45話 迎撃準備と癒しの神剣

 翌朝。

 懸念されている死蟲の再襲来も未だなく、サシャとシルヴィエはそれなりに平穏な時間を過ごしていた。


 もちろん周囲の兵士たちは慌ただしく動き回っており、昨日の戦いで崩れた領壁の修復作業であったり、昨夜の会議で決められた防護結界の多重展開であったりと、やることがなく暇そうにしているのはサシャとシルヴィエの二人だけである。


「そういえばズメイのへそくり魔鉱石、喜んでもらえて良かったねえ。オットーさんには悪いことしちゃったけど、今度何かで埋め合わせしなきゃ」


 特に目的もなく領壁の上を歩きながら、サシャがふとそんなことを言い出した。


 ファルタで品薄となっていた大型魔鉱石の行き先はまさにこのザヴジェル南境の要害であり、今まさに作業中の防護結界の作成に使われているのである。昨夜の会議でそれを知ったサシャは、そういえば、とへそくりにしていた魔鉱石を快く提供したのだ。


「まあ、事情が事情だからな。オットーなら間違いなく賛成してくれるだろう。ただ、譲った値段を聞けば卒倒するかもしれないが」

「えええ、一回断ったのに結局金貨をもらっちゃったんだよ? それで充分すぎるし、そもそも奈落との戦いに使うものでお金を取るのは悪いって」

「……相変わらず欲のないことだ。そこだけは物語に出てくるような聖職者らしいというべきか、そこだけは。まあオットーには、今度カーヴィに手伝ってもらって荷運びでもすると伝えば喜ぶのではないか?」


 なあカーヴィ、とシルヴィエは肩に乗せていた銀毛の神獣に微笑みかけた。

 サシャが「ねえ今ちょっと変なところを強調しなかった?」と抗議を始めるが、そこはケンタウロス、騎馬武者と同じ高さにある彼女はどこ吹く風である。


「そういえばサシャ、昨日ラビリンスで土魔法のようなものが使えるようになった、そんなことを言っていなかったか?」


 サシャの抗議をまるで耳にも入れずに、シルヴィエが唐突にそんなことを言い出した。


 二人が現在頼まれている仕事は、現時点で死蟲との戦いの肝であるサシャがしっかり休んでおくことと、シルヴィエはその護衛である。


 余裕があれば兵たちの士気高揚のためにお二人の姿を見せてやってほしい――連絡係兼世話係の武官からそんな話も出たので、今は暇つぶしにもなるその案に飛びついている訳なのだが。


「え、シルヴィエもしかして、あの土魔法もどきであそこに加われって言ってる?」


 サシャが指差すのは、度重なる死蟲の攻撃で崩壊したであろう矢狭間つきの胸壁を、一団の魔法使いたちが息を合わせた土魔法で修復している姿である。


「あの時に説明したじゃん。地面をちょっと動かして、表面に絵を書いたりできるだけっぽいって。まさかシルヴィエ、あの修復中の胸壁に絵をつけろとか言わないよね? ちなみに絵なんてまともに書いたことないし、きっとものすごく下手だよ?」

「む……」


 サシャとしてもシルヴィエの言いたいことは分かる。

 手伝えることがあれば手伝いたい、その気持ちは同じだ。


 けれどもまあ、実際は邪魔にしかならないと思うのだ。胸壁に絵をつけたところで意味は全くないし、もしやったとしても、敵を撃退する勇ましい獅子の絵に仕上げたつもりが「む、これは見事な死蟲ですな!」などとも言われかねない。


 ……あとそこに付け加えるとしたら、魔法を使っている魔法使いたちの中に進んで入っていきたくはない、そんな気持ちがあるのも嘘ではないのだが。


「オルガとかエリシュカがいれば、何かコツのようなものを教えてもらえるかもしれないんだけどねえ……。みんなが来るのは今日のお昼ぐらいだっけ」

「昼過ぎにはなるだろうな。日の出と共にファルタを出発したとして、今ようやく道半ばといったところではないか?」

「そっかあ……」


 サシャとシルヴィエの会話はそれきり途絶え、二人はなおも領壁上を歩いていく。

 慌ただしくすれ違っていく兵士たちの大半が笑顔で会釈してきたり、右肘を胸の高さに上げて拳で左胸を叩いたりしてくるのは先ほどまでと同じだ。


 その仕草はシルヴィエによれば、ザヴジェルの敬礼のひとつだという。


 それを聞いたサシャはいたく浪漫ごころを刺激され、それで敬礼してくる相手にはさっそく同じ仕草で敬礼を返している。それを見た相手が嬉しそうに笑うのを見ると、サシャもなんだか嬉しくなってしまうのだ。


