか影のあるイグナーツ。


 今回の増築の件のように、自分の力が役立つならば率先して動く真摯さを持っている。だがそれは張りつめた弓の弦のようでもあり、一歩間違えばその身を犠牲にしてでも奈落に立ち向かっていきそうな、そんな危うさを感じさせる凄腕剣士でもあった。


「あの、イグナーツさま、ちょっとお待ちになって!」


 一礼をして立ち去ろうとした彼女を引きとめたのは、ヴィオラだ。


「あの、イグナーツさまの神剣について教えてほしくて。今日の戦いで、一緒に来たCthughaの魔剣の方とHasturの魔剣の方たちは、その、死蟲に魔剣が効かなかったでしょう? でも私のレデンヴィートルとイグナーツさまの神剣は普通に働きました。サシャさまの神の癒しもそうですけれど、違いは何なのか気になっていまして」


 ヴィオラのその言葉には、耳にした者全てを引きつける力があった。誰もがうっすらと疑問に思っていたことだからだ。


 そして彼女が続けた言葉は、真なる破壊力を持つものだった。




「それと、立ち入ったことを聞いてお恥ずかしい限りなのですが。……もしかしてイグナーツさまがザヴジェルに来たのは、神託のようなものを授かって、ではありませんか?」




 ごった返していたはずの兵士食堂が、しん、と水を打ったような沈黙に包まれた。


 問われたイグナーツが、何故それを、と言わんばかりに硬直しているのもあるだろう。そんな呪縛を打ち破ったのは、齢二百を超えるダークエルフ、<幻灯弧>のオルガだった。


「ヴィオラ、そこまでだよ。その話はこんな衆目のあるところでするもんじゃない。皆食べ終わってはいるようだから、ちょいと場所を変えようか。……サシャ、あんた大丈夫かい?」


 氷のような言葉で場を取り仕切ったオルガだったが、その有無を言わせない視線がサシャに止まるなり、はああと深いため息を吐いた。大量の皿を空にしたサシャが腹を押さえ、一人静かに悶え苦しんでいたのである。


「……ご、ごめん。食べすぎたってことじゃなくてまだまだ全然足りないんだけど、でもお腹はいっぱいで苦しい……」

「何やってんだい、子供じゃあるまいし。まったくもう。バルトロメイ、ちょっとサシャを運んでやってくれるかい? 行き先は……サシャの神剣増産の研究用に用意してくれたっていう、例の部屋にしようか。さっきの説明を聞いた限りじゃこの人数でも入れそうだしね」

「うう……ごめんなさいバルトロメイさん……」

「シルヴィエ、サシャのその大量の皿も一緒に片付けておやり。まったく、その小さな体でそれだけ食べればそうなるのが当たり前だろうに」

「うう……ごめんシルヴィエ……。その、言い訳をするわけじゃないけど、こんなに癒しの力をいっぱい使ったのなんて久しぶりで、加減を忘れてたというか――」

「サシャ、それを言い訳というのだ。皿は片付けてやるから、大人しくバルトロメイ殿に運ばれていけ」

「サシャさま…………」


 ヴィオラにも困ったような視線で眺められ、なんとも締まらないサシャである。


 けれども、そのサシャが口にした言葉は本当だ。

 サシャの体内の青の泉は、今日の奮戦でまさに枯渇状態にある。ここまでの枯渇など何年振りか、といったレベルだ。ラビリンスでコアに譲られた大量の青の力を過信し、シルヴィエの槍を染めようと力任せに青の力を注ぎ込んだのもいけなかったのだろう。


 今のサシャは全身が酷い倦怠感に包まれ、体内の泉が補充しろと悲鳴を上げている状態だ。そしてその渇きを癒すには、サシャが一番嫌いで且つ誰にも知られたくない例の方法しかない。


 それを無意識に避けるあまり、ついつい空腹感つながりで食べ物に走ってしまったのだ。


 けれども、経験上サシャは知っている。

 どんなに食べ物を腹が膨れるほどに食べても、どんなに長々と眠っても、身体の中の泉は一切回復しないのだ。それを補充する方法はただひとつ。



 ……どこかで抜け出して、こっそり魔獣の血を飲むしかないよなあ。



 情けない表情でバルトロメイの巨体に担がれようとしているサシャの内心は、そんな悲壮な思いで満たされているのであった。


 だが。


「……ちょ、ちょっと待ってバルトロメイさん」


 今まさにサシャを担ぎ上げようとしてくれているバルトロメイの手を、サシャはさり気なく押し留めた。そして、よろけながらも自分の足で立ち上がる。


 サシャは気づいたのだ。

 次にいつまた奈落の先兵たちが襲ってくるかは分からないが、それが、今かもしれないということを。


 もしその時に自分がこのままの枯渇状態であったなら、シルヴィエやヴィオラや他の兵士たちに全てを任せるしかなくなってしまう。もしそうなった場合、自分で自分を許せるのか。


