42話 召集

「ちょっとラドヴァン落ち着きな。どういうことか、あたいたちにも説明してもらおうか」


 ユニオンの制服を着た一団が続々とスフィアの石室に駆け込んでくる中、サシャの両腕を掴んだラドヴァンにオルガがずいと割り込んだ。


「ここには<幻灯弧>のあたいもエリシュカも、ザヴジェル本家のヴィオラ姫も<槍騎馬>のシルヴィエもいるんだ。それにサシャはもう<幻灯弧>の一員だ。事と次第によっては、サシャだけじゃなくここにいる全員がこのまま協力するに吝かじゃないよ」


 オルガの鋼のような声にラドヴァンは、はっと気づいたようにサシャの腕から手を離した。


「それは本当に助かる。今朝からクランというクランを召集して、連絡がついたところは片端から動いてもらっていて――」

「ほう、ユニオンの強制召集かい? そいつは大ごとだ。とりあえず最低限の詳細は聞かせてもらおうじゃないか。領境に現れた死蟲ってのは、昨日<連撃の戦矛>が民間調査隊として向かったアレかい? 調査隊はどうなってて、最新の戦況はどうなんだ? 死蟲は剣も魔法も効かないって話だけど、それにサシャの神の癒しが必要ってのはどういうことだい? 領境ならポーションの備蓄はたんまりあるはずだよ。それでも足りないほど厳しい状況ってことかい?」


 矢継ぎ早にまくしたてられたオルガの質問に、ユニオンファルタ支部の副支部長は目を白黒させながらも、ひとつずつ答えていった。


 まず、昨夜緊急でファルタを発った<連撃の戦矛>を中核とする百名の民間調査隊についてだが、当然まだ目的地のキリアーン渓谷に着いてすらいない。昨夜遅くに領境の騎士団宿舎に到着して、軽い仮眠を取ったらしい。


 そして今朝出発した彼らが、隣領キリアーノでザヴジェルへと進軍する死蟲と鉢合わせになったらしい。けれども相手は剣も魔法も効かない奈落の先兵、足止めをしながら領境まで後退し、そこで騎士団と合流して決死の防衛戦を今なお繰り広げているらしい。


「まあキリアーノとの領境ならぼちぼちの境壁があるからね、あそこなら多少は食い止められるか」

「だな、マスター。我々の苦労が役に立っているようで何よりだ」


 オルガとエリシュカが顔を見合わせて頷く。

 話に聞く一帯の領境ならば、定期的にファルタの魔法使いが土魔法で保守管理の補佐をしている場所。最低でも五メートルの高さの境壁が延々と続く、かなり堅固な防衛陣地であるはずだ。


 いくら剣も魔法も効かない奈落の先兵とはいえ、物理的に壁で遮られてしまっては進軍も儘ならない。無駄と揶揄されても長大な領境を築いておいた、ザヴジェル騎士団の大英断である。


「じゃあラドヴァン、現地にポーションが絶望的に足りてないってのはどういうことだい? 副支部長のあんたがわざわざサシャを捕まえに来るほどだ、よほどの事態なんだろう?」

「ああ、そのことなんだが――」


 ラドヴァンがユニオンにある緊急通信の魔法具で伝えられたところでは、最低五メートルの高さを誇る堅固な領壁ではあるのだが、群がり来る死蟲の大きさは三メートル近く。集中されると乗り越えられる一歩手前まで押される事態となり、それがそこかしこで頻発しているらしい。


 だが。


 現地の通信兵が言うには、剣も魔法も効かない奈落の死蟲はなんと、ポーションを浴びせればそこだけ剣で傷つけられるようになることが判明したのだ。


 それはザヴジェル騎士団が万が一に備えて収集していた出どころの怪しい噂のひとつで、死蟲に襲われたとある国の王族が瀕死の重傷を負った幼い王女にザヴジェル産の最高級ブラディポーションを飲ませようとしたところを、間に合わず親子共々丸飲みにされたことがあったらしい。


 それだけならば数ある悲劇のひとつで終わるのだが、その死蟲はその後猛烈に暴れ出し、復讐に燃えた家臣団に八つ裂きにされたとか。


 そこから死蟲はザヴジェルのブラディポーションに弱いという噂がまことしやかに流れ、それをこの急場で領境の騎士団が試してみた、ということらしい。


 ポーションを浴びせても効くのは剣などの物理攻撃だけで、魔法は死蟲が存在すらしていないように、どんな上級魔法でも相変わらずすり抜けていってしまうらしいのだが――


「なんてことだい。試した騎士は藁にも縋る思いだったんだろうけど、死蟲の攻略法が確立されたんだ。魔法が効かないのは残念だけど、とんでもない大殊勲じゃないか」

「それでも状況は悪い。そもそもいくらザヴジェル騎士団といえど、最高級のブラディポーションなんて幾つも備蓄がある訳じゃない。その後の決死の試行錯誤で上級ポーションまでなら品質を落としても、かろうじて効き目があることが分かったらしいのだが――」

