23話 コンビ(後)

「ねえシルヴィエ、このソードラビットは持っていくんだっけ?」

「ああ、肉が絶品だからな。オットーたちへの良い手土産にもなる。そのまま私の馬背の左の皮袋に入れておいてくれ」


 蝉の大合唱が原生林にこだまする<密緑の迷宮>、その前人未踏の第二十一階層。

 最奥の間への最後の試練と思しきこの階層は、途方もない広大さをもってサシャとシルヴィエの前に立ちはだかっていた。


 軽快な進行速度と圧倒的な殲滅力を持つ二人は、とりあえずの道しるべとして、スフィアそばの巨大な湖から流れ出ていた川に沿って快進撃を続けている。既にかなりの距離を踏破しているはずなのだが、行けども行けども果ては見えない。


 日没前には帰還の宝珠を使う予定だが、スフィアの転移が完全に正常だと言いきれない今、最悪の可能性としてその宝珠が使えないことも考えられる。万が一に備えてラビリンス内での野営も視野に入れたシルヴィエは、斃した魔獣のうち食用に適したものをいくつか拾っていくようにサシャに頼んでいたのだった。


 帰還の宝珠を使えば問題なく戻れるはずなのだが、実際にそれを確かめられる訳ではない。使えるのは一度きり、確認のために試すことはできないのだ。


 それに、どうなるにしても集めた成果は無駄にはならない。ここで食べなければオットーたち家族への手土産にしたっていいのだ。


「左の皮袋ね、……よし、入れたよ! でもさ、こうやってシルヴィエが獲物を運んでくれるのって、すごい楽。小さい頃よく狩りはしていたけど、獲物をひとつ持つだけでそれ以上の狩り続行はできなかったもの」

「ふふふ、それはお互いさまだ。私のこの馬体では、斃した獲物を拾うのがひと苦労だからな。下手に屈むと立つのに時間がかかるし、こう魔獣が多い場所ではたいてい未回収で先に進まざるを得ない」

「おお、そんなこともあるんだ。じゃあお互いさまだね」

「ああ、お互いさまだ」


 襲ってくる魔獣の僅かな合間を使い、ふふふ、と笑みを交わし合う二人。

 そんなゆとりを見せつつもサシャは、耳が刃物のように硬質化したソードラビットをもう数体、程度の良いものを見繕いながらも手早く拾い集めていく。もちろんその間シルヴィエは、ケンタウロス特有の高い視点から周辺の警戒を怠らない。戦闘面のみならず、いろいろな面で相性の良い二人であった。


「サシャ、そろそろ後ろから追いかけてきている大群がその辺に顔を出すぞ。しつこくて仕方ないが、周りからも新手が集まりつつある。獲物を拾うのは終わりにして先に進もう」

「よっし! 大漁大漁、じゃあ先に進みますか。また後ろは任せてね!」


 大げさに双剣をきりりと構えてみせるサシャの姿に、シルヴィエの口元に何度目かの柔らかな微笑が浮かぶ。


 これまで武者修行という名目で、常に一人で戦ってきたシルヴィエ。だが、そんなストイックな生活の中で初めて、サシャとならこの先ずっと共に戦ってよいと思えたのだ。頼るに足る戦闘の能力という意味でも、手のかかる弟のような存在だから、という意味でも。


「……ここからしばらく先だとは思うが、川の水音が大きく変わっている気配がある。ひょっとしたら滝があるのかもしれない。まずはそれを目指してみよう。ちゃんとついてくるのだぞ? 体力面ではまだまだ心配なさそうだが、それ以外の部分でな」

「ちょ、シルヴィエそれってどういう意味? 子供じゃないんだからさすがにこんな場所でふらふらどこかに行ったりしないよ!?」

「ふふふ、どうかな」

「あー今、鼻で笑った! ひどい!」


 抜かりなく周囲に警戒をしつつも、賑やかに前進を再開するサシャとシルヴィエ。

 ソロが常だった孤高の<槍騎馬>を知る者が見れば、実に驚くべき光景なのかもしれない。



  ◇



「よ、ほいさ――わ、シルヴィエありがと。おっとそこは通さないよ?」


 サシャとシルヴィエは軽快に林生の魔獣を蹴散らしつつ、かなりのハイペースで川沿いを突き進んでいく。


 出てくる魔獣といえば相も変らずトーチスパイダーやトライアングルスネーク、そして草木に擬態したヒドゥンビートルとグラスワームといったところだ。稀にソードラビットが刃と化した耳を煌めかせて突っ込んでくるが、それが二人の身体に届くことはない。


