31話 温かな食事と不穏な噂(前)
「なるほど、そんなことが――」
ヘレナとユリエによって配膳された料理を皆でわいわいと食べながら、シルヴィエが<密緑の迷宮>管理小屋での一幕をオットー夫妻に説明していた。
「さすがはシルヴィエさんですね、的確な舵取りでした。そのエトという若者も最後には納得していたのでしょう?」
「ああ。あの後、早速<密緑の迷宮>内で果樹の生育具合を確認してくると言っていた」
「まあまあ。その場でユニオンへの根回しもしてしまうなんて、相変わらず仕事が早いことで感心してしまいますわ。シルヴィエさん、商売の道に入りたくなった時はぜひに我らがぺス商会を思い出してくださいね」
「これこれヘレナ、露骨な仄めかしは良くないぞ。商人たる者、その辺りはもっとオブラートに包んでだな」
「あらいやだ。でもシルヴィエさんにはユリエともども、本当に末永くお付き合い頂きたいのですもの」
ははは、ふふふ、と大人たちがそんな話をしている傍らで、サシャは初めて見る料理に度肝を抜かれていた。なんと、透きとおるまでに煮込まれた葉物野菜、その中に様々な具材が隠されていたのである。
ろーるきゃべつ、という名前らしい。
幾重にも丁寧に巻かれた野菜にかぶりつき、挽肉やら他の具材やらが中に入っていることに気付いた時は、うっひょう、と思わず声を上げてしまったほどだ。ちなみにユリエはそんなサシャの相手をしながら、ナイフとフォークを使って上品に切り分け、子供なりに優雅に口に運んでいる。
サシャはこっそりとそんなユリエの真似をして上品ぽく食べつつ、カーヴィ用の小皿にそっとおすそ分けもしつつ、時には周囲と軽い会話を楽しみながら、ユリエの大好物だというヘレナの得意料理をたっぷり堪能していった。
もちろん、ロールキャベツ、がサシャの大好物リストの仲間入りをしたのは当然のことである。
「そうそう、お二人にご報告がいくつかありましてね」
オットーがそんな事を言い出したのは、料理があらかた食べ尽くされ、デザートにとサシャたちが手土産にした果物が供された頃だった。
「昨日お二人が助けたリリアナ殿たち母子なんですが、今日の昼には無事にブシェクへと発ちました。今度は私どもでしっかりとした護衛を手配したので安心ですが、リリアナ殿がお二人にくれぐれもよろしくと言っていましたよ」
「おお、無事に出発したか」
「タチャーナちゃん、今度は何事もなくお父さんの所に帰れるといいね」
笑顔のオットーからもたらされたその話に、一同の顔にもやさしい笑みが広がる。
あの蚕人族の赤子は実に人懐こく、ヘレナもユリエも秒殺で骨抜きにされていたのである。誰もそれ以上は口を開かなかったが、美味しい食事の満足感と併せ、心地のよい空気がゆったりと流れていく。
やがて、充分に間を置いたタイミングでオットーが再び話し始めた。
「報告のふたつ目は、例のズメイの魔鉱石販売の件、ですな。あれがびっくりするぐらい好反応でして」
商人の顔に戻ったオットーが言うには、リリアナ母子を送り出した後、さっそくサシャのへそくり魔鉱石について伝手をたぐってみたらしい。するとオットーも驚くほどにあちこちから反響が返ってきて、思いもよらぬ人脈が形成されつつあるのだそうだ。
「こう話が大きく育っていくと、ひょっとしたらまとまるまでにそれなりの時間がかかるかもしれません。そういった意味でもサシャさん、その間は遠慮なく我が商会の客間にご滞在ください。日中は自由に過ごしてもらって結構ですし、家族や住み込みの従業員と一緒で宜しければ、朝夕の食事も用意しますので」
予想外の好待遇にサシャが思わず目を丸くした。
確かに定宿が決まっている訳でもなく、シルヴィエもちょくちょくこのぺス商会には世話になっているようだが、サシャからしてみればさすがにそれは申し訳なさすぎた。
エトが早朝に果物を配達してくれる話があったり、入るかどうか決め兼ねているものの複数のクランから勧誘を受けている身でもある。今晩は泊まらせてもらうにしても、明日にはシルヴィエに手伝ってもらって宿を決めてしまおう、そんな心積もりでいたのだ。
「うーん、それはありがたいんだけど……迷惑じゃない?」
「迷惑だなんてとんでもない! サシャさんは本当に商売の神様のように我がぺス商会に運気をもたらしてくれているんですよ? この魔鉱石販売での人脈の拡大はもちろん、リリアナ殿母子の関係でブシェクの大規模小麦農家への伝手も出来ましたし。商人にとってそんな商脈がどれだけありがたいことか」
頭上の犬耳をふるふると震わせて力説するオットーだが、そこにカーヴィの空間収納に対する欲目は一切交えてこない。誠実を旨とするザヴジェル商人としては大型倉庫ひと棟分の空間収納など事が大きすぎるので、それはそれとして一本線引きをした上での申し出なのだ。
「オットー、それは魔鉱石販売の件についてだけでもサシャを囲い込んでおきたい、そういうことか?」
