26話 帰還とトラブルの予感
「おう、遅かったな。心配したんだぜ?」
<密緑の迷宮>のこじんまりとした管理棟。
日没ぎりぎりまで挑戦を続けたサシャとシルヴィエだったが、迫る宵闇に涙を飲み、帰還の宝珠を使ってラビリンス入口のここまで無事に戻ってきていた。
そこで幾つか打ち合わせと確認をして鉄扉を開け、カウンターで頬杖をついたユニオン職員のアルビンに出迎えられていた。
「ラビリンスの中はまだ明るいかもしれねえけど、外はもう真っ暗だぜ? 熱心なのはいいけど――」
立ち上がりかけたアルビンの動きが、そこで止まった。
サシャの肩に乗る銀色のリス、額に青い宝石を持つカーヴィに気付いたのだ。
「おおお、おいっ! そ、そいつはアベスカじゃねえか。いったいどうやって――」
そこでアルビンの言葉は再び止まることになる。
憶病なカーヴィがその大声に驚き、ふいっと転移して姿を消したからだ。その場に残ったのはふわりと拡散する青い光の粒子。そして、それもすぐに空気に融けて消えていく。
「へ? 今、確かにアベスカがそこにいたような? ……幻でも見たか。俺、働きすぎかもしれねえ」
そう言って、しきりに首を捻るひげ面のアルビン。
サシャはシルヴィエと視線を交わし、くすくすと笑いながらその顔を覗きこんだ。
「ええと、気のせいじゃないよ? ほらカーヴィ、怖くないから戻っておいで」
「うおっ! やっぱり出てきたっ! こここ、これはいったいどういうこった!?」
「ふふふ、アルビン、お前に限って働きすぎはないだろうに。ほらカーヴィ、こっちにおいで」
サシャの呼びかけに応じて再び転移で戻ってきたカーヴィが、促されるままシルヴィエの手のひらに飛び移る。その姿を実際に見たことがある者こそ少ないが、シルヴィエの手で撫でられているそれは紛うことなきアベスカ。
ここ<密緑の迷宮>でも目撃情報があったということでアルビンも知識だけはあるが、実物を見るのは初めてだった。しかも目の前のアベスカは、生きている。
「ふふふ、このアベスカはな。この神父が神の御業でテイムしたのだ。知っているか、大陸の中央諸国ではアベスカのことを神の眷族、幸運の神獣と呼ぶらしいぞ?」
シルヴィエが謎めいた微笑みと共に語る言葉は、帰還の宝珠で奥の小部屋に戻ってきた後、サシャと念入りに打ち合わせしたものだ。
ちなみに、ラビリンスの入口に当たるその小部屋からの転移も、念入りに何度も試してみている。そちらは驚くべき結果がもたらされ、当面は秘密にしておく方向で二人の間で合意がなされていたりする。
どういう結果になったかというと。
普通にスフィアに触れると何度やっても転移先は正常なのだが、なんと、シルヴィエの提案のとおりにサシャが念じながら触れると、サシャの願うとおりの階層へ転移できたのだ。
さらには最終階層である最奥の間へも転移が出来てしまい、その原因はさておき、とりあえずは今日ではないタイミングで挑戦しようということになった。オットーやユリエを待たせてもいるし、色々と準備を整えておいて損はないからだ。ともあれ、懸案であったコアへの再挑戦もそれで可能と判明し、二人は大いに喜んだのだが――
「テテテ、テイムしたのか? アベスカを?」
――まずはこの場を切り抜け、余計な騒ぎを呼び込む前にカーヴィを従魔登録してもらう必要があった。
「そうなんだよねえ。ふさふさで可愛いでしょ?」
「か、可愛いとか……売れば大金なんだぞ…………」
「言っておくがアルビン、せっかくテイムしたのだ。売らぬし、頬袋目当てに殺しもしないからな。そんなことを言って幸運の神獣の祟りに遭っても知らないぞ」
そうシルヴィエが冷ややかな口調で釘を刺したのが良かったのか、ユニオン職員のアルビンは伸ばしかけていた手を慌てて引っ込めた。
「このアベスカの名前はカーヴィ、従魔登録を要請する」
「じゅ、従魔登録かよ。まあ確かに従魔として登録しておきゃ手を出すヤツはいなくなるけどよ……」
「特級従魔で登録を頼む。カーヴィは我々の大切な一員だからな」
「おいおい、さすがに特級はねえだろう。そりゃ特級従魔なら魔獣の枠を超えて人に準じる扱いにはなるがよ、ていうか良く知ってたな。ザヴジェル全体でも何匹もいねえっていうのに」
シルヴィエが言う特級従魔とは、探索者のパーティーメンバーに準じると認められた高等従魔のことである。通常の従魔と違い、もし余人が手を出せば即座に犯罪となる。傷つければ準傷害罪、勝手に連れ去れば準誘拐罪と、人に対するものとほぼ同等の罪が科せられるのだ。
「ううーん、お前さんたちがそのアベスカを守りたいって気持ちは分かるけどよ。さすがに特級は無理だろう。人に準じる扱いを受けられるってことは、その魔獣が人と同じだと認められるってことだ。戦力の面でも、もちろん知能の面でもな」
「ああ、その辺りは問題ない。サシャ、頼む」
「はいはい任せて。……カーヴィ、ちょっとそこにソードラビットを出してもらえる?」
交渉をシルヴィエに一任していたサシャが、ようやく出番だと肩の上のカーヴィに指示を出す。するとカーヴィは、とととっとアルビンがいるカウンターの上に飛び移り、「ここでいい?」と言わんばかりにサシャを振り返った。
サシャがそれに小さく頷くと、カーヴィはカパっと小さな口を開いて――
「うおおっ空間収納だ! つうか、こんなとこに血塗れの獲物を出すんじゃねえ!」
