第44話 ジェイコブは、ユキを抱きかかえて歩く
戦い終えたジェイコブは、無意識に床に転がった酒瓶を手に取る。
爆風にも無事に残った酒瓶の数を見て、安心した。
これだけあれば、死ぬまでここにいられる。もうすぐ死ぬだろう・・・
いい仲間を持った。いい敵だった。
何を悲しむことがあろう?
俺は世界一、贅沢な男だ。最後に仲間と共に飲もう。
ジェイコブは足を引きずって、ユキの元に行く。
「ありがとうよ、ユキ。」
爆発のせいで衣服が破れている。
かわいそうに。
骨が砕けている首に手を当てる。まだ脈は打っている。
こんな状態で生きていても、苦しいだけだ。
この剣で心臓をついて、楽にしてやろう。
そう思ったが、気になることがひとつあった。
それを試してみるのもいい。
ジェイコブは、酒瓶を握りしめたまま、ユキを抱える。
今のジェイコブにとって、自分が歩くだけでもままならないが、ユキとこうやって肌を合わせることが、ジェイコブの苦痛を取り除いてくれた。
部屋を出て、ゆっくり一段一段、螺旋階段を下りて行く。
それは、ジェイコブにとって幸福なときであった。
「こんな幸せを、もっと早く知っておけば、また違った人生だったかもしれないな。」
ジェイコブはユキの唇に自分の唇を重ねる。
ユキの唇はひどくカサカサで、ひび割れていた。
地下7階に戻って来た。
サキュバスたちと戦った場所だ。
ジェイコブは、金髪サキュバスが最後に描いた大魔法陣にたどり着いた。
「ものは試しだ。お前と一緒ならば、悪魔になろうがかまわん。まぁ、お前は迷惑だろうがな。」
酒瓶を手から離し、最後にもう一度口づけをして、ユキを抱えたまま大魔法陣の中に足を踏み入れた。
血が熱くなった。
心臓から新たに血が作られて、それが体内を激しく流れる。
頭がハッキリしてきた。
身体が軽くなる。
つまり、この上なく健康になってきたのだ。
骨も歯も、遺伝子から再び作られ、すべてが健康状態に戻る。
そして身体が健康になれば、精神が強くなる。
血、脳、身体、精神。
この再生が繰り返される。
これは、サキュバスが自分の寿命50年分を対価にして作った、治癒の魔法陣なのであり、人間にも同様の効果があったのだ。
ユキの目が開いた。
腕に抱かれたまま、ジェイコブと見つめ合った。
そのまま時は流れた。
一瞬であったのか、それとも長い時間であったのか。それは彼らには分からなかった。
ジェイコブがユキを腕から静かに下ろした。
「ありがとう。」
ユキの最初の一言は、感謝の言葉であった。
何があったのかはわからないが、ジェイコブが助けてくれたことだけは、よく分かっていた。
ジェイコブは何と返答していいのか、わからなかった。
「この魔法陣は、あらゆる傷を治してくれるようだな。」
うん、と頷くユキ。
地下6階で何が起きたのか、ほとんど思い出せない。
ユキは、自分が裸に近いのをやっと理解する。
少し手で隠す。
「上に仲間がいる。急いでここに連れてこよう。先に行ってるぞ。」
ユキは思い直し、すぐにジェイコブに続いた。
ジェイコブはマットを、ユキはシカルを抱えて、その二人を一緒に大魔法陣へ寝かせた。
二人とも外見はひどかった。特にマットは、顔がなくなっているのだ。
しかし、二人とも虫の息ほどはあった。
マットとシカルを大魔法陣の中に置いて、今度は二人でロイを運ぶ。
ロイも全身の骨が砕けており、流血で外見もひどいが、息はしっかりしている。
意識がないだけだ。
かなりの重さだったが、ジェイコブとユキで、地下7階まで螺旋階段を丁寧に運んだ。
再び魔法陣に戻ると、マットとシカルの傷は、外見上ほとんど治癒していた。
ロイは入らないので、しばらく魔法陣の傍らに置いておく。
マットとシカルが完治するまで、ユキは上の部屋から爆風で少し黒くなった白と赤のベッドシーツを持ち出し、それで衣服を作った。
白のシーツを体に密着させ、紐で、胸と腰と太もものところを締めた。
もう一つの赤いシーツを切って、服の破れてしまったシカルの上半身をグルリと巻き、首元と背中でギュッと結んだ。
