第38話 魔法陣の解除

金髪サキュバスは、ジェイコブのナイフで重症を負っていた。


魔法の言葉をしゃべろうとするが、何一つまともな言葉がしゃべれない。


怒りと憎しみが、サキュバスを混乱から覚ました。


激痛をこらえて、頬のナイフを抜く。血が吹き出てくる。


舌先の肉が、血の海に浸かっている。これでは、もうまともに言葉が出るはずもない。


まさに地獄の苦しみ、救いのない状態であるとサキュバスは理解した。


せめて・・・せめて奴らを道連れに・・・


サキュバスは四つん這いになりながら、大魔法陣に近づいた。


その魔法陣は、あと少しのところで完成するのだ。


我らのパーティが姿を見せたのもあって、中断していたのである。


自らの血で女は大魔法陣に指を立てて、続きを描き始めた。


完成するのも時間の問題だ。


もしこれが攻撃的な魔法陣ならば、パーティの命は危ない。




シカルは幻影だと知りながらも拭い払えぬ水に苦しみ、息をとめ、サキュバスの言葉が聞こえないよう耳を塞いでいた。


ただ目はしっかり開いていた。


鍵となる言葉を聞かないことによって一定の時間が経過し、そしてついに洪水の幻影が一切消え去ったのだ。


シカルはすぐにロイにかけよって、本当に溺れてしまわないよう、うつ伏せにし、口の中に指を入れて泡を吐き出させる。




さらにユキの魔法も解けた。


しっかりと地を足で踏んでいる感じが戻った。呼吸も出来る。


ユキはすぐに、四肢と首を捕らえられたジェイコブの元に駆け寄った。


奇怪な腕に締め付けられ血の流れが止まり、ジェイコブは顔を真っ赤に膨らませている。非常に危険な状態である。


ユキは奇怪な腕をすべてクナイで斬り落とす。


その際、領域に触れてさらに伸びてくる奇怪な腕も、両手に持ったクナイでヒュンヒュンと斬り落とす。


首を絞めていた奇怪な腕から解放されたものの、ジェイコブは視線もうつろで、鼓動が激しく胸を打っており、半ば意識を失っている。


しかしユキがいくら斬り落としても、魔法陣の領域に触れるたびに奇怪な腕が生えてくるのでやっかいである。


奇怪な腕は意思を持った触手のように、ユキの体をまさぐり、ジェイコブの体をつかむ。


そしてユキは、二本のクナイを狂ったように振り回している。


ユキが、そんな無限に続くかと思われる作業をしている間も、金髪サキュバスは謎の大魔法陣を完成させようとしているのだ。


とうとうユキは、なんとか魔法陣の領域に触れずに、襲ってくる全ての奇怪な腕を斬り落とすことに成功し、やっとジェイコブを、魔法陣で囲まれた円の外へと連れ戻すことが出来た。


疲れ果てたユキは、その場で膝と手つき頭をもたげた。


ジェイコブを守るように覆いかぶさり、ユキの汗がジェイコブの顔にポタポタ落ちる。


ジェイコブの鼻の下が赤くなっている。鼻血だろうか?


「・・・」


ジェイコブが何かつぶやいているので、ユキは耳栓のために詰めていた丸薬をとった。


「匂いだ・・・」


匂い?ユキも、この階に上ってくるときに感じた匂いを思い起こした。


この時、シカルはロイを介抱していたが、ユキを見て発見した。


ユキの長い黒髪が垂れているところは魔法陣のすぐ近くだったのだが、その氷の壁が現れる魔法陣と奇怪な腕が生える魔法陣が、ほんの少し緑色に光ったように見えたのだ。


「もしかして、髪の毛が魔法陣の封印を解く鍵なのか・・・?」


我らのパーティは、「匂い」と「髪の毛」という、重要な手がかりを手に入れたのであるが、しかし、サキュバスの大魔法陣も完成間近であった。




ユキはジェイコブの衣服の紐を緩め、呼吸を楽にさせた。


自分の命も顧みず自暴自棄になったサキュバスが、どのような攻撃に出るのかと、ユキに嫌な予感がよぎる。


ユキが振り返ると、サキュバスは自分の血で描いた新たな魔法陣の中にいた・・・


ついに完成したのだ。




血を指にしたためて、大魔法陣を完成させ、サキュバスがその大魔法陣の中に入る―――


すると、サキュバスの血にまみれた顔が、元の美しい顔に戻っていくのだ!