「……あんた大丈夫なのかい?」

「サシャさま、無理はいけませんよ?」


 サシャは決めた。

 ここで周囲に流されたまま魔獣の血を飲む機会を待っているのではなく、青の泉の補充は何事にも勝る最優先事項、今すぐ抜け出してやっておくべきだと。


「サシャ! どこに行くんだ!」


 慌てたようなシルヴィエの声が、そんなサシャの足を止めた。


 そう。問題は何といって抜け出すか、だ。

 この中の何人かには、自分が抱える諸々の秘密を打ち明けていいとは思っている。けれどそれは全員ではないし、こんな場所ででもない。


 血を飲む場所に見当はつけている。

 決意を固めたサシャの頭に、天啓のように素晴らしい方法が閃いたのだ。それは敷地外に出るまでもなく、この兵士食堂のすぐそばに絶対にあり、上手くいけば数分で戻ってこれる場所。


 だがしかし、何と言えば皆に怪しまれずにこの場をすんなりと抜け出せるのか。そんなサシャの深刻な逡巡を――






「……………………なんだ、用足しか。早く行ってこい」






 ――シルヴィエがぶち壊した。


 違う。

 いや用足しといえば用足しに近いから違わなくはないが、断じて違う。しかもシルヴィエは勝手に恥ずかしそうにそっぽを向いている。何ということか。


 サシャはいつものように抗議をしようとして、そこで思い止まった。


 ちょっとカッコ悪いが、そういうことにしてこの場を抜けられるのであれば、それはそれでいいのかと考え直したのだ。秘密をこの場の全員に知られるよりは全然いい。ちょっとカッコ悪いが。


「おやまあ。それならとっとと済ませておいで」

「くはは、何だ神父殿、そういうことか。腹の調子が収まるまで、しっかりと出してくればいい。何だったら先に行っているぞ?」

「…………そうしてもらえると、助かります」


 反射的にそう答えたサシャの視界の端に、ヴィオラが頬を真っ赤に染め、あたふたと自分の食器を片付けはじめたのが映った。



 ……おかしい。



 サシャとしては、先に行っているという言葉に対して答えたつもりだった。

 待たせるのも悪いし、その方が安心して魔獣の血を飲みにも行けるからだ。だが、何だか変な誤解が深まっている気がしないでもない。否定する訳にもいかないところが何とも理不尽である。


「うう……。じゃあ行ってきます」


 腹を押さえて弱々しく立ち去るサシャ。

 この場から逃げるにはそうするしかないのだ。否、これは逃げるのではない、来たるべき戦いに備え、泉を補充に行くという前向きな行為なのだ――そう自分に言い聞かせながら。











 サシャのそんな後ろ姿を、なんだかんだで心配そうに追いかける視線が五対。


 今日の勝利は神の聖光をまとったサシャの頑張りがあってこそ、とは共に戦った全員が承知していることだ。


 サシャがどういう原理で聖光を発動させているかは本人しか知る由のないことだが、今日のサシャが放ち続けていた聖光、その規模が尋常でなかったことは確か。かなり無理をしていたはずだと、その五対の視線の主たちは思っている。


 そしてやや口憚る内容とはいえ、そのサシャに起きた異変である。

 サシャに近しい者からしてみれば、全く気にするなという方が酷だろう。


 去りゆくサシャのふらつく足取りに、眉根をぎゅっと寄せて憂慮を隠す気配もないヴィオラ。


 いつもの無表情ぎみではあるけれど、明らかに皿を片付ける手際が悪いシルヴィエ。


 仏頂面で「ここは女性が多いんだ、あんたももうちょっとデリカシーってもんをだね」とバルトロメイに文句をつけつつも、その視線は何かにぶつかったりしないかとサシャを追いかけ続けているオルガと、「あれだけ苦しそうなんだぞ。用足しぐらいのんびり行かせてやれ」と豪快に笑うバルトロメイ。



 そして、サシャの後ろ姿を追いかける視線の、最後の一対の主は。



 かなり前にヴィオラに呼び止められたまま静かに立ち尽くしていた、ここまでさり気なくとサシャの様子を観察し続けていた樹人族の凄腕剣士。


 その樹人族ドライアドのイグナーツが、まるで日照りにようやく出現した雨雲を落ち着きなく見守る森のような、無音のざわめきを秘めた視線でじっとサシャの後ろ姿を追いかけていたのである。



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