 上背のある<槍騎馬>と地を這うように動きまわる敏捷な双剣使い、それぞれの分担を明確にこなす二人の連携はますます向上し、もはや既見の魔獣相手では揺らぐことすらない。


「ふむ、もう少し速度を上げられそうだな。サシャ、疲れていないか?」

「んーまだまだ平気。けど今のところ次へのスフィアの気配もないし、ちょっと速く行ってみよっか」


 その言葉を皮切りに、前に後ろにそして投擲もと、軽やかに動き回るサシャがそのギアをさらに一段上げる。


 シルヴィエはそれを横目でちらりと確認し、強靭な馬体の歩法を軽快な速歩はやあしへと変えた。背中に荷物が満載であれば気を使うそれも、今の積載量では大きな問題とはならない。


「……ふむ、大丈夫そうだな」


 ひっきりなしに魔獣が湧き出てくる未踏破層の密林の中、速歩はやあしへと変えても平気な顔でサシャは追随してくる。肩越しにそれをちらりと確認した美貌の女ケンタウロスは、目まぐるしく愛槍を振るいながら誰にともなく小さく微笑んだ。


「……ふふふ、なんとも頼もしいことだ。これは癖になってしまいそうだな」

「んー? 何か言ったシルヴィエ?」


 速歩はやあしのリズミカルな上下動に合わせ、電光石火の槍捌きで前方を切り開いていくシルヴィエ。その顔には、内側からにじみ出てきたような柔らかい笑みが浮かんでいる。


 彼女からしてみれば、これまで単独ラビリンス入りしていた時の苦労が嘘のような、痛快なまでの進行速度なのだ。地面に叩き落とした魔獣のとどめを刺すのに足を止める必要もなければ、死角となっている後ろ脚付近に神経を使う必要もない。かと言って獲物をうち捨てて逃走している訳でもなく、それなりに価値のあるものはしっかりと回収してのこの速度。


 それらは全て、サシャと同行しているが故の恩恵だ。もちろんシルヴィエにしても、ただ同行者に頼りきりになっている訳ではない。先頭に立ち、目まぐるしく愛槍をふるって進路を切り開いている。シルヴィエとサシャ、二人が揃ってこその快進撃であった。


 ……悪くない。実に、悪くない。


 シルヴィエからしてみれば、出会ってまだわずか二日目にすぎないサシャ。

 信じられないほどの神の癒しを使えたり、いざ戦いとなれば彼女が師と仰ぐかの貴人を彷彿とさせるような見事な動きを垣間見せたり、いきなり複数のトップクランに勧誘されたり、そのくせザヴジェルの常識にはとんと疎かったり。


 驚いていいのやら呆れていいのやら良く分からない相手だ。


 けれども。

 その中身はまるで手のかかる弟そのものであり、こうしてラビリンスに連れてきてみても、負担になるどころか実にやりやすい。何よりどこかこう、魔獣ひしめくこんな未踏破層ですら楽しいのだ。


 ……このまま固定パーティーを組んだら、この先もこの楽しさが続くのかもしれないな。


 己を厳しく律し、武者修行として孤高を貫いてきた<槍騎馬>シルヴィエ。

 その彼女が、初めて誰かと共に歩むことを考え始めた瞬間であった。



  ◇



「ねえシルヴィエ、聞きたいことがあるんだけど」


 予想どおりに滝に到着し、そこでちょうど襲いくる魔獣の波が途切れたこともあり、ひと息入れることにしたサシャとシルヴィエ。考えてみればここまでほぼ休みなしで戦い続けてきている。さすがに二人とも疲れで動きが鈍りはじめてきていた。


