02話 異端認定

「みんなー気をつけてねー! 普通の怪我ぐらいなら癒せるけど、無理しちゃダメだよー!」


 バタバタと駆けていく村人たちの後ろ姿に、念のためと声をかけるサシャ。


 魔獣狩りとはいえ、まだ薄暮のこの時間帯ならばそこまでの危険はない。それなりに機敏に走っていく村人たちの後ろ姿を見て手伝いは無用と判断したサシャは、そんな村人たちの姿が見えなくなるまでその場で見送って、そして。



「……まあ、まずきっと大丈夫だし」



 サシャは誰にともなく小声で呟いた。

 先ほどの癒しによって一時的に身体能力が高まったあの村人たちならば、危なげなく成果を得て帰ってくるはず。一人で旅をし、周辺の状況を知り尽くしたサシャはそう判断している。


 村人たちに同行し、狩りを手伝うことも出来なくはない。

 彼はかつて、この国の最前線で幾多の魔獣と戦ってきた歴戦の傭兵だ。その気になれば、村人たちが集団で狩りをしてくる分以上の獲物を独力で狩ってくることも可能だ。


 けれど、助力は癒しで充分。


 癒しを受けた村人たちにとって普段やっている狩りを手伝うよりも、その時間で村の怪我人を癒す方がはるかに助けになるだろう。サシャはそう自分に言い聞かせる。


 それよりも。


 彼は視線を上げ、村人たちが全員視界から消えていることを確認した。そして、胸の十字架にそっと手を伸ばす。



「……うん、まだ平気。思ったより古傷持ちの人が多くて消耗したけど、まだ大丈夫」



 サシャが今確認したのは、己の癒しの源泉について、だ。


 世間一般の神父は、治癒を司る神ゴザへの祈りや儀式と引き換えにその癒しの力を引き出す。けれども彼の癒しはそうではない。そこには彼独自の、人にはあまり言いたくない秘密が隠されている。


「……ちょっと補充しておく? 念のため、ね」


 それは、サシャがこうして神父の姿をしている理由にも繋がっている。


 傭兵を辞めて癒しの旅をしている、その理由は村人たちに語ったとおりだ。戦いばかりの生活に嫌気が差した、傷つけるよりも癒す方が性に合っている、それに嘘はない。


 けれども癒しの旅をするだけなら、別に神父の格好をする必要はないのだ。


 魔獣が跋扈し、人心も荒廃した殺伐とした世の中だ。旅をするなら、傭兵時代の防具をまとっていた方がよほど理に適っている。更に言えば、サシャは治癒を司る神ゴザへの篤い信仰心を持っている訳でもない。


 そんなものは欠片も持ち合わせていないし、実のところ、ゴザを含めたいわゆる新世代の神々の力は生理的に受け付けないのだ。


 ゴザの治癒にしろ、他の新世代の神々の力を借りて行使する各種の属性魔法にしろ、身近で使われると、なぜか全身にひどい怖気というか、強い拒絶反応を感じてしまう体質なのである。