「・・・ここはどこだ。」
マットが気づいた。
「うーん。やけに体の調子がいいな。」
シカルも目が覚めた。
「話はあとだ。ロイをこの中に寝かせてくれ。」
ジェイコブの指示に、寝ぼけ眼の二人は従った。
「この魔法陣は、あのブロンドのサキュバスが描いてたやつだよね。」
ロイを寝かせると、早速シカルが聞いてきた。
「ああ。人間に危害を与えるどころか、人間も治癒してくれる魔法陣だったってわけさ。」
「そうだったんだ。
少なくとも、老化はするんじゃないかと思ってたよ。余計な心配しちゃったね。」
「ハハハ。おいシカル。お前はもっと年をとった方が良かったんじゃないか。今のままじゃ、ガキみたいでなめられるぞ。」
マットは無邪気に笑う。
「うるさい、だまれ。
僕のことより、自分のことを心配しなよ。随分と元気じゃないか。」
シカルが皮肉を言っているのは、マットの股間部分のことである。
あの世に手を触れていた状態から、まだ時が経っていないのにもかかわらず、あそこは立派すぎるほど回復しているのだから、皮肉のひとつも言いたくなる。
「うわっ。こ、これは、俺ががんばっても、おさめようがないぞ。
自然現象だからな。ハハハ・・・」
シカルはそんなマットを無視して、自分がおかしな服を着ていることに気付いた。
「一応、間に合わせで作っておいたわ。」ユキが声をかける。
シカルは思い出した。
あの、不死身のミノタウロスのことを。服を破られたことを。
自分の服を見ると、胸の部分が少し膨らんでいるのがわかる。
シカルはマットに背を向け、ユキに礼を言う。
「ありがとう。でも、あのミノタウロスは、どうなったの?」
「血と灰になった。」と、ジェイコブが言ったところで、ロイが起きあがった。
ロイが加わったことで、改めて何が起こったのかを、ジェイコブは話した。
ミノタウロスの再生能力、ロイがやられ、マットがやられ、シカルがやられ、ユキがやられたこと。
シカルの火薬を口の中にいれたこと。
サキュバスが十字剣を投げ渡してくれたこと。
そして、大爆発。
ミノタウロスが死んだこと。
「じゃあ、河童とサキュバスはどうなったんだ?」マットが質問をする。
「サキュバスは死んでると思う。河童は見当たらなかった。
でも、今から見に行こう。」
ジェイコブはそう言い、一同は再び地下6階へと上って行った。
ジェイコブの手には酒瓶が握られておらず、代わりに十字剣を腰に携えている。
明かりを持って改めて部屋に入ると、壊れたテーブルを中心に、そこらじゅう黒こげであった。
ジェイコブとユキにとっては、何度も見たものであったが、他の三人にとっては驚きであった。
シカルは自分の焼け焦げた服の破片を見つけ、生々しくミノタウロスの恐怖がよみがえってきた。
サキュバスは、やはり息が絶えていた。
これは、パーティにとって良かったことであろう。
もちろん、恩義の面から言うと命があって欲しかったが、一切の妖怪・怪物を閉じこめなくてはならないのだ。
グレイに言えば納得してもらえるかもしれなかったが、やはり死んでもらった方が都合が良いと言うしかない。残酷ではあるが。
そういうことで、結局サキュバスを火葬した。
ロイが代表して祈りを捧げた。
河童は消えてしまったようだ。
河童の着ていたヨレヨレの下着だけが、焼け焦げて残っていた。
「どこに行ったんだろうね。」シカルは見えないところで、自分の小ぶりな胸が目立たないよう、シーツをきつく巻き直した。
「あいつはすばしっこいぞ。用心しておけ。」ジェイコブがナイフを拾いながら言う。
「おいおい。ここに金貨が散らばってるぞ。このゴルラン金貨は、ジェイコブのじゃないのか?」マットが大声で言う。
「マット。もしよければ、お前が貰ってくれ。俺にはもう必要ない。」
ジェイコブは、ウイスキーの瓶を蹴飛ばして言う。
ユキはそれを見て、顔を上げる。
「ああ。酒も治ったんだ。あの魔法陣でな。」
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