 徐々に強くなりゆく初夏の日差しの下、会話が途絶えた今もその敬礼をサシャが会う兵士ごとに続けていると、シルヴィエはこう切り出してきた。


「なあサシャ、このまま無為に過ごしていても芸がない。どうだ、オルガたちが来る前に少しでもその土魔法もどきを練習しておかないか? 何ごとも修練の積み重ねが大切だからな」

「うーん、それも悪くないと思うけど……。そうだ! どうせなら、昨日ぶっつけ本番で実践してみた、これを」


 そう言って両腕を顔の前で交差させ、背中の双剣を掴むやいなや斜め十文字に抜き放つサシャ。微かに青光の軌跡を描いたそれは、昨日の死蟲との戦いの中で咄嗟に編み出した『癒しをまとわせた双剣』である。


 その光るさまがヴィオラの魔剣みたいでちょっと格好良く、密かにお気に入りなのはサシャだけの秘密だ。


「――どうせなら、こっちをもう少し練習しておこう!」

「それがあったか! よし、早速修練するぞ!」


 途端に輝くばかりの笑顔になったシルヴィエは、やはり生粋の武人である。

 暇な時間があれば体を動かすのが何よりも楽しいのだろう。嬉しそうに自らも愛槍を握り締め、境壁から降りる階段へと進みかけて、そこでサシャに止められた。


「どこ行くのシルヴィエ? 足りないのは手合せとかじゃなくて、こうやって双剣に癒しをまとわせる練習だよ?」

「な――」

「昨日やってて思ったんだけど、どうも持続性にムラがあるんだよね。今ひとつ効率も良くない気がするし」

「ということは、つまり――」


 がっくりとうなだれたシルヴィエをよそに、その場で双剣を青く明滅させ始めるサシャ。青い力の注ぎ込み具合を少しずつ変えて、最良のさじ加減を探しているのである。


「……今の私はお前の護衛だからな。ただ見ているしか出来なくても、もちろんこの場で付き合うとも」


 力のない、蚊の鳴くようなシルヴィエのその言葉は、真剣に試行錯誤を繰り返しはじめたサシャの耳にはほとんど届いていない。けれどもシルヴィエは宣言のとおりにサシャの脇から離れず、その場に留まり続けた。



 ――時おり鋭い視線を領壁上からキリアーノ領側へと投げて、死蟲が未だ現れていないことを油断なく確認しながら。



 元々荒れ果てた治政放棄地であった旧キリアーノ領は、昨日の一面に亘る死蟲の来襲で、草木一本すら残らぬ見るも無残な瘴気の荒野へと変貌を遂げてしまっている。


 ここまであえて二人がそちらに目を遣らず、あえて軽い口調で話し続けている理由がそれだ。


 この地から南に三日ほど行った場所にあるキリアーン渓谷と、そこを本拠としていたはずの、ここ十年で縮小に縮小を重ねた現キリアーノ領。死蟲が初めに現れたというそこは、もしかしたらもう存在していないかもしれない。


 ザヴジェルが今も領土を守っているのは単純に、この長大な領壁が奈落の先兵の進軍を足止めした、それだけに過ぎないのだ。


 昨日、二人の救援を契機に屠った死蟲はわずかひと握り。

 残りの大地を覆うほどの大群は、黒靄たなびく彼方のどこかにいる。



 ◇



「ふう、こんなもんかなっと。――わ、ごめんシルヴィエ、すっかり夢中になっちゃってた」


 しばらく双剣に癒しをまとわせることに没頭していたサシャが、満足げに顔を上げて慌ててシルヴィエに謝った。彼女はずっとそんなサシャに付き添ったまま、青い明滅を繰り返す双剣を飽きもせずに真剣な眼差しで眺めていたのだ。