 それでもサシャがゴザを祀る神殿神父の格好をし、わざわざ胸に重くて派手な十字架をぶら下げている理由。


 それは周囲から戦いを強要されづらくなるという利点ももちろんあるが、それ以上に。


 何よりも、己の裡に流れる、忌み嫌われる種族の血を隠すのにそれが一番都合がいいからで――



 その時。



「いたぞ、あれが邪神崇拝者だ!」


 急速に深くなりつつある夕闇の奥から猛然と土煙を上げ、サシャめがけて騎馬の一団が疾駆してきた。


 それはサシャが知る由もないことだが、弱りつつある主神、天空神クラールが施した最後の一手の幕開けを意味するもの。


 極秘の裡に己が力を注ぎ込んだ唯一無二の愛し子を使い、侵略されつつあるこの世界を取り返す神の筋書きがついに動き出したのだ。


 神隠しで得た特別な赤子は無事に成長し、全ての歯車は噛み合いつつある。



 ――残るはこの使徒アパスルの背中を、運命へとひと押しするだけ。



「世界を蝕む悪神の手先め、素直に火炙りにされるがいい!」


 騎馬集団の先頭に立っているのは紛れもなく、この国の神殿の正式な異端審問官。

 彼ら一団は狂信者のごとき叫び声を上げ、サシャめがけて押し寄せてくる。


「ちょ、どういう――」


 サシャは全く状況の意味が分かっていない。

 けれどもその状況は、そんなサシャに猶予をくれたりはしなかった。


「いたぞ、あれが邪神崇拝者だ!」

「世界を蝕む悪神の手先め、素直に火炙りにされるがいい!」


 急速に深くなりつつある夕闇の奥から、郊外では滅多に見ることのなくなった騎馬の一団が疾駆してくる。


 目を血走らせ、口々に狂ったような叫び声を上げているその先頭にいる二人組は神殿の、それも高位の異端審問官の衣装を風になびかせている。それはサシャのような形だけのものではなく、正真正銘、アスベカ中央神殿正規の法衣だ。


「ちょ、どういう――」

「間違いない、あいつがサシャだ!」


 混乱する村人たちを蹴散らしながら、しゃにむに突進してくる騎馬集団。

 それは一直線にサシャを目掛けたものだ。


 だが、サシャ本人からしてみれば、なぜ自分に神殿の異端審問官が向かってくるのか分からない。隠している種族の関係ならともかく、いや、それにしたって神殿が動くようなものでは全くない。異端認定、邪神崇拝、どちらも欠片も意味が分からないものだ。


 確かにここ一年ほど、郊外の農村を巡って自分なりの癒しを村人たちに施してきた。


 が、それも自分に癒せる範囲のささやかなものであり、いずれかの神を騙ったりなどは一切していない。そもそも信仰心など持ち合わせていない彼にとって、邪神崇拝など最も縁遠いものなのだ。神殿が祀るゴザなどの神々への信仰もなかったといえばなかったが、それで火炙りなど冗談ではなかった。


「いったい何がどうなってんの!」


 と、その時、サシャは急迫する騎馬兵集団の中に見知った顔を見つけた。


 かつて傭兵をしていた時代の顔馴染み、金がない時に内緒で何度か癒しをしてやったりもした貧乏傭兵のノルベルトだ。


「おおいノルベルト、これはいったいどういう――」

「奴は強いぞ! 一対一でやりあおうと思うな、回り込んで囲め!」

「えええ!?」

「奴は昔から魔法には滅法弱い! 低級魔法でいい、数を放って弾幕を張れ!」


 サシャの呼びかけは、かつての同業者による無情なまでの弱点暴露で返された。

 騎馬集団は早くも目と鼻の先まで迫り、そのノルベルトの裏切りとも思える情報提供に応じて素早く包囲へと形を変えつつある。


「村人たちに問う、彼に非正規の癒しを受けなかったか!」


 見る間に包囲を完成させた騎兵集団から一歩前に進み出た神殿の異端審問官の片方が、背後を振り返って居丈高に問いを投げつけた。そこには後続の騎馬に追い立てられ、連れ戻されてきた村人たちが青い顔で立ちすくんでいる。


 こんな郊外の村でも異端審問官の恐ろしさは知れ渡っている。彼らに僅かでも非協力的な態度を示せば、まとめて異端者として処刑されるというのがもっぱらの噂だった。


「どうだ! 既に証拠は半分までも上がっているのだぞ! その男は邪神の下僕、癒しの形を装ったその技は、治癒を司る神ゴザの聖域をおびやかすもの! その男は、悪神の手先なのだ! ここに枢機卿からの告発状もある!」


 片方の審問官がそう叫べば、隣の審問官もたたみかけるように決めつける。


「そうだ! そやつのような邪神崇拝者のせいでこの世界は綻んでいると、ゴザの神託も下されている! 恵みの太陽が日に日に姿を現さなくなっていくのは、そやつのせいなのだ!」

