20話 密緑のラビリンス
「ほう、神父とは珍しいな! しかもちゃんとユニオン章を持った新人ときたもんだ! さらにさらに、あの<槍騎馬>がソロじゃないってのも珍しい! こりゃ今日はラビリンスに雨が降るぜ!」
「うるさいアルビン、早く帰還の宝珠をよこせ。二人分だ」
「へいへい」
霊峰チェカルにある古代迷宮群のひとつ、<密緑の迷宮>の入口にある管理小屋。
分厚い石組で築かれたその管理小屋の中に、すっかりいつもどおりの元気を取り戻したサシャはいた。正確には元気を取り戻したどころか軽い興奮状態であり、例によって同伴のシルヴィエから黙っていろとの厳命を受けていたりする。
「ほらよ。”全てを見守るクラールの静かな護りが貴方にありますように”っと」
こじんまりとしたカウンター越しにアルビンと呼ばれたユニオン職員がそう言って投げて寄越したのは、青く輝く小さな宝玉だ。はっし、と空中でそれを受け取ったシルヴィエだったが、何を思ったかまじまじと掌の中のその宝玉を見詰め、小さく首を傾げた。
「ん? いつもの帰還の宝珠だぜ? 傷でもあったか?」
「いや何でもない。確かに受け取った。……サシャ、そんなにしなくても後で見せてやるから。まずは行くぞ」
「へーい、いってらっしゃー。気をつけてー」
シルヴィエの馬体によじ登らんばかりに宝玉を覗き込もうとしていたサシャを軽くいなし、彼女はしなやかな四脚で奥へと歩き出した。気の抜けたような受付のアルビンの見送りの声に背を押されつつ、シルヴィエが向かう先はカウンター脇の城門のような鉄扉だ。
その先にはいよいよ、<密緑の迷宮>につながる転移スフィアが安置されており――
サシャとシルヴィエは二人、初心者用ラビリンスということもあって殆どひと気のない管理小屋の中を、やる気のない見送りに応えつつもゆっくりと歩みを進めていく。
その先に待っているのはサシャ待望のラビリンス、<密緑の迷宮>。
世界の
◇
<密緑の迷宮>のこじんまりとした管理小屋で、カウンター奥の鉄扉を開けたサシャとシルヴィエの二人。
その先で二人を待っていたものは――
「……んんんっ! んーんーんーっ!」
「ふふっ、これはすまなかった。もう喋っていいぞ、サシャ」
「おおお、やっとだよ! さっきはありがとね、癒しの金額なんて全然考えてなかったから本当助かった。ていうかそれはそれとして何あれ! ねえ何あれ! すごいよシルヴィエ、ねえ何あれ!」
「やっぱりもう少し黙っていた方が――」
「見てよシルヴィエ! きれい! 浮いてる! 不思議! ねえねえ近くで見てもいい!?」
矢のように飛び出していったサシャの、その先にあるもの。
それは、神々しいほどに澄んだ青光を放つ、ひとつの巨大な
そんな神秘的な宝玉が行き止まりとなった無人の石造りの小部屋の中央、膝ほどの高さで静かに宙に浮かんでいる。一直線に駆け寄ったサシャが真っ先に宝玉の下を覗きこんでいるが、そこにはむきだしの石床が広がっているだけ。本当に自力で宙に浮かんでいるのだ。
「……これはスフィア、と呼ばれる転移石だ。ラビリンスの大まかな構造は説明したな?」
鉄扉を閉じて、こつ、こつ、と馬蹄を響かせて歩み寄ってきたシルヴィエが、まだ触るなよ、と軽くサシャの肩を押さえて確認する。街から<密緑の迷宮>管理小屋までの道すがら、彼女はずっとサシャにラビリンスというものの概略を説明してきたのだ。
それによれば、ラビリンスとはいくつもの亜空間が層のように連なったものである。
草原が広がる亜空間もあれば大森林になっている亜空間もあり、砂漠や氷原のものまで多種多様な亜空間があって、そのどこかに必ず存在しているスフィアと呼ばれる転移石に触れることで隣の亜空間へと――
「入口のこれに触れば初めの亜空間に行けるんでしょ! ちゃんと聞いてたよ!」
「そうだ。だが入口のこのスフィアには他にない特徴がある。ひとつは――」
「十層ごとだけど、行ったことがある層ならどこに行くか選べる! あと帰還の宝珠を使えば、ラビリンスのどの層にいてもこのスフィアに戻ってこれる!」
「ふふふ、ぼんやりしていたようだが、聞いてはくれていたのだな。そしてさっき受付で受け取ったこれが、その帰還の宝珠という訳だ」
「おおおっ!」
