第33話 ジェイコブ
ジェイコブは、酒もタバコも女も、若いうちに覚えた。
金には不自由しなかったので、好きなだけ飲み、抱いた。
殺しと酒と女がジェイコブの生活であり、そうやって年を重ねていった。
ジェイコブは30歳を過ぎた頃にやった仕事の、とある依頼主のことを時々思い浮かべる。
依頼主とは直接会ってはいないが、40歳くらいの女だ。
殺害対象は、彼女の夫だった。
夫は貴族で、その地域の有力者であった。
仲の良い夫婦として評判であり、彼女は理想的な妻を演じていた。
しかし若い男との恋に夢中になり、夫が邪魔になったのだ。
ジェイコブは速やかに仕事を済ませた。
遺産を受け継いだ彼女は、若い男と十分に愛し合ったのであろう。
しかし、次第に若い男の興味は、他の女に移っていった。
もう一度、彼女は殺人の依頼をしに来た。
対象は、愛し合っていた若い男だ。
ジェイコブは、その時は特に何も思うこともなく仕事を片づけた。
ある時、ジェイコブが道を歩いていると、その女が派手な衣装を身に着け、別の若い男を連れて演劇場に入るのを見た。
ジェイコブはこう思った。
俺は今すぐにでも、あの女の生涯を終わらせることが出来る。
あの女に限らない。誰であろうと、俺が殺そうと思えば誰でも殺せる。
女の元夫や、愛人のように。
そうしないのは、俺が生かしてやっているからだ。
俺は手の中に、人間の生死を握っているのだ。
あの女は、今後も醜く生きていくであろう。その人生に何の意味もない。
豪華な宝石や若い男を手に入れようとも、何の意味もない人生だ。
ここで俺が殺そうが、生かしておこうが、どちらも同じだ。
ジェイコブは仕事をやめた。
金は十分あったので、仲間も引退の時だと納得した。
生まれ育った家にやっと戻ったら、両親とも死んでいた。
「生きるも死ぬも、同じことさ。どちらも無意味。
人生の本当の姿は、まったくの無意味。
俺の人生も、俺が奪った人生も、あってもなくても、どちらでも同じことさ。」
彼は、両親の墓を訪れることもせず、その日のうちに故郷を立ち、誰も知り合いがいないところで名を隠して生きた。
人生の最後の時を迎えるまで、ひたすら酒を飲むのが一番良いと、ジェイコブは悟った。
最後の時が早かろうが遅かろうが、どちらでも良い。
酒の飲みすぎで、食べ物もろくに喉を通らなくなった。
内臓がおかしなことになっているのもわかっていたが、医者に診てもらうつもりは全くなかった。
自分の体のことなど、どうでも良かった。
1ヶ月間の記憶が、全く思い出せないこともあった。
その間も酒を買いに出ていたようだが、その記憶が全くなかったのだ。
「最後に仕事をしようか。」
何かの拍子でふと酔いが醒めたときに、このように考えたのだ。
そういえば、仕事の後の酒はうまかった。
ジェイコブはなつかしく思い出す。
最後にうまい酒を飲むために、次の仕事を終えるまで酒を断とう。
かつての仲間に会いに行き、何か面白い仕事はないかと聞いた。
話を聞いているうちに、自分は殺しの仕事にはもう興味がないとわかった。
殺し以外の仕事を請け負うギルドを教えてもらい、そこへ赴いた。
隠すことでもないので、ギルド長には殺しをやってきたことを正直に言い、腕を披露した。
「ということは、あれか?お前はもう殺しをする気はないということなのか?」
「ああ。なぜかする気がなくなったんだ。」
「わかった。いい腕だ。何かあったら仕事を紹介しよう。」
ギルド長はグレイの依頼を持ってきた男に会って、ジェイコブのことを話した。
「腕は今まで見た中で一番だ。身体能力もずば抜けて高い。