「ねえシルヴィエ、ここまで結構な距離を進んできたじゃない? それで少し感じることがあったというか」

「……何だ? そうかしこまって、聞きづらいことか?」


 草の上に座り込んだサシャが珍しく、どこか思い切った顔でシルヴィエを見上げている。その紫水晶の瞳に浮かぶのは決意と……若干の不満。


「あの、さ。ちょっと言いづらいことなんだけど――」

「何だ? 共に戦う者にとって、そういうのは大切なことだ。遠慮なく言ってみろ」


 年長者として、ラビリンスの先達としてのゆとりを持ち、ことさら鷹揚に構えてみせるシルヴィエ。


 彼女は普段はあまり人を寄せつけない、凛とした空気をまとっている。もちろんそうそう他人に質問を許すような機会も、そんな相手も少ない。だがサシャならば、そう思ってのこの雰囲気作りだ。それを敏感に感じ取ったのか、サシャは若干の躊躇の後、申し訳なさそうに口を開いた。


「あのさ、肉ばっかりじゃなくて果物とか木の実とかも持って帰らない? さっきから美味しそうなのがいっぱいなってるんだけど、シルヴィエ、ひょっとして肉しか食べないの?」 

「……はあ?」

「ほらさ、筋肉ムキムキを目指す人って、わざと肉しか食べなかったりするじゃない。シルヴィエも肉しか拾えって言わないし、そうなのかなーって。でもさ、故郷じゃ野菜が採れなかったから、食事のほとんどが魔獣の肉だったんだよね。正直飽き飽きしてて、シルヴィエさえ嫌じゃなかったら果物とかも――」




「…………好きにしろ」




「え? 今、なんて?」

「好きにしろ、そう言ったんだ! 休憩は終わりだ。グズグズしてると置いていくからな、そこだけは注意しておけ」

「えええ、シルヴィエ怒ってる!? まさかの機嫌、ワルヴィエ? なんで!? 遠慮なく言ってみろって言ったじゃん!」


 ぎゃあぎゃあと騒ぎ出すサシャと、とっとと先にその馬脚を進めはじめるシルヴィエ。

 だが、いざ魔獣の気配が迫ってくると息の合った連携を見せるあたり、なんだかんだで二人は相性の良いコンビなのであった。



  ◇



「うひょひょひょ、まさか蜂蜜がこんなに採れるとは」

「……サシャ、頼むから人の背後でその阿呆みたいな笑い方をするのはやめてくれ」

「おいしいよねえ蜂蜜。いつぶりだろうねえ蜂蜜。ちょっとだけ舐めてみちゃう? うわ、あまーーい!」


 滝からまた川沿いを進むことしばらく。二人はその川が別の川に合流している地点に辿り着いていた。道中でだいぶ魔獣を減らしたからか、それとも他の要因があるからか、滝を過ぎてからは急に魔獣の密度が下がり、ここまで実にスムーズに進んでこれている。


 そうして負担の減ったシルヴィエの馬体の背には、大量の果物や木の実が所狭しとくくりつけられている。


 もちろんシルヴィエ同様に手が空いたサシャが道中で勝手に採取してきたものだ。一応全てシルヴィエの食用かそうでないかのお伺いは通しており、そこから更に片端から味見したサシャによる厳選をくぐり抜けた特選収穫物だ。


「いやあ、満足満足。おいしいねえラビリンスって。幸せだねえラビリンスって」

「……ラビリンスをそう表現するのはお前だけだ。それと、人の背中だからといって積みすぎだ。最奥の間を目指すという目的、すっかり忘れていやしないか?」

「やだなあシルヴィエ、忘れてなんかないよ? それに加えて、ユリエにアベスカの頬袋を持って帰るってのもね。なんかこう、次へのスフィアはまだ遠いけど、アベスカはすぐ近くにいるって予感がするんだよねえ。あとはそう、なんやかやでうまく捕まえれば万々歳ってところ」


 なんだその根拠がまるでない希望的観測は……と、呆れ顔で嘆息するシルヴィエ。


「ねえ、それよりもこの大量の果物とかは本当に全部食べちゃっていいの? ユニオンに納めたりとか必要ない?」

「ああ、ユニオンは別に税を納めるべき領主でも何でもないからな。帰りに窓口で買い取りたいものがあるか一応は聞いてみるが、おそらくはどれもいらないと言われるだろう」


 川の合流地点で警戒を続けるシルヴィエの説明によると、ラビリンスで採れる大抵のものには専門のクランが存在しており、それらクランがほぼ安定して定期的に大量納品しているという。そこにシルヴィエらがたまたま採れたからといって少量を持ち込んでも、需要がきっちり満たされているうえに販売価格でも専門クランには太刀打ちできない。