シルヴィエから手渡された青い宝玉をサシャはまるで宝物のように目の高さに掲げ、向きを変えてじっくりと眺めては感嘆の溜息を漏らしている。
「そうだ、いざという時の緊急避難にも使える命綱だからな。念のためにそのままサシャが持っておけ。だが、大切に保管しようと懐深くに入れすぎるなよ? いざという時に取り出せなければ意味がないし、それに、再びここに戻ってくればただの石に変わる」
「使う時はどうすればいいの?」
「宝珠を天にかざし、帰還を念じながら力いっぱい握りこめばいい。そうすれば次の瞬間、ここに戻っている」
「不思議だねえ、すごいねえ」
ほうう、と何度もため息を漏らすサシャに、シルヴィエは例によって説明を加えていく。元気を取り戻したサシャの反応が嬉しいのもあるし、それとは別に先ほどから妙に気になっていることがあるのだ。
それとなく帰還の宝珠とサシャの様子を確かめながら、シルヴィエはさらに説明を続けていく。
「……そうだな。ただの石に変わったこれをこの入口のスフィアの傍に置いて帰れば、数時間後にはまた使える宝珠になるのだからな。ひとパーティーにつき一個しかラビリンスに持ち込めないことと併せ、大昔から続くラビリンスの謎と言われているひとつだ」
「え、一個しか持ち込めないの?」
「そうだ。同行する各人がそれぞれ持ち込んでも、もしくは誰かが複数持ち込んでも、ここのスフィアでラビリンス内に転移した途端、ひとつを除きただの石に戻ってしまうからな」
「うわあ、何それ不思議! どうしてそうなってるの?」
きらきらと子供のように目を輝かせるサシャに、シルヴィエは小さく肩をすくめる。
「それはそういうものだとしか言えないな。まあ、太古の昔からラビリンスは生き物だ、という説が根強くあってな。多くの探索者を呼び込むためにあえてこうして便利なものを提供している、という話もあるのだが……」
「え、それなら何個だって宝珠を持ち込めるようにすればよくない? 魔獣とかいるわけだし」
「それがな、話にはもうひとつ続きがあるのだ。サシャ、ラビリンスが生き物だとして、探索者を呼び込む理由は何だと思う? 眉唾モノの話にはなるが、それは呼び込んだ探索者の命を喰らうため、そういう説がある」
貴重な魔鉱石の鉱脈などをエサに人間を呼び込み、配置した魔獣でその一定割合の命を刈りとる。それがラビリンスという巨大生物の生態なのだ――どの時代にもそういう話がまことしやかに囁かれているのだ、そうシルヴィエは語る。
「で、だ。ラビリンスという危険地帯に人を呼び込むには、宝珠という便利な物があった方がいい。だが、かといって全員に宝珠を持たせれば、全員が死なずに帰還してしまう。そのバランスがひとパーティーにつき一個、というところらしい。それとは別に、精製する宝珠の数でそれとなく入場者数をコントロールしている、という説もあるがな」
そこでシルヴィエは一旦言葉を切って、馬型の下半身の上からじっとサシャを見下ろした。スフィアと帰還の宝珠の静謐な青光を浴びる小柄な神父姿の少年は、未だ感嘆のため息をつき続けている。
「すごいねラビリンスって。全部が全部本当じゃないかもしれないけど、なんていうか壮大? 未知のロマンがこれでもかって詰まってるんだねえ」
「……なあサシャ、お前はこうしてラビリンスの話を聞いて、間近にスフィアと宝珠を見て、それで何も思わないか? こう、何か感じるものがあったりだとか」
「へ?」
「ただの思い過ごしかもしれないし、単なる偶然かもしれないが」
そこで再び言葉を切って、シルヴィエはスフィアの静謐な青光を受けて神秘的なまでに浮かび上がる、どこか幼さの残るサシャの顔をまっすぐに覗き込んだ。
「……このスフィアの青い光も、帰還の宝珠の青い光も、お前の癒しの時に出る青い光とそっくりだとは思わないか?」
「ん? ああ、そう言えばそうだねえ。すごい偶然? なんかちょっと嬉しいかも」
「偶然、なのか……。何かこう、感じるところがあったりとかはないのか?」
「きれい、浮いてる、不思議――さっき言った以外には、特に何にも? あ、それとさっそく触って転移してみたい!」
「……そうか」
形の良い眉を上品に寄せ、シルヴィエはしばし考え込んだ。
サシャの癒しの光は、街道で親子を救った時に間近で見たことに加え、ユニオンではまさに自分がその光に包まれている。父フーゴのふたつ名の由来となっている神槍から放たれているのも同じような青い光であり、その時はそっちに似ていると思ったものだ。