――そう、ユニオン職員のアルビンに怒られた。
「ごめんなさい、ここに出せって言っちゃったから。カーヴィは悪くないからね?」
「あー、怒鳴って悪かったな。さすがはマジックポーチの本家本元って奴か。どのぐらい収納できるんだ? あと能力は分かったからこいつを仕舞ってくれ。汚れちまったじゃねえか。ここは俺一人しかいねえから、掃除も俺がしなきゃならねえんだぞ」
「アルビン、仮にもユニオンの職員が魔獣の血ごときで女々しいことを言うな。収納量に関しては今回の我々の獲物が丸々入っている。……少なくとも荷馬車に一台分、それ以上はまだ試してないから分からんな。ちなみに全部出させるか?」
やめてくれえ!とアルビンが大袈裟に騒ぎ、カーヴィが再び転移で逃げ出した。
「まったく、すぐそうやって大声を出す……。それとさっきの光景で重要なのは、カーヴィが獲物を空間収納できるということだけではない。思い出せアルビン、サシャは出す獲物を口頭で指示していただろう?」
「ああ、確かソードラビットをここに出せとか――まさか」
目を真ん丸に見開いたアルビンに、シルヴィエが重々しく頷いた。
「そう、そのまさかだ。このカーヴィはサシャの言葉を理解できる。サシャの指示を聞き、数多ある収納物の中から間違えることなくソードラビットを出したのだ。知能の高さは言わずもがなだな。おまけに人に害を与えることもなく、指示には忠実に従う。……サシャ?」
シルヴィエの目配せを受け、サシャはカーヴィを再び呼び戻した。
管理小屋の片隅に転移で逃げたのはなんとなく把握していたので、振り向いて声をかけるだけである。そしてシルヴィエの鼻の穴のひくつき具合から言わんとしていることを的確に理解し、以心伝心、そのままシルヴィエのところに行くようにカーヴィを促す。
「ふふふ、来た来た。どうだ、可愛らしいだろう? サシャの指示なら、こんなことやこーんなことまでしても人に刃向わないのだぞ」
その凛とした美貌の中央にある形の良い鼻の穴を僅かに広げ、シルヴィエはカーヴィをいじり倒しはじめた。さすがは同志、機会は最大限に活用する――サシャが改めて感心している間に、シルヴィエはカーヴィの頬ずりを一旦止め、アルビンに向き直った。
「どうだアルビン、実に、実に特級に値するとは思わないか?」
「そ、そうだな……空間収納でパーティーに貢献するだけじゃなくて、人の言葉が分かって、更にそこまで従順ってことでいいか?」
「ああ、しかも可愛らしい。さらわれないか心配もするだろう?」
「そ、それはちょっと良く分からねえが、いいだろう。とは言っても最終的に認定するのはファルタ支部のお偉いさんたちだけどな。俺ができるのは特級従魔の申請受理と、支部への申し送り、そして推薦だけだ」
「それで充分」
シルヴィエは満足そうに頷き、上手くいった、とサシャと目配せを交わした。ちなみにカーヴィは未だ彼女に囚われたままである。
「ファルタ支部の偉い人って、このユニオン章をくれたラドヴァンって人もそう?」
手持ち無沙汰のサシャが、こそっと話に口を出してみた。
確か副支部長とか言っていたはずだし、あのラドヴァンならば充分にサシャの味方といってもいいだろう。何だったらもう一度会いに行って、お願いしてみてもいい――そんな下心である。
「へえ、神父さんは副支部長じきじきに登録されたんだ? 珍しいこともあるもんだな。それだったら話は早いかもしれねえな。ま、どのみち今すぐって訳にはいかねえから、それまでこれをそのアベスカにつけてやりな」
アルビンがカウンターの下からごそごそと取り出したのは、サシャのユニオン章が小さくなったような銀色のプレートと、それをぶら下げる皮紐だった。
「ええと、そんなに小さな体だったら……紐はこれぐらいの長さがありゃ充分だろ。あんまり長けりゃ邪魔になるからな、ちょちょいとここらで切ってやって、と」
ほらよ、と器用に手直しをされたのは、通常登録用の従魔の首飾りだった。
特級に比べると街中で『人に飼われている魔獣』としか扱われないものの、これであればユニオンの一般職員の権限で貸与することができ、今回の場合は特級の審査が終わるまでの繋ぎにもなる。
「ありがとうアルビンさん! ほらカーヴィ、お揃いだよ!」
「くふふ、例には及ばんよ。珍しいものを見せてもらったしな。これでファルタにも問題なく入れるだろ。ていうかもう外は真っ暗だぞ? 気をつけて帰りな」
やる気のなさそうなアルビンのひげ面に、ニヤリと面倒見の良さそうな笑みが浮かぶ。
悪い男ではないのだ。サシャは改めて礼を言い、シルヴィエと二人でアルビンに暇を告げた。
この<密緑の迷宮>にはまた来ることとなる。
今度はしっかりと時間がある時に、いよいよ最奥の間を目指して再挑戦するのだ。職員のアルビンともしっかり顔を繋げたし、まずはこれでひとつ順調に山場を乗り越えたといえるだろう。
サシャはシルヴィエからカーヴィを受け取り、内から溢れる笑顔と共にお揃いの首飾りをかけてやった。そうしてこの管理小屋を出ようと――
「ちょ、ちょっと待ってくれっ!」
サシャの目の前で管理小屋の扉が勢いよく開かれ、くたびれた革の軽防具を装備した土人族の若者が一人、転がり込んできた。その必死な眼差しはまっすぐに、神父姿のサシャへと向けられていて。
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