27話 癒しの値段(前)
「ちょ、ちょっと待ってくれっ!」
サシャの目の前で管理小屋に転がり込んできた土人族の若者。
そのチョコレート色の肌に浮かぶ真っ白な目はまっすぐにサシャへと向けられ、扉を閉めもしないでそのまま小屋の中に走り込んでくる。驚いたカーヴィが即座に物陰へと転移し、仄かな青い粒子がサシャの肩の上で拡散して消えた。
「そ、そこの神父さん、お願いがあるんだ!」
息も絶え絶えにそう叫び、そんなサシャの前で崩れるように立ち止る土人族の若者。種族特有の豊潤な腐葉土のようなチョコレート色の肌の上で、素朴な麻の服とくたびれた革の軽防具が汗まみれになっている。
「ユニオンで本物の神の癒しをした人がいるって聞いて、追いかけてきたんだ! 頼む! 弟を、ディーデを癒してやってくれ!」
「……待て」
話を聞こうと思わず前に出ようとしたサシャの体に、シルヴィエがずいと馬体を寄せてきた。つい今までのやわらかい雰囲気は跡形もなく、その眉は僅かにしかめられて、やはり来たか、とでも言いたげな表情になっている。それからちらりとサシャに向けられた強い眼差しには――
「サシャ、この場は任せろ。絶対に喋るな」
――低い声で囁かれたその言葉を、強制力を持ったものとしてサシャに従わせるには充分だった。
慌ててサシャが口を噤んだのを確認し、シルヴィエは背中の愛槍を外して軽い戦闘態勢に入った。そして、感情の読みづらい平坦な声で闖入者に告げた。
「人に頼みごとをするのならば、まずは名乗るのが礼儀だと思うが」
「し、失礼しました。俺はエト、クラン<豊穣の大地>のメンバーです」
慌てて首からユニオン章を外し、チョコレート色の手でシルヴィエに差し出すエト。
この時点でサシャは全ての対応をシルヴィエに任せることにした。一見冷たいようなこの応対も何か考えあってのことだろう、そう思えるだけの信頼がシルヴィエにはある。
「……<豊穣の大地>か。うっすらと聞いたことがあるような」
「ち、小さなクランなんです。ラビリンスで薬草採取と簡易栽培をしている、ディガー系の」
「ほう、やはりディガーだったか」
微妙な緊張感を孕んだまま、シルヴィエとエトの会話が始まった。
ディガーとは採掘者のことで、ラビリンスで魔鉱石などを採掘して生計を立てている者たちの総称である。魔獣を追い払いながら坑道を掘ったりと、矮人族――通称ドワーフ――など頑丈で屈強な者が多いことで知られている。魔獣を狩ることを生業にしているハンターたちと並び、ラビリンスに潜る者の代表格だ。
ちなみに、ユニオンでサシャが勧誘されたバルトロメイやオルガは純粋なハンターであり、昨日一緒にぺス商会を護衛したボリスを始めとした豹人族の三人組は、武力を商売道具として請負仕事をこなす傭兵である。それらの区分はやや曖昧ではあるものの、クランや各個人の性質等を表現するに格好の区分けであることは間違いない。
そして、この突然現れたエトはと言えば。
シルヴィエの目からすればまず、エト本人が見るからに土人族である。
土人族は土を豊かにし、樹木を育成することを得意としている南方系の種族だ。残念ながら小麦などの穀物などとはやや相性が悪く、農村で生活するよりは山間部で果樹を育ててひっそりと暮らしたがることが多い。
エトが<豊穣の大地>に所属し、その<豊穣の大地>がラビリンスで簡易栽培をしているというのは、つまりエトがラビリンス内で特殊な果樹を栽培しているということなのだろう。
それもまたディガーの一種だ。
厳密にはドワーフなどがやっている
そして、それら採取系のディガーは若年の駆け出し層や魔獣との戦闘に不向きな者がやっている場合が多く、土人族という非戦闘系種族のエトがそういった種類のディガーであることはほぼ間違いない。
ラビリンス内で果樹を簡易栽培しているという話はあまり聞いたことはないが、ここまでのところ、辻褄は充分に合っている――そうシルヴィエは初見の判断を下した。