「正しき神への祈りを伴わぬ癒しを受ければ、すぐさまその身体は呪われて朽ち果てる! 即刻この場で奴が邪神崇拝者だと証言し、神の前で貴様らの穢れを払い落とせ!」


 激昂して交互にまくし立てる審問官に村人たちは戸惑いと怯えで蒼白になっている。


 確かに審問官たちの言うとおり、祈りを伴わない癒しは受けてしまった。けれども正直なところ、その時の神々しさ、あれが邪なものだとすぐには信じられないのだ。


 あの触れがたいような荘厳さ、全てを抱擁されるかのような静謐さ、そこで確かに感じた神の息吹、それらはまさに彼らが信じる天空神クラールがそこに在ったとしか思えないもので――



「ちょ、なんで体が朽ち果てるの? そんなことある訳ないじゃん!」



 審問官たちに敢然と抗議を行ったのは、訳の分からない罪を数え上げられた当のサシャだった。物心ついた時から幾度も行ってきた自分の癒しを呪い扱いされたことが、まずどうしても納得できなかったのだ。


 癒しは善意で行ってきたもの。呪いなんかであってたまるか。

 皆も喜んでくれたし、その証拠に――


「――朽ち果てるっていうならさ、そこのノルベルトはどうなの? 傭兵だった時に何度も内緒で癒してあげてたんだけど、身体、腐ってる?」


 そう言ってサシャが鋭くその紫水晶の瞳を向けるのは、まるで審問官たちの副官のような顔をして包囲に加わっているかつての同業者だ。


「なっ! お、俺はそんな邪神崇拝者なんかの癒しは受けたことねえ! ちゃんとお布施を包んで神殿に行ってたさ! 俺は真っ当な傭兵だからな、そうだろ、みんな!?」

「お、おうとも。ノルベルトの信仰心は俺たちが保障する! それにその男は傭兵ギルドから逃げ出した男だ! 後ろめたいことがあったに違いないし、口から出まかせを言っているに違いない! そいつの言葉に信頼性なんかこれっぽちもないぞ!」


 ノルベルトの他に雇われたと思しき傭兵たちが、審問官たちの反応を見ながら見事にノルベルトに迎合していく。


 彼らもまたサシャには見覚えがあった。


 どちらかといえばノルベルト同様うだつの上がらない、傭兵社会の中でも目立たない男たちであった。接点こそ少なかったものの、それでもサシャは金に困ってそうな彼らに何度か割りのいい仕事を遠回しに流してやった記憶があるし、同じ戦場に立てば魔獣の攻勢から庇ってやったことだってある。こうも手のひら返しをされる謂われはないのだ。


 これが異端審問の実体――。


 サシャは見事な手の平返しをするかつての同業者たちから視線を剥がし、眼前の豪華な衣装を着た二人組を冷ややかに見返した。彼らはそれ見たことかとヒステリックに糾弾を続けており、その言葉ひとつとてサシャにはさっぱり理解できない。


 なぜ人々を癒すのが邪神の行いなのか。


 確かに神父っぽい格好をして、街の神殿に行くに行けない郊外の人々を癒してはきた。それはもしかしたら、神殿から潜在的な客を奪うものだったのかもしれない。


 けれどもやっていることはまさに神殿が説く万人の救済そのものであり、現地に出向き無理なお布施も要求しない分、豪奢な神殿でふんぞり返って贅沢をしている神官たちよりよっぽどマシなことをしているはずだった。