が、先ほど帰還の宝珠を手にしてシルヴィエは確信した。サシャの癒しの聖光は、宝珠とスフィアの青光にこそ瓜二つなのだ、と。
「……私が考えても何にもならない、か。長々と話して悪かったな。とりあえずは先に進もう。ユニオンでかなり時間をくったし、日没は早いからな」
「おおお、話は面白かったから全然いいんだけど、やった! 待ってました! ついにラビリンスに突入だね!」
「ふふ、お前の強さがあれば問題ないとは思うが、今日のところは軽く流しながら見てまわるぐらいだぞ? 私がいるから第十層と二十層にも飛べるが、アベスカは層の深さに関係なく出没すると言われているからな。ラビリンスがどんなものか知るためにも、第一層を流す程度でちょうどいい」
「うんうん、ユリエにアベスカを狩って帰らないとね! 待ってろアベスカ! アスベカ出身のサシャ様が行くぞ!」
スフィアの青光の中で、ぶん、と拳を突き上げるサシャに、シルヴィエは小さく肩をすくめた。
「……それ、随分と気に入っているのだな。忘れてくれていいのだが」
「えええ! だってシャレた言い回しじゃない? きらりと光るセンスというか、垣間見える運命というか!」
「どこが運命かは分からないが、それでアベスカが狩れれば誰も苦労はしない。まあいい、私が代表してスフィアに触れるから、サシャは私の身体のどこかに触っていてくれ。十人くらいまでなら一緒に転移できるからな」
「分かった! 尻尾でもいい? 実はちょっと触ってみたかったんだよね」
「……どこでもいい。では、行くぞ」
「よし行こう! アベスカがいる、その地まで!」
サシャの威勢のいい声を半分聞き流し、ゆっくりとシルヴィエはスフィアに手を伸ばした。その手が触れると同時に眩いほどの青光がスフィアから膨れ上がり、一瞬のうちに全てを包む。
それはラビリンスの亜空間へと転移する、人智を超えた空間属性の光。サシャとシルヴィエの視界が青一色に呑み込まれ、一瞬の浮遊感が二人を唐突に襲った。そして――
「……なんだ、ここは? こんなの聞いたことがないぞ」
急速に薄れていく、視界を呑み込んだ青。
徐々に明らかになっていく転移先の光景を見て、シルヴィエが茫然と呟いた。
◇
「……え、なにこれ?」
息苦しいほどの蒸し暑さと蝉の大合唱――。
戻ってくる五感の中で、サシャが真っ先に感じたのはそれだ。
周囲を見回せば、これまでいた行き止まりの暗い部屋とはまるで違う、明るくも鬱蒼とした大森林の只中にサシャとシルヴィエはいた。唯一変わらないのは目の前に音もなく浮かぶ、青く静謐な光を放つ巨大なスフィアのみ。
「……暑っ。今日ってこんなに暑かったっけ?」
立っているだけでじんわりと汗がにじみ出てくるような、粘つく暑さが全身にのしかかってきている。今はまだ初夏のはず、いや、これほどの猛暑は真夏でも味わったことがないし、そもそもぼちぼち夕暮れのはずなのに――サシャの中の冷静な部分がそう告げている。
「サシャ、ラビリンスとはこういうものだ。独自の空があり、昼夜があり、気候がある。世の
「なのだが……?」
「――少なくともここは第一層ではないぞ。どういうことだ?」
「え」
「第一層どころか、私が行ったことのあるどの層とも違う。この熱気、<密緑の迷宮>は<密緑の迷宮>だと思うが……気を抜くなサシャ。何か前代未聞のことが起きている」
険しい顔で周囲を見回すシルヴィエによれば、この<密緑の迷宮>にはここまで鬱蒼と茂った密林はないはずだという。そして右側、木々の奥に垣間見える巨大な湖――シルヴィエの知る限り、そんなものは<密緑の迷宮>には存在しないはずだった。
実際、シルヴィエが踏破しているのは第一層から第二十層まで。第二十一層へと進む二十層終点にあるスフィアは物理的に近寄れない絶壁の上に鎮座しており、シルヴィエどころかこれまで誰もその先に進めた者はいない。つまり、既知の全ての階層をシルヴィエは知っているはず――のだが。
「まさかあの絶壁の先、二十一層以降の完全未踏破層に跳んでしまった……のか? いや、そんなことは聞いたこともないし、古から続くラビリンスの歴史を考えたって――動くなっ!」