 例えば今サシャが採ったような果樹類の場合。


 彼ら専門クランは自生場所の把握から始まって、高所まで簡単に採取できる携帯梯子から大量運搬用の専用荷車まで様々な道具を用意し、計画的にラビリンスに乗り込んでくる。そして一回の探索で効率的に大量収穫をして、事前にユニオンと契約していた量を安い価格で過不足なく納めていくのだ。


「まあ、我々のようにソロでラビリンスに潜る者は、彼ら専門クランにはとうてい敵わないな。頭を下げて捨て値でユニオンに買い取ってもらうぐらいなら、持ち帰って自分たちで食べるなり、知り合いに売るか配るかした方がよっぽどいい。我々のような者がクランに太刀打ちできるとしたら」

「できるとしたら?」


 シルヴィエの語るザヴジェルのより深い一面に思わず引き込まれ、言葉尻をおうむ返しに尋ねるサシャ。


「それは、多少なりとも運の要素が絡む、稀少魔獣の肉や毛皮が取れた場合だろうな。例えば、初めに皮袋に詰め込んだソードラビット。あれは稀少魔獣という程でもないが、肉が美味くて常に需要がある。二十匹売れば銀貨一枚にはなるだろう。お前の好きな野菜が山ほど買えるぞ」

「ななな何と!?」

「……そしてサシャ、魔獣との戦闘を考えれば、私の背中に積むのはそろそろ限界だ。この先ソードラビットを積極的に狩っていくのであれば、今積んである果物は置いていきたいところだな。どうする?」

「ぐはあ、なんという理不尽な選択! いや待って、置いていくぐらいならこの場で頑張って食べちゃうという方法も――。ああでも、味見しすぎて既にお腹いっぱいだあ――」


 川べりで騒々しく頭を抱えるサシャを、シルヴィエはやれやれといった顔で眺めている。なんとも騒がしい、けれどもなぜか冷たくは突き離せない、そんな相方であり弟分であった。


「ぐぬぬ、そしたら仕方ない。道草はここまでにして、とっとと先に進もうシルヴィエ。まずはアベスカを捕まえちゃおうか……たぶん近場にいるんだから…………」


 サシャが唐突に目をつむり、なぜか眉間に皺を寄せて集中を始めた。

 何をしている、そうシルヴィエが尋ねるその前に。




「ねえシルヴィエ、この階層に来た時のスフィアはあっち?」




 ぎゅっと目を閉じたまま、斜め後ろの方向を指差すサシャ。


「それが合ってるんだったら、次の階層に行くスフィアは……たぶん向こうの方」

「な――っ」


 知るはずのない方角をはっきりと指差すサシャを見て、シルヴィエの目が大きく見開かれた。初めに示した方角には確かにこの階層に来た時のスフィアがあるだけに、二度目に示した予言じみた方角に底知れない信憑性を感じたからだ。


「ねえ、黙ってちゃ分からないよ。初めに指差した、 この階層に来た時のスフィアの方角って合ってた?」

「……あ、ああ。確かにあの方角で間違いはなかった。だが、なぜ次へ進むスフィアの方角まで分かる? ここは前人未踏の階層だ。ここに転移してきたスフィアの方角はともかく、次に進むスフィアの場所など誰一人として知っている者はいない筈だ」


 そう。この階層に出てきた場所ならば、いくら魔獣と戦いながら密林の中を進んできたとはいえ、方向感覚に優れた者なら、言い当てられる可能性はなくもないのかもしれない。少なくともシルヴィエは分かる。それは広大な草原を駆け巡るケンタウロスだからだ。


 だが、次へと進む未知のスフィアの方角を言い当てるとなると、それはさすがに不可解であった。


「むふふ、この階層に入ってから、なんかそんな気がしてたんだよねえ」


 前半部分正解の声を聞いて満面の笑みで目を開いたサシャが、呆然とするシルヴィエにしてやったりと声をかけた。


 そして少しだけ自信なさそうな顔になりながらも、川べりのやや下流にある一本の木をまっすぐに指差して。




「だとするとアベスカ、もしかしたらすぐそこにいるかもしれない」




 そう宣言した。



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