「いや、これはこれで面白かったぞ。現状、死蟲との戦いはお前のそれに頼ることになるのだし、見方によってはヴィオラの魔剣のようではないか。普通の刀剣がそのように光って死蟲に有効打を与えられるようになるとは、実に観察しがいのある興味深い光景だった。傍から見ていると後半は随分と安定してきたように感じたが、実際のところはどうなのだ?」

「ああ、えっとね――」


 どうやらシルヴィエはシルヴィエで、いつもの探究ごころに火をつけてくれていたらしい。サシャはほっと安堵の息を吐きつつ、ここまでの感触をざっくりと説明していった。


「――ということでね、ゆっくりじわじわ癒しをかけるんじゃなくって、初めに強めにガツンとやっちゃった方が後々楽になるみたい」

「ほう、何だかどこかで聞いたことのある話だな。……そうか、野生馬を手懐けるときの要領か」


 古来よりケンタウロスは狩りの際に、手頃な野生馬を手懐けて勢子として使ったりするらしい。世の中が魔獣だらけになった最近はそんな古式ゆかしい狩りをする機会はほとんどないのだが、種族の伝統として父フーゴに教わったのだ――そう誇らしげに語るシルヴィエに、サシャは目を輝かせて大きく頷いた。


「さすがはシルヴィエのお父さん、すごいことを知ってるね! これもまさにそんな感じかも。こっちの言うことを聞けっ、大げさにそう脅しつける感じ!」


 ちなみにサシャの感動の九割ほどは、種族の伝統を語る父と目を輝かせてそれを聞く娘、脳裏に浮かんだそんな光景からやってきている。物知りで頼れる父、なんとも格好いいではないか、と。


「ふふふ、ただの鉄の剣がまるで生き物みたいな話だな。そうなるともしかして、何度も繰り返し手懐けた相手は、将来的にはすっかりこちらに懐いて従順になるのかもしれないぞ」

「――シルヴィエ、それだっ!」


 唐突に叫び声を上げたサシャ、それをきょとんと眺めるシルヴィエ。


「シルヴィエ天才! そうそう、そういえばだんだん抵抗が弱くなっているような感じはあった! つまりずっと癒しで脅しつけていけば、癒しに染めきっちゃうことが出来るかもってことだよね! すごい! ヴィオラみたいな本物の格好いい光る剣が作れるんだ!」

「む? いやサシャ、それは確かに素晴らしいことだが……」


 あまりのサシャの勢いに押され、シルヴィエが突っ込みきれずに口ごもる。


 サシャの言う『癒しに染めきる』というのは、とんでもない可能性を秘めた画期的で素晴らしいことだ。

 だが、何が素晴らしいかというと、それは「死蟲に有効な刀剣」を作れるかもしれない――しかも、もしかしたらサシャ以外でも使える――ことであって、間違っても「ヴィオラみたいな格好良い光る剣」を作れることではない。


「そ、そうだなサシャ。出来れば私も使えるように手頃な予備の槍も一本、染めてみてくれないか……その、格好良く光るように」

「おお、それはいいアイデアだ! そしたらシルヴィエも死蟲と戦えるようになるかもしれないし! よし、じゃあちょっと待っててね。まずは自分のを頑張っちゃうから!」


 サシャに合わせたつもりで、しれっと本音の部分を切り返されたシルヴィエ。


 分かっているのか分かっていないのか、そこすら勢いで押し切ってしまえるサシャこそある意味で天才なのかもしれないな――シルヴィエはそう苦笑を押し殺して再び歩きはじめる。


 ともあれ、サシャの『癒しをまとわせた双剣』が格段に使いやすくなったのは事実である。こうして周囲で慌ただしく作業を進める兵士たちと同様、サシャたちはサシャたちなりに来たる戦いの準備を進めていくのであった。



 ◇



 それからも死蟲が再襲来する気配はなく、時刻は昼になった。


 兵士たちの奮闘もあって昨日の戦いでの破損個所もあらかた補修が済み、加えて多重結界の展開もひと段落したりと、貴重な時間と共にこの領壁の防御要害としての備えは着々と整いつつある。


 もちろん、そうした備えは物理的なものだけではない。


 多重結界で死蟲の攻め口が誘導できることを期待した守備兵力の再配置や、そうならなかった場合の対処案、そして対死蟲兵器たるサシャとポーションの運用原則の策定と周知などなど、組織としての備えも滞りなく進められている。