「分かったよ。そこで現地で共に奮戦してるバルトロメイが、サシャの癒しのことを思い出して進言したって流れだね」


 そのとおり、とラドヴァンが頷き、サシャの紫水晶の瞳をまっすぐに覗き込んだ。


「サシャ君。先日この地にやってきて、昨日ユニオンに登録したばかりの君に言うのは大変心苦しいのだが、ユニオン登録者の強制召集を発動させてもらいたい。我らザヴジェルを守るために、どうか君の力を貸してほしい」


 ラドヴァンのその顔は心労で十歳も老け込んだようであり、そんな彼に返す言葉はサシャにはひとつしかない。まさに件の上級ポーションと同等と言われたサシャの癒し、それが死蟲に効くは分からない。そんなことは考えもしなかったし、試す機会もなかったからだ。


 けれども、もしサシャの癒しが効かなかったとしても、湯水のように消えていくポーションの代わりに、怪我人をサシャが癒せばいいのだ。力を貸してくれと言われて、そんなもの答えは決まっている。


「もちろん、ラドヴァンさん。なんてたって、もうユニオン登録者の仲間だからね!」

「ありがとう、ありがとうサシャ君!」

「……まったくあんたって奴は。こんなところで待ち構えておいてそんな話を聞かされて、断れる人間なんている訳ないじゃないか。あたいたちもサシャと同行するよ。みんなもいいかい? どうせ八方手を尽くして、あたいたちがこのラビリンスに入ったことを調べあげて駆けつけたんだろうに」

「はは、オルガ殿にはお見通しですな。なにせサシャ君は広いザヴジェルでたった一人、ポーションに頼らない神の癒しが使える神父だ。<幻灯弧>も<連撃の戦矛>も一見で勧誘に躍起になるほどの逸材を、私がこの有事に忘れるとでも? しかもザヴジェルきっての優秀な人材たちと一緒にこのラビリンスに入っているとくれば、少しは知己のある私が動くしかないでしょうに」


 ふう、と安堵のため息を漏らすラドヴァンに、サシャが「そうだ!」と肩掛け鞄を引っ張り上げた。


「ねえラドヴァンさん、カーヴィの話って聞いてる? 昨日ここのアルビンさんに従魔の登録をお願いしたんだけど」

「ああ。途中からそれどころじゃなくなってチラリとしか見ていないけど、そういえばサシャ君はあのアベスカをテイムしたそうじゃないか。確か特級従魔に登録したいとかなんとか――」

「そうそう、それそれ。ほらカーヴィ、ラドヴァンさんにご挨拶」


 サシャの言葉に従ってひょっこりと鞄の口から顔を覗かせた銀色の神獣に、ほう、と感嘆の声を漏らすラドヴァン。


「ふむふむ、これは確かにアベスカだ。しかもよく懐いている」

「でしょ? でね、昨日あれから実験したんだけど、カーヴィは大きな倉庫一軒分ぐらいの空間収納ができてね――」


 なんと!と目を丸くするラドヴァンに、サシャはそのまま提案をぶつけた。


「――それで、どうせその領境?に助っ人に行くんでしょ。カーヴィの収納で持っていける物があれば、ついでだし持って行っちゃうけど」

「おおおお! それは助かる! 早速物資の手配をさせ」

「ちょっと待ったラドヴァン殿」


 そこで割り込んだのはシルヴィエだ。

 彼女はサシャに「惜しい、こういう時はひと押しするものだ」と小声で囁き、まあ見ていろとラドヴァンに向き直った。


「カーヴィの収納で物資を運ぶのは良いアイデアだ。が、いくら戦闘時だからといって、いきなりそれをしたらさすがに悪目立ちもするだろう。もし可能であればその前に特級従魔の登録を済ませ、人に準ずる保護対象としてもらえれば同行する我々としても安心なのだが」

「む……」

「もしユニオンが無理を押してそこに協力してくれるのであれば、こちらとしても更なる協力ができるのだがな。――サシャの癒しが領境で求められているのは喫緊のこと、物資も併せ、一刻も早く現地に駆けつけた方が良いのだろう?」

「ま、まあ確かにそれはそうだが」

「もしユニオンが慣習に目を瞑り、特級従魔の登録を長々とした審査なしで済ませてしまおう。そこまで急ぐべき事態だと態度で示すのならば、こちらもケンタウロスの誇りを枉げて移動の時間短縮に協力することとしよう」

「……つまり?」

「その場合、私が物資を収納したカーヴィ共々サシャを背に乗せるなりして、どんな早馬よりも迅速に送り届けよう、という意味だ。最も早く領境に着く、それを第一の優先事項とすることを約束する」


 ラドヴァンの口があんぐりと開いた。

 ケンタウロスは誇り高いことで有名な半人半馬だ。その背に人を乗せようという申し出など、そうそうあるものではない。


 けれども、もしシルヴィエの言うとおりにサシャとカーヴィを背に乗せて運んでくれるのであれば。


 ケンタウロスという種族は、どんな軍馬よりも精強なことでもまた有名である。

 本人が言うとおりどんな早馬よりも迅速で、今の状況では願ってもない最上の移動手段であるといえよう。


 そして神の癒しの使い手がそこまでして駆けつければ、最前線で戦う人々にとっても大きな励みとなるのは間違いない――ラドヴァンの頭に、そんな考えが浮かんでは流れていく。


