24話 神の眷獣

「アベスカ、もしかしたらすぐそこにいるかもしれない」


 サシャがそう言って指差すのは川べりにぽつんと立つ、何の変哲もない一本の木だ。

 大きくもなければ小さくもなく、花が咲いている訳でも実がなっている訳でもない、何の特徴もない一本の木。


「……どうして分かる、と聞いていいか?」

「うーん、なんとなく、としか。初めにスフィアの方角を指差したじゃない? なんかそれと同じで、それのもっともっと弱いやつだけど、なんとなくそこにあるのが分かる――そんな感じ?」


 少し自信なさそうに説明するサシャの言葉を疑う様子もなく、シルヴィエは、ふうむ、と唸って考え込んだ。


「……サシャ、まずは初めに前階層へのスフィアの方角を言い当てたな。あれはなぜ、何を感じてそんな芸当ができたのだ? まずはそこから教えてくれ」

「えー、説明するのが難しいんだけど――。そうだねえ、例えば、勢いよく燃えてる松明があるとするじゃない? それを誰かが、そうっとシルヴィエの背中に近づけたら……目で見なくてもなんとなく分からない? 熱気というか、そんな感じで」


 サシャが松明を手に持っているふりをし、それをずいっとシルヴィエの体すれすれへと近寄せていく。僅かに避ける身じろぎをしたシルヴィエを見て、サシャは満足そうに頷いて説明を再開した。


「この階層に来て、じゃあ出発だってスフィアから離れる時ね、そんな感じがしたんだ。目で見てなくてもそこにあるのが分かる、みたいな。で、それは離れていっても、ずっとうっすら感じてて。それでこの辺まで来たら、あっちの方にももう一個同じものがあるのが感じられてきてね。なら、それは次の層へ行くスフィアなのかな、って。不思議だよねえ、自分でもなんで分かるか分からないんだけど」


 そんなサシャの話を聞いて、ふうむ、と更に考え込むシルヴィエ。


 サシャの話は、魔法使いのうちの敏感な者が、他の魔法使いの存在を察知する時の話とよく似ているものだ。シルヴィエ自身は魔法を使えないが、強力な魔法使いになればなるほど、その存在は遠方からでも察知可能だという。


 スフィアが静かに放つ青い光と、サシャの癒しの聖光は、瓜二つだ。


 ならば、何か通じるものがあるのかもしれない――シルヴィエの頭の中で、そんな仮説が組み上がっていく。


「そして、アベスカ……」


 シルヴィエが朝サシャに説明したように、アベスカは自然界で唯一、空間属性を持つ稀有な魔獣だ。それゆえに神の眷獣、神獣と呼ぶ者もいるぐらいで、けして強い訳ではないのだがそこは空間属性持ち、敵に出会うとどこかに転移して姿をくらませるという厄介な特技を持っている。


 その空間属性が鍵なのかもしれない――そんな予感に、シルヴィエの胸は強くざわめいていく。


 空間属性、それは魔獣どころか人系種族でも通常は持ち得ない、神の属性とも言われる究極の属性だ。


 空間属性を持つ存在としてヴァンパイアを挙げる者もいるが、それは彼らが追い詰められると霞のように姿を消すからである。それも一種の転移を使っていると言われており、そういった意味ではアベスカと並ぶ、同じ謎に包まれた空間属性持ちと言えるのかもしれない。……人系種族に対する危険性は、比べるべくもないのだが。


 その辺りを軸に、今のサシャの行いを考えていくと。


 スフィアは別名「転移石」。触れれば別の層へと転移してくれるものだ。そのスフィアの存在を感じ取れるサシャならば。



 ――同じ転移を使うアベスカの存在をサシャが感じ取れても、おかしくはないのかもしれない。



 シルヴィエは、そんな結論に辿り着いた。

 少なくとも、転移という能力を軸に話は繋がっている。それは奇しくも、人系種族では持ち得ない神の属性をサシャが持っている、そんな可能性を示唆しているものでもあるのだが。


「……ふむ、ならばとりあえず、あの木のところへ行ってみるとするか」

「え、それだけ考え込んで、ようやくそれ? あの木なんてすぐ行けるじゃん、そこまで悩むことじゃなくない?」

「いや、サシャの言葉を信じていなかった訳ではない。その背景を考えていただけだ。そして、筋の通る仮説は思いついた。その是非や感情面は別としてな。つまり、あの木に行ってみる価値はあるということだ。そしてそこに見事アベスカがいれば、サシャの感じる次へのスフィアの方角へも向かってみよう」

「ねえ、なんか難しく言ってるけど、結局それって初めはまるで信じてなかったってことだよね!?」

「静かに、サシャ。アベスカに逃げられても知らないぞ」

「えええー!」


 なんか納得いかない!と騒ぎ立てるサシャをなだめつつ、シルヴィエは体を捩って馬体の背の荷物を次々と降ろしはじめた。アベスカは転移で逃げる。が、運が良ければ間抜けにも近場に転移し、そこを捕まえた例もあると聞く。そんな幸運を手繰り寄せるためには、出来るだけ身軽に、出来るだけ五感を研ぎ澄ませておく必要があるのだ。


「ちょ、なんでせっかくの果物を置いてくの!? 今はお腹いっぱいだけど、もうちょっと待ってくれたら食べれるようになるから! あああ蜂蜜はダメ! 置いていくぐらいなら今ここで――うおお、あまーーーい!」


 意味の分からない大騒ぎを始めたサシャに、シルヴィエが嘆息まじりに意図を説明する。なんだそういうこと、と気持ちを落ち着けたサシャがシルヴィエを手伝いはじめ、あっという間にアベスカ捕獲の準備は整った。