読者諸君。


この謎の大魔法陣は、サキュバスの傷を完治させてしまったのだ。


「このクソがぁ!」


完治したサキュバスは言葉もハッキリと吐き、ナイフを拾うとジェイコブに向けて投げ返す。


氷の壁が出現して、コツンと跳ね返された。


その間の抜けた音のせいか、我に返るサキュバス。


「すべてのランプの火よ!その火を竜の姿に変え、炎の竜となって、やつらに襲いかかれ!」


ユキは、耳栓にしていた丸薬をすでにとっていた。


「しまった・・・」


この階を照らしていたランプがいくつも割れて、竜の形をした炎が大群となって押し寄せてきた!




たとえ幻だろうが、炎の竜は人を焼死させる。


催眠にかかった人間は、普通の冷たい水ですら火傷するのだ。


我々のいる世界では、これをプラセボ効果という。いわば、思い込みが現実になるのだ。


そして我らのパーティが戦っている世界でも、同様のことが起こっている。


ユキの目には炎の竜が無数に襲い掛かってくるように見えている。


ユキの背後から襲ってくる竜が、ユキの背中に突進し、ユキは背中に熱さを感じだ。


「グッ・・・」


顔をしかめるユキ。


「火よ!炎よ!竜となり、人間共を焼き殺すのです!」




サキュバスが火竜の魔術を唱える少し前、ロイは魔法から覚めた。


シカルの処置が良かったおかげで、本当に溺れ死なずに済んだのだ。


意識を失っていたので、何が起きているのか状況を把握出来なかったが、自分が溺れていたことは、思い出した。


シカルはロイに小声で言った。


「ロイ、サキュバスの言葉を聞いちゃダメだ。あの女の言葉を耳に入れると、幻術を見せられるんだ。すぐに耳を塞がなきゃ。


そして次にあの女が何か唱えた時は、幻術を見ているフリをしよう。」


ロイは、着ている上着を小さく破って中の綿をとると、唾で濡らして両耳に詰めた。


シカルもその綿をもらうと、同様に耳に詰めて全ての音を遮ったのだ。




サキュバスが口を大きく開けて幻術の言葉を唱え、ユキが目に見えない何かに襲われているのを見ると、シカルとロイもユキの真似をした。


「ギャー!」「うわーッ!」と叫び声も上げて、床を転げ回る。


その姿は滑稽であるが、サキュバスを騙すには十分だった。


シカルは転げながらも、見せ掛けの魔法陣から外へ飛び出る。


ロイもよろける振りをしつつ、シカルに続く。


運が良かったのは、サキュバスはジェイコブがいつ意識を取り戻すのか気になっており、シカルとロイのことはほとんど気にしていなかったことだ。


さらに、ニンジャ小娘は熱がってはいるものの、外傷が全くないのも気になった。


「おかしい・・・火の幻想がまだ弱いのか・・・」


火竜から逃げ回るユキは、あまりの熱さで、耳に丸薬を詰める余裕もなく、必死に体を素早く動かし続けている。


ジェイコブは首を小刻みに震わせており、今にも意識を取り戻しそうに見える。


「火の竜よ!怒り狂って人間共を襲え!骨まで焼き尽くせ!」


サキュバスはありったけの大声で、ジェイコブの意識に届くように叫ぶ。


しかしジェイコブには効果がないし、ユキに対しても火傷ひとつも負わせられない。


その答えのひとつが、サキュバスの目の前にあった。


お香が飛び散り、もう煙を出していなかったのだ。


魔法をかけるには、言葉だけではかからない。


芥子の葉で作ったお香によって、脳に催眠が掛かりやすい状態を作り、その上で言葉をかぶせるのだ。