「はい、今言ったことも本当ではありますが、ひとつ正直に情報を申し添えておきましょうか。……どうも大容量の魔鉱石が突然品薄になり始めているようでして。安全を期してサシャさんを確実に我が商会で押さえておきたいと、本音を言えばそんな思惑もありますな」
包み隠さず本音を語るオットーだが、善意の彼が本当に二人に伝えたかった情報はその後に続くものだった。なぜならば。
品薄になった大容量の魔鉱石――そんなものの行き先は、数えるほどしかないからだ。
しかもサシャが売却を依頼していたのは、ラビリンス産の均質な単属性魔鉱石と比べると、出力こそ飛び抜けて高いものの雑多な個性が混じる大型魔獣の魔鉱石だ。洗練された魔道具文化を誇るザヴジェルでは敬遠されがちなそれが、売り主であるサシャを囲い込みたいと思わせるほどに求められているという。
ならば、なおさら魔鉱石の行き先は狭まってくる。
安定性を犠牲にしても瞬間的な出力が要求される場所、そんな場所はひとつしかない。そこで大量の需要が発生している。それは、つまり――
そんなオットーの不穏な仄めかしに気付いたシルヴィエが、形の良い眉をグイとしかめて張本人を正面から見つめた。
「……大容量の魔鉱石が品薄になっている、その理由を聞いても?」
和気あいあいとした温かな食事の場に、暗雲が忍び込んだ瞬間だった。
いつしか発言者は声をひそめ、それぞれが表情を消した顔で会話に集中している。
「特に大型魔獣の魔鉱石について、ザヴジェル本家が急に買いあさり始めた。そんなキナ臭い噂が囁かれていますね。騎士団も平穏を装ってはいますが、上層部は慌ただしく動き回っているようです」
「大きな戦いの前準備、か。旧スタニーク王朝にはもうザヴジェルと矛を交えるような力はないだろうし、となると……」
「まさか、奈落?」
サシャが会話に割って入ったその口調は、いつになく真剣だった。彼からしてみれば、こと奈落となれば他人事ではない。
日照時間が短くなり、天変地異が頻発するこのご時世。
その最たるもののひとつとして、このハルバーチュ大陸の南方では奈落と呼ばれる暗黒にいくつかの国が飲み込まれ、膨大な数の難民が発生しているというのは周知の事実だ。
ここは大陸最北端のザヴジェルだが、サシャが生まれ育ったのは大陸中南部。
当然そう遠くない場所での惨禍として、奈落のことはここの誰よりも良く知っている。奈落すなわち生の終焉。死にたくなければ南方へは近づくな、と。
風の噂にいわく、奈落とは突如として発生する巨大な底なし穴。
餓死寸前の難民いわく、そこから無限に湧き出てくる異形の化け物たち。
精根尽き果てた盲目の戦士いわく、剣も効かず魔法も効かず。
奴隷に堕ちた亡国の王族いわく、化け物たちが引き連れる漆黒の霧に飲まれたが最後、その土地は暗黒に喰われて消える――
「サシャ、流石に奈落はないだろう。それはこの大陸の遥か反対側のことだ」
ひいいっ、と小さな悲鳴を漏らしたユリエを庇うように、シルヴィエがサシャを睨んだ。
「わ、ごめんユリエちゃん。でも、前いた場所では普通に言われていたことでね。それだけおっかないものってこと」
慌てて取り繕ったサシャだったが、それでも実際のところは言葉が変わっただけだった。
「でもさ、普通の魔獣討伐だったら、これまでもザヴジェルの騎士団は充分に対処してこれたんでしょ? 慌てて用意を始めてるってことは、魔獣以上の何かなのかなって。そしたらソレ以外はちょっと思いつかないんだけど」
「私もサシャさんのおっしゃる可能性に半票、ですな。単なる大型魔獣が出現したという程度では、市場にそこまでの影響が出る訳がありません。ドラゴンのような特級の危険魔獣が群れで出現したか、さもなければ……私の勝手な憶測ですが」
そこでオットーは言葉を切り、犬耳のつけ根をビクリと持ち上げて続きを――
「……どこか思いもよらない近場に奈落が出現した、のかもしれないな、と」
――そう、囁いた。
一同の顔に緊張が走る。ザヴジェル商人の耳は早く確実で、しかも実際に市井で様々な情報に触れてきたオットーの言葉である。
これまで大陸の遥か南方で限定して出現していた奈落。それがいきなり大陸北端のザヴジェルに直接飛び火するとは考えづらくても、予想外に近い場所に現れるということならまだあり得るかもしれない。
ザヴジェルの騎士団が即座に出征準備を整えたりせず、表向き平穏を保っていることもそれならば頷ける。
即座に派兵して防衛を固めるほどに近くはないが、それでも実際に大容量魔鉱石を買い集め、実戦を想定した警戒態勢を取るほどには近いどこか。そんなところに、奈落が出現したのではないか――
うっすら確信すら持っていそうなそんなオットーの憶測を、誰一人として否定できる者はいなかった。そして。
「ああああなた、それならこうしてのんびりしている訳には」
「おおお父さん、に、逃げなくて大丈夫なの!?」
荒事に慣れていないヘレナとユリエが、蒼白な顔で椅子を蹴って立ち上がった。
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