「ふむ。私はシルヴィエだ。クランには所属していない。そしてこの神父はサシャ」
「や、<槍騎馬>さんのご高名はかねがねっ! 神父様はサシャさんというのですね、初めまして!」
あたふたとお辞儀をするエトにサシャが笑顔で挨拶を返そうとしたが、シルヴィエの咳払いによってそれは止められた。うっすらと何かを危惧しているようなその表情からすれば、どうやら未だシルヴィエが前面に立って話を進めたいようである。
「……して、弟君をサシャに癒して欲しいと言っていたようだが」
「そ、そうなんですっ! ユニオンで本物の神の癒しをした人がいたって聞いて! あの、もし良かったら神さまのお慈悲で、弟のディーデも癒してもらえればと、そう思って」
「そのディーデ殿は怪我か何かを?」
「はい、ディーデも同じ<豊穣の大地>に所属しているのですが、ラビリンス内で管理している選定林での作業中に、侵入してきたレッドボアにやられてしまいまして――」
サシャが必死に話に加わるのを我慢している中、沈痛な顔で説明するエトに割り込んでくる者がいた。
「――なんだって? ディーデが怪我しちまったのか! 大丈夫なのかよ?」
それはカーヴィに仮の従魔の首飾りを渡してくれたこの管理小屋唯一のユニオン職員、アルビンである。エトとも顔見知りなのか、シルヴィエとサシャを置き去りにしてどんどん話が進んでいく。
「ええ、とりあえず命に別状はないのですが、膝が砕かれてしまったようで。歩けるようになるかすら分からず、クランからも昨日の時点で引退勧告が――」
「はああ? 何だよそれ、お前ら兄弟あってのラビリンス栽培だろうが! そんなクラン辞めちまえ!」
「いや、それが……ディーデの治療費やこれから面倒を見ていくことを考えると、それなりの稼ぎをもらえる<豊穣の大地>を辞める訳にはいかないですよ。頭を抱えていたところに今日、本物の神の癒しをした神父様が現れたという話を聞いて」
「本物の神の癒しをした神父……? それ、まさか?」
ここでようやくアルビンがサシャを振り返った。
異国情緒あふれる黒い立襟の神父服、胸に下げられた大きな十字架。初めに冗談で神父と声をかけ、今まで「なんでそんな恰好をしているんだか、時代遅れなこった」と内心で呟いていた小柄な少年が、そこにはいる。
「そうです、サシャさんのことです。ファルタのユニオンで見事な神の癒しをしたそうで、急いで追いかけてきたんです」
「な……。少年、その格好は若気の至りじゃなかったのかよ――って、それはどうでもいい。すまねえ神父さん、失礼はきっちり詫びるから、本当に神の癒しが出来るならこいつの弟を癒してやってくれないか。こいつら兄弟が始めたラビリンス内での果樹栽培、装備も儘ならない新人探索者の受け口になりそうってんでユニオンも注目してるんだよ。頼む」
そんな、頼まれるまでもなく喜んで――と了承の言葉を口にしかけたサシャのすぐ脇の石床を、隣にいたシルヴィエが馬蹄でダンと鋭く踏み鳴らした。
驚いて思わず見上げるサシャを見下ろしていたのは、しばらく喋るなと言ったはずだ、と言わんばかりのシルヴィエの強い眼差しである。しかもかなりお怒りらしい。
一瞬の静寂に包まれた<密緑の迷宮>の管理小屋に、感情の読めないシルヴィエの声が響いた。
「――では、そのディーデの膝を癒してほしい、エトが言いたいのはそういうことだな?」
「そ、そのとおりです」
「ああ、俺からも頼むよ。従魔の件を引き受けてやったじゃねえか、<槍騎馬>さんからも言ってやってくれ」
エトがどこか怯えたように頷き、ユニオン職員のアルビンは動じた風もなくそのエトを後押ししてくる。ラビリンスに潜るような者は基本的に荒くれ者ばかり、アルビンはユニオンの職員としてこうした交渉にも慣れているのだろう。
面倒なのが増えた、と言わんばかりに眉をしかめるシルヴィエだったが、「まあ良い機会か」と誰にともなく呟き、きっぱりとした口調でこう言い放った。