そのお小さく盛ったお香が、ジェイコブの投げたナイフによって飛散してしまったのだ。


「おのれ・・・」


サキュバスの周りに3つあったお香が、全てナイフで吹き飛ばされている。


それだけではない。お香から目を上げると、目の前に予期せぬ者の姿があった。


もちろん、シカルとロイである。


サキュバスは、信じられないというような顔をする。


「どうしてここに・・・」


シカルとロイは、サキュバスの隙を見て、最初にいたところから見せ掛けの魔法陣を突破し、さらに彼女の視界に入らぬよう後ろの位置についたのである。


そしてシカルは、自らの短い髪の毛を2種類の魔法陣にこすりつけて解除し、ロイと一緒にまんまとサキュバスの縄張りに忍び込んだのだ。


サキュバスが気付いた時にはもう遅かった。


ロイの大剣がすでに振り下ろされていたのだ。


しかし、サキュバスの怯えた表情に、ロイの大剣が躊躇した。


そのおかげで、サキュバスはドレスの一部を斬っただけですんだ。


命拾いしたサキュバスは、それでロイの弱点を見抜いた。


殺しなど出来ない、やさしい男なのだ、と。


実際ロイも、サキュバスを傷つけなかったことに安心している。


しかしシカルは違った。一寸も心に迷いはなかった。


杖先をサキュバスに合わせて、本物の火を発射させる気だ。


危険に気付いたサキュバスは、反射的に大魔法陣から飛び出しあわてて逃げる。


ドレスがはだけるのもそのままに、魔法陣に囲まれた円の外に出ようとしたが、魔法陣の領域に触れてしまい奇怪な腕がサキュバスの白く柔らかい両太ももを掴む!


自分で仕掛けた魔法陣に捕らえられたのだ。


「や、やめて、許して、お願い!!!」


サキュバスの美しい目から落ちる涙は、男であれば心が揺らぐであろうが、やはりシカルの心は全く揺るがすことがない。


サキュバスはシカルの目を見て、やっとその理由がわかった。


「ニンジャの女よ!杖を持った奴がお前を襲う!今すぐ・・・」


その幻術の言葉は最後まで言い終えることなく、シカルの杖先から発射された炎が、サキュバスを包み込む。


とうとう彼女は最後の時を迎えたのだ。


「ぎゃああああ!」


つんざくような悲鳴と一緒に、男を虜にする美貌も、妖艶な体つきも、柔らかな白い肌も、ブロンドの髪も、全ては地獄のような炎に包まれた。


悲鳴が完全に消えると、シカルとロイは耳栓をとった。




ロイは焼き尽くされるサキュバスの姿に、心を痛めていた。


シカルはジェイコブの元に近づこうとしたが、どれが見せかけの魔法陣か判別が難しく、一旦解除した魔法陣も復活してしまったので、自分の髪の毛をこすりつけて解除する。


ユキはまだ幻術に少しかかっており、シカルを警戒しておかしなステップを踏んでいる。


シカルとしては、杖を置いてユキに敵意がないことを示し、頭を地面にこすり付けて魔法陣の解除に集中するだけだ。




「おいおい、何四つん這いになってケツ振ってるんだ。


男のケツ見ても、うれしかねえぞ。


それに何だ、ユキは。あんな踊りに何の意味があるんだ?


ジェイコブは寝てるし、ロイは火に当たってる。


今はあれか、休憩中なのか?ちょっと説明してくれ、シカル。」




マットだった。


「マット・・・生きてたの!」


ほっとしたせいで、シカルの目から涙がこぼれる。


「ああ。目覚めたらオークの首に埋まってたが、何とか生きてたみたいだぜ。」

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