「よし、なんか時間はかかったけど、ようやく木のところに行けるね」

「誰のせいだと思って……いや、お互いさまか」


 シルヴィエが文句を言いかけたが、サシャがアベスカの居場所を指差してから、確かに彼女が色々と問いただしていたり考え込んでいた時間もあった。それでお互いさまだと言い換えたのだが、その辺りを意識してみると気になってくるのは、既にアベスカが逃げてしまっている可能性である。


「なあサシャ、アベスカらしき気配はまだあの木のところにあるか?」

「ん……。そうだね、まだあそこにあるよ」


 足音を忍ばせて歩きはじめながらも僅かにその紫水晶の瞳を閉じ、彼だけにしか分からない何かを確かめるサシャ。どうやら幸いにも未だ動きはないようである。


「ふむ、運はこちらに味方しているようだ。この先は二手に分かれ、左右から木に接近していくぞ。……頼りにしているからな」

「こっちもだよ。気をつけてね」

「ああ」


 二人は目と目で頷き合い、流れるように挟み撃ちの位置へと動き始めた。それは、今日結成したばかりのコンビとは思えない滑らかさ。なんだかんだで馬が合っている二人であった。



  ◇



「くそっ、逃げたか!」

「もうちょっとだったのに!」


 広大な密林の只中、二本の川が合流するそのすぐ下流に、シルヴィエとサシャの悔しげな叫び声が響き渡った。


 二人が左右から挟み込んだ木には本当にアベスカが潜んでおり、すばしこく逃げまわる銀毛のリスを追いかけ、あと一歩のところまで追い詰めたのだったが――


「……転移、か」

「キレイに消えちゃったねえ」


 ――シルヴィエがサシャの前まで追い込んだところで、一瞬の青光とともに忽然と消えてしまったのだ。


「でもシルヴィエ、今のがアベスカ? ……カーバンクルじゃなくて? まあ、どっちも見たことはないんだけど」

「ん? ああ、サシャの国ではカーバンクル呼びが普通か。地域によってはそうとも呼ぶらしいな。私も初めて見るが、銀毛に額の青い宝石、間違いなくこの地方でアベスカと呼ばれているものだ」

「そうなんだ、カーバンクルがアベスカだったんだね。あっちじゃ幸運を呼ぶ神獣って言われてたらしいよ? とっくの昔に絶滅しちゃったけど、やっぱり銀の体で、額に青い宝石って話」


 どこに転移で逃げたかなど分かるはずもなく、二人はその場で肩を落として話し続ける。いざアベスカを追い詰めてみればそれがカーバンクルと呼ばれていた魔獣だったことに、サシャとしても驚かされてはいたのだ。


「幸運を呼ぶ、か。なにせマジックポーチの材料だからな。捕まえればもれなく大金が転がり込むと考えれば、幸運もあながち間違いではないな」

「うわあ。それじゃ夢がないよ、世知辛いなあシルヴィエは」

「それが現実だ。……と、ふと思ったのだがサシャ。お前ならアベスカがどこに逃げたのか、もう一度探すことができるのではないか?」


 シルヴィエの言葉に、「確かに」と目を丸くするサシャ。

 透明度の高い紫水晶の瞳が、天才か、とシルヴィエを見詰めている。


「それだよシルヴィエ。あんまり遠くに逃げられてるとぼやけて正確には分からなくなっちゃいそうだけど――」


 早速サシャは目をつむり、集中を始める。

 が、すぐに目を開け、ガバリと背後を振り返った。そしてそのまま唐突に走り始めて――



「こらああ! 蜂蜜は食べちゃダメええええ!」



「まさか、そこだったかっ!」


 韋駄天のごとく疾走するサシャと、馬蹄の音も高らかにそれを猛追するシルヴィエ。

 二人が急行する先、それはつい先ほどシルヴィエが邪魔な果物などを下ろした場所だ。こんもり山となったサシャ特選収穫物のその頂上に、尻尾をこちらに向けた銀色のリスが頭をその中に突っ込んでいる。間違いなく、転移で逃げたアベスカだった。


「蜂蜜はダメえええ! 果物ならまだいいからああ!」


 必死極まりない叫び声を上げて疾駆するサシャに、他に言うことはないのか、とシルヴィエは追随しながら声にならない突っ込みを入れる。


 なにせその頬袋がマジックポーチの材料となる魔獣だ。仕留めて売ればゴールデンオークどころではない一攫千金だし、約束どおりユリエに渡せば、それを使うオットーのぺス商会は数年で豪商の仲間入りをすることだろう。それもそれで悪くない――疾駆するシルヴィエの頭に、喜ぶユリエの顔が浮かんだ、次の瞬間。



「やめてえええ! そこまでええ! もう終わりにしてえええ!」



 声色だけ聞けば悲壮ともいえるサシャの叫びに、荷物を漁るアベスカの銀色の背中がビクリと震えた。そして小動物特有の敏捷さでサシャに向き直り――


「へ?」




 ――腹を上にして、ひっくり返った。




「いうこと、きいた!?」

「そんな訳あるか! 早く捕まえろ!」


 シルヴィエの号令一下、ようやく荷物の山に近づいた二人が流れるように左右に別れ、一気にアベスカとの距離を詰める。が、アベスカは腹を見せたまま、許しを請うような視線をサシャに向けているだけで逃げる素振りはない。


 近くで見ればその白銀の腹がぶるぶると震えており、まるで「逃げたいんだけれども命令で動けない」ようにも見える。手を伸ばせば捕まえられる距離まで二人が近づいても、ふわふわの腹の震えがさらに大きくなるだけで、やはり逃げ出す気配はない。


「……ねえ、シルヴィエ?」

「うむ」


 アベスカを挟んで目と鼻の距離にまで近づいた二人の視線が雷のように交わされ、以心伝心でサシャがそうっと手を伸ばし……



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