「初めに言っておくが、サシャの神の癒しは上級ポーション相当だ。上級ポーションで治せないものは基本的には癒せないと考えて欲しい。サシャ、そうだな?」
サシャがコクリと頷く。
ここまでくれば、サシャの癒しに関する交渉をシルヴィエが代わりにしてくれようとしていることが分かる。自分がザヴジェルの常識に疎いのも分かっているし、黙っていろとの言葉どおりに全てをお任せするつもりだ。
今の発言について言えば、正直なところ、上級ポーションがどの程度の治癒力を持っているかサシャは知らない。未だザヴジェルに来て日が浅く、実物を見たことすらないので自分の癒しと比べようがない。
が、昼間ユニオンでシルヴィエやオルガ、バルトロメイといった錚々たる面々が、自分の癒しを上級ポーション相当だと推論していたことは記憶に新しい。強いて言えば、実は古傷も一緒に癒えることが話に上がっていなかった気もするが、それはそれ。
サシャの癒しに限界があるのは事実だし、欠損等々、癒せないものは癒せないのだ。
過度な期待を持たれて困るのはサシャだし、こうして釘を刺してくれることは十分にありがたいこと。
……さすがシルヴィエ、頼りになる!
そう内心で褒め称えるサシャだったが、シルヴィエの意図したものはそれだけではなかった。
「じょ、上級ポーション並みの治癒力があればきっと充分に――」
「おお! そこまで治せちまうのか! そいつはすげえ――」
「――金貨一枚だ」
「は?」
「だからサシャの癒しの対価だ。一回につき金貨一枚。完治してもしなくても、返金も値引きも一切応じない」
呆気にとられたエトとアルビンに、取りつく瀬もなくシルヴィエが重ねて断定をする。
サシャももちろん呆気にとられている。金貨一枚、それだけあれば三世代いる一般家庭が一年は遊んで暮らせるほどの大金だ。これまでシルヴィエとそんな話はもちろんしていなかったし、どこからその金額が出てきたかすらも分からない。
故郷の農村ではほとんど無料で行ってきたことだし、シルヴィエ、さすがにそれは吹っかけすぎ――とサシャが内心で慄いていると、案の定ユニオン職員のアルビンも反論してきた。口調は軽いが、彼なりの義憤に駆られているらしい。
「いや<槍騎馬>さんよ、そいつはぼったくりじゃねえか? それじゃ上級ポーションを買うのと変わらないだろうが」
「そうだな」
「おい、ふざけてんのか! それを払えるんだったらエトは初めから上級ポーションを買ってる、そう言ってんだよ!」
ひげ面のアルビンの怒鳴り声が管理小屋をびりびりと震わせる。が、当のシルヴィエは表情すら変えず、淡々と言葉を返すのみ。
「サシャの癒しでしか治せないならともかく、上級ポーションで治るのだろう? ぼったくりと思うなら素直に上級ポーションを買えばいい」
「だからこいつらにはその金がねえって言ってんだろうが!」
ついに顔を真っ赤にして怒りはじめたアルビンに、シルヴィエが冷え冷えとした眼差しを向けた。その冷たくも美しい瞳の奥にくすぶっているのは、抑圧された強い苛立ちだ。
「アルビン、お前は横から割り込んできたくせに何を言っている? お前にサシャの癒しの金額をどうこう言える資格はない」
「はああ!? いいか、こいつらの<豊穣の大地>は最近、新人探索者と負傷引退探索者を積極的に受け入れてくれている貢献度の高いクランなんだよ。それでその原動力となっているのがこいつらエトとディーデの兄弟だ。ユニオン職員の俺が間に入ってんだ、少しぐらいはそのディガー生命延長のために融通を利かせるべきだろうが! 金貨一枚とかふざけんじゃ――」
ガンッ!
アルビンの怒声を止めたのは、目にもとまらぬ速さで床に突き立てられたシルヴィエの槍だった。
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