 そうした状況を鑑みて、今。

 サシャたちは守備部隊の首脳陣に、打ち合わせを兼ねた昼食会に招待されていた。


 昼食会といってもこの要害はまさに戦時中。

 招いた方も軍人とあっては、さすがに形だけの質素な食事が供されているにすぎない……のだが。


「むむむっ! このスープ、シンプルなのに野菜がこんなに入ってる! なんて贅沢な……ハッ! あ、あの、外の兵士さんたちは汁だけだったりとかになってないよね!?」

「サシャ、ザヴジェルの騎士団に限ってそんなことはないから静かに食べてくれ。これはごく一般的な戦時食の筈だ」

「なんてこった! ザヴジェル万歳! 絶対に奈落から守るぞ!」


 話し合いの途中で料理が配膳されるたびに一人騒ぎ始めるサシャに、一同は困ったような、それでいて微笑ましいものを見るような、微妙な沈黙をもって一時静観する流れが出来上がってしまっていた。


 良いように解釈をすれば、サシャは食糧事情が極端に厳しい大陸中南部で孤児として育った、そんな情報が広まったお陰もあるのかもしれない。特に司令官のヘルベルトは実に好意的な眼差しで、


「くくく、それはサシャ君、君が昨日ここに持ち込んでくれた新鮮な食材で作られたはずだ。だから遠慮せずに食べると良いぞ」


 などと、孫を甘やかす好々爺のような発言を繰り返している。

 それでもそんな中断以外はきちんと会議を進行させているあたり、さすがはザヴジェルでも上から数えた方が早い、指折りの高位騎士というべきなのだろう。


「それにもうじきファルタからの増援の本隊が来る。彼らもまた輜重部隊を引き連れているから、食べるものに当面困ることはない。そういえば二人の知り合いがその本隊にいるのであろう?」

「ああ、ヘルベルト卿。クラン<幻灯弧>の面々とザヴジェル本家のヴィオラ姫だ。無理にとは言わないが、出来れば早めに顔を合わせられないだろうか」


 サシャの代わりに受け答えをするのは、相変わらずシルヴィエの役割だ。

 ナフキンで品良く唇を拭いながら、凛とした態度でお偉方と堂々と会話をしていく。


「ふふ、そこの心配は無用だ。ブラジェイの丘で小休憩に入った、先ほどそんな先触れも来た。到着したら知らせをやろう。この小康状態が続いていれば問題なく会える筈だ」

「配慮に感謝する。実はヘルベルト卿、昨夜サシャが死蟲相手に使っていた青い剣なのだが、ひとつ報告があるのだ。午前中に色々と試した結果、時間はかかるがもしかしたら量産できる可能性が出てきた」


 さらりと告げられたその言葉に、一気に場が騒然となった。


 現状だと群がりくる死蟲を確実に屠り去るには数に限りがある上級以上のポーションを湯水のように使うか、サシャに前線に出てもらうしか選択肢がないのだ。もうじき到着するヴィオラの魔剣やその他、いくつか有効だと期待されている攻撃手段もあるにはあるが、サシャが神の聖剣を量産できるのならばそれ以上の朗報はない。


「な、なんとシルヴィエ嬢、それは真か!?」

「いや、まだ可能性の段階だ。そこで増援としてやってくるクラン<幻灯弧>マスターのオルガ、彼女に助言をもらえないかと思っていてな。若干畑違いなのかもしれないが、私の知る限り、属性の付与に関して彼女の上に出る者はいない」


 ほう、と一斉に興味深げな嘆息が零れ、列席する各々が考えを巡らせているのが分かる。ちなみに、もっともらしい顔をして小難しく頷いているサシャもその中の一員なのだが、それはそれ。魔法に興味のないサシャはオルガの得意魔法なんて知る由もなかったし、今知ったからいいのだ。