 今の時刻は午後の半ば。


 領境まで半日の距離とはいえ例によって日没は早く、夜間の移動は野の魔獣が活性化して思わぬ危険を伴う。これから諸々の用意をすることを考えれば、普通に行くとなれば明日の日の出を待ってのこととなるだろう。だが、今のシルヴィエの申し出ならば、なんとか今日のうちに最前線の彼らの元に合流することも――




「……その話、乗りましょう。状況を鑑み、推薦人のお二人を信頼もして、副支部長である私の権限において特級従魔登録の認可を出します」




 決断を下した男の顔で、ラドヴァンが力強く言い切った。

 対するシルヴィエも凛とした表情で深々と頷きを返す。


「了解した、ラドヴァン殿。私もケンタウロスの誇りを枉げ、どんな早馬よりも迅速にサシャとカーヴィを現地に送り届けると約束しよう」


 シルヴィエがサシャにちらりと、どうだこれが大人の交渉術だ、と言わんばかりの視線を投げて寄越したが、サシャからしてもそれで全く問題はない。


 今はとにかく早く現場に行くことが大切だし、なんやかやで特級従魔の認可ももぎ取ってくれた。素晴らしい結果である。問題があるとすれば……


「皆、すまないがそういう訳でひと足先に行く。領境なら歩いても半日少々の場所だ。向こうで合流しよう」

「勝手に決めるんじゃないよ、まったく。でもまあ、向こうの戦況を考えればそれが最善だろうね。気をつけて行くんだよ」

「あの、わたくしもシルヴィエに乗せてもらうわけには……」

「すまないがヴィオラ、ケンタウロスにとって背に人を乗せるのは特別なことなのだ。今回は我慢してくれ」

「そんな……」


 身内の問題を話しはじめたサシャたちをよそに、ラドヴァンはラドヴァンで傍らのユニオン職員に矢継ぎ早に指示を出している。特級従魔の首飾りを大至急用意すること、前線に送る物資もピックアップし直し、こちらも大至急取りまとめること――


「サシャ君、シルヴィエ殿。申し訳ないが、これから直ちにファルタのユニオン支部に向かってくれないか。今、部下に連絡を取らせている。二人がそこに着くまでに特級従魔の首飾りと、空間収納で運んでもらう物資が揃うはずだ。それを受け取ってすぐに出発してもらいたい。そうすれば……夜になる前に領境に辿り着けるだろうか?」

「うむ。かなりギリギリにはなるが、私の脚なら大丈夫だろう。迅速な対応、感謝する」

「いえ、こちらこそ無理を言って申し訳ない。領境の騎士団詰所にも事情の連絡を入れておくので、そのあたりの雑事は心配無用。なんとか今日のうちに向こうに到着することに専念してほしい」


 了解した、と手早く装備の再確認を始めるシルヴィエ。

 サシャも怒涛の展開に高鳴る胸を抑えながらも真顔で頷き、背中の双剣を背負いなおしたり、カーヴィに色々と言い聞かせたりと思いつく限りの準備をしはじめる。


「――オルガ殿たちは、明日出発する本隊に参加してもらえるだろうか。その、ヴィオラ姫もそちらに同行して頂けると考えてよろしいか?」

「ああ、ヴィオラはあたいたちが連れていく。少し護衛の人数も増やしたいしね」

「ご実家への連絡は――」

「それはわたくしが自分で行います。<幻灯弧>のクランハウスに、通信の魔道具を持ち込んでいますので」


 サシャの背後で行われているオルガたちへの説明を聞くかぎり、ヴィオラはそちらに同行する方向ですんなり頭を切り替えているらしい。領主一族の姫君とはいえ、基本的には素直で状況理解が早いお嬢様なのだ。


「準備はいいかサシャ? 日が暮れるまでに領境の騎士団詰所まで行くのだ。急ぐぞ」


 シルヴィエに促され、二人は残る一同に慌ただしく別れを告げた。

 そして踵を返す先はこの管理小屋の外、霊峰チェカルを一気に駆け下りてまずはファルタのユニオン支部だ。



 ――この崩壊しつつある終末世界で、戦いを避けて通れる者などいない。



 ザヴジェルはいつしか、サシャが理想の地だと考えるようになった新天地だ。多くの知り合いも出来たし、何よりも。


 ここにはユリエがいるオットー家族や、いつぞや街道で助けたリリアナとタチャーナ母子のような、サシャが心底かけがえのないものだと思う温かい家庭が無数にあるだろう。


 奈落に飲まれれば、それらは全て無惨に壊されてしまう。遠い異国の話などではない。まさに今、この地に迫っている危機なのだ。


 ……守らなきゃ。


 サシャは大きく息を吸い込んで気合いを込め直し、管理小屋の外に広がる雄大なチェカルの緩斜面を踏みしめる。


「では行くぞ! 遅れるな!」


 高らかに告げられたシルヴィエの号令一下、二人は猛然と移動を始めた。



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