唐突にシルヴィエがその四本の馬脚で鋭く地面を蹴り、ふらふらと湖に向かって足を踏み出そうとしていたサシャの肩越しに鋭く槍を突き出した。
その切っ先に貫かれていたのは子猫ほどもある緋色の毒蜘蛛、トーチスパイダー。噛まれると灼かれたような激痛に襲われることからそう名付けられたこの毒蜘蛛は、このような亜熱帯の森林環境ラビリンスにのみ生息する危険な虫型魔獣のひとつだ。
「うわっ、ありがとシルヴィエ!」
サシャがすらりと背中の双剣を抜き放ち、その場で即座に全方位の警戒態勢に入った。こうしたところは元傭兵、戦いの勘は鈍っていない。そんなサシャが見る限り、どうやら今の毒蜘蛛は頭上を覆う密集した枝から音もなく糸でぶら下がってきていたようだった。
「サシャ、今はスフィアから離れるな。スフィアのそばに魔獣は寄ってこないからな。少し状況を整理する時間が欲しい」
「そうなんだ、ごめん」
「気にするな。おそらくは安全圏から半歩出ていただけだし、こういう魔獣がいると知ってさえいればお前なら充分対処できたはずだ」
慌ててスフィアに駆け戻るサシャに、油断なく槍を構えながらじりじりと後退していくシルヴィエが言う。
「いいか、ラビリンスではその環境を最大限に利用した、今のような魔獣が山ほど襲ってくる。適者生存の法則に従った結果なのか、もしくはラビリンスコアがそこにいる魔獣に合わせて最適な環境を作った結果なのか、ともかく油断は禁物だ」
「むむむっ、やっぱりすごいねラビリンスって! 了解了解、今ので目が覚めた。あと何か気をつけておくことある?」
「そうだな、今のトーチスパイダーの他に<密緑の迷宮>で出てくるのはトライアングルスネーク、ヒドゥンビートル、グラスワーム、ソードラビットあたりだが――」
シルヴィエがそれぞれの魔獣の特色と注意点を羅列する。
「全体的な注意点とすれば、耳に頼るな、というところか。この蝉の鳴き声だろう? 聞こえるはずの音が予想以上に聞こえない。視野を広く持ち、頭上も含めて動くものをその初動で捉えるのだ」
サシャの能力を信頼しているのか、かなりハイレベルな要求を突きつけるシルヴィエ。だがスフィアの傍らに立つサシャは事も無げに頷き、軽く息を吸って言われた以上に五感を研ぎ澄ませていく。
生い茂った下草の中、密集して捻れた木々の影、複雑に絡みあって頭上を覆う枝の隙間――
「……うわ、なんかうじゃうじゃいるんだけど。ちょっと洒落にならない数がいるかも」
「分かるかサシャ、さすがだな。この騒めき、確かに尋常じゃない数がいそうだ。だが、これはどういうことだ? 確かに<密緑の迷宮>ではあるようだが、なぜ第一層ではなくこんな未知の場所に我々はいる? 今のトーチスパイダーだって二十層まで潜って初めて出てくる魔獣だ。本当に未踏破層に来てしまったのだろうか」
けれどまあ、未踏破層ならばこの異常な魔獣密度も頷けないこともないのだが。
スフィアの安全地帯に戻ったシルヴィエが、周囲の警戒を続けながらも呟いた。
「これまで誰も魔獣を間引いていないのなら、当然魔獣だらけになっていく。やはりここは未踏破層、そう考えた方がいいのかもしれない」
「え、でもさすがにこれは多くない? 魔獣同士で争ったりとかするでしょ?」
「サシャ、ラビリンスでは魔獣同士はけして争わないのだ。種の強弱や縄張り、捕食者被捕食者の関係にかかわらず、魔獣がその牙を剥くのは侵入者に対してのみ。自然界とは違う」
「うええ。じゃあ今、スフィアから離れればこの辺にいるのが一気に襲いかかってくるってこと?」
「……可能性はある」
うだるような熱気とうるさいぐらい鳴き続ける蝉の大合唱の中、油断なく構えた槍をいっそう強く握りしめるシルヴィエ。
「……もしかしてさっき、あのまま湖に向かって歩いてたらいきなりそうなってた?」
「……可能性はある」
「うわあ」
「まあ、例えそうなっていても、サシャと私で戦えば蹴散らすことはできた……と思う」
「思うって、断言じゃないんだ!?」
「まあ、やってみなければ分からん」
「…………」
それから二人は無言でしばらく周囲の密林を見回していたが、やがてシルヴィエがゆっくりと口を開いた。
「……サシャ、この状況で選択肢は三つある。少しだけ話を聞いてくれ」
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