「ふむ、<焔の魔女>殿か……。よかろう、最優先で面会の段取りを組もう。実験用の剣など欲しいものがあったら遠慮なく言ってくれ。全面的なバックアップを約束する」

「かたじけない。では……そうだな、まずは殺してもいい家畜か魔獣を一匹頼めれば有難い」

「あいわかった。至急手配する」


 ヘルベルトが理由も聞かずに快諾すると、扉の脇に立っていた騎士が指示も受けずに即座に退室していく。間違いなくシルヴィエの要望を叶えに行ったのだ。


「……ねえ、何でそんなの必要なの?」

「……いいかサシャ、お前は剣を癒しの力で染める、そう言っただろう?」

「……言ったけど」


 たまらずにシルヴィエの奇行の理由を小声で尋ねはじめたサシャに、シルヴィエもこそこそと答えてくれる。


「……それはもしかして、死蟲以外には何の役にも立たない、むしろ攻撃した相手を癒してしまう武器になってしまう気はしないか?」

「……し、しないと言い切れないところが怖い」

「……お前は私の槍も癒しで染めてくれると言ったが、私は父からもらったあの槍を、無思慮にそうする勇気が持てないだけだ。死蟲を斃せる武器になるのは槍としても本望だとは思うが、いざやるとなれば熟慮の上で行いたいからな」

「……だからまず、傷つけてもいい相手で検証してみる?」

「……そういうことだ」


 そう断言されたサシャは、ふと言及されていない事柄に気がついた。思わず半眼になり、その紫水晶の瞳でじっとりとシルヴィエを睨みながら囁く。


「……ねえシルヴィエ。ひょっとして僕の双剣はそうなっちゃってもいいとか、そんな風に考えてない?」

「……昨日の戦いも含め、私がその話を聞いた時には既にかなりの癒しの力を注ぎ込んでいたではないか。もう手遅れという可能性もあるな」

「ちょ、ちょっとシルヴィエ!」

「だから真っ先に検証の手配をヘルベルト卿に頼んだではないか。それにまだ試してみなければ分からない話だ。癒しの力を定着できるかも分からないこの段階で、そう軽々しく騒ぐんじゃない」

「それはそうなんだけどさあ!」


 いつの間にか大声でのやり取りとなっていた二人の会話。さすがに見兼ねたヘルベルトが、隠しきれない微笑みと共にそこに割って入った。


「あー、大体の事情は分かった。二人ともどうか落ち着いてくれ」

「聞いてよヘルベルトさん! シルヴィエったらひどいんだよ! あの双剣だって高かったのに、武器は傭兵の命って言うのにさあ!」

「ふふふ、サシャ君の類まれな身のこなしは元が傭兵だったからなのだな。よろしい。サシャ君の癒しの聖剣が完成した暁には、それと交換でザヴジェル騎士団の宝物庫からいくらでも代わりの剣を持っていって構わないぞ」

「え、それ本当!? でもあの、高かったといってもその、二本セットで銀貨十枚とかでごにょごにょ……」

「ふふ、死蟲を弱体化できる神の剣など、この情勢ではまさに天下無双の宝剣ではないか。もし死蟲以外には癒しにしかならないとなっても、そうなったらそうなったで守りの聖剣として逆に名は高まろう。今はまだ皮算用にしか過ぎないが、礼を言うのはこちらの方というものだ」


 騎士団の偉い人にそう力強く断言されてしまうと、なんとなくそんな気になってくるサシャである。じゃあ頑張ってみます!と、天下無双の鍛冶師ドワーフになった気分で宣言するのであった。


「ふむ。こうして準備は進めていくものの、問題はいつ死蟲どもがやってくるかだな。クリシュトフ、最新の奴らの動向はどうなっている? 未だ猶予はくれそうか?」

「はっ、閣下。つい先ほどの偵察部隊からの定時報告によると奴らの様子は変わらず、移動を始める気配は皆無とのことでした」

「……まるで何かを待っているかのよう、だったか。それはそれで不気味なことよ」


 クリシュトフと呼ばれた騎士の返答を聞き、ヘルベルトはおもむろに部屋の一方に視線を投げた。その方角は南。まさに今、死蟲の大群が荒野を覆い尽くし、その場で静かに蠢いているであろう方角である。


 ヘルベルトは百戦錬磨のその錆色の瞳でそんな南の方角を眺め、小さく溜息を吐いた。


「我らのやることは変わらぬ。猶予をくれるというのなら、それを最大限に利用してくれよう。諸君、よろし――」


 宜しく頼むぞ、おそらくはそう言いかけた瞬間。

 作戦会議室の重厚な扉が、唐突に音を立てて開かれた。



「偵察部隊より緊急報告! 新たに加わった飛行型の蟲を先頭に、監視対象が大挙して北進を開始したとのこと!」



 一時の平穏は、儚くも消え去った。


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