ただ、殺しをやってきたので、そちらの条件に合うかどうか・・・」
グレイの従者は試験の意味で、ある仕事を依頼した。
盗みの仕事であったが、手際の良さもさることながら、これが試験であると嗅ぎつける勘の良さも気に入った。
後は仕事内容を守る口の堅さであったが、大量の金貨を見せられ、秘密を金で売ることはないとわかった。
なぜ金があるのに、仕事をするのかと聞くと、ジェイコブは正直に答えた。もうすぐ死ぬだろうから、最後にいい仕事がしたい、と。
従者はグレイにその男のことを話し、判断を仰いだ。
グレイはジェイコブのことを気に入った。
そうしてジェイコブは、死ぬ前に最後の仕事を見つけたのだ。
「お前自身が、死を呼んでいる。」
黒騎士はジェイコブに言った。
「目の奥から死が迫っておるぞ。」
黒騎士はジェイコブに切りかかる。
素早く避けたジェイコブだが、何かが頭の中に忍び込んだような感覚に陥る。
剣を避けた先で、息をつかせる間もなく、別の黒騎士がジェイコブに切りかかる。
またしても、脳に異変を感じる。
反撃をしようにも、全身を黒い鋼鉄の鎧で覆っているので、仮にナイフを投げたところで効果は期待できない。
休む間もなく、ジェイコブを集中的に狙う黒騎士。
そのたびにジェイコブの顔は歪み、泥酔者のような表情になる。
黒騎士の振りかざした腕に、ユキがクナイを投げる。
クナイには、取っ手に穴があいており、紐を通すことも出来る武器である。
狙い通り見事腕に絡みつき、グイと引っ張って黒騎士に膝を着かせる。
「ありがとよ。」
礼を言うジェイコブの表情は焦燥しており、全く余裕がないのがわかる。
ジェイコブがこのようになったのは、黒騎士が発している邪気にやられているせいである。
黒騎士の攻撃は避けることが出来ても、目に見えない邪気には触れてしまう。
触れた邪気が、ジェイコブの精神に苦痛を与えているのだ。
ユキのクナイが腕に巻き付き、それに気を取られている黒騎士に、シカルが間髪入れず炎を浴びせた。
黒騎士は、瞬く間に炎に包まれた。
シカルは容赦なく杖の先から油を発射し、爆発のような炎の衝撃を黒騎士に与える。
炎の中にいる黒騎士は、なおも戦う意志を見せている。
高く舞う炎をまといながら、うおおおお!とシカルに襲いかかる。
炎の中から剣を振りかざし、邪気に触れて恐怖でおののくシカルに向けて剣を下ろす、まさにその瞬間・・・!
黒騎士の首がスパッと吹き飛んだ。
ロイの大剣ひと振りが、シカルを救った。
炎に包まれたまま、首と身体に分かれた黒騎士は、鎧の中から闇の煙のようなものを吐き出して、血も肉体も残さず消え去った。
残された鎧は、焼き尽くすものを失った状態で火に包まれている。
残りの3人の黒騎士は、明らかにロイに対して恐れを感じているようだ。
そういえば、最初からロイには近づこうとしなかった。
「ジェイコブ、おらの近くに来るだ。」
ロイも、ようやくそのことに気が付いたようだ。
黒騎士は邪気を発し、その邪気が人の闇の部分を刺激するように、ロイのような健全な心は光を発し、黒騎士はその光を嫌う。
精神がひどくやられてしまったジェイコブは、ロイの言葉に甘え、ロイの後ろに隠れる。
酒が欲しい・・・
ジェイコブは戦闘中にも関わらず、地に膝を着く。
それほど、ジェイコブの精神は蝕まれてしまったのだ。
それを見た他の3人は、ジェイコブの精神の疲労の深さを知る。
ロイが前列に一人立ちはだかり、尻込みする黒騎士を睨みつける。
「もう許さねえ。神様が許しても、おらは絶対に許さねえだ。」
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