 それがなぜ呪いよばわりされ、なぜ世界の滅びにつながり、なぜ日照時間が短くなったのが自分のせいになっているのか。


 言いがかりも甚だしいし、納得なんて到底できない。サシャからしてみればありもしないことで他人を貶める、この目の前の異端審問官の方が世界に害を――


「くっ、邪神の手先め、神に逆らうつもりか!」

「もう証拠は充分だ! 神の名の下に裁きをくだせっ!」


 サシャの紫水晶の瞳に宿る、じわじわと燃え上がっていく怒りに気づいたのであろう。

 審問官二人組が揃って後ずさりし、周囲を取り囲む傭兵たちに慌ただしい攻撃命令を叫び始めた。


「審問官さまの判決が下りたぞ! これ以上余計なことを言われる前に殺せ!」


 ノルベルトの号令一下、かつての同業者たちが一斉に馬から飛び降りた。そして躊躇なく抜剣し、多勢に無勢のサシャを嘲笑うかのようににじり寄ってくる。



「……結局はそう来るんだ」



 サシャの紫水晶の眼光が、内心の怒りを反映するかのように傭兵時代の剣呑なものへと戻っていく。


 あまりに理不尽な異端判定、あまりに理不尽な言いがかり。

 この場で殺されるには、意味が分からなすぎた。


 何より、騎兵に槍で乱暴に追い立てられてきたと思しき村人たちのうちの数人が、体のあちこちから血を流しているのだ。


 厳しい生活を少しでも楽にしてあげようと、せっかく癒してあげたばかりの何の罪もない彼ら。その傷つき怯えた姿が、サシャの怒りをさらに激しく燃え上がらせている。



「……なら、やってみる? 後悔しても遅いよ」



 大きく息を吸い、背中の双剣を軽やかに抜き放つサシャ。


 じり、と半身になって両手に剣を構えるその形は、傭兵時代から変わらない彼の戦闘準備完了の証だ。剣術というほどの技巧はない。ないが、それを補って余りあるものがサシャにはあった。


「……ねえノルベルト。これっぽっちの人数で勝てる、本気でそう思ってんの?」


 サシャにはノルベルトら顔見知りの傭兵にも打ち明けていない、幼い頃からひた隠しにしてきた秘密がひとつある。もちろんそれは、邪神だ何だに全く関係のない、混血である彼の種族にまつわることだ。


 ろくな防具をつけていない彼が、背中の双剣のみで魔獣ひしめく荒野を一人旅できる理由。


 天涯孤独の孤児だった彼が一人きりで成長し、傭兵として「国内若手で最も強い」との評価を不動のものとしていた、その理由。



 それは彼の中に流れる血に、とある稀少な種族の――



「傭兵ども! この場でこやつを焼き殺して構わんと言っている! 早くこの危険な化け物を仕留めろっ!」

「そそそ、そうだっ! 魔法が弱点ならそれでいい、とにかく一斉に放てッ!」


 いつしかすっぽりと夜の帳が下りはじめた郊外の村の外れ。


 その宵闇に呼応するようにサシャから溢れ出はじめた強烈な威圧感に、本物の戦場を知らない審問官の声がどんどん上ずっていく。


 が、そんな彼らを補佐すべく雇われたノルベルトら現役の傭兵たちは、逆に一歩も身動きが取れずにいた。


 サシャから放たれる絶対的強者の圧力が、曲がりなりにも戦いで飯を食べている彼らの脚を釘付けにしていたのだ。


 かつては魔獣ひしめく最前線で、押し寄せてくる魔獣にだけ向けられていたそれ。

 犬猫の中に解き放たれた餓狼がごとき圧倒的上位存在が撒き散らすような、根源的な恐怖と戦慄、そして恐慌。


 その兇悪なまでの威圧が今や、未だ最前線には立たせてもらったことのない、彼らノルベルトたち二線級の傭兵にまっすぐ向けられている。


「な、な、なんだよコレ……」


 ノルベルトは遅ればせながら理解した。

 異端審問官の威光を過大視し、敵に回してはいけない相手を敵に回してしまったのかもしれないことを。


 猛者揃いの傭兵社会の中、眼前のこの子供のような双剣使いが何故、ああも高い評価を得ていたのか。


 常に最前線に立つ一線級の上級傭兵たちが、何故ああも揃ってサシャを同じ仕事に誘いたがっていたのか――



 その理由を今となって思い知ったのだ。



 ノルベルトが密かに嫉妬していた傭兵界の麒麟児、双剣のサシャ。


 剣術の技巧的なものなどほとんど持たない貧乏な孤児にもかかわらず、単純な身体能力だけで魔獣の海を蹂躙し続けてきた、無傷の殺戮者。


 その奇跡の武運から天空神の絶対加護を隠し持つとも囁かれてきた神の寵児、またの名を終末の使徒アパスル



「……来ないなら、こっちから行くよ?」



 幾つもの呼び名を持つ傭兵界のかつての麒麟児が、王者の風格をもってそこに君臨していた。




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